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腕につけた腕輪を眺めながら、アカリはスコーンをお茶請けにし、紅茶を飲んでいた。
スコーンは安く、紅茶は水筒に入れ、少し冷めているものだ。ティータイムというにはあまりにチープである。
「やっぱり、向こうのより落ちるねぇ」
アカリの頭の中には、幼少の頃に摂った光の国の紅茶が存在していた。
金にがめついとはいえ、輸入品などを購入したことはあるアカリだが、それでも作り手の腕が違う為に期待通りのものはこなかった。
しかし、飲みたいと思っても飲めない。彼女はかつて、光の国を裏切ったのだ。
今戻れば間違いなく、殺される──いや、消されると表現すべきか。
良くも悪くも、アカリはそれを良く知っている。光の国を裏切った者の末路も、どのように始末するかも。
水筒の中に残る不味い紅茶を覗き込む。
すると、そこに自分自身の姿が映り、つまらなさそうな顔を彼女に向けてきていた。
自分と睨めっこをしている気分だと自嘲し、アカリは水筒の蓋を閉めてからスコーンを口の中に投げ込む。
「……もう、昔のことだねぇ」
そう言いながらも、アカリはかつてのことを思い出していた。
まだ、彼女が光の国に属していた──それよりもずっと昔の、囚われていた時代を。
──十年前。
薄暗い闇の中、まだ二桁の年になっていないアカリはふらふらと歩いていた。
腕には無数の注射痕があり、それらが全て青紫色になっている。体は細く、骨が浮かび上がらない程度とはいえ、とても健康体とは思えない状態を維持していた。
ぼんやりとした蝋燭の炎を瞳に移した時点で、アカリは地面に転がり込んだ。床には麻布が敷かれている程度で、彼女の体をやさしく包み込むことはない。
少しの間、動きを止め、すぐに顔をあげる。
弱りきった子供がたくさんいる部屋。男女比は女性側が多い、という程度。
ただ、この空間でその比率を確かめることは不可能と言える。こうしてことを終えて戻ってきた時、そこにいる者達が全員生きている保障はない。
蝋燭の炎のように、見えない力の揺らめきを見ていた。
アカリの瞳には──感覚には、それらが如実に移りこむ。今にも消えそうな炎、すでに消えている炎。
同情はしない、彼女も同じ立場だから。悲嘆はしない、すでに幾度も体験しているから。
体に注入された薬物が頭の中をぐしゃぐしゃにかき混ぜ、意識を混濁させる。目に映る現実は幸いに実態を持ってはいるが、手で触る感覚などは曖昧そのもの。
自分を確かめるように肌に手を沿わせる。もちろん、服なども支給されていないので、全裸だ。
少しすると、部屋の中で倒れていた者達や虚ろな瞳で虚空を眺めていた者達が起き上がり、部屋を出て行く。もちろん、自由になっているわけではない。
けだるさを覚えながらもアカリは立ち上がり、その列に並んで歩き出した。
少し歩くと水の貯められた場所に辿りつき、全員が水の中へと入っていく。立って首まで浸かるほどに深いが、これは老若男女共有であるからこその仕様だ。
精神衛生などあってないようなものだが、全員が全員、手で垢などを削ぎ落としていく。
なまじ不潔な状態で実験場に向かえば、余計な暴力を振るわれると学習しているからこそであり、体を綺麗にしたいからと本心から思っている者は誰もいない。
湿りきったぼろ切れで体を拭き、水分を可能な限り落としてから部屋へと戻っていく。その移動の最中に湿り気の何割かが削れ、部屋の麻布を濡らすことを防いでいた。
毎日その繰り返し。アカリはすでに認知できていないが、彼女がここきてから一年ほどが経っていた。
月間生存率は一割程度。毎月毎月その一割に入らなければならないことを考えると、長期間居座っている者というのは必然的に頑丈だ。
アカリの一年というのも、子供で言えば相当長い方であり、新規でも三ヶ月は持たないのが普通だった。
彼女の場合、体が頑丈というよりかは、単純に利口だったのが寿命を延ばした要因と言える。
極限状況に置かれているだけに、年齢の差はない。誰もが一度目に危機的状況に陥った時点で暴れる。暴力されて終わりならばいいが、大抵の場合は殺される。
アカリに関しては、それらを見ただけで学習し、一度も暴れなかった。だからといって、つらいという気持ちがないわけではない。
部屋に戻った途端、アカリは入り口から少し離れた、人通りの少ない場所に倒れた。
入り口で寝ると、踏まれるなどとして体力を大幅に消耗する。転倒されるようなことになれば、骨が折れる可能性すらある。それも、彼女が見てきた事例のひとつだ。
言葉ひとつ発せず、アカリは瞳を閉じる。
 




