第93話 いちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃ
フェイスは八年振りに墓前で家族と再会を果たしました。
ロイヤルハイム浅川101号室のリビング。そこにはソファーに座り、クッションを抱えて足をばたばたさせるシロの姿があった。
「クロいつ帰ってくるんだろ……」
頭に乗るアスモが宥める様に言う。
「慌てたって変わらないんだから落ちつきなさいよ。私が落ちちゃうじゃない」
「それはそうだけど……」
シロはぼふっと横に倒れ込む。その瞬間にアスモは器用にぴょんと跳ねて彼女の側頭部に着地した。
「大体、クロちゃんは無事でそのテロリストとやらも捕まったらしいからもう何も心配する事無いじゃないの」
昨日イヴとフェイスだけが先に帰ってきて、クロはもう少し天界に滞在すると聞かされた。フェイスに何が起こったのかは彼女自身の口から聞いたが、シロは強く責め立てなかった。一番辛いのは彼女である事はわかっているからだ。とにかく天界との間で大事にはなっていない様なのであまり口うるさくしない事にした。
そして、王家に代々刻まれる守護の印が初代の神の指示によってかけられた呪いの印である事も彼女は聞いた。それを伝えたイヴはいつにもなく真面目な顔でこれからやる事を語ってきた。
「あたしは魔界に一旦帰る事にするよ……やる事が出来たからね」
1000年前の終戦の前夜に魔界の空で観測された流れ星……ルルゥの最後の姿。その流れ星が落ちたと言われている「星降りの地」と呼ばれる場所がある。彼女はそこへ行き、大地に刻まれたルルゥの記憶を更に探る事で彼が見たとされる呪いの解き方を確かめるつもりらしかった。
「次に会った時には呪いを解いたげるからね」
そう言い残してイヴはフェイスと共に魔界に帰っていった。
「ねえ……アスモ達って天界にいた時の事は覚えてるの?」
「そんな大昔の事覚えてる訳無いでしょ」
「……それはそうか……」
しかしイヴの事は少しは覚えていたみたいだが。
「ふっ、アスモ。野暮な事を言うんじゃねえよ。シロは今すぐにでもあの天使のお子さんに会いたいんだよ」
部屋の片隅で丸まっていたマモンが前足で頭をふにふにと掻きながら言った。キザな話し方をする一方で可愛らしい仕草をするのがこの猫である。
「それはわかってるわよ気障り猫。だからもっと落ち着いてクロちゃんを迎え入れなさいって言ってるんじゃない。こういう時が女の腕の見せ所なんだから」
「私、兎に説教されてる……」
ちなみにこの一羽と一匹はただ単に寂しいから召喚しただけである。もふもふとした丸みを帯びた体を触って、見たいだけだったからである。
「あんまり学校休んでると皆に心配かけちゃうし……っていうかもうかけてるし……」
「なら私が行こうかしら」
「……へ?」
突然何を言い出すのだこの兎は。
「アスモが行っても意味無いでしょ……っていうか飼育小屋に入れられちゃうよ」
「あら、あなた忘れてる?」
アスモはシロの頭から飛び跳ねると体を空中でぴんと伸ばした。するとその姿が見る見る内に人の形になっていく……シロがよく知る姿……クロではないか。
「変身も出来るんだけど、私」
「……そういえばそうだったね……」
という訳で翌日、クロに変身したアスモを学校に連れていく事にしてみた。彼女が妙に乗り気だったからだ。
「いい? 絶対に変な事はしないでね。あなたは今クロなんだから」
「あら? 変な事って何?」
「……たとえばその話し方」
「ああ、俺はクロだ……これでいいか?」
「……いいけど、クロは自分の事絶対に『クロ』って名乗らないから」
「そうなのか? 可愛い名前なのに」
初めて呼んだ時恥ずかしがっていた記憶がある。
「……」
姿も声も完璧にクロだ。しかし……やっぱりなーんか心配になるな……一抹の不安を抱えながらも彼女はアスモと一緒に家を出た。
「あ、おはようクロノ君! 何か久し振りだなあ!」
教室では先に登校していた薫が嬉しそうにアスモ扮するクロに話しかけてくる。クロの親友である彼はクロの顔を見れて心の底から嬉しそうだった。アスモはしっかりとクロになりきって言葉を返す。
「おう、心配かけて悪かったな、薫ちゃん」
しっかりとクロになりきって……。
「……え?」
薫の眼鏡がかくっとずれる。思わずシロはアスモの口を手で覆った。
「アウトーッ!」
「もがもご……ちょっと何するんだよシロ」
「クロは薫君の事『薫ちゃん』なんて呼ばないから!」
「あ、そっか……悪い悪い」
「?? シ、シエルさん、どういう事?」
薫は事情を知っている人間であるし話しても問題は無い。という事で彼女は彼にありのままを話した。
「な、なるほど……」
「もうちょっとしたら帰ってくると思うんだけど」
「ようクロノ! やっと学校来たか」
今度はクラスメイトの男子達が気さくにアスモに接してくる。やっぱり皆クロの事を心配していたのだ。
「いやーちょっと熱が引かなくってよー……このまま夏休みに入れるんじゃね? って思ったんだけどな」
クロは風邪をひいて欠席をしていたという事になっている。うんうん、ちゃんと違和感無い会話が出来てる。その調子その調子。
と、突然アスモは立ち上がってクラスメイトの頬に手を添えた。
「ところでお前、よく見るとなかなかいい顔してんじゃん」
「アウトーッ!」
慌ててシロは彼女の腕を引っ張り猛スピードで教室から出ていくとそのまま廊下の角まで連れていった。
「ク、クロは男の子にはキョーミ無いから!」
なぜだかシロは赤面していた。
「いやー悪い悪い、ちょっと好みの顔だったから」
「お願いだから色欲は抑えて!」
「へいへい」
「……」
やっぱり連れて来なければよかったかも……と思ったが、もう遅い。登校させてしまった以上今日一日を何としても乗り越えなければならない。
数学の時間。
「よーし、じゃあ解答を…………ヴォルトシュタイン君」
「はい?」
クロの名前を呼ばれてアスモは聞き返した。
「よろしく」
「……?」
何の事やらさっぱりわからない表情で彼女はシロの方へと視線を送った。シロはジェスチャーで指示を出す。
(前に出て黒板に解答を書くの!)
「……あー……なるほど」
彼女は立ち上がり黒板の前に立つと一次関数の式を省略して解だけをカカッと手早く書くとすぐに席に戻った。
「……正解だけど……式は?」
「え、式? 何それ」
「いや、式は式……」
「ぱっと見りゃわかるっしょこんくらい」
「ア……アウトーッ!」
英語の時間。
「それじゃあヴォルトシュタイン君、次の文章読んで」
「ワラユゥゴォイントゥードゥインディスウィーケンド」
「あら、今日の発音凄いわね」
「アウトーッ!」
体育の時間。サッカー。
「クロノ! ボールそっち行ったぞ!」
「ん? ボール? それをどうすればいいんだっけ? 薫」
「と、とにかく蹴って相手側のゴールに入れればいい!」
「よーし、蹴るんだな。じゃあまずはしっかりキャッチして!」
「アウトーッ!」
「あのね、アスモ、ひとつ言っとくね」
休み時間にシロはまたしても廊下の角にアスモを連れてきていた。
「クロはそんなに頭よくないの!」
「酷い言われ様だな」
「そんなに熱心に授業聞いてないの! もっとだらーっとして! やる気無さそうな感じ! じゃないと不審に思われちゃう」
「お前の方がむしろ不審な感じだった気がするけど。授業中突然立ち上がって叫んだり」
「誰のせいだと思ってるの!」
その時ふたりのそばを通り過ぎようとしていた女子生徒が躓いてこけてしまった。抱えていたプリントの束がそこら中に舞い散っていく。
「おい大丈夫か」
アスモはすぐに彼女の元に駆け寄り手を取ると、肩を抱えて立ち上がるのを手伝う。
「どっか怪我とかしてないか?」
「えっ……うん……」
「ア…………ア……アウトーーーーーッ! アウトアウトアウトアウトーーーーーーッ!!」
「いや、クロちゃんは見過ごす様な子でもないだろ」
「それはそうだけどちっ……近過ぎだしべたべた触り過ぎ! 過剰な触れ合い禁止ーーーーー!!」
そんなこんなで一日は続いた。
「た、ただいま……って誰もいないけど……」
何とかアスモとの学校を乗り切り帰宅したシロは真っ先にリビングのソファーに倒れ込んだ。今日だけで一ヶ月分くらいの疲れが溜まった気がする。
「お疲れだな」
「だから誰のせいだと……」
いきなり彼女がクロの姿のまま女子トイレに入ってきた時は心臓が止まるかと思った。幸いにも誰かに見られてはいない様だったからよかったものの。
「もう絶対に連れていかない。許した私が馬鹿だった」
「俺もずっとこの姿を維持するのは疲れるな。シロ達が普段どんな事をしているのか知れて楽しかったよ。ありがとな」
「……うう……アスモなのに、今の『ありがとう』っていうのがクロに言ってもらったみたいで何かちょっと嬉しかった……」
「……なるほどな……」
アスモは何かを思い付いたのか、うつ伏せになっているシロの顔の近くまで歩いてくるとしゃがみ込んで目線を彼女に合わせた。
「『シロ、いつもありがとな。お前がいてくれて俺は嬉しいよ』」
「…………! ど、どうしたの急に……!」
「いや、クロちゃんの顔と声で言われると嬉しいんじゃないかと思って」
「………………う、嬉しいし、ドキッとす、する……」
シロはクッションで顔を隠した。するとすぐ隣にアスモが腰を下ろす。
「ちょっと迷惑かけちゃったし、この姿のまま膝枕でもしてやろうか」
「…………何それ」
「嫌ならいいけど」
「…………」
シロは無言でうつ伏せのまま体を滑らせた。
「ドキドキドキドキドキドキドキドキ」
何かいけない事をやっている様な気がする。でも欲に負けてしまっている自分がいる。後頭部にそっと何かが触れる。クロの手……もとい、クロの姿になっているアスモの手(前足)だ。彼女はゆっくりとその手で撫で始めた。そわそわと首筋がむず痒くなる。
「な……何て事をしてるの……」
「でも嬉しいんだろ?」
「…………うん」
こんな事、絶対に出来ない。クロとは肌を直接触れ合えないのだから。でも、もしかしたらイヴが呪いを解く方法を見付けてくれるかもしれない。もしそうなったら、いつかこんな事、してもらえるのだろうか……。
「…………」
だんだん意識がぼうっとしていく。アスモの撫で方が上手なのか、疲れている体には心地よい。シロはいつの間にか眠りに落ちていった。
目が覚めたのはどれくらい時間が経った頃だろうか。ぼんやりと開けた視界に真っ先に映ったのはクロの顔だった。いや、変身しているアスモか。彼女は変わらず膝枕をしてくれていた。シロは寝返りを打ったらしく仰向けになっていた。
「……お、目が覚めたか」
「……ずっとこうしてくれてたの?」
「お、おお……まあな……」
「ご、ごめんね、脚疲れたでしょ」
「いや、まあ……」
シロは体を起こして床に立ち上がると大きく伸びをした。
「ん~~~~~~~っ、何だかぐっすり寝ちゃった感じ。ありがとう。もう元に戻っていいよ。ニンジンでもあげるね」
「元に戻る? ニンジン?」
「……あ、ね、ねえ、やっぱり最後にもう1回だけ、その、か、『可愛い』って言って欲しいんだけど……」
もじもじとしながらアスモにお願いする。彼女はどきりとして戸惑った様子を見せていた。
「……え? え?」
「……だめ?」
「………………シ…………シロは……可愛い…………凄く……」
なぜかアスモも赤面しながらリクエストに答えてくれた。本物のクロが恥ずかしそうに言っている様に見えて想像以上にシロは照れる。アスモめ、そんなオプションまで……。
「あら、目が覚めたのね」
……聞き慣れた声がキッチンの方から聞こえた。アスモの声だ。
え? アスモの声?
見ると元の兎の姿でニンジンを器用に前足で抱えたアスモが立っているではないか。え? じゃあここにいるクロは誰なの?
「疲れちゃったから途中で帰ってきたクロちゃんに交代してもらったわ……あら、何だかふたりとも顔真っ赤じゃない」
「…………あ…………ええ……?」
頭にいくつものはてなを浮かべながら状況を整理する。汗がだらだらと全身から出てきた。
「……あ、ああー……なるほどねー…………!」
「……」
ソファーに座ったクロはずっとシロから目を逸らしている。
「…………わ、わた…………私ちょちょっとよ用事思い出したからそそそ外出てくるねさ、捜さないでえええええええ!」
目を白黒させながら少女は窓から空へ飛び出た。
夜更けになるまで帰らなかったそうな。
長らくシロを書いていなかったのでいつもの癖でシロがただ可愛いだけのお話です。
そして最後ののんびり回でした。
次回より完結編です。よろしくお願いします。





