第-ⅩⅣ話 即位前夜
あの事故から一週間が経とうとしていた。彼女はあの日に、たったひとりの弟だけを残され他の家族全てを失った。父も、母も、妹も……。
ここ数日天界では神の死を悼むのももちろんだが、それと共にその後継についても話題に上がっていた。順当に見れば神の長女である彼女、ベル皇女が次の神になるべき人物だ。だが、彼女の齢はまだ弱冠の二十歳。全ての天使を率いる指導者としては成人したばかりの彼女はまだ若過ぎる。この年で神の位に就いたという前例は無い。
そこで神をバックアップする「使徒」の一族の中から神をしばらく置かずに代理の者を立てようという意見が出た。彼女はその人物を補佐する間に政治を学んでいき、じきに神として指揮を執る。そういう算段だ。これには賛同する意見が多々出た。しかし保守派は反対だ。天使は古来神の一族―――ヴォルトシュタイン家―――が統率してきた。いかなる場合でもそこだけは曲げてはいけない、と。
彼女もこの保守派の意見に賛成だった。何も権力が欲しいからではない。ここで先頭に立たなければ、もしかしたら二度と立つ事が出来ないかもしれないと思ったからだ。
一度補佐という立ち位置に就いて、その後神になれる保証がどこにある。もしかしたらそのまま自分達は神宮から追放されてしまうかもしれない。いや、そこまではいかないまでも、ただの使徒の操り人形となってしまう可能性はある。人望も力も尊厳も無い、ただの飾りの指導者。それでは、何のために生きているのだろうか。
表面には出ていないが、その様な不穏な空気が長年神殿内に流れているのは確かだった。使徒は神のサポート。界政への資金以外にも、様々な形で援助をしてくれている。いわばスポンサーなのだ。彼らがいなければ神は神たり得る事が出来ないのが事実。ここで一度ヴォルトシュタイン家が頂から下りれば、これまで作り上げてきた秩序が崩壊してしまうかもしれない。
自分ひとりならまだいい。だけど彼女はひとりじゃない。まだ幼い十才の弟がいる。あいつだけは……クロだけは、私が守ってあげないといけない。彼を利用しようとする大人達から、何が何でも。そのためには、私が神を継ぐしかない。
彼女は代理を立てる方向で進んでいた議会でその強い思いを半ば強引に押し通した。結果、革新派が折れ彼女が神になる事で合意された。これでいいのだ。これで。
「……これで、よかったんだよね、父さん……」
即位前夜。神宮の自室で照明もつけないまま彼女はぽつりと呟いた……内心、本当にこれでよかったのか、迷う。
「……」
写真に佇む笑顔の父は何も答えない。その隣にいる母も。
「……何を弱気になっているんだ、私は……」
その時携帯電話が鳴った。誰だこんな夜中に突然……と画面を見る。そこには彼女が可愛がっていた学校での後輩の名前が表示されていた。少し顔が綻びる。
「……お前、今何時だと思ってるんだ」
もうとっくに日付けは変わっていた。
〈あっ、す、すみません先輩……! どうしても電話しておこうと思って……!〉
「何の用だ」
〈あっ……特に無いです……〉
「あぁ……!?」
わざといらついた声を出す。
〈ひいいっ! すっ! すみませんっ! ……その……何となく先輩と話したくなって……〉
「……どうした? 眠れないのか?」
〈あっ、やっ……先輩、大丈夫かなあと思って……〉
「……何が?」
〈明日いよいよ即位の日じゃないですか……き、緊張してるんじゃないのかなって思って……〉
「緊張? 私がするとでも?」
そう返した彼女の手は震えていた。
〈ひええっ! しっ、しませんよね、やっぱりっ……!〉
怯える子犬の様になるエリー。少しやり過ぎたかな、と彼女は反省した。
「……いや、心配してくれたんだね……ありがとう」
〈……その様子なら大丈夫そうですね……〉
「……ああ、大丈夫だ。心配かけたね」
〈い、いえそんなっ! 私が勝手に心配しただけですから……〉
「……そういえばお前、就職先は結局見付かったのか?」
〈はうっ! ……ま……まだです……〉
「……なら人の心配してる場合じゃないだろう」
彼女は笑った。
〈うう……そうですね……〉
と、ここで彼女はある物を思い出す。先日弟が言っていた言葉を。
「……なあ……本当に神宮殿に来るか?」
〈いっ、いえ、そんな、コネでお仕事を頂いたって……! 自分で努力して手に入れないと……!〉
「はは。お前は妙に真面目だな」
〈先輩とは違うんです!〉
「それもそうか……でも、これは神の一族としての依頼なんだが……」
〈……? どういう事です……?〉
「……クロが、突然ここを出て行くって言い出したんだ」
〈ええっ!? どうしてですか!?〉
「わからない……多分、あの事故のせいだろう……ここには思い出がたくさんあるからな。そりゃあ、逸らしたくもなるさ。あいつはまだ子供だ」
〈……それで、先輩は何て言ったんですか?〉
「反対したよ。もちろんな」
〈ですよね! だってまだクロノ君10才ですし……〉
「けど、小さい内から家を出るのもいい経験になるとは思うんだ。3年後には天下りもあるし」
〈え? じゃあやっぱり先輩……〉
「ウチのだだっ広い敷地内に離れの邸宅があるの、知ってるだろう? 昔使われてた。そこを与えようかと思ってる」
〈なるほど……それなら敷地内ですから目も届きますもんね〉
「お前が面倒を見てくれないか? エリー」
〈ほえっ!? 私ですか?〉
電話の向こうでエリーは素っ頓狂な声を上げた。
「私はあいつを守らなくちゃいけない……姉として。たったひとりの弟を。これから私が神になる訳だが、私の手が回らない時は必ず出てくると思うんだ」
〈だから、私を……? でも、もっと優秀な方がいらっしゃるんじゃ……プロの家政婦さんだって雇えますし……〉
「お前じゃなきゃ駄目なんだ。私の中ではな。一番信頼出来るお前だから私もこうして電話越しに頼めるんだよ」
〈……でも……〉
「頼む。弟を……クロを守ってくれないか?」
〈……ん~……んん~~~~……!〉
悩んでいるのが声だけで伝わってきた。無理だろうか。しかし、やがて。
〈……わかりました〉
エリーは不安を滲ませながらも同意した。
〈先輩がそこまで言ってくれるんなら……私も頑張ってみます〉
「……! 本当か?」
〈ええ。先輩がそれだけ私を信頼した上でのお願いなら、多分間違ってないでしょうし〉
「何だ? 自分は有能だって言いたいのか?」
からかうつもりで彼女は聞いた。
〈違います。私が見てきた中では、先輩がやってきた事は大体正しいんです……だから、先輩のその判断もきっと正しいんだろうって〉
「……私がやってきた事が……正しい?」
〈はい。だから先輩が神様になる道を選んだのも、きっと正しいんだろうなあって、話を聞いた時思いました〉
「……」
〈だから私も、安心して私自身を委ねられるんです〉
「……!」
この瞬間、彼女の内にあった迷いが晴れた。
「……ああ、そうだな。お前がそれだけ信頼してくれてるんだったら、私の道はきっと間違ってなんかいないだろう」
〈……え? それは私の台詞で……〉
「ありがとう。また連絡するね」
〈え? はい……〉
「今日はもう寝ろ。私ももう休む」
〈あ……はい。すみませんでした、真夜中に〉
「まあ、今日は許す。お休み」
〈はい。お休みなさい〉
通話を終えると彼女は携帯をベッド横の小さなテーブルに置き、布団に身を包んだ。
そうだ……私が選んだ道……正しいかどうか自分ではわからないけど、私を信頼してくれているあの子が正しいと言ったのなら、私も自信を持って正しいと言える……。
私は所詮は中継ぎだ……クロが大きくなったら、いずれは神の座を譲る……そのためにも、私がしっかりと引き継いで、基盤を固めなければならない。あの子のために。苦労するのは私でいい。私が苦労をすればいい。それが、弟に対する姉の役割だ。
もう、迷いは無い。
翌朝、史上最低齢の女神が誕生した。
設定としては頭の中にずっとあった物を、こういった形で発表出来たのでよかったです。第ⅩⅩⅩⅦ話の前半と、第Ⅲ話とを繋ぐピースの役割を担ったお話。これでクロの過去を補完出来たんじゃないかなーと思います。





