3A
――数日後。火の国、カーディナルにて……。
「……そうか。ご苦労だった、ね」
不意に、アリトは気が抜けたように、かつての口調となった。
「これからは、ワタシも火の国に付きます」
「ああ、彼との関係性は口外しないようにしよう」
「いえ、ガムラオルスさんのおかげで、それは言ってもらっても構いません」
ガムラオルスはスケープの身元をミネアとヴェルギンに明かした。
もちろん、その事実はヴォーダンの耳にも入ったが、かの王がそれを気にするはずがなかった。
それによって、彼女が盗賊ギルドの黒幕であるスタンレーの関係者であるという過去をそのままに、元の立場――ヴェルギンの弟子――に収まることとなった。
「……だからといって、広めるものでもないだろう。だが、意図は分かった――今後、君とは赤の他人だ」
「いえ、ワタシは火の国の賓客ですので、用事があれば贔屓してください」
「まったく、君は変わらないな。小さい頃から変わっていない」
「いえ、変わりましたよ。今は、ワタシの意志で動いています」
融通が利かないことを指していたのだが、スケープは飽くまでも自身の変化を主張した。
だが、それは彼女からすれば、全てが生まれ変わるほどの大きな変化なのだ。話の流れから逸れていたとしても、押し通したことだろう。
「……しかし、あいつが死ぬとはな」
「じゃあ、帰りますね」
「まったく、急だな君は」
「はい。早くフレイアに戻りたいので」
「……高速馬車を用いたのではないのか?」
「いえ、ガムラオルスさんに運んでもらいました。でも、用事があるとかって、帰りは馬車です」
「そうか。ならば、足の速い馬を――」
「それじゃ、またご縁があれば」
スケープは形式の整った礼儀正しい挨拶を、無礼なタイミングで行ってから、部屋を後にした。
「……はは、まるで風のような子だ。確かに、あいつに首輪を付けられていた時代とは違うらしい」
彼はそう言うと、自身も自室に向かうべく、応接間を後にした。
「(あの子は変わった……だが、人はそういうものなのかもしれないな)」
一度だけ覗かせたアリトとしての表情は、途端に《盟友》の隊長のものに変化していった。
彼は常に、自分が英雄的戦士だという意気込みを持ち――気負っている、とも――そして、それに見合うだけの自分であり続けてきた。
姫を失って変わったのは、スタンレーだけではなかった。彼もまた、幼き日に差した影によって、自分を大きく変えようとしたのだ。
愚直故に姫を我が物にできなかった、と考えた――スタンレーが彼の弱点をそこだと言ったのが原因だが――彼は、馬鹿正直さを残しながらも、強かさを鍛え続けてきた。
「(目的の為と思えば、なんってこともない。かつての俺は子供だった……ありのままの俺を受け入れてもらおうと思って、次期領主らしさに欠けていた)」
かつてのアリトは政略結婚的な関係を良しとはせず、飽くまでも自身の力――自分自身の魅力で姫をものにしようとした。
しかし、それが子供の道理であることに彼は気付いた。誰もが自分の求めるもの以外を欲したりはしないことに。
だが、彼はそこで不貞腐れることはなく、自分の譲れないものだけは守り続けた。
実直な正義の味方。その自分が受け入れられるように、それ以外の要素は人が望むようにし、また受け入れられるように想定外の苦労さえも受け入れた。
全ては、もう戻ることもない姫へのアプローチだった。無意味で、不毛な求愛だった。
しかし……。
「アリトさん、どうなさったんですか?」
唐突に声を掛けられながらも、彼は顔面に張り付いた仮面のままに笑みを向けた。
「なんでもありませんよ、姫様」
本当の意味で、不毛なことなどなかった。
彼の今は、こうしてコアルに向けられている。姫が唯一、彼に託した言葉として――。
「(今度こそは、もう失敗しない。俺は、姫様と……)」
本当の意図とは違った想いが、壊れた約束として血管のように、アリトの全身を走っていた。
「(だから、俺は止まらない。スタンレーが畦道で果てようとも、俺は彼女の願いを――)」
「泣いて、いるのですか?」
「……えっ」
「涙が」
コアルはそう言うと、ポケットからハンカチを取り出し、彼の涙を拭った。
子供のような行為だが、それによってアリトの気は弛緩しきってしまった。
「は……なんでだろうね」
「アリトさん……」
「友達が、死んだんだ」
まるで括約筋のように、緩んでしまった気は頭の中でたまり、巡っていた心の声を外に放出させてしまった。
「最悪な奴だったけど……でも、大切な友達だったんだ」
「……そう、ですか」
君も知っている男だ、葬儀の時の、などの言葉が沸騰する泡のように沸き出したが、アリトは留めた。
「泣いてもいいんですよ」
「……ごめん。今日だけだ」
そう言い、彼は自分よりも幼いコアルに縋り、声を抑えて泣き出した。