第Ⅺ話 オレ、天使
フェイスがやってくるよ! ヤァ! ヤァ! ヤァ!
その日はやってきた。シロの家臣のひとりが我が家を訪れるのだ。昼過ぎ、ドアホンが鳴った。
「! 来たかも」
その音を聞き付けるとシロはばたばたと玄関に駆けていった。クロはぴんと背筋を伸ばし、変に緊張し始めた。
玄関から声が聞こえてくる。彼女と例の家臣は一ヶ月ぶりの再会を喜んでいるようだった。やがて足音がクロのいるリビングヘと近づいてきた。彼はつい構える。
シロと一緒に部屋に入ってきたのは彼女よりも少し年上の少女だった。エリーよりは年下に見える……が、ずいぶんと落ち着いた様子だ。エリーより年下……だよな? 侍女の顔が浮かぶ……あいつ、大人のくせに落ち着きねーんだな……。
「あの……クロ」
シロも緊張気味に話し、
「彼女がフェイス。私が一番信頼している家臣」
と隣の少女を紹介する。
「あ、ああ……」
「フェイス、彼はクロ。私の同居人で、友達」
続けて彼女は彼の紹介を行った。
「……」
フェイスはじっとクロを見つめる。少年は少しどきっとした。
「あなたがクロ殿でございますね。お話は伺っております。王女が大変お世話になっております」
彼女はぺこりと頭を下げた。
「い、いやいや」
人間らしく……人間らしく振る舞え……! ……っていっても、どうやったら人間らしいのかさっぱりわからない。
「私はエリシア家にお仕えしておりますフェイスと申します。以後お見知りおきを」
フェイスは右手を差し出してきた。握手をしようという事だろう。
「あ、ああ。俺はクロノ。クロノ・ヴォル……はっ!」
フル・ネームを名乗ろうとして皇子は途中で言葉を断った。名字で自分が神の一族だという事がわかってしまうのではないかと思ったからだ。
「……クロノ・ヴォル……よろしく」
自然な感じを装い彼女の手を握る。それは意外にも小さく感じた。
「私も王女と同様、クロ殿と呼ばせて頂いてもよろしいでしょうか」
「あ、ああ……別に構わねーよ」
ほんとはやなんだけどな……と少年は思った。クロというのは実は彼の姉や親戚などが使う愛称なので、それ以外の人から使われると少し恥ずかしいのだ。
「さ、ささ、あいさつも済んだ事だし、私の部屋に案内するね!」
シロはふたりの腕をぐいと引き離しフェイスを自室へと促した。彼女はシロの部屋に泊まるのだ。おそらくシロなりに気を利かせて……というか彼女もクロの素性が知られるのを恐れてなるべく彼とフェイスを関わらせないようにしているのだろう。
数分後、再びフェイスを連れて部屋から出てきたシロは、街を紹介すると言って外へと出ていった。なるほど。外出をさせて物理的に遠ざければいいというわけだ。
それから時間は流れ、ふたりが帰ってきたのは六時過ぎだった。ずいぶん連れ回したもんだなとクロは思った。
「……大丈夫?」
疲れ切ったフェイスの姿を見て彼はつい心配した。魔界からはるばる次元を超えてやってきて……着いた早々十分に休む間もなく歩き回される……ハードだな。
「は、はい! ご心配ありがとうございます」
彼女はにこりと返したがその疲れは明らかだ。だが、その笑顔も心からのものだろう。大切な存在であるシロとふたりきりの時を過ごして、嬉しかったに違いない。
「ま、ゆっくり休んどきなよ。飯は俺が作るから」
彼女をリビングのソファーにすとんと座らせると、彼はキッチンへと向かった。料理は得意だ。というか、得意にならざるを得なかった。侍女のエリーは以前はとにかく料理が下手だったのだ。だから彼が自分で作るしかなかった。
「な……私はお嬢様の御身の回りのお世話をするためにも参ったのでございます! そのような事は私がおります限りは私が行います!」
「いいからいいから」
キッチンへと入ってこようとするフェイスをシロも制止した。
「疲れてるのに連れ回しちゃってごめんね。お風呂沸いてるから入ってきて」
そう言って彼女はクロの隣に立つ。
「そ、そんな! お嬢様がお食事を作られようとしているのに私がお風呂になどと! そのような事は……!」
「フェイス! これは命令よ! お風呂に入って疲れを落としてきなさい!」
「な……!」
フェイスは戸惑っていた。
「確かに私が主であなたが臣だけど、ここでは私がホストであなたがゲスト。ゲストに働かせるわけにはいかないでしょ?」
「し、しかし……」
「フェイス」
シロはもう一度強く家臣の名を呼んだ。
「……わ、わかりました。お嬢様がそう命じられるならば……」
彼女は渋々風呂場へと歩いていった。
「真面目なんだな、フェイスのねーちゃん」
「そうね。超が付くほどね」
「お互いいい家臣に恵まれてんな」
「クロにもいるの? ああいう人」
「ああ……フェイスのねーちゃんほどしっかりしてねーけど」
その後フェイスが風呂から上がると次はシロ、クロの順に入浴を済ませ、食事を終えるとシロはすぐにフェイスを自室に連れていった。今度は急かすように……というわけではなく、彼女が疲れていたからだ。こうして初日は幕を下ろした。何だ、案外大丈夫そうだな。
「起きてください、クロ殿」
「……う~ん……」
翌朝、クロは聞き慣れない声で目を覚ました。
「おはようございます」
「……うわあっ!」
フェイスだ。彼女が彼を起こしにきていた。
「なっ、何でねーちゃんが!」
「なかなか起きて来られませんでしたので、起こしに参りました」
「そ、そりゃどうも……はっ!」
クロはきょろきょろと室内を見回す。
「……どうなさいました?」
「え? い、いや……何でもない」
何か部屋に天使だとわかるような物はないかと探したが、どうやら大丈夫そうだ。
「では、行きましょう」
フェイス滞在二日目。彼女はこの日朝からとにかくクロに話しかけてきた。
「クロ殿。寝心地はいかがでしたか」
「クロ殿。申し訳ございませんがお醤油を取って頂けないでしょうか」
「クロ殿。ご趣味は?」
「ちょっ、ちょっとタンマ!」
降り頻る言葉の雨に食事中にも関わらずクロはがたっと席を立ち、わざとらしく咳払いをしながらシロの方をちらちらと見た。
「おほんっ、ごほんっ! うううぉほんっ! そういやー冷蔵庫の中に何かあったような……」
「アー、ソーイエバナニカアッタカモネー」
シロが片言で続きついてきた。それを確認しつつクロは冷蔵庫を開けて中を覗き込むフリをする。彼女も横から首を突っ込んだ。
「どーにかしてくれ! 何かさっきからずっと俺に話しかけてきてんだけど!」
「クロに興味があるんじゃないのかな。私の同居人だから」
「あんなに次から次へと話しかけられちゃ飯もゆっくり食えねーよ」
「でも、我慢してもらうしか……」
「今日の予定、何か考えてんの?」
「と、特に……」
「だったら飯食い終えてもずっとあの調子だと困るぞ! 疲れる! いつボロを出しちまうかわかんねーし」
「うん……だったらまた連れ出してみる」
「何かございましたか?」
背後にフェイスが立っていた。
「うわあああああっ!」
ふたりは慌ててドアを閉める。
「き、気のせいだったみたいだな! なっ!」
「うん! そうだね! さ、席に戻ろう!」
その後もフェイスのクロに対する怒涛の話しかけは続いた。
「ささ! 今日もお出かけしよっか! フェイス!」
食事後にシロが彼女を外出に誘うが。
「ではクロ殿もご一緒に」
「え? お、俺はいいよ。ふたりでゆっくりしてきな」
「いえいえ。今日はぜひ三人で」
「い、いいって!」
なぜだ? 何で今日はやたらと俺を気にかけるんだ?
「あ!」
とクロはまたもわざとらしく人差し指を立てる。
「そ! そういやー涼太とゲームする約束してたっけ! いっけねー!」
そう言って逃げるように家から出た彼は、隣に住む青年の元へ転がり込んだ。
「きゅ! 急に何なんだよお前は!」
涼太は未成年が見てはいけないようなゲームをプレイ中だった。
「悪り! 今日一日世話になる!」
「は? 何でいきなり」
「どうせ暇だろ?」
「俺はいつでも攻略に忙しいんだよ!」
「いい加減現実を攻略しろよ」
「うるせー! てか、今日は夕方に用事があるからな」
「わかった! じゃあそれまででも!」
「……お前、何をそんなに慌ててんだ?」
「いや、ちょっとねーちゃんがやたらと話しかけてくるからさー、逃げてきた」
「ねーちゃん? お前姉ちゃんが来てんのか?」
「違げーよ! あんなクソ姉貴じゃなくてシロのかし……あー……知り合い」
もちろん、この青年に天使だの悪魔だのという事は教えていない。
「お前なー、女の子から積極的に話しかけられるなんてなー……死ね!」
「ただいまー」
結局涼太が用事で外出する夕方まで彼の家で世話になった。
「あ、お帰りー。ずっと涼太さん家で遊んでたの?」
「まあなー」
キッチンではシロとフェイスが並んで夕食を作っていた。端から見ると姉妹のようだ。今日の献立はどうやらカレーライスらしい。
「あ」
とシロが声を漏らした。
「ニンジンないや」
これにクロはすかさず反応した。
「じゃあ俺が買ってくるよ! 大切だもんな! ニンジン!」
なるべくフェイスと同じ空間にいたくない。彼はささっとスーパーへ向かった。
が。
「クロ殿!」
何と、後からフェイスがついてきた。
「げっ! フェイスのねーちゃん!」
「私もお供致します」
「い、いいって。それよりシロを手伝いなよ」
「いえいえ。こういった事は本来私の役目ですので」
しょうがない。腹をくくるか。クロは歯を食い縛った。
「さて、ようやくふたりきりになれたし、もう残された時間もあまり多くはないし、単刀直入に聞く」
「え?」
フェイスの態度が突如変わった。あまりの変貌ぶりに少年は思わず聞き返した。
「クロ殿。あなたはお嬢様とどういった関係なのだ?」
「ど、どういったって……?」
「だから、お嬢様はあなたにとっての何なのだと聞いているのだ」
「……?」
何が言いたいんだ?
「だから、あなたはお嬢様の恋人ではないのかと聞いているのだ!」
「ぶっ!」
急に何て事言い出すんだ。
「何言ってんだよ急に!」
「違うのか? 質問に答えろ」
「違げーよ! 恋人とか、そんなんじゃねーよ!」
「本当か?」
「ほんとだよ! シロはただの同居人!」
「本当にか?」
「ああ!」
「ならば、あなたはお嬢様の事をどう思っている?」
「どうって?」
「恋愛感情を抱いていないのかと聞いているのだ」
「はあぁ? 別にそんなの……」
「それでは、あなたは本当にただの同居人なのだな」
「ああそうだよ! 俺があいつを好きだなんて……」
好き? 俺が? あいつを? ……。
少年はとある少女の事を思い出していた。シロではない。彼女とよく似た、別の少女だ。彼にとってはとてもとても大事な、今は思い出の中にしか生きられない少女だ。
「あいつを好きだなんて、ないね。絶対。100%」
彼は力強く言い切った。自分に言い聞かせるように。
「あれほどまでに愛くるしいお嬢様を見てそれほどまでに言い切るか! この無礼者が! 貴様はお嬢様のかわいらしいお姿を見て何とも思わないのか! それでも男か!」
「どっちだよ!」
なーるほどねー……やたらと俺に話しかけてきていたのはそこん所を確認したかったんだな。ほんっとに、いい家臣に恵まれてんなー、シロは。
俺はどうなのかな。もしこれが逆になってたら、エリーは同じようにシロにしつこく聞くのかな。
なんて、気持ち悪りー事考えちまった。
ふたりで臨んだ買い物も難無く過ぎ、素性を知られる事無く家に帰り着く事が出来た。今日ももう少しで終わる。明日が最終日だ……いや、まだ気を抜いてはいけない。とりあえず今は今日という日を無事に終える事だけを考えろ。些細な事からどう転がるかわかんねーぞ。
と、しっかりと用心していたのに、である。
あっさりその時は訪れたのだった。
買い物を終えて帰宅した時、ポストに郵便物が入っている事にフェイスが気付いた。彼女はそれを手に取り家に上がった。
「ただいまー」
「あ、お帰り。仲良く出来た?」
シロはくすくすと笑いながら冗談半分で聞いてきた。
「ああ、何とかなー。ほれ、ニンジン」
「ありがと」
「お嬢様、郵便が届いております」
「? 何?」
「はい。雑誌のようです」
「え?」
フェイスは持っていた郵便物に目をやった。
「……雑誌?」
クロも同じく彼女の手に目を向ける。
「……あ」
それは彼が定期購読している雑誌だった。最近のトレンドなどをまとめている人気の雑誌である……天界の。定期的にこちらに届けてもらっているのだ。
「……」
表紙に載っているのは、今天界で大人気のアイドル・グループ「フェアリー・テイル」であった。彼女達の背中にはばっちり白い翼が備わっていた。あちゃー……。
「……お嬢様、これは一体……?」
フェイスが静かに尋ねた。困惑している。
「そ、それは……その……えと……」
シロは口籠った。何かいい説明を必死に考えているように見えた。
「……あーあ、せっかく上手くいってたのに」
クロは残念そうに口を開いた。もう無駄だという事はわかっていた。隠しきれない。ごまかしきれない。
「フェイスのねーちゃん」
「……何でございましょう……?」
「俺、天使」
少年は真実を告げた。
今回、クロの名字がちょっとだけ出てきましたねー。そうだよな、名字でばれるかもしれないもんな……って書いてて気付いて途中で口籠らせました。ありがとうクロ! ……何つー作者だ。





