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――東部戦線、幕営にて……。
「宰相、こちらはひどい状態だ」
「……そちらに限定したものでもないだろう」
タグラム失脚の影響は、戦場を火の車に変えた。
「呼んでもいない増援、求めてもいない新兵……首都は我々を忙殺させるつもりかね?」
「それは、ダーインの方が分かっているのではないか?」
それを言われ、ダーインは肩を竦めた。
「ああ、その通り! 教会が主権を握って以降、首都のやり方は滅茶苦茶になっている」
さすがの彼も、教会主導の政治には凄まじい憎しみを抱いていた。
タグラムの失敗は見当違いな努力であり、それ自体は紛れもない努力だった。
だが、教会のそれは戦闘行為への明確な妨害だ。それは彼だけではなく、ただの一兵でさえ理解している。
「確かに、兵站もひどい具合だ。この場で凌ぐならばまだしも、陣を進める余裕はない。人員についても同様で、適切な配置ができていない」
「分かっていて、黙っているつもり……ですか」
シナヴァリアのあまりに落ち着き払った様子に、ダーインも次第に冷静さを取り戻していった。
「この場を死守するのであれば、よそ見をしている暇はない。それに、軍人とはただ命令に従い、戦い続ける者だ。自分で判断するものではない」
「指揮官が口にする言葉ではないかと」
「全てを決めるのは、国の長だ。指揮官が判断するのは与えられた材料を、どう扱うかという部分――如何に狂気に取り憑かれたような命令であろうとも、従うのが道理」
本質的に、彼とダーインは違っていた。
一方は貴族であり、もう一方は生粋の軍人なのだ。
ダーインは呆れたような反応をし、彼の横に置かれていた椅子に腰掛けた。
「本音ですか」
「そうだ」
「このままなら、善大王様が戻る玉座がなくなりますよ」
「善大王様が戻れば、国家が成り立たなくなったとしても、立ち直らせることはできる。無論、苦難は多いが」
何かを隠している、とダーインは判断した。
「私に動けと?」
「情報を吐け、とは思っているが」
その言葉を聞くと、彼は笑い出した。
「教会は間違いなく、魔物と繋がっている」
「証拠は」
「こちらを」
もとより説得する気だったのか、小脇に抱えていた紙束をシナヴァリアの前に置いた。
それを日々の執務の如くに流し見ていき、最後の一枚を読み終えた時点で彼は頷いた。
「掴んだのはいつだ」
「つい最近のことですよ。それまで、彼らは尻尾を掴ませてはくれなかった」
「なるほど」
「これで、戦う理由はできた……違いますか?」
シナヴァリアはしばし頭を抱えた後、まるで悩んでなどいないような顔で「で、あったとしても動く理由にはならないな」と断じた。
「何故」短く言う。
「ここを離れた場合、どうなるかを考えてみろ」
「ここに残って、空腹に殺されろと?」
「そうなる」
彼の冷え切った対応に僅かな憤りを滲ませ、ダーインは眉を顰めた。
「……全く、分からない男だ」
「それはこちらの台詞だ。ダーイン、何に憤っているかは知らないが、冷静さを欠いた判断は多くを犠牲にすることになるぞ」
「憤るのが当然だろう」
「……教会が魔物と繋がってるのは確定的だ。事実、この陣を襲う魔物が増え、首都方面に向かう個体が減っている」
「分かっていたとしても、動かないつもりだろう」
「防御に徹することで、突破は防げている。だが、背を向けた状態で奴らと渡り合えるとでも?」
シナヴァリアはただ指示待ちに徹するというわけではなく、飽くまでも自分の頭で考えていた。
良くも悪くも、彼は軍人の規範には則らずに動いているのだ。
「それに、教会は今すぐに首都を滅ぼそうとしているわけではない。善大王様の帰還を考えれば、賭けをするべきではない」
「この場に至って、まだ善大王様に縋るつもりか」
「それが臣下の務めだ。ダーインが動こうとしている理由と、何も変わらない」
それを聞いた瞬間、大貴族は目を丸くした。
「正統王家が新たな統治者となった、ということは聞いている。ダーインが恐れているのは、この悪政の責を押しつけられるという状況だろう?」
憤る理由は知らないと言っていたが、彼はダーインという男の本質を理解していた。
それもそのはずだ。彼は正統派の党首であり、正統王家へと向ける敬意はシナヴァリアのそれと同じである。
「……言われてしまえば、反論はできませんな。確かに、冷静さを欠いていたことは認めましょう。ですが、宰相はどこに向かう気ですか」
「有事となるまでは、ここで魔物と戦うだけだ」