第60 ⅬⅩ 六十話 あかしろ 最終話「男の戦い」
郷田は悩みました。
クロは郷田に連れられ薫と共に屋上へと来ていた。階段室の方では谷口と内藤がこの場に誰も近付かない様に見張りとして立っている。
「急に何だ? こういうのにあんまりいい思い出はねーんだけど」
去年の文化祭前、早見の事を彼は思い出していた。ふたりと距離を置き向き合っていた郷田が口を開く。
「俺はよー……エリシアさんが好きだ」
「!?」
突然の告白に全員が驚愕する。どんな話をするのかと思ったらまさかの内容だ。谷口達も動揺している所を見るに郷田は一番親しい彼らにもこの話を秘密にしていたらしい。
「なっ……何だよ突然……!」
クロはなぜだかひやりとした汗をかいていた。
「なあクロノ……お前あの人と一緒に暮らしてるらしいな」
「……ああ……」
「お前、あの人の事どう思ってんだ?」
「……!?」
一瞬だけ口を噤んだ後、クロは返答をする。
「……別に、普通に友達だと思ってるよ」
言いながら不思議と視点が定まっていなかった。
「本当にか? 本当にそう思ってるのか?」
「ああ、そう思ってるね」
「……じゃあ、俺があの人を奪っちまってもお前、何とも思わねーのか?」
「……」
この時クロは動揺していた。どうして郷田が自分にこんな話をしてきたのか、その真意がわからない。
それに、それだけではないのかもしれない。
「奪うってのは、恋愛関係になるって事か? ……だったら別に勝手にしろよ。そもそも奪うって、あいつは別に俺のもんでもねーしよ」
目を合わせずにクロは話し続けた。
「……ふざけんなよお前」
クロの言葉に納得がいかなかったのか、郷田は彼の元まで歩み寄ると襟元を乱暴に掴み上げた。
「どうせ俺なんか相手にされねえってか。余裕こいてんのかてめえ」
「何すんだよ……!」
クロは苛立ち混じりの声を出す。
「誰もそんな事言ってねーだろ……! 離せよ」
「俺と勝負しろクロノ」
「はあ?」
「エリシアさんを賭けて俺とけんかしろ。お前が勝ったら俺は潔く諦める。けど俺が勝ったらお前はあの人に手を出すな」
「……そんなの……仮に約束した所で守る保証なんてあるのかよ」
「うるせえ! とにかく俺は決めたんだ。男と男の対決だ」
「そんないきなり一方的に……だから最初から好きにしろっつってんじゃねーか」
無理矢理郷田の手を引き離しクロは彼に背を向ける。
「アホらしい。帰るぞ薫」
「あっ……うん」
「逃げるのか」
しかしなおも郷田は食い下がる。次第に腹立たしさが募り始め、思わず舌打ちをした。
「ちっ。逃げてねーよ別に。元々相手にしてねーからな」
「逃げてんだろお前」
「あ?」
ぴくりと反応しクロは振り返った。
郷田はここ数日クロとシロの様子をこっそりと観察していた。ふたりのやり取りを見ていて、彼にこそ伝わってくるものがあったのである。
「けっ! 見損なったぜクロノ。俺はお前の事は気に食わねえが、一目置いてたんだよ。けど俺の勘違いだったみてーだな。お前がそんなに情けない奴だとは思ってなかったぜ」
「……何が言いたいんだよ」
「お前、エリシアさんの事好きなんだろ」
「! ……だからそんなんじゃねーって……!」
「とぼけんじゃねえぞ!」
「うるっせえっ!! 違うっつってんだろっ!!」
怒号の様なクロの声が屋上に響き渡った。しばしの間沈黙が走る。
「……じゃあお前、何でそんなに苛ついてんだよ」
「!! ……!」
郷田の問いかけに彼はすかさず何か返そうとしたが、適当な言葉が出て来ずに余計にむしゃくしゃするだけであった。彼自身、何故自分がここまで激昂しているのかが分からなかった。
「……いいぜ、乗ってやる」
「!? クロノ君!?」
「それで気が済むんだろ。だったら受けてやるよ」
この返事を聞いた郷田はにやりと笑みを作った。
「へっ、やっとその気になったか。手え抜くんじゃねえぞ」
「言われなくっても。二度と変な事言えねえ様にしてやるよ」
カバンを置くとクロはブレザーを脱ぎ、外したネクタイと一緒に近くへ投げ捨てた。
「来いよ郷田」
「……へっ……お前のそういう所がムカつくんだよ!」
挑発された郷田はどかどかとクロに迫り拳を振るい始めた。彼はそれを涼しい顔で避けていく。
「遅せー遅せー。そんなんで当たる訳うっ!」
しかし余裕を見せて隙が生まれたのか、腹部に一撃を受けてしまった。揚げ足を取る様に郷田が笑う。
「へっ、誰の動きが遅いってぶうっ!!」
その顔面をすかさずクロは狙った。
「で、何か進展あった?」
一方、シロ達女子三人は例の如く学園内のカフェで談笑に浸っているのだった。
「……と、特に無いです」
結の質問に気まずそうに答え、シロは紅茶をずずと啜った。続けて陽菜も尋ねてくる。
「えー、せっかくの春休みだったのに、ふたりで何かしなかったの?」
「え、うん、まあ……」
「……」
「……」
陽菜と結は互いの顔を見合わせた後、それぞれカップに口を付けた。そして静かにソーサーの上に戻すと。
「おいいいいっいつまで焦らすんだよ!」
「そうだよ!」
責める様に凄んでくるのであった。
「うっ、ごめんなさい……ほんとにごめんなさい」
申し訳無さそうにぺこぺこと頭を下げるシロ。そんな彼女を見てふたりは溜め息を漏らす。
「まあ、色々難しいってのはわかるけどね」
「私もそんな経験無いし……けどさ」
一呼吸置いて陽菜は続けた。
「ほら、文化祭の後の事もあったじゃん。あんな風に、うっかりしてるとクロちゃん他の誰かの所に行っちゃうかもよ」
「うん……でも、なかなかその、上手いタイミングがというか何というか……」
「……まあ、クロちゃんは多分大丈夫だけどね」
「そうだね」
「大丈夫って……?」
「いやー、多分クロちゃんは他の女の所には行かないと思うって事」
「……そ、そうなの? 何で?」
「……」
「……」
ふたりはまた見つめ合う。そして今度はニヤニヤと。
「いやー、だってねえ、あれは完全にシロちゃんに惚れてるよね」
「うんうん」
「!? え!? う、嘘何で!? 何でそうなるの!?」
全く思いも付かなかった答えにシロは激しく動揺した。そして遅れて顔がかあっと赤く染まっていく。
「あ、赤くなってる」
「美味しそうに焼き上がってるね」
「だ、だって突然そんな事言われたらこうなるでしょ!」
「ま、でもだからと言って必ずしも安心していいとは限らないよ。もしかしてもあるかもだし。あ、それとも逆に、ふとした拍子にシロちゃんが全く別の男子を好きに……」
「それは無い! ……あ」
「ほう、食い気味に即答ですか」
「さすがですなあ」
「……う……」
「くすくす」
「ニヤニヤ」
「うー、もー! からかわないでよー!」
「自分で言ったのに」
「可愛い」
「可愛い」
骨と骨が一際激しくぶつかり合った。クロの拳が郷田の顎を打ち上げたのである。郷田はそのままずしりと背中から倒れ込んだのであった。
「はあ……はあ……」
クロは息を切らし、肩を上下に動かしていた。数十分の殴り合いを経て彼も郷田も痣や傷だらけになっている。
「ぐ……うう……くっ」
呻きながら郷田はゆっくりと立ち上がった。まだ立ち向かう気があるらしい。このけんかはクロの方が優勢だった。だが郷田はまだ諦める気配は無かった。
「まだ……まだだ」
「いいぜ……気が済むまで相手してやんよ……おっと」
クロもふらついている。ふたりの戦いをそばでずっと見ていた薫は何度も止めようとも思ったが、先ほどの郷田の言葉を思い出すとどうにも止めていいのかが分からなかった。ここで彼が止めに入っても結局ふたりの問題はうやむやになって終わってしまうからだ。薫にはその責任を取る事が出来なかった。
「なあ、クロノ……てめえ、何であの電気を使ってこねーんだ……? 手加減してやがるのかよ」
「……さあね」
「……ちっ。やっぱてめえは苛つくぜ……うおおおおっ!」
郷田の言葉に苛立ち、もやもやした気持ちを鎮めるためにクロは彼の申し出を受けた。しかし怒りに任せて彼を殴った所で心の中は何ひとつ変わってなどいない。むしろ一心不乱に自分に向かってくる彼を見てもやもやが増す一方だった。なぜか。
答えをもう、心はとうに知っていたはずである。この気持ちに気付く度に顔を背け、見て見ぬふりをしてきた。しかし誤魔化すのはもう無理の様だ。
「諦めろ郷田!」
仰向けになった郷田に彼は力強く言い放った。
「お前の負けだ……!」
「……う……うううおおおお……!」
郷田は低く唸る様に咽び泣いていた。彼のこの様な姿はおそらく誰も見た事が無いに違いない。
「ぢぐしょお……ぢぐしょおおおおお……!」
「郷田さん!」
駆け寄っていく谷口達を尻目にクロはふらふらと帰り支度をし始めた。
「んじゃ、帰るぞ薫……」
「だ、大丈夫……? 送ってくよ」
「ん、悪りいな……」
薫に肩を貸され、三人を屋上に残してクロは家路に就いた。
「だ! 大丈夫!?」
帰宅したクロの顔を見てシロは驚いた声を上げる。さすがに無数の生傷は何をどうしても隠せなかった。絆創膏を貼っても逆に怪しまれるだけである。
「何があったの!?」
「ん? ちょっと盛大にこけちまってさ……」
「そ、そんなに滑りやすいとこ通ったの……!? と、とにかく、すぐに治癒するね……!」
「ん、ごめんな」
「とりあえずそこに座って」
「おう」
シロに促されてソファーに腰を下ろすと彼女もすぐに隣に座り、魔術を使って簡単な治癒を始めた。その可憐で健気な姿を間近で見ていて、クロはやはり確信せざるを得なかった。
俺は、こいつが好きなんだ。多分これは、譲れないものなんだ。
そんな大切な少女を心配させているのに、不覚にも彼は微笑を浮かべてしまった。
「昨日は悪かったな」
翌朝、教室でクロと顔を合わせた郷田は開口一番に謝罪を口にするのだった。
「……何が?」
対するクロは素っ気無い表情で返す。
「いや、だから、昨日の放課後の事だよ……突然変な事言って悪かったな。ほら、詫びだ」
郷田はぼっこりと膨らんだ頬を擦りながら菓子の入ったスーパーの袋を渡す。
「てかお前怪我治んの早くね」
「だから……何の事だよ」
そう言ってクロは乱暴に袋を受け取った。
「ま……くれるんならありがたくもらうわ」
「……ちっ」
やっぱり、こいつのこういう所がいけ好かねえ。やるべき事をやり終えた郷田は谷口と内藤を引き連れ廊下へと出ていく。
「谷口、内藤……お前らにもかっこ悪りいとこ見せちまったな」
「いえいえ、そんな事無いっすよ郷田さん!」
「はい……かっこよかったっす」
「くっ……お前ら……!」
情けなかったであろう姿にも尊敬の目を向けてくれる子分ふたりに感激し、彼は自らの恋にケジメをつけようとしていた。
俺の負けだ……約束したもんは守んなきゃいけねえ……悔しいが、何か清々しいぜ……ああ、でもやっぱまだしばらくはキツいぜ……なかなかよお……。
すると曲がり角で誰かとぶつかる。
「って! おいてめえ、俺は今ハート・ブレイク中なんだよ! もっと丁重に扱えやごらあ!」
「きゃっ! ご、ごめんなさい……!」
茶髪の女子生徒は怯えながら立ち去っていった……。
「……」
「……郷田さん?」
「……て、天使だ」
郷田茜の新たなる恋の始まりは意外と早く訪れるのだった。
少し前時代的な回だった気がします。





