第ⅩⅩⅩⅥ話 奪われたシロ
急に家を出て行ったシロ。一体どうしたってんだ?
急に出て行った後、シロが帰って来たのは九時頃だった。
「おう、何やってたんだよ、こんな時間まで」
クロは不思議に思いリビングから廊下にいた彼女に尋ねる。しかし彼女は何も答えずに自室へと歩いていった。
「?」
もしかして俺、何か怒らせる様な事したかな。不安になった彼は彼女の部屋へと向かう。
「シロー」
軽くノックをしてから返答を待つ。しかし数秒待っても何も聞こえなかったのでクロは思い切ってドアを開ける事にした。
「入るぞ」
「……」
部屋の中ではシロが黙々と荷造りをしていた。盆の帰省時やこの間の海に行った時に使っていた旅行用の大きなバッグに色々と物を詰め込んでいた。
「? どっか旅行でも行くのか」
「……」
彼女はまた答えない。
「……なあ、何か言えよ」
「……」
……こりゃ相当怒ってるな……何したっけか……。
ま、一区切り付いたらリビングに戻って来るだろ。その時に聞いてみるか。そう思って彼は戸を閉めた。
数分後、シロが部屋から出て来る音をクロは聞いた。とすとすとすとこちらに近付いてくるので待っていた所、リビングには脇目も振らずに玄関に向かっていた。また出て行くらしい。先ほどの大きなバッグを担いでいた。
「おい、どこ行くんだよ」
彼はシロの元まで行くが、やはり無視。ここまでくるとさすがに彼も少しは苛立つ。
「待てって! 何か言えよ! 言ってくれないとわかんねーだろ!」
がしっと彼女の腕を掴んだ。
「……痛い」
「! 悪り……!」
彼女の口からやっと出た言葉がそれだった。しかし、腕を離すと彼女はすぐにドアを開ける。
「お、おい!」
シロは再び夜の闇の中へと行ってしまった。
「……」
何なんだよ一体……。
まさか、さっきの荷造りはここを出て行くための……?
「……くそっ」
ひとり残された少年はむしゃくしゃした気持ちを言葉に吐いた。
朝が来た。クロは一晩中リビングでシロの帰りを待っていたのだが、彼女が戻って来る事は無かった。心中に不安が広がるのを理解しながら彼は学校への支度を始めた。サボってもよかったのだが、もしかしたら登校しているかもしれない。昨日着替えをまとめていたみたいだし、制服も一緒に持って行ったのかも。彼女の部屋に勝手に入ってそれを確認する事はさすがに彼には出来なかった。
彼の予想は当たっていた。シロは普段通り学校に来ていた。彼女のクラスを覗くと陽菜や結と談笑している姿を見付けたのだ。昨晩はどちらかの家に泊まったのだろう、と彼は推測した。
「よう」
彼女らの教室に入り声をかける。それに真っ先に反応したのはシロではなく、陽菜だった。
「あれクロちゃん。珍しいねウチに来るなんて。どうしたの? デートのお誘い?」
「違げーよ!」
ったく、どいつもこいつもそんなんばっかり……!
「なあ、そろそろ話してくれてもいいんじゃねーの?」
なぜ急に家を出て行ったのか、なぜ彼を散々無視したのか、その真意をシロに問い質す。
「……」
彼女はゆっくりとクロの顔を見つめた。そして。
「……どちら様ですか」
いつも通りの穏やかな口調でこう返してきた。決して怒っている様子ではない。純粋に疑問を浮かべている顔だ。昨夜の無機質な表情とは違い、可愛らしい瞳でただじっと見つめてきた。
「……! ……あのな……いい加減にしないと……!」
「?」
「……!」
彼女の無邪気な顔を見ていると、居た堪れない気持ちになり彼は教室を立ち去った。
「……? けんかでもしたの」
クロが出て行った後、陽菜はシロに問いかけた。
おかしい。何かがおかしい。授業中、クロはずっとシロの事を考えていた。さっきのあの態度、何かが違う。あれは決して演技ではない。本当に、俺の事を忘れている様だった。
という事は昨日のあの時点でもう、あいつに異変が起こっていたって事だ。何だ? 何が起こったっていうんだ? あ~むしゃくしゃする。
思えば昨日は朝から何か様子がおかしかった気もする。急に牛乳を薦めてきたり、100℃あるだの言い出したり……いや、それでもちょっとおかしいくらいだった。決定的に違ったのは一度外へ出て戻って来た時だ。
という事は、その間にあいつに何かが起こったんだ。何をされたんだ? 何を……。
魔術。
これしか考えられない。悪魔と接触して、何かしらの魔術を施されたとしか……。
「クロノ君」
昼休みに突然早見が声をかけてきた。
「ちょっといいかい」
「?」
今は余計な事を考えている場合じゃないんだが……そう思いながらも珍しい彼からの誘いを断る訳にもいかず、クロは早見に付いて行き屋上へと向かった。
そこへ一歩踏み出した瞬間から違和感をクロは覚えた。いつもなら昼休みの屋上には数人の生徒がいるはずなのに、今日はひとりもいない。少し不気味だ。
「何なんだよ、こんな所に呼び出して」
運動場で遊んでいる生徒達を一度見下ろし、彼は早見に向き直った。
「……君の気持ちを聞いてみたくて」
「はあ? 何の」
「……」
彼は黙ってほくそ笑んでいる。
「もしかして、お前あれか? ゲイって奴か? やめてくれ、俺にそっちの気は無いから」
「……ふふっ、ふふふふ……」
「……何かお前、気味悪いぞ」
「出てきていいよ」
早見は突如誰かに呼び掛けた。その声に反応するかの様に校舎の中から現れたのは……。
「シロ!」
シロが無表情のまま出てきた。朝とは違い、また無機質な顔になっている。昨晩の様だ。
「なあ、おいどうしちまったんだよシロ! なあ!」
クロは彼女に近付き肩を揺らすが、彼女は何も答えない。何も喋らない。まるで人形の様に。
「……?」
ちょっと待てよ。どうしてこいつが早見に呼ばれて出てきたんだ?
「……お前まさか」
彼は鋭い目で後ろに立つクラスメイトを見る。
「ははっ、はははははははは!」
早見はまた笑い出した。
「お前、シロに何をしたあっ!?」
疾風の如くクロは早見に詰め寄り彼の襟首を掴んだ。彼は柵に押し付けられるが少しも動じない。
「ちょっとした復讐だよ」
「何いっ!?」
「君に恨みは無いが君の一族には恨みがある。だからこれは、一族を代表した僕のちょっとした復讐だ」
「……なら俺に直接すりゃいいだろが! 何であいつを巻き込む!」
クロは怒鳴った。心の底から怒りが込み上げてきていた。
「駄目なんだよそれじゃ」
「何!?」
「君の一番大切なものを奪い取って、君に精神的な攻撃をする。どうだい? 今の気分は」
「……ッ! このクソ野郎がっ!」
この少年が仕組んだ事なのだ。シロの様子がおかしいのはこいつの仕業だ。
「けなせよ。何なら殴るかい? 僕を殴った所で状況は変わらないけどね」
「……ッ!」
落ち着け……! ここで怒りに任せたってこいつの思うつぼだ……!
だけどよ……!
シロを弄ばれて、殴れずにいれるほど俺は大人じゃねえんだよっ!
ぐるりと早見の体を動かし、彼の頬を力の限り殴った。
「ぶっ!」
早見は声を出し床に叩き付けられる。
「!」
それを見てシロは彼に駆け寄る。
「はあ……はあ……はあ……」
クロは肩で息をしていた。
「……だい……じょうぶ……?」
「……ああ、大丈夫だ……」
早見はシロに介抱されて立ち上がった。それを見たクロの心に、また怒りが込み上げてくる。
「……はあ……はあ…………はあ………………! ……頼むよ……!」
彼は体を震わせながら膝を床に突いた。
「何でお前が俺の一族に恨みを持ってるのかは知らねー……けど、そいつは……そいつは関係ねーだろ……! 頼むから、元に戻してくれよ……!」
クロは両手を着き、頭を床ぎりぎりまで垂らす。
「駄目だね」
しかし、早見は冷酷に言い放った。
「……まさか土下座までするとは。この娘が君にとってどれだけ大切な存在なのか、十分わかったよ」
「……!」
クロはそのままの体勢で早見を見つめていた。今の自分の顔は一体どれだけ歪んでいるのだろう。
「だったらこんな事をされたら、君はどう思うんだろうねえ」
そう言って早見はシロをきゅっと抱き寄せ、彼女の顎を指先でくいっと傾けた。そして……。
びりっ、とクロの指先から電流が走る。
「お前、殺すぞ……」
「……ふふ、冗談だよ」
顔を近付ける仕草をしてみせた後、彼は自分の体からシロを離した。
「文化祭だよクロノ君」
「何?」
「文化祭の日に決着をつけようじゃないか」
「……それまでシロの命の保証はあるのか」
「心配しなくても、それまで僕はこの娘を傷付けたりはしない。だけど文化祭の日に取り返せなかったら、保証は出来ないね……」
「上等じゃねえか」
クロは立ち上がった。
「シロは必ず取り戻す」
「ふっ。頼もしい王子様だ」
「……」
「ゲームをしよう」
「ゲーム?」
「ああそうだ。鬼ごっこをしようじゃないか」
「……鬼ごっこ……だと?」
「そう。僕は残念ながら、君ほどけんかに自信が無いからね。逃げるのが僕だ。コースは文化祭が実施される初等部と中等部、そして高等部の全域。開始は……そうだなあ。文化祭のオープニング・セレモニー。それが終わった後の開祭宣言直後、ってのはどうだい?」
「好きにしろ」
「ふふ……じゃあリミットはエンディング・セレモニー後の閉祭宣言までだね。その間に僕を捕まえる事が出来たら、この娘を元に戻してあげよう」
「わざわざお前との約束を守らずに、文化祭までに俺がさっさとシロを連れ戻すかもしれないぜ」
「無駄だよ。たとえ連れ戻した所で、この娘はこのままだ。僕の意思で自由に動かせる。そんな事をしたら僕は一生この娘を元に戻さない」
「……ちっ!」
わざとらしくクロは舌打ちをした。
「だが約束しよう。僕とのゲームに君が勝ったら、もう日数は少ないが、僕がいなくなるまで二度とこんな事はしない」
「……」
「それから、敬意を表して君に僕の一族に受け継がれる能力を教えてあげるよ」
「能力?」
「君達神の一族には発電能力があるんだろ? 僕の一族にも同じ様に固有の能力があるんだよ」
「お前……悪魔じゃないのか」
「同じだよ。君とね」
「……堕天使か……!」
「僕は邪悪な瞳を持っている」
「瞳? 目か?」
「そう。僕の邪眼に魅入られた者は全て僕の思い通り」
「そうやってシロを……!」
「だけど心配しないでくれ。君には邪眼は使わない。君を操ってしまってもつまらないだけだからね」
「俺の友達には手を出すな」
「さあね。僕が保証するのはこの娘だけ」
「……!」
「それじゃあ、今月いっぱいだけど、残り少ない日数仲良くしてくれよ、クロノ君」
そう言い残し、早見はシロと共に去っていった。
「……くそっ!」
クロは唇を噛み締めた。
その晩。クロはひとりきりのリビングでソファーに座り込んでいた。なぜだか急に部屋が広く感じる。それに胸の中にはぽっかりと穴が開いている様だ。喪失感。一言で表すとそれに尽きる。今彼の頭に浮かぶのは、シロただひとりだけだった。
彼女と出会って五ヶ月。様々な事を一緒に経験してきた。その事を全部、今の彼女は忘れてしまっているのか。
「そんな寂しい事はねえよなあ……」
ぽつりと呟いた。
薫や陽菜や結がからかってくるが、好きなんてもんじゃねえんだよ。
あいつは似てるんだ。だから守ってやらなきゃって、そう思っちまうんだよ。
その事で俺は、きっと赦されようとしてたんだろう。俺がお前を守って支えているつもりになってた。だけど。
「俺の方が、知らない内にお前に支えられていたんだな……」
天井を見上げ、その様子をかつてふたりで星空を見上げた時と重ねた。
「クレア……」
今はもういない少女の名を、クロは静かに呼んだ。
何か少年漫画みたいな展開になってきましたねー。書いてて超楽しかったです。そして次回、ついに明かされます……。





