第47話 魔王頑張る。
シロとクロがベッタベタ(二回目)。
魔界。アインシュタット大魔城。新年初めての会議を終えた魔王アレクサンド・ル・エリシアは昼食をとるため食堂へと向かっていた。
「しかし、シロ……年末年始ぐらい帰って来てもいいものを……ふーっ」
彼は異世界にいる娘の事を心配していた。シロは境界で正月を迎えてみたいと言い出し、生家へと帰る事を選ばなかったのである。
「真面目な娘だから、きちんと休みを取っているかが心配だ……はーっ」
「ご学友に恵まれていらっしゃるご様子でございますし、きっと冬期休暇を楽しまれていらっしゃる事でございましょう」
横を共に歩くフェイスが彼を安心させる言葉をかけた。
「うん、そうだね……きっと着実に侵略を進めているんだろう……はーっ」
「……」
この言葉に対しては返答が出来ない彼女であった。シロは今クロに恋をしており、そちらの問題が片付くまでは侵略の事は後回しにしているのである。
ここで彼女はある事に気付く。
「魔王様……先ほどから息が上がっていらっしゃる様に見受けられますが、どうかなさいましたでしょうか……?」
「え? ……いやね、最近歩くとすぐに呼吸が乱れてきて……もう私も年かな、なんて言うとサバスに怒られてしまうね……ふーっ」
そう言いながら大きな足をのっそのっそと動かしていく。その度に彼の腹部が波を打つのをフェイスは見逃さなかった。
「……魔王様……お気を悪くされるかもしれませんがひとつよろしいでしょうか……」
「? 何だい? ……はーっ」
「……………………その……魔王様、最近少しばかりお体の方が大きくなられましたね……」
「……………………」
彼は昨夏の愛娘の言葉を思い出す。
……お父様、少し太った?
そして次に頭をよぎったのは正月の自分。ろくな運動もせずにずっとごろごろしていた。
「……………………」
ふたりは食堂に入り、席に着こうとした。中心にある長机の短い辺に置かれている椅子が魔王の定位置だ。フェイスはそのすぐ近くの、長辺の端の椅子に座る事にした。90度で彼と会話が出来る。
「ふーっ」
魔王が腰掛けたその時、椅子の四本の足全てがメキッと音を立て瞬時に崩れた。彼はバランスを失った椅子と共にそのまま床に尻餅をつく。
「ま、魔王様! 大丈夫でございますか!」
「……あ、ああ……」
魔王はテーブルに手をかけ、よっこいしょと立ち上がった。ギシギシと軋む音がする。
「…………フェイス……」
「……はい……?」
「…………私、ダイエットするよ……」
「…………はい……」
「さて……それで、どうすればいいだろうか」
謁見の間に集まったのは魔王とフェイス、それにサバスといういつもの面子であった。
「そうでございますね……やはり手っ取り早いのは運動かと思われます」
サバスが口を開く。
「運動か」
「はい」
「……運動……か……」
「……」
魔王の顔が曇り始めた。
「あの……よろしいでしょうか」
「何だフェイス」
「運動がお苦手だと仰るのならばウォーキングなど軽い物からなされるのはいかがでございましょうか」
「ウォーキング……歩くだけで痩せるのかい?」
「えっ……まあ……中長距離で毎日行われれば、長期的視点で見れば効果はおありかと存じますが」
「そうか……そんな楽な方法があったのか」
この時決してフェイスは口にしなかった。出来る訳などなかった。この世界の最高指導者であるこの男に憚り無き意見など。
……………………楽なダイエットなど無いのだと。
それは所詮はひとりの女性としての彼女の考えなのだから。
「中長距離というと……100mくらいだろうか」
「……いえ、魔王様、もう少々お歩きになった方がよろしいかと……」
「なら200mかな」
「ま、魔王様、いっその事城内を毎日歩かれるのはいかがでございましょうか。広大でございますから十分な距離をお歩きになれるかと。それに日頃働いている者共にお声がけなどされると彼らも喜ぶと思われます」
サバスがフェイスの言わんとしている事を悟ってか進言した。こういう所は気が利く上司である。
「なるほど……いや、それは駄目だ」
「え?」
「私がこんな肥大な図体でとろとろと歩き回ると皆の邪魔になってしまう。それなら城の外周を歩く事にするよ」
「魔王様……」
城の外周というと、城内よりも歩く距離は長くなる。ざっと一時間半はかかるだろう。だが、それは彼よりももう少し細身の体型の者が歩いた場合だ。
「よし、そうと決めたら早速、明日から始めよう!」
「……そ、そうでございますね……」
こうして魔王アレクサンド・ル・エリシアのダイエットが始まったのであった。
朝食を取り終えるとすぐに彼は最高級のジャージに着替えて城の外に出る。ひとりにする訳にはいかないので護衛として毎日五人の兵士が付くのである。ちなみに、この最高級ジャージとは吸水性と速乾性、通気性に抜群の定評があるアレミダラ・スネークの皮を使用している。
初めは歩き終えた後はただ苦しい表情をしていただけの魔王であったが、回数を重ねるにつれてそこには次第に明るさも交じっていき「きついけどなかなか楽しい。運動もいいものだ」と笑顔を見せる様になった。
そうして一週間が経った頃である。休みであったフェイスがいつもよりも少し遅い時間帯に朝食を取りに食堂に入るとそこに彼の姿を見付けたのだ。いつもウォーキングが終わった頃の時刻だ。
「魔王様、お疲れ様でございます。本日もお歩きになったので?」
「やあフェイス。当たり前だよ。毎日すると決めた事は毎日する」
彼は誇らしげに胸を張った。汗でジャージがびしょびしょだ。
「申し訳ございません。それで……こちらでご休憩を取られている訳でございますか」
「ああ。いやーそれにしても運動をするとお腹が減るね」
「! ……そ、そうでございますね」
フェイスはぴくりとした。ざわざわとしたものが彼女の胸の中を蠢き始める。
やがて彼の前には一人前(彼にとっての)の料理が運ばれてきた。
「ふー。いただきます」
「魔王様ああああああああ!」
「え? 何だい? もぐもぐ」
「ま、魔王様! そ、それはご朝食でございますか……!?」
「え? むぐむぐ。違うよ。朝食は歩く前に取ったからこれは……間食だねずずー……ごくん。おっと、今のは行儀が悪かったな」
「意味無いでしょっ!!」
もはや彼女のその言葉には敬意のかけらも表れていなかった。
「いやいや、お腹が減るんだからしょうがないだろう?」
「ま、まさか毎日……!?」
「うん」
さらり。
何と彼は運動を始めてから一日四食になっていたのである。少しの軽食ならいいのかもしれないが、それは料理として、明らかにしっかりとした食事になっていた。
「あんたほんとに痩せる気あるんかい!」
「さて……それではどうしたらいいだろうか」
三人は再び謁見の間に集まっていた。
「知らなかった……1日4食にすると痩せないなんて……!」
「い、いえ、そういう訳ではないのだとは思うのですが、消費したエネルギーと摂取するエネルギーが釣り合って、というかむしろ摂取分が多くなっていた様な気が致しましたので……」
「魔王様、こちらの不手際で誠に申し訳ございませんでした。今まで以上にしっかりと管理された食事を提供する様に致しますので、ご無理はなさらないで下さいませ。運動をせずとも減量出来るメニューを栄養管理士の者と共に考案致します」
「いや、駄目だ!」
サバスの提案を魔王は強く否定した。
「そうやって自分を甘やかすのがいけないんだ」
「しかし、ご無理をなさって逆にストレスを溜め込まれても困ります」
「いや、私は厳しい道を選ぶよサバス……サルタージの彼はまだ元気だろうか」
「サルタージ……と仰いますと……」
サバスは顎に手を当て思案し始めた。フェイスには何の事かよくわからない。
「……! ……まさか、彼を呼ぶのでございますか?」
「ああ、かつてルクリクスの鬼と謳われたギルディリス・ハイデガー……彼を呼ぼう」
「しかし……」
「あ、あの……」
話に入っていけないフェイスは会話の途中で口を挟んだ。
「その、どなたでございますか、そのギルディリス様と仰いますのは……」
「ああ、フェイスは知らなかったね」
「まだお前が拾われるずっと前だからな、あいつがこの城にいたのは」
「はあ……以前ここに仕えていらっしゃった方なのでございますか」
「そうだ。20年前のルクリクス戦役では奴と共に死線をかいくぐったものだ……」
老執事は懐かしむ様な表情になっていた。
「鬼教官と呼ばれ、よく下の者達から恐れられていた」
「あの、その方と共にまさか戦場へ……?」
「まさか。彼の特製の訓練メニューがあったんだ。魔王様はそれを活かそうとお考えなのだろう」
「それをダイエットに活かそうと……?」
「そうだ。険しき道には鬼の供が相応しい」
「噂ではすでに退役し、一線を退いていると聞いております」
「そうか……何とか連絡を取ってもらえるかい?」
「はい。何と致しましても」
それからさらに一週間後、連絡のついたギルディリス・ハイデガーはアインシュタット大魔城へとやって来たのだった。
「ギルド! 久し振りだね。元気にしていたかい?」
「これはこれはアレクサンド様。この歳になってまさか再びお会い出来るとは思ってもみませんでしたよ」
サングラスをかけた白い短髪の男は帽子を脱ぐと朗らかに笑った。普通ならばサングラスも外すのが当然なのだが、魔王がまだ王位に立つ前からの旧知の仲であるこの男は例外なのだろう。
「何でも、減量に苦しんでらっしゃる様で?」
「ああ、そうなんだ。情けないがね……」
「本気でやってもらって構わないとの事だ、ギルド」
「そうか……」
サバスの言葉を聞いたギルディリスの顔からすうっと笑みが消えていった。彼はゆっくりとサングラスを外す。
「それじゃあ……境界に行ってる王女様を帰らせる事になるかもしれねえなあ……即位のために」
彼の顔をフェイスは初めて見た。にやりと吊り上がった口と、それから、見開かれた両の目……いや、見開かれた右目と、空っぽになった左の穴を。
「お前は豚だ!」
「私は豚だ!」
「声が小さい! お前はクソだ!」
「わ……私はクソだ!!」
「そうだ! よーしクソ野郎! 今お前はその臭い体を少しでも浄化して生ごみになるためにこの城内を歩き回っている! その臭い臭いを周りに振り撒いてだ!」
「イ……イエッサー!」
ギルディリスの扱きはまさに鬼畜の所業だった。まずは太っている自分を辱めるために終始罵倒をしながら魔王に城内を歩かせた。もちろんこれは色々な者に見られ、聞かれなければ意味が無いのである。
「いいかクソ野郎! お前はその腐り切った足を地面に着けられているだけでもありがたいと思え! 大地に感謝しろ!」
「サッ……サー・イエッサー!」
「何を足を止めている! 足が動かないのなら這い蹲って進め! お前には元々そっちの方がお似合いだぞ!」
「サッ……サー・イエッサー!」
次に城の外周を走らせた。罵詈雑言はデフォルトである。
この様に、常に魔王を罵りながら地獄のメニューは続いた。他にも基本的な筋力トレーニングから兵士が行う様なアクションの訓練まで。さらに、もちろん食事制限もである。
そして二週間が経った時、魔王の姿は見違える程に変わっていた。
「……おおっ……!」
かつてのぽっちゃりとした丸いふくよかな体はそこには無い。すらっとした脚、肉が取れて小さく、しゅっとなった顔、何かいい感じのキラキラした雰囲気。
「……やあフェイス、どうだい、この成果……」
そしてなぜか声まで爽やか。ルクリクスの鬼、恐ろし。
不覚にもフェイスはときめいてしまった……いや不覚にもというのは大変失礼な言葉だが。
「……し、信じられません……!」
五頭身の体がすっかり八頭身に。劇的なビフォー・アフターである。
「もう、太っているなんて言わせないよ」
魔王はさらりと髪を掻き上げた。その仕草にやはりときめき見惚れてしまう。
「……はっ! す、すぐに大鏡の間に向かいましょう! お嬢様にそのお姿をお見せにならなければ!」
「……ふっ、そうだね」
ふたりは早速シロと通信が出来る大鏡の前へと移動した。フェイスは呪文を唱え彼女の手鏡と映像が繋がるのを待った。
数秒後、鏡面には幼い王女の顔がでかでかと映る。
〈どうしたの?〉
「お嬢様! 今少々お時間よろしいでしょうか」
〈授業中に抜け出してきたから……ほんとに少しだけなら〉
「そ、それは大変申し訳ございません! では早急にお済ませ致します」
彼女が目配せをした後、魔王が大鏡の前にすらっとその姿を現した。シロにもばっちり見えているはずだ。
〈……?〉
「……やあシロ。お前、夏に帰って来た時に言っただろう? 私が少し……」
〈お……お父様!?〉
「そうだよ。お前の父だよ」
〈どっ……どうしたのその姿!?〉
「私はお前のために、血が滲む様な努力をして……」
〈大丈夫!?〉
「……へ?」
〈なっ……何か病気にかかったの!? そんなに痩せ細って……!!〉
「……私は……」
〈わっ、私すぐにそっちに帰ろうか!? む、無理はしないで安静にしてて!〉
「……」
……フェイス……。
……はい……。
……私、太るよ……。
…………はい…………。
そして彼は三日で元の体型に戻った。
だいぶ前に仕込んでおいたネタをようやくここで回収出来ました。ギルドさんは「フルメタル・ジャケット」のハートマン軍曹をモデルにかなーーーーり和らげて作りました。





