17j
――風の大山脈、里にて……。
族長のテントとは別に用意されたそのテントは、他国で言えば会議室に相当するものだった。
ガムラオルス統制時代の者達を首脳陣とした為か、この場は血気盛んで旧時代的な戦士達の集まりとは空気感が異なっていた。
その証明か、外では大規模戦闘で勝利を飾ったことを祝し、大々的な宴が催されていた。もちろん、ティアはそちら側に参加している。
参加していない者達は――言うまでもないだろう。渡り鳥と共に戦果をあげたエルズは乾杯に参加した程度で、すぐさまこちらに来ている。
「経過は良好なようで」若者は言う。
「馬鹿馬鹿しい戦術よ……何度も使っておいて言うのもなんだけど」
エルズは苦言を呈したが、この場に集まった者達は嫌な顔一つせず、静かに頷いた。
「ただ、あの規模を突破できたし……ま、及第点ね」
「我々のことは我々が一番理解していますからね。あの無理ができるという自信はありました」
「……ガムラオルスはそれを信じられなかったの?」
「同じ風の一族であれば、信じることはできたはずです。ですが……彼が何を見て、何を考えていたのかは分かりかねます」
彼女は分かっていた。ガムラオルスならば、風の一族のポテンシャルを想定に入れることは不可能ではなかったと。
ただ、残された機構や方針などを見る限り、分かった上で排除していたことが見えていた。
「(たぶん、ガムラオルスはこの山を変えようとしたのね。みんなが感覚じゃなく、計算で動けるように……からだじゃなくて、あたまで考えられるように――それが正しいかどうかなんて、エルズからすればどうでもいいことね)」
彼の推し進めた近代化路線は、戦争を生き抜くものであると同時に、風の一族の意識に革新をもたらすものだった。
所詮はよそものでしかないエルズと違い、当事者である彼からすれば、この里の現状は決して望ましいものではない――という部分に至るまで、彼女は察していた。
ただ、彼女が考えた通り、それはこの里を捨てた人間の断片。壊れた願いの欠片でしかないのだ。
「とりあえず、反省会よ。取り急ぎ対応したいのは……魔物に対する見聞の乏しさね」
「今回の戦いを観測していましたが、大きく問題はないかと」
「大型を後回しにしたこと……あれはいけないわ。エルズが来た時点で半分は《魔導式》が刻まれていたわ」
「……まさか、確認は怠らないように喚起したはずですが」
「戦いに熱中して見逃した、ってところね。魔物の知性向上を考えると、弱っていたのも演技だった、なんてことも想定すべきね。とりあえず、戦士達には不確定要素の強い大型を優先するように、今度はちゃんと周知しておいて」
「はい」
実質的なトップであるエルズの命令ということもあり、十にも満たない少女相手に文官組の一人が頭を下げた。
「ですが、あの時点では発動は……」
観測役の一人が反論をしようとした矢先、彼は自身で気付きに至った。
あの戦いの最中、エルズは常に仮面を付けていたということ。そして、彼女の登場と同時に、戦闘の安定度が格段に高まったことに。
「本当ならもっと手助けが必要かと思ったけど、気付かれない程度の支援で十分だったわ。戦士達の注意力が上がり次第、エルズはティア付けになっても問題はないと思うわ――それまでは、まぁ監督しておくけど」
文官衆が彼女に強い嫌悪感を抱かないのは、こうしたところが大きかった。
彼女はティアという無謀の塊をフォローし続けてきた経験か、縁の下の力持ちのような気遣いができていたのだ。そして、それを誇ろうともせず、士気高揚の鍵にするようなこともしていない。
そうした孤独を含ませた思いやりを知ればこそ、多くの文官衆が彼女を支えたいという風に考えるようになっていたのだ。
「しかし……エルズ殿。あなたはもう少し戦士達と寄り添ってもいいのでは? わざわざ魔女などと呼ばせずとも」
文官衆の最年長者がそう言うと、エルズは長い髪を靡かせた。
「人の絶望って、希望と凄く近いって知っている?」
「は?」
「絶望的なことが確定するまで、希望っていうのは小さくてもあるものなの。エルズが優しい指揮官になったとして、彼らに不都合な命令を下した時にどう思うかしら?」
「それは、信頼の貯蓄で」
「人に期待しちゃ駄目。人の心は体と違って強制しきれないし、監視もできない部分なの――それに、エルズなら優しい指導者が悪手を打ったら失望するわ。そして、それは簡単には消えない。でも、悪いと思っている指導者にははじめから期待もしてない……希望がないから絶望のしようもないのよ」
精神を操る神器を使うだけに、彼女は幼い身には収まりきらない認識が存在していた。
「指揮官はただ命令をするだけでいいの。それが間違ってさえいなければ、少なくとも兵隊は従うし、それが都合が良いと相手が勝手に考えてくれる……感謝が欲しいと思えば、寄り添っていく必要があるけど」
この冴え冴えとし、冷め切っている考えは善大王の影を感じさせた。彼の影響が大きくないとはいえ、彼女もまた彼と同類なのだろう。
「エルズ殿がそうおっしゃられるのであれば……」
「……それに、魔女って呼び名は嫌いじゃないのよ。渡り鳥の翼を泥から守り続けたローブのようなもの。エルズらしくもないけど、願掛けね」
ガムラオルスが耐えられなかった闇の部分。彼女はそれを耐えきっていたのだ。
魔女と誹られながらも、彼女はそう呼ばれる度に翼の無垢が守られたことに喜びを感じていたのだ。
事実、地上において《放浪の渡り鳥》に悪の部分があると考えている者はそうそういない。それは《幻惑の魔女》が自らを襤褸布のように扱い、彼女を守り通せたことの証左だった。