第68話 神鳴
存在が揺らいでしまったクロは、いずこかへと走り去ってしまう……。
シロは急いで走り始めた。廊下はしばらくは一本道になっているので来た方向へと戻っていく。分かれ道に差し掛かった時、さてどちらかと考えていると突如悲鳴が聞こえてきたため、声のした方へと足を向けた。
声の主は晴喜だった。壁にぴたりと張り付いてがたがたと震えていた。
「晴喜さん!」
「! シロ! さ、さっき凄い奴が……!」
「もしかして、光の獣……ですか!」
「そ、そうそう! そんな感じ! ばちばちいってて……!」
「このまままっすぐ行ったんですね!」
「あ、ああ! ……って、もしかして追ってるのか!?」
「はい! クロなんです!」
「ク、クロって君の友達の!? ひ、人じゃなかったの!?」
「人です! クロは私の大切な人!」
言い切った途端に何だか凄く恥ずかしい事を言ってしまったのではないかと顔を赤らめつつ彼女はクロの後を追う。
この先は分かれ道は無かった。おかげで遠くにクロの姿を見付ける事が出来た。シロは助走をつけて軽く跳ねると翼を展開し、変わり果ててしまった友人の背中目がけて飛んでいく。
「クロ!」
やがて先の方に行き止まりが見える。いや、扉だ。クロはそれを突き壊して奥へと進んでいく。階段がある様だ。地上への出口だろうか。一旦着地しシロも続いた。
「ここは……?」
同じく扉が壊された出口から地上へと出る。真っ暗で何も見えない。魔術で明かりを灯してみた。
そこは天井の低い小さな部屋だった。物は何も無い。奥にさらに上へと続く階段が見える。シロは足元に気を付けながらその部屋を抜けた。今度は狭い通路……。
……どこか見覚えがある光景だ。
「! あ……」
通路の先にようやく広い空間が現れた。先ほどとは違い、やたらと高い天井。ここがどこなのか彼女はようやく理解した。中等部の体育館だ。こんな所と繋がっていたのか……そういえば、地下に卓球部が昔使っていた部室が残っているとかいう話があった様な気がする。卓球場が出来たからそっちに移動して、それから少しの間物置きになっていたけど入り浸る生徒が出てきたから鍵をかけて封鎖したとか何とか。
「クロ……」
クロは二重扉の内側の鉄格子を体当たりで何度も壊そうと試みていた。だが先ほどまでの物とは違い、さすがに簡単には突破出来ずにいる様だった。にも関わらず、何度も何度も挑んでいる。その度に自分の体の一部が一瞬揺らいでも決してやめようとはしない。
「何とも痛々しい光景だね」
「ひゃっ!」
背後からの突然の声にシロはびくりと肩を震わせ振り返った。指先の光に印堂の顔が照らされて浮かんでいた。
「……び、びっくりしたあ……付いて来てたんですか……」
「そりゃあ、私もクロノ様が気になるからね。でも、もうひとつ気になる対象が見付かったよ」
彼はがしりとシロの細い腕を掴む。
「きゃっ」
「君のその手はどうなっているのかなあ。どうして指先に光が灯っているんだろう」
「! そ、それは……」
「やめて下さい。怯えています」
印堂の背後に更なる声。クロが捕らえられていた部屋にガラスを挟んで印堂と一緒にいた女性だ。
「ごめんなさいね。この人頭おかしいから」
「ありがとうマリア君」
「褒めてません」
「いやすまなかったね。あまりにも珍しかったもので」
彼は手を離す。
「……クロを元に戻すのを手伝ってくれるんですか」
「んー、別にどっちでもいいかな。ただ経過が気になってね」
「……だったら邪魔はしないで下さいね」
「ところで、元に戻すって、どうやって元に戻すんだい」
「どうやってって……どうにかしてです」
「今のクロノ様はおそらく君の事を君として認識していないよ」
「……それでも、やってみなくちゃわかりません」
「……ふむ、まあ確かに何事も実験だよね」
「……クロ!」
館内に響き渡るシロの声に獣はぴくりと反応した。ほら、やっぱり私だってわかってるんじゃ……だって私達、たくさん一緒に過ごしてきたもんね。
しかし次の瞬間、クロは唸りながら彼女へと突進してきた。慌ててシロは避ける。印堂達はいつの間にかステージの上に避難していた様だ。
「クロ! 私だよ! シロ! ねえ、わからないの!?」
「ウガアアア!」
今度は避け切れなかった。正面から体当たりを受けてしまい、彼女は床に転がり込む。その上にクロは容赦無く飛び乗ってきた。特に腹部にずしりとした衝撃。思わず吐き気を催す。
「うぐっ!」
両腕を前脚で押さえ付けられ身動きが取れない。唾液を垂らしながら鋭い牙が今にもシロの顔を突き刺そうとしていた。背筋に悪寒が走る。
「ひっ……!」
ぞっとしながらも首だけ動かして間一髪でかわせた。何これ、クロは今私を食べようとしているの……? 私の事、どう見えているの……。
「……っ! ごめんっ!」
手首を何とか捻ると、指先をクロへと向けた。
「ウォーブル!」
呪文と共に風が吹き、クロは後方へと飛ばされた。この間に急いでシロは体勢を立て直す。
「ごめん……ごめんねクロ……! ……来なさい、ルシフ!」
召喚札を用意し声高らかに臣獣を呼び出す。札の中からぼわんと現れたのは七聖獣の筆頭、自信家の孔雀、ルシファーである。
「七聖獣が筆頭、ルシファー、ただいま参上仕りました」
「クロの周りに結界を作って。しばらく閉じ込めてて欲しいの」
「クロ……? まさか、あの獣があの天使の少年ですか?」
「詳しい事は省くけど、クロを元に戻す方法を考える時間が欲しいの」
「御意」
ルシフがバサリとカラフルな翼を広げ、クロの周りを取り囲む見えない結界を張った。クロは動転した素振りを見せ、今度は自身を閉じ込める透明な器に体当たりをし始める。
「むう……凄いエネルギーですね。結界を通じてひしひしと伝わってきます。これはあまり長くは保たないかもしれません。シエル様もご存知だとは思いますが、私の結界は外側からの圧力には決して負けませんが、内側はやや強度が下がるのです」
「ええ、わかったわ」
この場はルシフに任せ、彼女はステージの上で傍観していた印堂達の元へと舞い戻ると深々と頭を下げた。
「お願いします。クロが元に戻る方法を一緒に考えて下さい!」
「……嫌だと言ったら?」
「……力尽くで言う事を聞かせます」
「いやいや、それは怖いねえ」
「……あんまり手荒な事はしたくないんです。でもクロのためなら……」
「それで勢い余って私を殺してしまったら元も子も無いだろうに」
「! そ、それは……!」
「やれやれ……まあいいだろう」
「ほ、ほんとですか……!?」
「いいよ。でもひとつ条件がある」
「……何ですか……?」
「君、悪魔だよね」
「……はい」
答えを聞いた印堂の顔が怪しく歪んだ。
「成功したら、君のその体を調べさせてもらってもいいかなあ」
「……わかりました」
「……グッド」
彼はフロアーで見えない結界と戦っているクロへと視線を移した。シロも一緒に目をやる。
「君は、クロノ様のあの状態について何か知っている事は無いのかい」
「ええと、確か……存在が揺らいでいる……とか何とか。今のクロは電気エネルギーの塊になってしまってると思います」
「ふむ、やはりそうか。感情が高ぶる事が引き金になる、という事でいいのかな」
「はい。多分……あの状態がずっと続いたら、クロは……そのまま消えてしまうのかも……しれません」
自分で言いながらそうなってしまう結末が頭によぎり、シロは思わず嗚咽を漏らすまいと口を塞いだ。その時肩にそっと手が添えられる。マリアが安心させる様に優しく撫でていた。
「大丈夫よ……そうならない様にこれから頑張るんでしょう」
「……という事は、自然に元に戻るのを期待するのは難しいかもね」
「それはどうしてですか」
「感情の高ぶり―――まあ負の感情だろう―――がきっかけになる事はわかったよ。という事は怒りの対象が無くなれば自然とその感情も弱まっていくはずだ。だけど今回クロノ様がああなってしまわれた原因はご自身にある。クレア様を救えなかったご自身への憎しみ……それはいつまで経っても消える事は無い。それこそ自分自身が消えて無くならない限りはね」
「刺激したのは先生ですけどね」
「うぉほんごほんっ」
印堂はわざとらしく咳き込む。一方、シロは彼の話の中に出てきたクレアという名前が気になった。誰だろう。しかし今は尋ねている場合ではない。
救えなかったって事は、その人は今は……? あー、私が知らないクロの事、まだまだたくさんある……。
「電気エネルギーの塊……存在が揺らいでいるという事はつまり、まだ元の肉体に戻る可能性もあるという事だ。私も君も先ほど物理的に掴まれた。定まってはいないが、流動する電気が疑似的な体を形作ってはいる。薄まってはいるがまだベースには肉体が残ってるはずだ。揺らぐ体……放電……発電と放電を果てしなく繰り返している状態なのでは? 言ってみれば肉体が電気の鎧を纏っている様な感じだ。このまま帯電量が大きくなればやがて自身すら弾けて消し飛ばしてしまう程の放電が起こるのだろう。だけどまだ適度に小さな放電を繰り返して帯電量を一定に保っているからそこまでには至らない」
「はあ……」
彼が何を言っているのか、シロにはあまり理解出来ない。
「つまりだ。放電量を発電量よりも大きくすればいいんじゃないのかな。でも一瞬じゃ駄目だ。しばらくの間続かないと意味が無い」
「あの、どういう事ですか」
「単純に、電気を生み出す量よりも消費する量を大きくしましょうって事よ」
マリアが補足する。
「そうすれば生成が追い付かなくなって、帯電量が減っていく。すると……」
「揺らいでいた肉体が安定し始めるんじゃないかって事だ」
「なるほど……」
何となくわかった。
「……で、それをやるにはどうすれば……」
「電気を吸い取る魔術とか無いのかい」
「……私の知っている限りではありません」
「んー、じゃあ単純に、導体に放電させ続ける……くらいしか浮かばないなあ。よく電気を通す物にしばらく触れさせるって事だね。地味だけど」
「金属とかですか?」
「この辺りにある物だと……そうだ、ちょうどこの体育館の屋根に設置してある避雷針とかはどうだろう。しかしそこまで連れて行かなければいけないけど」
「それに、ずっと押さえておかなければいけないリスクがあります。やはりまずはどうにかして大人しくした方がいいのでは……」
「それもそうだね……!」
彼は何かを察知した。
「どうしたんですか?」
「……様子が変わった」
「え?」
つい先ほどまで暴れていたクロだったが、今はぴたりと動きを止めて静かに佇んでいた。そして徐に高く鳴き始める。
「……遠吠え……?」
「……何かまずい予感がする……ちょっと外の様子を見たいのだけど」
「あ、はい」
シロはステージから跳び下りると体育館の扉を壊し、ふたりと一緒に外へと出てみる。
「……神の怒りとやらに触れてしまったのかもしれない」
「何が……!?」
印堂につられて上空を見る。空は晴れて月も出ているというのに、三人の遥か頭上……体育館の上空にだけ大きな暗雲が立ち込めていた。
「……か、雷雲…………!?」
「飛べっ!!」
「ルシフッ! 早く外に……!」
直後、一閃の稲妻が大地を震わせた。
ほんとサブタイのセンスが無くてすいません。





