7Δ
「父さ――ボス!」
己の肉体を襲う激痛さえ忘れ、スタンレーは駆け出した。
赤黒く染み濡れた壁にストラウブは叩きつけられ、背を摺ったらしく、尻は地面についていた。
既に息絶えていてもおかしくない状況だが、彼はそのようには思わなかった。
常に現実と向き合ってきた彼が、この土壇場で非現実に縋った。人間の弱い部分が、彼の中に浸食し始めたのだ。
「……たー……スタン……レー……」
「父さん!?」
揺すろうかとした刹那、彼は思いとどまり、状況を冷静に分析し始めた。
「(……下手に動かすのは危険だ。今は治療を優先しなくては)」
幸いというべきか、彼は七属性の全てを使いこなすことができる。
故に、水属性による治療も、光属性による肉体の修復も、天属性による属性症状の打ち消しも、各分野の専門家以上の知識を持って当たることができる。
「スタンレー……お前は」
「症状を確かめている。話はそれからだ」
「……お前は、よくやってくれた。多くのものをくれた」
言葉は聞き流していた。今の彼に、作業を並行して行えるだけの処理能力は残っていなかった。
死の訪れを知らせるように波打つ痛みも、遠火で調理されているかのような熱感も、人の焼ける異臭も――彼は不要な情報と切り捨て、認識さえしていなかった。
知るべき情報を防ごうとすると、頭はそれ以外に余計なものを巻き込みながら主の要求を果たす。今は、言語の認識という部分が代償に差し出されていた。
「(症状は分かった。属性による浸食はない、傷についても治しきれない範囲ではない……間に合うはずだ――いや、間に合わせる)」
「だが、俺は駄目だった。なんにもできなかった。弱い盗賊を守ろうとしたはずが……あいつらの生業を奪うことしか……できなかった。得をしたのは、強い盗賊……賢い盗賊だけだ……」
「(水属性での治療とすれば……くそ、間に合わない。いや、光属性で出血部を塞ぎ、生命維持を図れば――すれ違うくらいにまでは迫る)」
彼の計算上、この治療はかなりの博打だった。
《魔導式》の展開に必要な時間もそうだが、水属性の治療は効果を発揮するまでにある程度の時間がかかる。上級術などであれば話は別だが、下級術では指定範囲を治していく為、血管の再生を後回しにされる可能性がある。
その点でいえば、光属性は効力や総合速度で劣る反面、指定した部位の修復では勝る。
死に直結する部位が特定できているのであれば、素早い発動で一時しのぎが可能となる。
無論、こうした知識は体系化こそされてはいるが、知る者は多くない。両属性がもたらす作用の差違に至っては、統計さえ取れていないという具合だろう。
だからこそ、彼は自身の時間を掛け、差を調べていた。二重属性でさえ珍しい現状、こうした検証を行えるのは彼以外にいなかった。
ただ、そこまでやってようやく博打である。彼ほどの実力があったとしても、治療完了と絶命はほぼ同時だ。
「それどころか、あいつらの居場所さえ奪って……しまった。長い年月、そこに向かえばいいとされていた旗――盗賊ギルドを、俺の代で潰して……しまった」
「父さん、しばらく話さないでくれ!」
「俺は……あまりにも大きな願いをしてしまったのかもしれない。俺はただ、俺にできることをして……抗争の末に――いや、ただの有象無象として殺されるべきだった……」
「馬鹿を言うな! あんたを死なせたりはしない。おれは――」
刹那、彼の脳裏に先ほど見たばかりの光景が――ストラウブの死の光景が映り込んだ。
「(くそ……なぜ、どうして今、こんなことを思い出す! おれは諦めていない……最後まで諦めるものかッ)」
「もっと速く、止まっていれば……もっと早く、辿りついていることに気付いていたならば……きっと」
「出血部は塞いだ! あと少し堪えてくれ! あと少し……父さんも抗ってくれ!」
「スタンレー、覚えているか?」
声が急に、鮮明さを増した。息絶え絶えで、弱々しい声だったストラウブのそれは、普段の彼を思わせるものに戻った。
「おれは間違っていなかった……これで間に合う」
「お前は、俺に恩返しがしたいなんて言ってたな」
「ああ! これで終わりじゃない。父さんが生きていれば、いつか返せる」
「スタンレー……ありがとう」
治療が完了した。傷口は完全に塞がっており、生命活動を再開させるには十分な肉体に戻った。
だが……。
「……父さん」
ストラウブは何も答えなかった。その瞳からは光が消え、生命の灯火は感じられなくなっていた。
炎が舞い上がり、スタンレーはその熱気を感じ取った。だが、反射さえ起こらず、彼は燃えさかる炎の中で立ち尽くしていた。
そもそも、ストラウブに助かる道は存在していなかった。スタンレーが到着した時にはもう、ソウルが抜け始めていたのだ。
肉体が修復したとしても、抜け出していく魂を止めることはできない。どんな術を使おうとも、たとえ《秘術》を使ったとしても、それを押し戻すことはできない。
彼は気付かなかった為、無意味な行為をした。だが、気付いていたとして、彼に何ができただろうか――いや、最期の言葉を聞き届けるくらいはできただろう。
「他の可能性はどうでもいい……今は、今このおれは、この父さんは、あいつに殺された――ガムラオルス、生きて帰れると思うな……っ!」




