第ⅬⅩⅡ話 冷たい翼
桜市で目撃された翼を生やした人間。クロはそれについて捜査をする事に。
「ふあ~あ……」
授業中、クロは大きなあくびをひとつした。黒板には何やら長ったらしい英文が書き連ねられていく。英語は相変わらず苦手だ。頬杖を突き俯く。次第に教師の声が遠のいていった。耳が自然と遮断しているのかもしれない。
やがてクロはゆっくりと目を閉じた。
「クロノ君」
「……」
「クロノ君」
「……」
「クロノ君ってば」
「……! お? 何だ」
「何だって、クロノ君こそぼーっとしちゃってるけど」
「え? ……あ、ああ」
はっとしてクロは箸を持っていた右手を動かす。今は昼休みで食事中だった。
「眠いの?」
「ん? んー、ああ」
里芋の煮物を箸で摘まもうとするが、なかなか上手に摘まめない。
「今日ずっとそんな感じだけど……いや授業中に寝てるのはいつもの事だけど、何か最近疲れてる様に見えるよ」
「実際疲れてるしな」
摘まむのを諦め刺して口に持っていく。何度か咀嚼し口の中で細かくすると、ペットボトルの緑茶で無理矢理流し込んだ。冷たい物でも喉に入れて目を覚まそうと思ったのだが、残念ながら緑茶は既にぬるくなっていた。
「……もしかして」
薫は声を潜める。
「例の件?」
「……ああ」
桜市にて目撃された、翼の生えた人間。その正体を探るため、クロはシロと共に夜な夜な外へ出歩いているのだった。
「おかげでゲームを始める時間が繰り下がるだろ? そりゃ寝不足にもなるってもんだよ」
「……それって、ゲームをする時間を減らせばいいんじゃ……で、寝不足になってるって事はまだ……」
「ああ、全く掴めねえ。もう1週間捜し回ってるけど」
「もうどこかに行っちゃったとか」
「かもな。もしくはそもそもデマだったか。あるいは実際いるとしても、その時何かの事情でたまたま翼を出した所を見られただけで普段は目立つ事はしてないのかも。悪人とも限んねーしなあ」
「まだしばらくは続けるの?」
「んー、1ヶ月くらい続けて、んで何もわからなかったらひとまずスルーでいいかなあ」
その日の夜、桜駅前の広場のベンチにシロとクロは座っていた。時刻は午後九時前。今日も例の天使もしくは悪魔は見付からなかった。毎晩適当に捜索範囲を変えてはいるが、手掛かりが何も無い以上上手いやり方が見付からない。あまり遅い時間帯にうろついても補導されてしまう可能性がある。
「全然見付からないね……」
「目撃情報だけだから、そいつが何をしたがってるのかもわかんねーしな……何か目的が少しでも掴めればまた色々絞れるんだろうけど」
時刻が九時を回った頃、小さな虫がぶんぶんと羽音を鳴らしてクロの耳元を飛び過ぎた。
「うおっ! ……もうちょい離れろよ、はたくとこだったろうが」
その蠅はそのままふたりの前で8の字を描いて滞空していた。七聖獣の一匹、ベルゼである。彼にも捜索を頼んでいた。午後九時にこの場所で待ち合わせだった。
「どうだった? ベルゼ」
「特にそれらしい人は見付からなかったよ~」
「そう……ありがとう。今日もお疲れ様。帰ったらお菓子あげるね」
「今日は甘いのがいいな~」
「チョコがあるから」
「やった~」
嬉しそうな声を上げるとベルゼはシロが出した札の中へと帰っていった。
「……いいねえ、お菓子食えば元気になるんだからよ」
「クロは最近わかりやすく疲れてるよね」
「お前眠くないのかよ」
「眠いけど、授業中に寝る訳にはいかないじゃない」
「何で?」
「何でって……だって授業中なんだから」
「何で?」
「……と、とにかく、授業中は起きて真面目に授業を聞くのが学生の仕事だよ」
この言い方だと、こいつは授業中に寝てないんだな……まあ真面目だし、んなこた疑うまでも無くわかってたけど。クロは授業の間必死に眠気と戦うシロの姿を想像していた。大方その健気な様子を見て、陽菜と結が興奮してるんだろう。
帰宅後、食事と入浴を済ませて少しだけリビングでくつろいでいたクロにシロがノートを持ってきた。
「はいこれ」
「……? 何?」
「英語のノート。ずっと授業中寝てるから」
「見せてくれんの?」
「ただでさえ苦手なんだから、ノート取ってなかったらもっと酷くなるでしょ」
「……ああ、ありがとう」
「ていうかもうすぐ期末試験だし、どうせその時にいつもみたいに見せる事になるだろうしね……」
「……ま、まあな」
「ふあ~あ、じゃあ私、もう寝るね。ゲームもほどほどにしとかないと駄目だよ。お休み」
「あ、ああ、お休み」
自室へ向かう彼女の背中を見送り、一度ノートに視線を落とすとクロはぽりぽりと頭を掻いた。
……さすがに今日はゲームはやめとくか。
何でもいいから情報は無いものかと、彼はリビングのパソコンを起動した。インターネットで検索をかけようと思い立ったのである。何もわからない現状が少しでも変われば……駄目元である。
「……お?」
意外にも、見付かった。ちらほらと検索結果が表示される。何だよ、初めからこうすればよかった……一番上に表示されているリンクをクリックした。とある掲示板の桜市のスレッドだった。
「……」
ページをスクロールしながらクロはレスポンスを追っていった。
午後十時過ぎ、クロはとある河川敷を歩いていた。ネットに載っていた目撃談を読んでみても彼らが現れる場所はランダムだという事しかわからなかった。だが比較的最近は桜市南部を転々としている様で、出現していないエリアが限られてきていた。そこに目を付けて山を張ったのである。
ふと河原を見下ろすと若者達の集団がたむろしていた。近くにはバイクが何台か止まっている。いわゆる暴走族……だろうか。見るからにガラが悪く、がやがやと騒いでいた。その中のひとりと目が合ってしまったため、彼はすぐに顔を背けた。別に恐れてはいないが、関わると面倒になりそうだ。
近頃はシロとは手分けをして捜している。もしああいう集団にシロが会ってしまったらどうなるだろう。あいつは真面目だからいちいち注意したりしてな……いや、でもその前に怖がって近付こうとはしないか。いざ変な事になったとしても、あいつに敵う人間がいるとは思えないけど。
ネット上に散見された情報をまとめるとこうだ。翼を生やした人間はひとりではなく、複数人いる。三人という声もあれば、四人、五人、さらにはそれ以上の大人数という情報もある。出現するのは平均的に週に一度、郊外や閑静な住宅街、路地裏などの人目に付きにくい場所。そして時間帯はいずれも夜(午後九時以降が多い)。そして、肝心の何をしているのか、という事だが、どうやら暴力沙汰を起こしているらしい。彼らを目撃した後に近くで悲鳴が上がるのを聞いている人間が何人もいる。
もしこれが本当だとしたら、やはり放っておく訳にはいかない。クロ達は捜査を続けたが、三週間ほどが経ってもなかなか遭遇する事が出来ず半ば諦めかけていた。その間にも目撃情報は更新されていくのだが、実際の現場にはそう簡単には立ち会えない。この間はついに新聞にも載っていた。薫に記事を見せてもらったが、今回は何と写真が添えられていた。ぼんやりとではあるが翼で飛び立つ人間の姿が写っている様に見えた。
「しっかしこれはもう、マスコミさんにお任せするかな……もうちょい詳しい情報が出るまで経過を見守っててもいい気が……」
しかし、そうなると今度はマスコミが彼らのターゲットになったりはしないだろうか。
「あ~、めんどくせえなあ、もう……」
ぼやきながら階段を下りて住宅街の方へ向かおうとした所で、突如大きな叫び声が耳に入ってきた。後方……つまり先ほどの河原からだ。さっきの連中が馬鹿騒ぎを続けているのだろう。
だが、少し様子がおかしい。笑い声というよりは悲鳴の様に聞こえる。威嚇の声も上がるが、はたしてただのけんかなのか。
「……」
立ち止まってクロは熟考する。見た感じ、あの近くに他に人はいなかった。それにバイクなどのエンジン音も聞こえなかったため、他の集団との衝突というのも考えづらい。
「……来たか」
不謹慎ながらもにやりと笑みを浮かべると彼は踵を返した。急いで階段を駆け上がっていく。
「天使か悪魔か知らねえが、人様の手を煩わせやがって……とっとと片付けてやる……!」
河川敷の遊歩道に出た彼はすぐに河原に目をやった……予想通り、さっきまで楽しそうに騒いでいた連中が今では全員その場に倒れており、その中にぽつんとひとり、佇んでいる人物がいた。背中には……翼だ。ようやく出会えたぜ……!
「……!」
だが、その姿を目にした瞬間クロは言葉を失った。彼の背から伸びているそれは、白い翼でも、黒い翼でもない。もっと、もっと異質な物であった。
「な……何だ、あいつ……!」
もっと冷たい、もっと、硬い……月の光に妖しく光るそれは……。
「き、機械の、翼……!?」
どくん、と心臓が鳴る。まさかあいつ、天使でも、悪魔でもなく……文字通り、翼を生やした……。
人間!?
さあ、次回のサブタイは一体何の翼になるんでしょう。





