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完全な奇襲だった。
ガムラオルスは怒りに囚われ、本来の察知能力を発揮できなくなっていた。
飛行能力、高機動力を有する《翔魂翼》は常に、使用者が弱点となる。
元来、人がなしえない飛行を実行するということは、それだけ大きな無茶を主に要求することに等しいのだ。それこそ、風の一族のように人並み外れた身体能力を持つ者が全身全霊で当たり、ようやく対応しきれるというほどだろう。
なにせ、この高速移動は翼が全てを担うことで成立しているのだ。ガムラオルスができるのは、選択と決定だけ。進むべき先を見誤らない観察力こそが、この力で最も重要な部分である。
だからこそ、怒りに囚われた翼の担い手は、ひどく脆い。並大抵の相手ならばともかく、スタンレーのような強者との戦いともなれば、その脆さは如実に表れてくる。
無数の氷刃が牙を剥き、ガムラオルスの――人間の、脆弱な肉体を一瞬の内に食らいつくそうとした。
だが、彼は止まらない。突破できる打算もなく、ただ無意味に特攻を仕掛けたのだ。
「あのままじゃ、ガムラオルスさんは――」
二人を見上げるように立ち尽くしていたスケープは、咄嗟にガムラオルスの身を案じた。恩人であり、今まで彼女と関わり続けてきたスタンレーではなく、ガムラオルスの心配を。
とはいえ、彼女も他人事ではない。この土壇場、スタンレーが裏切り者と認知しているスケープを除外するなどとは考えがたい。
砂漠一帯に無差別の斬撃を放つ攻撃なだけに、今になって逃げることもできないだろう。
普通であれば、絶望しかねない状況。だが、皮肉なことに彼女は鈍かった――いや、一つのことをまっすぐ見つめることができた。
刃が本格的に構築され、怒濤の勢いで吹き荒び始めると、肌がヤスリに掛けられたかのようにすり切れていく。
ノコギリで引き裂かれたように、無数の細かい刃で混ぜ合わせられるように――痛みの種類がどんどん細かく、そして鋭くなっていく。
その矢面に立っていたガムラオルスは痛みの時点でようやく落ち着きを取り戻したようだが、もはや手遅れだった。
翼が放つ残光が障壁となり、刃の侵攻を軽減させていたが、それでできたのは文字通りの軽減。一発一発が斬撃という威力に到達した時点で、貫通する威力はヤスリ掛けと変わらなかった。
「(翼を解除すれば……間違いなく即死だ。だが……だがッ!)」
彼の脳裏に、トリーチの姿が過ぎった。彼自身が葬りさった仮面の姿もまた、そこに映り込んでいる。
「(このまま殺されるくらいならば……奴に一太刀でも浴びせて、果てるッ)」
やはり、彼は正気に戻りきってはいなかった。
ここで残光を取り除くことはつまり、即死を意味する。それは彼も認知しているのだが、その上で破滅に突き進もうとしたのだ。
残光のカーテンが次第に畳まれていき、彼の視界を吹雪の青白さが支配した。そこに、スタンレーの姿はない。
「ここで俺が勝てば、全てが終わる」
誰に言うでもなく、彼は呟いた。もちろん、それが叶うなどとは当人でさえ思ってもいなかった。
だが、永遠に続くとさえ思われた吹雪が、突然止んだ。