第70 七十話 君にこの声が届きますように。
雷を吸収して巨大化したクロ。彼を元に戻すためにシロ達は協力する。
「鬼さんこちらってな!」
機翼を羽ばたかせ空を翔ける竜斗。クロが彼を捕まえようと飛びかかった時、彼は仲間からの合図によりぐるりと身を反らして急上昇を始めた。
「おおっと!」
獣は勢いのままに運動場のフェンス……いや、見えない壁に激突する。この場を覆っている結界だ。
「単純だなお前!」
「おい! ガキ共は引っ込んでろ!」
上空に浮遊している三人に向かって地上からサタンが叫んでいた。
「そいつは俺が何とかしとくからおめえらはとっとと隠れとけ!」
「猿が何言ってんだか」
「大丈夫だよお猿さん。私達で何とか出来るからお猿さんこそ隠れてなよ」
「なあにいっ!? ムッキ~~~~~~!」
サタンの体はむくむくと大きくなった。怒れば怒るほど体が大きくなり、また力も強くなる。それがサタンの能力だ。
「馬鹿にすんなっ! 俺はエリシア家に仕える高貴な魔獣だぞ! てめえらよりもずっと永く生きてんだぞ!」
「あっはっは! 可愛い~~!」
「かっ……可愛い……だと……!? この、俺が……!?」
「! 亜沙美っ! 後ろっ!」
「え? !」
サタンを見て笑っていた彼女をクロの巨大な手ががしりと掴んだ。突然の出来事に亜沙美の顔は一瞬にして苦痛で歪む。
「うっ……! ぐくくっ……!」
「馬鹿野郎っ! だから言っただろうがっ!」
「亜沙美!」
すぐに竜斗が彼女を掴んでいる右手に飛び付く。無理矢理開こうとするがびくともしない。
「おい! 亜沙美を離せ! このっ……!」
「竜斗!」
そうしている間に今度は彼が勢いよく伸ばされたもう一方の腕ではたき落とされてしまった。
「ぶっ!」
「竜斗おっ!」
晴喜も亜沙美の救出に向かう。力では無理だと判断した彼はクロの目の前を飛び回り、気を逸らす手段に出た。だがクロはぶんぶんと左腕を振り回すだけでなかなか彼女を離してくれない。そうこうしている内にも彼女の細い体はどんどん握り締められていく。
「うあああああっ!」
「くっ……! やめろって言ってるだろ!」
やむなく彼はクロの太い首に殴りかかった。シロの友人であるためあまり手荒な事はしたくなかったのだが、この際そんな事を言っていられない。
クロは殴られた首を何事も無かった様に動かして振り向くと、鋭い目で晴喜を睨み付けた。そのあまりのおぞましさに彼は思わず身震いをする。本当にこの巨大な獣の中にまだ、人としての心が残っているのだろうか……。
次の瞬間、彼の体は鉄槌の如く振り落とされた右腕によって亜沙美もろとも地面に叩き付けられた。
「がはっ!」
「こ、の、や、ろおおおおおおおおおっ!」
見るに堪えなくなった剛猿がどかどかと足音を立てて真正面からクロの腹に突っ込んでいった。獣は怯んで動きを止める。右手が緩み、亜沙美がようやく解放された。
「あ……亜沙美!」
「ごほっ……は、晴喜……」
「動けるか?」
「う、うん……」
ひとまずこの場を離れようと晴喜は亜沙美の腕を掴んで飛び立とうとした。しかしその時、彼が背負っている機翼が突如異音を立てた。
「!?」
続けて金属の羽根が数枚、ぼろぼろと抜けていく。先ほど地面に背中から叩き付けられた衝撃で壊れてしまったのだ。
「き、機翼が……」
一方、一匹突進したサタンは倒れたクロに馬乗りになり、起き上がろうと激しく抵抗する彼を無理矢理押さえていた。いまやサタンの体はクロに匹敵するほど大きくなっている。だがそれでも力はクロの方がまだ強いらしく、徐々に押し返されていた。
「ウガアアアアッ!」
とうとう払いのけられてしまうがすぐに体勢を立て直し、再び真正面からクロに挑む。迫り来る彼の胴体を両腕でがしりと受け止めた。二匹の獣は互いに眼光をばちばちと迸らせている。
「ウキイイイイイッ……!!」
全体重をクロにかけるが、それでもじりじりと足が滑っていく。まだ、まだ力で負けている。体躯の差も完全には埋まっていない。全力のサタンに対してクロも同じく全力で向かってきている手応え。ならばここで……。
サタンはぐいとクロをいなし、そのままぐるりと地面に投げた。受け身が取れなかったクロはなされるがままに倒れ込む。そして再び馬乗りになったサタンに、大気を震わせるほどの唸り声を上げた。その気迫にサタンは全身の毛を逆立たせた。
なっ……なんつー気迫だ……! つい怯んでしまったその一瞬の隙を突かれて攻撃を受けてしまう。電流がバチバチバチと彼の体を走っていく。
「ウガッ!」
数メートル殴り飛ばされてしまった。
「ウッキィ……!」
間髪を入れずに今度は逆にサタンがクロにのしかかられた。クロの標的が完全に彼になったのだろう。クロは一心不乱に電撃を浴びせてくる。
「ちっ……ちくしょう……! お前がシロのダチじゃなかったら俺だってもっと暴れてやるのに……!?」
取っ組み合っているサタンの耳に甲高い音が飛び込んできた。竜斗が機翼を使って彼らの周りを飛び回っていた。
「お前っ……! 逃げてろっつったろガキ!」
「そんな事言いながらボコボコじゃねーか猿!」
「お前こそ自分の面見ろ!」
気に障るのか、クロが竜斗に反応を見せ始めた。
「いいか! あいつが言ってただろ! 協力だ! お前は地上から! 俺は空からだ!」
「いや、僕達は空から! だ!」
晴喜も加わる。
「晴喜! お前機翼ぶっ壊れたんじゃねーのかよ」
「ああ壊れた! だから亜沙美のを借りてる!」
「亜沙美は?」
「端っこで兎と一緒だ……おっと!」
「ウキイイイイッ! またぶん殴られても知らねーぞ! お前ら!」
「……よしっ」
第二クラス棟屋上。シロは三本目の導線を元となったオリジナルの導線に固く結んだ。これ以外に二本マモンによってコピーされ、魔術でしなやかになった導線がとぐろを巻いている。これで最後だ。あとはこの建物の目の前までクロをおびき出すだけだ。
「それじゃあ、ちょっと行ってきます」
「うわっと!」
「! おい竜斗!」
空中でよろめいた竜斗の腕を晴喜は思い切り引っ張る。ギリギリでクロの攻撃を避ける事が出来た。
「さっきからどうしたんだよ! 動きがおかしいぞ!」
この短い間にもう何度目かの事である。
「わかんねえけど、機翼の調子が悪い!」
「危ないからお前も亜沙美のとこに行ってろ!」
「お前ひとりに任せられるか!」
言い合っている内に伸びてきた獣の腕をひょいとかわす。
「ウキイイッ! 足元がガラガラだぜ!」
その隙に地上からサタンが攻撃していた。
「ルシフー! 結界を拡大してー! 校舎までクロを連れ出すからー!」
その時、運動場の外、結界の外側からシロが声を張り上げたのが聞こえた。それに気付いたルシフはバサリと羽を一度動かした。結界の範囲が広がったらしくシロが飛びながら運動場へと入ってくる。
「お願い! みんなでクロを連れて来て! 私が案内するから!」
「わかった! 君に付いて行けばいいんだな!」
「よおしこっちに来い電気犬!」
「犬なのか?」
「知るか! 猿も行くぞ!」
「何い!? 俺は……! 走るのが苦手なんだよおおおっ!」
ふたりと一匹は数メートル先を飛ぶシロ目がけて動き出した。クロは後を追う様に付いてくる。先頭のシロは度々こちらを振り返り、気にかけてくれていた。
やがて第二クラス棟が見えてきた所でシロが一旦動きを止めて滞空した。
「ここまで連れて来てー! そしたらあとは私が何とかするから、みんなはすぐに離れて!」
そう言い残して上昇し、クラス棟の屋上へと向かって行った。そこに何かがあるらしい。
「よし! もう一踏ん張りだ!」
「頑張れよー猿!」
「おっ、お前らっ……ぜいっ、ぜいっ……ば、馬鹿にしやがって……!」
すると突然晴喜の隣から竜斗の姿が消えた。
「!? 竜斗!?」
高度が急激に下がったのである。すぐに上昇をするが、またぐんと下降する。ふらふらと、見ていて危うい動きになっていた。
「き、機翼が言う事聞いてくれねえ!」
「故障か!? ……もしかして電磁波!? クロから電磁波が出てるのかも!」
「そういえばさっき、こいつを先生の所に連れて来る前に戦った時もこんな感じになってた! やばいやばいやばいやばい!!」
竜斗の機翼は完全に制御を失ったらしく、彼は急降下……いや、落下を始めた。重力に逆らえず身動きが取れない彼にクロの手が伸びる……。
「ウキイッ!」
すんでの所でサタンがぴょんと飛び跳ね、尻尾でそれを弾くと落ちていく竜斗を抱きかかえてどかっと着地した。よろけながらも何とかそのままどたどたと再び走り始める。それを見た晴喜は安堵の息を漏らした。
「ふうっ、よかった……」
「サッ……サンキュー猿! マジで助かったっ! 感謝するぞ!」
「だったらいい加減その呼び方をやめろ!」
「おう! ありがとなサンタ!」
「サタンだ!」
そしてふたりと一匹はシロが示した校舎の前までクロを連れて来る事に成功した。
「今だ!」
屋上から地上の様子を窺っていたシロは、頃合いを見計らって既に空中に浮かせていた三本の導線をクロに向けて放った。
「みんなは下がって!」
「あ、ああ!」
「おうっ!」
晴喜は校舎にぶつかる寸前で上昇し、サタンは竜斗を抱えたまま大きく横に跳んだ。一匹になったクロの周りをしなやかな導線が舞い、やがて生きている様に一斉に襲いかかると彼の全身を締め付けた。束縛して動きを封じると共に、帯びている電気を強制的に放出させる作戦だ。
「ウガアアアアアッ!」
クロの唸りが、シロには悲鳴に聞こえた。
「ごめんっ……! ごめんねクロッ!!」
彼の体は激しい反応を見せていた。いくつものプラズマ放電が起こり、火花が弾けては消え、弾けては消えを幾度となく繰り返していた。やがて獣の姿が崩れていき、輪郭が再び失われていく。
「クロ……クロッ!」
シロは必死に叫んだ。どうか、どうかそのまま消えてしまいません様に。あなたにこの声が……想いが届きます様に。
ぼやけてはいるが決して消えてはいない。今、きっとクロは戦っているんだ。文字通り、存在と消滅の狭間で。
「クロ……お願い消えないでっ!」
放電は徐々に弱まっていく。電気エネルギーは収束を始め、そこには先ほどまでとは違う輪郭が形作られていく……人の、姿。少年の姿。シロがよく知っている、ずっと見てきた、愛しい人の姿。
「……っ……! あっ……! ……ああ……あ………………クロ……!」
涙がぽろぽろと零れてきた。拭っても拭っても、止まらない涙。いても立ってもいられなくなった少女は。
「……クロォッ!!」
衝動的に跳び下りて中空に還ってきた少年を力強く抱き締めた。





