第-1001話 約束
さららの葬儀が終わっても王女は彼女が死んだという事実への実感がわかなかった。当たり前だ。突然いなくなったのだ。さよならのあいさつも無しに、突然に。ちょっと長い間遠くへ出かけているだけ、時間が経てば帰ってくる。今でも王女は心のどこかでそう信じていた。
あの時彼女らの前に現れた天使は脱走兵だった。三日前の戦いで捕らえられた者達だ。さららの命を奪った男は先に逃亡に成功していた者らしかった。彼らはどちらも殺された。片方は王臣達に、そしてもう片方はルルゥにである。
葬儀から数日後、王女はさららの遺言に従い彼女の部屋の机を調べた。すると引き出しの中に何やら難しい事が書かれた紙が数枚見付かった。魔術の理論の様だった。おそらく、彼女が研究していた物だ。そこに書かれいていた内容を見て王女はぎょっとした。さららはとんでもない術の研究をしていたのだ。
それから王女はすぐに書類の中にあったさららの備忘録を頼りにひとりで彼女の研究場所を訪れた。それは大魔城から東に行ったロズの谷底に魔術によって隠されていた洞窟だった。
「……! これ……は……!」
真っ暗な中を魔術の明かりで照らしてしばらく進むと広い空間に出た。とても不気味な空気だった。
地面だけでなく、壁面、さらには天井にまで、空間全体を使った巨大な、そして複雑な魔方陣が描かれていたのだ。
足元に広がる文様に彼女はどこか見覚えがあった。この魔方陣は以前、見た事がある気がする……記憶を辿った。
ガトールだ。あの大図書館の地下で見た、魔法陣だ。確かガレインとかいう男が実験をしていた……。
「……ふ……不老不死の……術……!」
思わずごくりと唾を飲み込む。かつて人々が夢見、幾度となく挑みながらも決して成し得なかった術……。
生命の禁忌。
その術式が今、目の前に広がっている。これは多分、元々はガレインが研究していた物だ。あの日さららは彼の資料に目を通していた。そして興味を持ったのだろう。単なる好奇心からなのか、それとも心から不老不死を欲していたのか。それは死んでしまった今となってはわからない。王女は前者の方だろうと信じていた。
術の練習をしていたというのは嘘だろう。魔法陣が何度も描き換えられた形跡はあるが、発動した形跡は見当たらない。これほど大がかりな物なら術を使用した際に多少は洞窟自体に何かしらの影響が与えられていいはずだ。しかしそうは見えない。
祭りで合流した時彼女は王女の研究は成功したのかという問いに対し「多分」と答えた。という事はつまり、実験はしていないが術自体はおそらく彼女の理論通りに構築出来ている、という事だろう。先ほど読んだ彼女の研究過程によると、この不老不死の術の根幹は細胞の動きを止める式とそれとは正反対の細胞の動きを活発化させる式のふたつから成り立っているらしかった。そこに他の様々な要素を組み合わせ、なおかつ所々に魔界には存在しない境界の文字を組み込み、さららは独自の理論で完成をさせていた。
しかし、だ。
「……あたしに……これをどうしろって言うの……」
答えは誰も教えてはくれなかった。
「話がある」
さららの死から一ヶ月が過ぎたある日、ルルゥが深刻な顔で声をかけてきたため王女は自室へと彼を通した。普段なら部屋に入られてどきどきと緊張する所だが今回は雰囲気からそうはなれなかった。
「俺は天界に戻ろうと思う」
「!? えっ……!?」
唐突に告げられた少年の意志。王女の頭の中から全ての考え事が一瞬で消失した。
「なっ……何言い出すのよ、突然……! まっ、まさか……あたし達の敵に……!」
「落ち着け」
「落ち着ける訳無いでしょう!? そんな事いきなり聞かされて!」
「俺は……何だか今とても空しいんだ」
「あっ……あたしだって……! ……サラが……突然……!」
「そうだ」
彼の言葉に力がこもった。
「サラが死んだ……どうしてだ……どうしてあいつが死ななくちゃいけなかったんだ……?」
珍しくルルゥの声は震えている。今にも泣き出しそうな、深い悲しみに満ちている。普段は見ない彼の表情に王女はつい口を噤んでしまった。
「あいつは……あいつは人間だ……! 何の関係も無い……! あいつは天使と悪魔の戦いに巻き込まれて死んだんだ……!」
「だから、天界に切り込みにでも行こうっていうの?」
「違う!」
荒くなった声が室内に響いた。
「俺とお前は直接触れ合えない」
「? それがどうしたの? 今は関係無いでしょ」
「関係あるんだよ……いいか? 俺とお前は触れ合えない。加えて言うと、お前の父親もそうだ。一度試させてもらった。だけど他の悪魔となら何も問題は無い。何が違うのか? お前達は魔王家だ」
「それは知ってるわよ」
「多分逆に、お前が他の天使と触れ合っても何も起こらないだろう。5年前俺が初めてここに来た時、ニーウェッグ達とお前の父が握手をしていたが何も変わった様子は無かった」
「そうかもね……それで?」
「いいか? これは魔王家と神の一族の間でだけ起こる現象なんだ」
「うん……それは何となくわかってるわよ」
「おかしいと思わないのか? 何でそんなに限定的なのか」
「そう言われても、なる物はなるからしょうがないじゃない」
「お前と他の悪魔で違う所がある」
「魔力とか?」
「それもそうだが……紋章だよ」
「紋章って……守護の印?」
「ああ」
ルルゥは首を縦に振った。
「代々魔王家の血筋に表れる紋章……俺はそれが鍵になっていると思う」
「印が反応してるって言いたい訳?」
「ああ」
「でも、そうしたらおかしくない? 天使があたし達の存在を知ったのは100年前。だけどエリシア王家はそれよりもずーっと前から続いてるんだよ?」
「ああそうだ。辻褄が合わない」
「だったら……」
「歴史が嘘をついているとしか思えない」
「!」
彼の言葉に彼女は耳を疑う。
「ちょっと……それ本気で言ってるの……?」
ルルゥは再び、静かにこくりと頷いた。
「天使と悪魔には過去に何かしらの繋がりがあるはずだ……だけどどっちもそれを隠したがってる。俺はそれを調べるためにこの1ヶ月資料室を漁らせてもらった。もちろん許可を得てな」
「それで……結果は……!?」
「……手がかりは何も無かった。だから次は天界の方で調べてみようと思ってるんだ」
「だから戻るって事……?」
「ああ」
先の言葉の真意は理解出来た。しかしあまりにも危険過ぎる。もし天使に正体を知られてしまったら今度こそ命を落としてしまうかもしれない。
……さららに続き、ルルゥまで……。
「……駄目! 行っちゃ駄目!!」
王女は思わず彼に抱きついていた。
「危ないよ! ルルゥまで……あなたまでいなくなったら、あたし、あたし……!」
「……」
ルルゥは相変わらず恥ずかしがる素振りなどは少しも見せずに、優しく少女の体を両腕で受け止めた。
「行かせてくれ」
「やだっ! やだあっ!」
「いいか。天使と悪魔に繋がりがあったって事は、昔は俺達が共存していた時代があったかもしれないって事なんだ。だったらそれを知る事で、いつ終わるのかわからないこの戦いを終わらせるきっかけが掴めるかもしれない」
「……! でもっ!」
「多分それは、俺とお前にしか出来ないんだ」
「……あたし達にしか……?」
「そうだ。だって俺達は、こんなにもわかり合えてる。手と手は触れ合えないけど、心と心は触れ合えてる。俺もお前と同じ気持ちなんだ」
「! それって……!」
「俺は多分、お前が好きだ。恋なんてした事無いけど、きっとそれだ」
「っ! ……!」
何か言いたい。何か言いたいけど、言葉が詰まって何も出てこない。代わりに涙がどっと溢れた。胸の内が赤く腫れた。いつもは痛いこの鼓動は、今は何だかとても心地がよかった。
「だから、これから俺達が一緒にいるためにも、俺は行かなくちゃいけないんだ」
「……! ル、ルルゥ……!」
ふたりの抱擁はしばらく続いていた。ふたつの鼓動が、今はひとつになっていた。
そして、ルルゥの出発の日がやってきた。別れの場所にはロズの谷よりもさらに東にある小さな山の頂近くを選んだ。この場所にはマージナという花が一面に咲いている。この花は花弁同士が結び合っている事から「約束」という花言葉を持っており、古来より何かを誓う時に相手に贈るという風習が今も所々に残っていた。
今ふたりはその花々に囲まれている。城の兵士達は少し下った所に待機させていた。別れはふたりきりにして欲しかった。
「それじゃ、行ってくるよ」
力強くルルゥは言った。時折見せていた、普段と変わらない笑顔だ。
「うん……気を付けてね」
王女もいつもと変わらない調子で答えた。だけど本当は、いつも通りを頑張って振る舞っていた。彼はその様子を見るとくるりと彼女に背を向けた。笑顔を見て安心したのだろうか、それとも、平静を装っている事など初めから悟っているのか。
「あのさ……俺、帰って来るから。またここに。必ず。絶対」
後ろを向いたまま話を続けるルルゥの仕草が何だか珍しかった。彼自身不安でしょうがないのかもしれない。いや、不安に決まっている。
本当なら、このまま力の限り彼の背に飛び込みたかった。行かないでと叫びたかった。泣きたかった。けど、彼の後ろ姿を見ているとそういう自分を必死に押し殺すしかなかった。ルルゥが望んでいるのなら、嫌でも望む形にしたかった。
「当たり前でしょ。あたしだって、待ってるわよ。1年だろうが10年だろうが、ずっと、待ってるから」
「そんなにかかるかよ」
これから彼は魔王家から借りた空間を歪める札によってまず境界に行く。そしてそれから判明している天界への次元の歪みが起こる場所を経由して天界へと戻り、その後は彼が以前住んでいた神宮殿を目指す事となる。戻ってくる場所にもよるが早ければ一週間もかからないだろうし、遅くても一年あれば魔界に帰って来れるはずだ。
帰って来ない結末など考えていない。
「……それじゃ、天気が悪くなる前にさっさと行くよ」
ルルゥは魔術でカモフラージュした黒い翼を広げ大きくはためかせると、最後まで振り返らないまま雲ひとつない空へと飛び立っていった。
それを見届けていた王女の視界にしだいに雨が降り始めた。ルルゥの後ろ姿はだんだんと滲んで溶けていき、やがて見えなくなった。
「王女様!」
遠くから家臣の声が聞こえた。戻ってくるのがあまりにも遅いため心配になって迎えに来たのだろう。しばらく立ち尽くしていた王女は涙を拭うと返事をしようと振り返った。
飛行しながら近付いていた家臣の男の様子がおかしい事にすぐに気付いた。苦しそうに肩を押さえていたからだ。負傷している様に見えた。
「どうしたの!?」
「王女様……!」
彼は彼女の前に降り立つ。やはり肩に傷を負っている。
「お逃げ下さい……!」
「何!? どうしたの!?」
「て、天使達に奇襲を受けました! 皆は今戦っております! 王女様はお早く大魔城に……うぐっ!」
突如男は倒れた。背中に矢が刺さっている。
「いっ、いやああああっ!」
王女は思わず悲鳴を上げた。前方から天使が三人、滑空をしながら迫っていた。ふたりは刀、ひとりは弓を手にしている。
「悪魔の王女だ! 殺せ!」
「……っ!? え……ええっ……!?」
あまりの急な出来事に王女の頭は混乱する。ただ実戦経験などろくに無い彼女は逃げる事しか出来ない事はわかっていた。またあの日の様にもたもたする訳にはいかない。あの時さららに助けてもらった命だ。彼女の死を無駄にしてはいけない。
「……っ!」
ばさりと勢いよく翼を広げ、彼女はすぐさまその場から飛び立った。何か適当な術で相手の動きを鈍らせたかったが、極力この場所を荒らしたくなかった。なぜなら今彼女の周りには無数のマージナが咲き誇っているのだ。彼との約束が宿っているのだ。
しかし、判断が遅かった。翼に鋭い痛みが走る。先ほど倒れた家臣と同じ様に、矢を放たれていた。
「うぅっ!」
王女は体勢を崩し、その隙を突かれ続け様にまた矢を受けてしまう。
「うああああっ!」
「王女様ああああっ!」
ふたりの家臣が助けに駆け付けた。だがそれぞれ天使に行く手を阻まれてしまい、彼女のそばに来るのは不可能だった。王女は痛みを堪えながら矢を全て抜くと力を振り絞り大魔城目がけて西へ飛んだ。残りのひとり、刀を持った天使はその後を追う。
少しでも軌道を逸らせればと魔術で後方に火の玉を飛ばすが彼は軽々とかわしぐんぐんと彼女に追い付いてきた。王女は攻撃をやめ必死に傷付いた翼に力を入れて速度を上げる。ずきんと背中が痛んだ。
だがそれも空しくついに男はすぐそこまで来てしまった。
「逃がすかよっ!」
彼は刀を振り上げるとそのまま少女の背中を一直線に斬り付ける。亀裂が生じた体が歪んだのを彼女は感じた。鮮やかな痛みに襲われる。
「あああああああああっ!!」
応戦するために体を捻り男の方を見る。しかし王女が魔術を繰り出す前に再び彼の斬撃を、今度は前から浴びてしまった。
「うああああああっ!! レッ……レシックッ!」
王女が右腕で薙ぎ払う様な動きをすると風の刃が男を襲った。怯んでいる間に彼から少し距離を取る事に成功する。
ところが受けた傷が多過ぎる。高度はしだいに下がっていき、やがて木が茂る山の中へと入り込んだ。ここを抜ければ大魔城は近い。
「はあっ! はあっ! はあっ!」
息を切らしながら飛行を続けていた。治癒の術を使おうにも集中が出来ない。一旦どこかに隠れてひとまず傷を癒したい。翼からも、背中からも、胸からも、腹からも、血がどばどばと流れ出ている。このままでは大魔城に帰り着く事が出来るのかも怪しい。苦しい。
男はなおも追ってきていた。一方王女の速度は少しずつ落ちていく。度々後ろを振り返りながら逃げていた。男がまた彼女に接近する。次に攻撃を受けたら落ちてしまうだろう。どうする。どうする……!
思考を巡らせていた王女の頭に鈍い音が響いた。男を気にしている間に側頭部を樹木にぶつけてしまったのである。彼女はそれほど注意力が散漫になっていた。
「うあっ……!」
右目の視界が赤く染まっていく。
「これで終わりだなあっ!」
男がとどめを刺そうと刀を振るった。朦朧としながら彼女は両手を構えた。
「グンクリッ!」
呪文を唱え硬化した掌で襲い来る刀を掴む。強度が足らずに血飛沫が散るが、それでも必死に離さなかった。これには男もただ驚いていた。
「なっ……! 馬鹿なっ!」
「う……ぐううううっ……!」
そのまま握って折った刀の先端を少女はすかさず男の胸に突き刺した。
「ぐふっ!」
彼は苦しみ抵抗を始めた。ここで……ここで損ねたらあたしは確実に死ぬ……!
「ウォレップ!」
筋力強化の術を使用する。しかし力はまだ弱かった。まだ足りない。
「ウォレップ! ウォレップ! ウォレップ! ウォレップ!」
術を重ねて躊躇う事無く刀を彼の胸の奥深くへと沈めていった。筋肉がみしみしと音を立てるのがはっきりと聞こえた。
「ぬっ……おおおっ……!」
「あんた達が……あんた達がサラを殺したんだ……! 死ねっ……! 死ねっ! 死ねっ! 死ねっ! 死ねっ! 死ねえええええええええええええええっ!」
傷口をぐりぐりと抉りながら王女は憎悪を込めた。やがて男はぴくりとも動かなくなり、地上へ落下した。
「はあ……はあ…………はあ………………!」
王女は今、真っ白だった。頭がほとんど働かない。中級術を五回も重ね、魔力の消耗も激しい。術の副作用により筋肉もぼろぼろで、加えて上半身の前後に負った傷と頭部からの激しい出血。
ほとんど壊れかけていた。
ふらふらと飛行を再開し、森をようやく抜けて谷に出た所でとうとう力尽きて重力に身を預けた。底を流れる川に着水するが当然泳ぐ事も出来ず、流されるままにさ迷った後川の真ん中ほどにぴょこりと顔を出しているとある岩に打ち付けられた。
「……」
このまま、死んでしまうのだろうか。せっかく危機を脱したと思ったのに。
ルルゥと約束したばかりなのに。ずっと待ってるって。それなのに、何をやってるんだろう、あたしは。
そんな事をぼんやりと考えていた王女の瞳に見慣れた景色が映った。
そう、ここはロズの谷なのである。
今彼女の目の前には、親友が遺した場所への入口があった。
まるでこちらに手招きをしている様だった。
本能が、告げた。





