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しかし、肝心とも言える――軍上層部や国の首脳陣達からすれば――士気高揚の効果は乏しく、ほとんどの者が悪足掻き程度に捉えていた。
無論、ディードはこうした布石の一つ一つが勝利に繋がり、また直接的な戦闘の結果以上に、敵へと与えるダメージが大きいことも理解していた。
当然のことだが、戦いとは殲滅戦ではない。どちらかが引き下がった時点で、勝負が決する。そして、号外などで取り上げられる戦勝報告もこれが該当している。
つまるところ、勝ったところで実利は想像より大きくはない。負傷した兵は回復すれば何のことはなく復帰し、破損した武器も鍛冶屋が鎚を振るえば戻ってくるのだ。
逆に、田畑焼きなどに関しては短期的な再生が絶望的であり、一度焦土にしてしまえば恒久的に糧食を減らす効果を持つ。
調練施設や武具製造所も同じで、指導員を殺せば兵の練度は長期的に低下し、兵の増加も減らすことができる。製造所の炉などを破壊すれば、武器の質は明確に低下し、製造速度も遅鈍となる。
「……有効なのは分かるが、絵面が地味というのが大きいか。一々説明するのも難しいところでもある――というより、カルテミナ大陸の敗戦が尾を引き、民は大規模な勝利を望んでいる……布石の重要性など理解しないだろう」
戦略的行為というのは、得てして一般の者には理解されない。
誰もが求めるのは戦術的行為――勝利だ。有利に傾いたという報告より、どんな小さな小競り合いにでも勝ったという方が良く聞こえるのだ。
目先の欲に囚われるのは愚かだが、故に人は遙か先の未来に絶望することもなく、今を気楽に生きていける。
スタンレーが使用した予知の《秘術》などについても、あれほど極端ではなくとも誰もが有している力なのだ。
その予知を人は想像とも不安とも、期待とも言う。楽観主義者は望ましい期待によって希望を、悲観主義者は不安によって絶望を背負うことになる。
多くの者はこれをほどよく使い分け、目先の都合の良い事実を望み、都合の悪い障害から目をそらす。
一見、愚の骨頂に見える行為だが、これは中々に機能的な手法である。
フィアなどの例を見て分かるとおり、予知の力が暴走した場合、使用者の精神は容赦なく破壊されていく。故に、天の巫女は世界の情報に触れる為の仮想人格を有しているはずだが……。
閑話休題、これはただの人間に関しても同じことであり、彼らは不合理にも己の能力を縛ることで、精神の均衡を保っているのだ。やはり、機能的と言わざるを得ない。
しかし、さすがのディードもそこまでは目が回っていなかった。むしろ、彼もまた不要な情報をある程度は弾く、比較的普通の側の人間なのだ。
彼にとって目下の問題は、別に存在していたのだ。