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彼は自分の死によって、死の確定した多くの兵隊を生存させようとしていたのだ。
それこそ、紛れもない運命への叛逆であり、人が獲得した機能だった。
神がそれを肯定するかはともかくとし、摂理はそれを決して許しはしない。だからこそ、絶対的な壁となり、抵抗を無為にするのだ。
人がそんなものに抗おうとすれば、当然――命を差し出すしかない。
強烈な定めの重力。急流の川を、滝を登っていくかのような――常に未来に進む時を逆行し、過去へと遡っていくかのような。
世界への激しい反発は、それに見合う激しい摩擦を生み、魂の熱量を極限にまで高める。
極限まで高められた力は、必然として炎の形を取る。
カッサードの身より放たれる覇気は、次第に蒸気やオーラの形を越え、より高度な力に変化しようとしていた。
刹那、フィアの術が発動した。
強烈な破壊の奔流が運命に抗おうとした男を押し流し、理を正常に向かわせようとする。
だが、橙は藍と混ざった。小さな一つの焔と、ではなかく、大きな揺らめきと。
「カッサード将軍、逃げてください!」
「この場で生きるべきは、あなたです」
幾つかの、莫大な量の声が、善大王の耳には聞こえていた。
藍色の揺らめきは橙色の奔流に抗いながらも、次第に勢いを失っていき、板に穴が空いたように貫通した。
導力の光が消えていくと、次第に状況が明らかになっていく。
善大王の前方には数え切れないほどの骸が連なり、どれがカッサードだったのかさえも、もはや判断できなくなっていた。
「……結果オーライ、か」
客観的にそう判断し、戦場を改めて確認しようとした。
勝負は、善大王の勝利だった。
「結局、奴はステイルメイトにさえ持ち込めなかったわけだな」
視界が白く明滅した。
「……クソ、今日は《皇の力》は使ってねぇぞ」
その明滅が、ある瞬間から収まった。
途端に、彼の視界は歪む。瞼は湿り気を持ち、胸の奥が締め上げられるような感触が襲った。
嘔吐をするように、彼は震えた声を吐き出し、両膝を付いた。
「なんだよ、なんだよ……」
彼は泣いていた。目の前の無数の屍を直視することもできず、地面にうずくまった。
「こんなの、大したことでもないだろ……当然のことだろ! なんで……なんだよこれ」
「ライト!」
それまで、僅かにもなかった罪悪感が急激に膨張し、彼を押しつぶそうとしていた。
目的の為ならば手段を選ばない彼が、敵対者の死によって激しい悲しみを覚えている。
「ライト! どうしたの!?」
「分からないんだ。何故か急に……」
嗚咽を聞き、フィアは瞳孔を縮めた。
「ライト、それは間違っていな――」
何が起こっているのかを理解しながらも、彼女は善大王にかけるべき言葉が思いつかず、黙り込んでしまった。
そんな時、屍の山から這い出すようにして、敵兵が立ち上がってきた。その中には、カッサードもいた。
「馬鹿者共が……敗北を抱えて、こんなに多くの犠牲を背負って、帰れというのか!」
将軍は地面に落ちていた、ボロボロの剣を拾い上げると、善大王に近づいていった。
フィアは彼の存在に気付いていない。善大王は、そんなことに目を向けられるような状態ではない。
カッサードが剣を振り上げた瞬間、何人かの隊員が彼を押さえつけた。
「カッサード将軍、ここは逃げましょう」
「黙れ! 差し違えてでも、部下に報いる!」
「あなたが生き残ることこそが、我々の願いだったんですよ! こんなところで差し違えられては……無駄死にです」
部下にそう言われ、将軍は渋々と剣を地面に投げ捨て、息のある負傷者を三人ほど抱え、その場を離脱していった。
あと一歩、ではあったのだが、ここで善大王を殺していれば――間違いなく、彼の命はなかったことだろう。
逃亡していく兵隊には目もくれず、フィアは善大王を見つめていた。
彼女もまた、敵との本格的な交戦が善大王の命に関わる、と本能で理解していたのかも知れない。