第ⅬⅨ話 リスタート
ぼんやりと天井を見つめていた。もう五分くらい経っているだろうか。
部屋の外からは鳥の囀りが聞こえてくる。じっとしている彼を再び夢の中へと誘うかの様な、美しい音色だった。
やがて彼の部屋へと小さな足音が近付いてきた。その主は扉の前で止まり控え目に戸を叩いた。
「クロ~、そろそろ起きないと……」
そよ風を吹かす声が続いて聞こえる。答えるのが面倒だが、以前起きずに部屋に入られた事を思い出しクロは寝起きの声帯を震わせた。
「起きてるよ」
「あっ、ほんと? ならそろそろ出てこないと危ないよ」
「なあ、シロ。何でお前はそんなに元気なんだ?」
「え? ……だってみんなに会えるし……」
「あ~あ~、王女様はほんとにご立派だねえ」
彼はようやく重い腰を上げた。いい加減行かねばなるまい。時が来てしまったのだ。現実と向き合おうではないか。
「ふあ~あ」
大きく欠伸をかくとクロは気の抜けた声で言った。
「だる」
今日から新学期だ。
「ルルゥが起こしてた『存在のゆらぎ』……他人事じゃないよ、クロ」
先日の夜、遥か彼方の記憶を語り終えた後イヴが珍しく深刻な顔で彼に告げた。
「あんた、さっき体に異変を感じなかったかい?」
クロには心当たりがあった。並行世界から戻ってきた後、腕が揺らいで見えたのである。まさか、あれが「存在のゆらぎ」だとでもいうのか。
「力を使い過ぎた反動だろうね……気を付けなよ」
んな事言われてもねえ……クロは通学路で彼女の言葉を思い出していた。気を付けろったって、どう気を付けりゃいいんだか。
にしても、イヴにも色々あったんだな……。
不老不死になった後彼女はルルゥの帰りを待ち続けた。しかしどれだけ経っても彼が戻ってくる事は無かったらしい。その後魔界中を放浪したそうだが、やはりどこにも彼の姿を見付ける事は出来なかった。やがて彼女は人目に付かない場所で長い眠りに就き、起きてはまた世界を巡り、しばらくすると再び眠りに落ちるのを繰り返していた。そして六百年ぶりに目を覚まし今に至るのである。
体は時間が流れるにつれ元に戻っていった様だがごくたまに、突発的に一時的な老化が急速に始まってしまう。それがクロとシロが初めて彼女に会った時に見た発作なのだそうだ。イヴの肉体は決して滅びはしないが、常にその一歩手前にある。紙一重で生に貼り付いているのだ。
「クラス、どうなるかなあ」
うきうきとしたシロの声を聞きクロの思考は中断した。そうだ、進級に伴いクラス替えが行われるのである。
「一緒になるかな、私達」
「さあなー」
また薫と同じクラスになれるといいな、と彼は考えていた。
「にしても、もう1年経つんだね、会ってから」
「ん……そうだな。正確にはもう少しでだけど」
思えばこの一年、色々あった。海で悪魔と遭遇したり、文化祭で鬼ごっこしたり、つい最近は悪い悪魔が復活したり……。
「そういやお前、そもそもはここに侵略のために来たんだよな? そこら辺大丈夫なのか?」
「うギクッ! ……ま、まあ何とかするよ」
シロはびくりと体を反応させた。
「大変だなあ、王女様は……」
「そういうクロも皇子様でしょ」
天下りの期間は残り五年。これが終われば彼は天界に帰る事になる。学校に通い始めた以上スムーズに進学するとしてちょうど高等部を卒業するまでだ。
一方本来の目的を失ったシロは一体いつまでここにいるのだろうか。
この時間は、あとどれだけ続くのだろうか。
ふっと湧いたそんな疑問は、心を弾ませている目の前の少女を見た途端すぐに消えてしまった。
「シロちゃ~ん!!」
「きゃっ!」
教室に入るなり突如シロの姿がクロの前から消えた……いや、陽菜に押し倒されたのである。
「シロちゃんシロちゃんシロちゃんシロちゃあ~ん! はあ……はあ……シロちゃん成分を吸収しないと危うく死ぬ所だったよ……!」
「ちょっちょっと陽菜! く、くすぐったい……!」
「すりすりすりすりすりすりすりすり」
「あう~~~~~~~……」
「……何やってんだよお前ら」
じゃれ合う女子ふたりを尻目に彼は黒板へと向かい自分の席を確認する。「私も混ぜろ~!」と言いながらその側を結が駆けていった。
「おはよう、クロノ君」
席に着いた所で薫が話しかけてくる。どうやら皆既に登校していたらしい。
「おう、久し振りだな……つっても花見したか」
「いやあ、あの時は大変だったね……何だか生きてるのが不思議なくらいだよ……去年の文化祭といい」
薫は懐かしむ様な表情を見せた。色々と巻き込んでしまいクロは少し申し訳無く思うが、そんな素振りなど見せずに逆にからかう。
「今年は無事に済むといいな」
「なっ……そんな事言わないでよ」
「はは……冗談だよ」
陽菜達や薫を含めもう教室には新しいクラスメイトの半分は来ていた。各々がいくつかのグループに分かれて談笑を楽しんでいる。
しかしそんな和やかな空気がある一瞬を境に急に冷たくなった。
「……」
教室の入口に郷田茜が現れたのである。彼を恐れる大半の生徒達は思わず唾を飲み込み、注視するのだった。
「何だ郷田、お前も同じクラスだったのか」
「……クロノ、ちっ、またお前と一緒かよ……」
郷田は相変わらずのふたりを引き連れてずんずんとクロへと迫り、やがて眼前にて立ち止まった。谷口と内藤も同じクラスである。
「? 何だ?」
クロは自分より高い位置にあるいかつい少年の顔を見つめた。
「……うおっほん! ごほんごほんっ! その、何だ……今年もよろしくな」
「……えぇ……」
「ちょっ、ちょっとクロノ君!」
クロの隠しもしない不快な表情を見た薫があたふたとし始める。
「……ムカッ! てめー! やっぱムカつく野郎だ! 人がせっかく挨拶してやったのに!」
「そうだぞクロノ! 郷田さんはなあ! ずっとそわそわしてたんだぞ!」
「名簿見て満更でもない顔してたんだぞ!」
「うるせえ!」
恥ずかしそうに郷田はふたりの顔を殴った。
「とっとにかく! 今年はお前に調子に乗らせねーからな!」
「はあ」
「……相変わらずだなあ、君達は……」
薫が眼鏡の位置を直した。
やがてチャイムが鳴り教師が入室してくると生徒達は着席を始めた。新しい担任は背の低い小柄な女性だった。まだ若い様で、二十代後半といった所だろうか。席は出席番号順に割り当てられておりクロのふたつ後ろの席にはシロの姿があった。担任が何やら話し始めたがクロはほとんど聞き流していた。周りを見渡すと熱心に話を聞いている者、こそこそと携帯をいじっている者、同じく頬杖を突き、気だるそうにしている者など様々だった。薫や郷田以外にも去年同じクラスだった者がちらほらいるが、半分以上は全く知らない顔だ。これから一年間、この面々と付き合っていく事になるのである。担任の話が終わると始業式のため子供達は体育館に移動をし始めるのだった。
そうして新学期が数日経ったある日の放課後、薫と帰ろうとしていたクロは突然郷田に呼び止められるのだった。
「クロノ」
「ん? ……何だ郷田か。何だ?」
「……ちょっと付き合えよ」
「? 何だよ……!」
心なしか、彼の表情がどこか引き締まっている様に見える。何かただならぬ決意が瞳に宿っていた。郷田のこの様な顔を見るのはクロは初めてだったため直感的に何かを察した。
「……」
「ちょっと、話そうぜ」
久し振りの更新となりました。作中では新年度が始まりふたりの新しい一年が始まるという事で、また少しの間更新をお待たせしてしまったので「ただいま」の意味を込めてこのサブタイに決めました。





