第-1010話 小旅行
ルルゥが大魔城で暮らす事になりました。それから五年……。
王女はダークブルーの大空を自由に飛んでいた。遥か下には深緑の山々が広がっている。風が気持ちいい。このままどこまでも飛び続けていたい。王族である事もそうだが、戦いが再び激しくなったせいで高空飛行に制限がかかってしまった今では、こんな事はまず出来ない。
……ん? じゃあ何であたしは今飛べているんだ? ふとこんな疑問が浮かぶ。
そしてまるでその思考が何かのスイッチであったかの様に突如彼女の体はバランスを失い頭から落下し始めた。翼を思う様に動かせない。
「ふえ……? ……いやああああああああっ!」
ごとん、と鈍い痛みが頭に走り王女は目を覚ました。今彼女の目の前には先ほどまでの空とは打って変わり上下逆さまの世界が広がっていた。ここは……自分の部屋だ。その出入口に誰かが立っている……ルルゥだった。
「……お前、いっつもそうやって寝てるのか?」
「……むにゃ……?」
少し遅れて状況を理解した彼女は慌てて体勢を正し掛け布で体を隠す。まだ寒くないこの季節、就寝時はネグリジェの様な薄い布一枚を着ているだけだった。
「なっ、何であんたがここにいるのよ!」
「王女様が起きてこないから起こしに来たんだ」
「何で……! サラは……?」
「たまには俺が起こしに行ってやれってさ」
「……!」
サラの奴、わざと……!
「なるほど、あんな眠り方してたらそりゃ頭に血も上る訳だ」
「……うるさーい! 起きたからさっさと出てってよ!!」
「遅れるなよ」
呆れた様に言い残して彼は扉を閉めた。
「……! あ~~~~もう~~~~~っ!」
王女はベッドに倒れ込み手足をばたばたとさせる。恥ずかしい姿を見られてしまった。寝ぼけてベッドから落下。更に寝間着姿。そしてそれ以上に腹立たしいのが……。
あいつ、あたしのこんな姿見ても顔色ひとつ変えずにいやがった!
同い年の異性に対してその態度はどうなのよ! と少女は声に出さずに叫んだ。あたしは女として見られてないって事ですか。
「あ~~~~~腹立つ……」
自分の事を何とも思っていないルルゥに……!
いや、醜態を晒してしまった自分に……だ。
「あ~~~~~……」
右腕を両目の上に重ねる。視界が閉ざされた。
それでも、好きなのだ。
彼が大魔城で暮らす事になってから五年。同い年という事もあり王女はすぐにルルゥに親近感を覚えた。初めはどこか心を閉ざしていた皇子もしだいに彼女達と打ち解けていった。今では彼は王女にとってさららと同じくらいに大切な存在だ。
そして仲が深まる一方で、彼に恋心を抱き始めたのも事実だった。ルルゥは彼女には無い物を持っている。上手い例えが浮かばないが、彼女が「熱い」なら彼は「冷たい」。自分が持ち合わせていない部分が魅力的に思えるのだろう。自身の気持ちをそう彼女は分析していた。そしてそれは……。
「サラ~~~~~~……!」
食堂でさららの姿を見付けた王女はすぐに駆け寄る。彼女は小さな丸テーブルの席に腰掛け読書をしていた。
「あら、おはよう」
そう言ってさららは紅い茶を一口啜る。
「やってくれたわね!」
王女は勢いよくテーブルを叩いた。受け皿がカシャンと音を立てる。
「どうだった?」
「どうだったじゃないわよ! 恥ずかしい姿見られただけだったわよ!」
「あら、それは残念……せっかくふたりの距離が縮まればと思ったのに……でも、それは普段から恥ずかしい姿をしてるあなたの方が悪いじゃない」
「ぐっ……!」
それはその通りだ。返す言葉が見付からない……正論だ……と思ったけど、いや、違う!
「そもそも女の子のプライベート空間に年頃の男の子を向かわせる事がモラル違反でしょ!」
「あ、バレた?」
また一口。
「少しは賢くなってるわね、あなたも」
さららはよく本を読んでいる。だから物知りだ。王女が知らない事も知っている。だから彼女の言葉には説得力が付きまとう。彼女が言っている事は王女には全部正しく聞こえてくるのだ。
つまり彼女は弁が立つ人間なのである。
「……ねえ……!」
「?」
王女は急に声を潜めた。
「……ほんとにサラはルルゥの事何とも思ってないの?」
「何とも思ってない訳無いわよ。友達よ」
きっぱりとさららは答えた。
「……ほんとにそれだけ?」
「……はあ」
溜め息をひとつつき、ぱたりと本を閉じる。
「心配しなくてもあなたの好きな人は盗らないから」
「……ほんとにほんとね?」
「……それ以上聞くと友情の破綻に繋がりかねないわよ」
そう言って指で王女の額を軽く弾いた。
「あいたっ! ……ならいいの」
「全く……私はあなたが好きなのよ。とっても可愛くて、魅力的だと思ってるわ。外見も性格もね。あなたは私の最高の親友よ。そんな娘が悲しがる姿、見たい訳無いでしょ」
「……!」
「じゃあ、私も一旦部屋に戻るから。また後でね」
「う、うん」
本と食器を持つと彼女は食堂を立ち去っていった。
「……」
ずるい。やはりさららはいい親友だ。王女とは正反対。今みたいに、思っている事、言いたい事を包み隠さず素直に言える。だからこそ王女も彼女が大好きだ。
そして、そういう所が少しルルゥと似ているのだ。そう、ふたりは似た者同士。ルルゥが「冷たい」ならさららも間違いなく「冷たい」。彼女は王女よりも早く彼と打ち解けた。きっとどこか似ている部分を持っているから気が合ったのだ。そこが羨ましかった。だから今の様な疑いを抱いてしまった。親友の言葉を信じようとしなかった自分が情けない。
……あれ? でもサラがそうじゃなくても、もしルルゥが……。
「あ~~~~~~~~!」
変な事を考えるのはやめよう、と彼女は朝食を取る事にした。
馬車は時折ごとごととその体を浮かせながら道を走っていた。窓の外には草原が広がっている。のどかな風景だ。
「……こんなに揺れてるのによく本なんか読めるわね」
王女は向かい側に座るさららに目をやった。
「あたしなら絶対酔っちゃうわ」
「集中すればそんなの気にならないわよ」
という返事。今度は隣のルルゥを見る。彼はこくり、こくりと寝入っていた。
「……こいつはこいつで、こんなに揺れてるのによく寝られるわね」
車輪が小石か何かに乗り上げる度に尻が軽く小突かれる。何度乗っても馬車には慣れない……。
彼女らは魔王と大魔城の家臣と共にシャダハ国のガトールという町に向かっていた。何でも、つい数ヶ月前にその町出身の兵士が大きな戦績を上げたそうで、魔王が直々に赴いて故郷で表彰をする事になったのだそうだ。シャダハ一帯は今の所は天使との戦闘は行われていない比較的安全な地域なので、王女達も小旅行の様な感覚で付いていく事になった。驚くべき事に、それを言い出したのはさららなのである。彼女は城に住んではいるがあくまでも居候の様な立場なので公務に付いて行くなどと言う事はこれまでただの一度も無かった。
シャダハは海に面した国で、世界中と貿易を行っている。ガトールも港町のひとつで、ここは様々な国の本が中心に運ばれてくる本の町なのだ。読書が好きな彼女はその点に惹かれて一団への同行を志願したのであった。特に行きたいのは大図書館だそう。
「あ~、早く着かないかな……」
王女が窓枠に頬杖をつくと、また車体が浮き上がり顎に小さな衝撃が来た。
「あいたっ」
ちょっと半端な所ですが、一話の中で場面転換をやり過ぎるのもどうかと思ったのでここで切ります。本の町……? 本といえば何か思い出す様な……。





