第81話 ソフィアとライア
フェイスも天界に向かう事になりました。
ソフィア・レドナーは神都エル・ソル・ガレムの一角、富裕層が暮らすセブンス・ストリートで生まれ育った少女だった。家族構成は父と母、そして年の四つ離れた弟がひとり。父は天界の中央政府の機関である危機管理局悪魔対策室の室長を務め、母はそんな夫をしっかりと支えるため家事に専念。弟のテオは生意気でいたずらばかりするやんちゃな子であった。
ある日の夕方、母が用事で外出しているにも関わらず家の鍵を持ち出すのを忘れていたソフィアは母かテオの帰宅まで適当に時間を潰そうと思い、普段使っている通学路とは全く違う方向へと散策を始めた。途中で見付けたひっそりとした路地の奥へと進んでいくと、やがて道が石段へと変わる。急勾配を上って辿り着いた場所は高台の上だった。
「こんな場所があったんだ」
見晴らしが良く、遠くにうっすらと巨大な建造物が見える。神様が暮らしているという神宮殿という場所だ。彼女は自分の家がどの辺りにあるのか探してみようと思い柵の近くまで駆けていった。
自分はどの方向から来たんだろう、あっちかな、こっちかなとうろうろきょろきょろとしていると高台の中央付近にある大木の陰に誰かが座り込んでこちらを見つめているのに気が付いた。先ほどそばを通り過ぎたが人がいるとは全く思わなかった。
「……あなた、だあれ?」
「き、君こそ誰だよ、突然……」
「私はソフィア。ソフィでいいよ。あなたは?」
「……ライア」
それがライアとの出会いだった。
この高台はライアのお気に入りの場所で、彼は図書館で借りてきた本をしょっちゅうここで読んでいるとの事だった。人気が全然無く静かだから落ち着いて読めると彼は言う。
「明日もいるの?」
帰り際にそう尋ねると彼は無言で首を縦に振った。
「じゃあ明日も来ていい?」
「……別にいいけど……僕の家って訳じゃないし……それより何で明日も来るの……?」
「いい景色だから!」
それからソフィアは毎日の様にこの高台に通う様になった。ライアも同じく毎日木陰に座って本を読んでおり、彼女は遠くを見ては行った事の無い街に思いを馳せたり、彼の読んでいる本を横から覗き込んで一緒に読んだり、彼から本から学んだ知識を教わったりしていた。同い年という事もありふたりはあっという間に打ち解けていった。
「よくそんなに色んな本を読めるね……疲れないの?」
「……君こそ柵の近くでふらふら行ったり来たりしてるじゃないか……僕からしたらそっちの方が疲れそうだよ」
「学校の成績よさそう」
「まあ……悪くはないと思うけど」
ライアは恥ずかしそうに少しうつむきながら将来について語った。
「……大人になったら母さんに楽させてあげたいんだ……だからしっかりした仕事に就くために色々勉強する」
「へえ~、凄い!」
「……凄いのは君の方だよ……」
「?」
「な、何でもない」
焦る様に彼は持っていた本のページを捲った。
ある日学校で彼と出くわした事があった。同じ学校だという事は知っていたが生徒数が多く、教室のある階が違う事もありそれまでなかなか見かける事は無かったのだ。嬉しくなって彼女は彼を呼び止めた。
「ライア」
「! ……や、やあ」
「ほんとに同じ学校だったんだね」
「……そ、そうだね……それじゃ……」
「あ、ちょっと待ってよ」
素っ気無く立ち去ろうとするライアの腕を掴んで引き留める。彼はびくりと反応しその手を強引に振り払った。
「わっ!」
「あ……い、急いでるから……!」
少しだけ心配する素振りを見せていたが結局彼はそのまま走り去ってしまった。
「……何よ、ライアの奴……」
「ソフィ大丈夫?」
むっとして頬を膨らませる彼女にふたりのやり取りをたまたま見ていたクラスメイトのひとりが声をかけてくる。コルルという女の子だ。
「今のってもしかしてライア・レオニス?」
「え? うん。そうだけど」
「……何か、あんまりいい噂聞かないんだよね。あいつと同じクラスの友達から聞いたんだけど、お金のために色々悪い事してるとか」
「え? 悪い事って何?」
「さあ? でも顔にも傷があるし目も鋭いし何か怖い。いっつもひとりみたいだし」
確かに彼の身なりには見窄らしさがあるのは否めなかった。服はよれよれで髪もぐしゃぐしゃ。とても清潔感があるとは言えない。顔の傷は昔怪我をした跡だと本人が言っていた。しかしだからと言って彼女の言う様に怖い男の子という訳ではない事をソフィアは知っていた。
「そんな事無いよ。いっつも本読んで物知りなんだよ」
「その本ってどこかから盗んできた物だったりして」
「違うよ、あれは図書館から借りてきてるんだよ」
誤解を解こうとするもコルルは聞く耳を持たず、そのまま時間は過ぎてしまった。
その日も高台にはいつも通りライアがいた。ソフィアが学校での態度はどういう事だったのかと詰め寄ろうとしたら開口一番に彼は謝罪の言葉を口にするのだった。
「……ひ、昼間はごめん……」
「! ……怒ろうと思ってたのに……」
「……学校ではあんまり僕と話さない方がいいかと思って」
「……何で?」
「……その……みんなあんまり僕と話したがらないんだ……だから君が僕と話したりしてると君の方に迷惑がかかる」
「みんなライアと直接話したりもしてないのに?」
「……ソフィ」
彼は本をぱたりと閉じて立ち上がり、柵の方へと向かう。
「こっちが君が住んでるセブンス・ストリートがある方……で……」
説明しながらぐるりと柵に沿って歩いていき、反対側で立ち止まる。
「こっちが僕が住んでるデブリ地区がある方……こっち側は貧民街って呼ばれてるエリアがある。僕の家は多分まだマシな方だけど……僕らの学校には君が暮らしてる富裕層エリアからもたくさんの人達が通ってる。その中には僕みたいな奴をどうしても好きになれない連中もいるんだ」
「……よくわからないわ」
「……とにかく、ここ以外で僕と話すのはやめた方がいい」
「ライアは嫌なの?」
「……うん。言っただろう? 僕は静かなのが落ち着くんだ。君のお父さんは政府の偉い人だし、結構目立ってるんだよ、君。君と関わりがあるんだと知られたら変に茶化されたり、騒がれたりするかもしれないし……」
「……ライアがそう言うなら……」
納得はいかないがソフィアは渋々了承した。
ふたりはそれからも高台の上でひっそりと交流を深めていき、やがてソフィアは次第に彼に惹かれていった。見た目がどうだろうが家が貧しかろうが関係無い。冷ややかな視線を浴びながらも未来を見据えてひたむきに生きている彼の姿が彼女には魅力的に見えた。木陰で黙々と本を読んでいる彼の横顔を隣で見るのが好きだった。木の葉が彼の頭の上にひらりと落ちてきた時、取ってあげようとしたらびっくりして戸惑う彼の姿が可愛かった。いつの間にか彼女は恋をしていた。
そして、あの夜が訪れた。
突如開けられた扉の音で彼女は目を覚ました。母が泣き叫ぶテオを連れて必死の形相で彼女の部屋に飛び込んできたのだ。
「ソフィ! 外へ出て!!」
「……!? ど、どうしたの……!?」
「いいから早く!!」
言われるがままに彼女は窓から外へと飛び出した。直後に母の悲鳴が聞こえ、振り返ると彼女がつい先ほどまで寝ていた部屋には母と弟の他にもうひとり、知らない男が入ってきていた。その手には小刀が握られている。
「……っ!! ……か、母さん……!!」
「逃げなさい!!」
そう叫んだ次の瞬間、電源が切れた様に母はその場にくずおれた。テオの泣き声も聞こえてこなくなった。
「あ……ああ……!!」
彼女に言われた通りにソフィアは家から離れていく。しかし恐怖から上手く翼を動かす事が出来ず100mも飛ばない内に半分落ちる様な形でふにゃりと体勢を崩して着地をした。その場にへたり込んだ体はがくがくと震える事しか出来なかった。何が何なのかさっぱりわからない……! 父はどうなったのだ……?
息が詰まりながら顔を上げるとまたしても信じられない光景があった。なぜか街灯の下にライアがまたも見知らぬ男と共に立っているではないか。
「……ライ……ア……!? な……何で……ここに……!?」
「…………はっ、ははははっ…………!」
奇妙な事に彼は笑っている。彼女の好きだったあの顔はどこにも無い。
「僕が……! 抜け穴を利用して君の家のセキュリティーを解いたからだよ……! ははっ、はははは……!」
「……え……!?」
思い当たる節が彼女にはあった。以前彼を家に招待した時、ふとした事でそんな話題になったのだ。今まで築いてきた何かががらがらと壊れていくのがわかった。
「……何を……言ってるの……? ちょっと待って……! ……何を言ってるの……!?」
「はは、ははははははは……!」
ライアはずっと笑っている。これが本当の彼の姿なのか。理解が全く追い付かない。思考がまとまらないでいた。
そんな彼女を追って母と弟を手にかけた男がぐんと迫ってくる。小刀の刃先は赤く濡れていた。
「……ひ……ひいっ……!」
自分も殺される……! だが彼の動きが不意に遅くなった。彼女の父が後ろから死に物狂いで止めようとしていたのだ。ふたりはそのまま取っ組み合いになり父が男を殴り飛ばした隙に動けなくなっていた彼女を抱えて逃げ去る。立ち上がった男は彼女の家から出てきた仲間と合流して後を飛んできた。
「いい……かいソフィ……」
父は傷を負っていた。息も絶え絶えの状態だがそれでも彼女に語りかけてくる口調は平静を装っていた。
「今から君を……『門』……へと連れていく……!」
「……!? ど、どうして……!?」
「それが……一番安全だから、だ……!」
「い……嫌……! 何で……!? 何でこんな事……!」
「……お願いだから、駄々をこねないでおくれ……!」
父の腕の中でじたばたと抵抗するもやがて彼女は異界への門の前まで連れてこられた。門は郊外の山にある洞窟内に存在し、永きに渡って厳重に管理、監視されてきた。父は最後の力を振り絞って何重にもかけられた施錠機構を外していく。そして最後のロックを解除した時、ソフィアの目の前には広い空間の奥にぽっかりと空いた暗黒の怪しい穴が映った。魔界へと続く次元の歪みだ。
「さあ、行くんだソフィ……!」
「と……父さんは……!?」
「父さんは……一緒には行けない……!」
ソフィアを下ろした父の背後に男が襲いかかっていた。彼女は思わず目を瞑り無意識の内に後ろへと下がる。と同時に、徐々に徐々に抗い切れない力に吸い寄せられていく。
「あ……! ああ……!!」
先ほどからライアの笑みが頭に焼き付いて離れなかった。どうして……どうしてこんな事に……! 視界と共に彼女の思考も歪んでいく。畜生。みんな死んだ。父さんも母さんもテオも。みんな殺された。畜生。いつか必ず復讐してやる。畜生。畜生……!
「着きましたよ」
「……これほどまでに瞬時に……この転送装置という物ははどこにでもあるのでございますか?」
「ううん、全然。限られた大都市にしか無いですよ。神都だとこことあとは神殿……魔界で言う所のシロちゃん家……かな……? ぐらいです」
ソフィア・レドナー改めフェイスはフィリアンヌに連れられる形で天界の神都にある研究所へと来ていた。神宮殿内にある物とはまた別の施設だ。八年振りに帰ってきた。こんな形で戻ってくる事になるとは思ってもみなかった。フィリアンヌが職員に話を通してふたりは無事に施設の外へと出られた。
「まずは鉄道を使いましょう。テロのせいで途中で止まってるからそこからは飛ぶ事になります」
「……フィリアンヌ殿、その事なのでございますが」
「はい?」
これからの行動を話すフィリアンヌに対し申し訳無く思いながらも周りに人がいない事を確認してからフェイスは彼女の額に掌をかざした。
「ペレス」
「……! な、何を……! …………」
意識を失い倒れそうになった彼女を受け止める。魔術をかけて眠らせた。続けて脳内から言語や地理情報を読み取る。
「……申し訳ございません、お嬢様……フィリアンヌ殿……私は、嘘をついてしまいました……」
フィリアンヌを研究所の扉のそばに寝かせるとフェイスは翼を広げた。長い間己にかけていた術を解く時が来た。彼女の黒かった翼は瞬く間に本来の純潔な色に戻っていく。
「ライア……わたしはお前をこの手で殺す……!」
憎しみを瞳に宿し、フェイスは故郷の空へと飛び立った。
このエピソード、作中で一番暗いと自覚はしていたのですが、書いてると思ってたよりも暗くて書きたくなかったです(おい)。





