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――海上にて……。
二人は船内から出た、甲板に当たる場所に座っていた。
風が頬を撫でるものの、そこにはきっちりと座れるスペースがあり、大きく難儀するものではない。
「ライト!」
「ん」
「……ここだけの話、なんであの子に手を出さないの?」
彼女はそう言うと、まじまじと善大王の顔を見つめてきた。
ただ、彼はなにも後ろ暗いことがなく、そっけない反応を示すばかりだった。
「何か問題か?」
「だって、ライトだったらやりそうだと思って」
「フィアにも手は出していないだろ?」
「……それはそうだけど。じゃあ、なんで?」
「おっかないのいるから、なんてのは言い訳だな。まぁこういう狭い場所で、それも集団生活中だ。俺だって弁えている」
それを聞いた瞬間、フィアは安堵したように表情を緩めた。
「よかったぁ」
「俺を強姦魔か何かと勘違いしていないか?」
「うん、そうなんだけど。でも、ライトがまだちっちゃい子に興味があるみたいで安心したかなぁって」
自分のように、何気ない棘を突き刺していくフィアを見て、彼は乾いた笑いを浮かべた。
「安心してもらえたようで何より」
「……ライト、最近何か変なことない?」
「たとえば?」
「うーん……誰かを助けなきゃーとか、そういうの」
「前に言ってた、《皇の力》の副作用の話か? 少なくとも、変わったところはないが」
善大王は幾度も《皇の力》を使う中で、自我が――彼自身が上書きされつつある、ということを聞いていた。
ただ、その侵蝕は確たるものではなく、斑に行われている。
救済欲求に駆られていた彼も、戦時中は基本的にそれまで通りの合理思想で動き、最後までそれで走りきった。
そして今にしても、あの時のように少女を最優先しなくなる、ということはなくなっている。
「うん、なら問題なしってことだね」
「……そんなに警戒することか?」
「えっとね、ライトに関して言えば警戒すべきかな。前も言ったけど、ライトの《皇の力》は私が手を加えたものだから」
「そういえばそんなこと言ってたな。それで、俺に予期せぬ変化が起きないかを心配してくれているわけだな」
フィアがその話をしたのは、善大王が彼女を天の国から連れだし、光の国に戻る前のことだ。
ずいぶんと昔のことだが、彼はしっかりと記憶しているらしい。
ただ、彼女は別のことを考えていた。
「そういう心配もしているんだけど……ライトの場合、早すぎるの。まだそんなに使ってないはずなのに、もう昔のことが思い出せないくらいになってるし」
それを言われ、善大王は他人事のように頷いた。
「そういえばそうだったな。先代にしても、割と使ってたみたいだが、俺みたいになってたようには見えないし――っても、先代は元から善人だったからなぁ、俺と違って」
「原因があるとすれば、私だと思うの。それくらいしか、ライトの《皇の力》が普段とは違う挙動をするとは思えないし」
「そういうもんなのか」
彼のすっとぼけたような態度に多少は苛立ったのか、フィアは「もしくは、ライトが私の知らないところでいっぱい使った、とかね」と皮肉を言った。
「……覚えはないな。あったとしても数回くらいだ」
「うん。それならやっぱり誤差だと思う――なんか身に覚えがない? 私以外がライトの《皇の力》に何かしたとか」
「ないな。ってより、知ってからはほとんどずっと、フィアが一緒に居ただろ? それらしいタイミングって言ったら、《聖魂釘》を使った時くらいだが……あの頃はそもそも使えなかったしな」
あの時はムーアによる精神の浄化が行われ、幾らかの記憶が余計に吹っ飛んだものの、《皇の力》に対しては一切の干渉が行われていなかった。
「えっ、使えなかったの?」
「ん? なんか変なこと言ったか?」
「……ううん。でも、ライトはあの時、一度は使ったことがありそうな態度を取ってたから……」
善大王とフィアは顔を見やり、困ったような顔をする。
「まぁ、いいんじゃないか? 今更この力を組み替え直す、みたいのはできないだろ?」
「うん、そうだけど……でも」
「なら案ずるよりその場の対応だ。馬鹿みたいに乱射しなければ良いだけのことだろ?」
「そうだけど……うーライトがそういうなら、それでいいのかなぁ」
釈然としないままに、二人の会話は終わった。