第66 ⅬⅩⅥ話 ゆらぎ
クロは印堂から機翼の研究についての話を聞き出す。
二対の翼が空を翔っていた。一対は冷たい無機質な翼、そしてもう一対は艶めかしい漆黒の翼。ふたりは夜に紛れて人々の上空を進んでいた。晴喜の後ろを付いていく内に、シロは景色が見覚えのある物へと変わっていく事に気が付いた。
「着いたよ」
彼が前方を指差した。
「……! え……? が、学校……?」
そこは彼女がよく知っている場所だった。
「おや、心拍数が増加してきましたね」
印堂はクロに付けられたケーブルが繋がっている装置のディスプレイを見ていた。
「電極の反応も増えてきました……どうやら心拍数と発電は関係している様ですね……すみません、話が逸れてしまいました」
こほん、と彼は咳払いをひとつして続ける。
「ハイディルタスで研究されていたもの……それは人工生命体です」
「!? 人工……生命体……!? ……命を作り出そうとしてたってのか……?」
「はい……正確には、限り無く極小な生体からスケールの大きい生体へと進化させる……という物です」
クロはあまりの衝撃に言葉を失った。生命の創出……いや、進化……? それが、今までずっとひた隠しにされていた事。
「もちろん無から生み出す事など不可能です。厳密には加工生命体と言った方が正しいのかもしれませんね。様々な検体……細胞を用いました。人のはもちろん、動物の物も……中でも大いに役立ったのが悪魔の細胞です」
「! 悪魔の細胞……ど、どういう事だ」
「悪魔の細胞には不可思議な力……魔力が染み込んでいますからね」
「そうじゃない。そもそも悪魔の細胞をどうやって手に入れたかって事だ! 収監されてる連中の細胞を使ったのか?」
天界には境界で捕らえられた悪魔が収容されている施設が存在する。
「いえ、その前の段階です。境界で発見されて、まずハイディルタスに連れて来られるのです。収容所に行くのはその後になります。例外もありましたが」
「例外……」
「収容する必要が無くなった、と言っておきましょう」
「……っ! そんな……そんな事……! 父ちゃんも、母ちゃんも知ってたってのか……!?」
「当時の神様と皇妃様はそこまではご存知ではありませんでしたよ。あの件の後に神命で調査が入ったので今の神様は全てを把握されていますがね」
「……!」
姉貴が隠してきたのはこういう事だったのか……! クロはぎりぎりと歯ぎしりをした。行き場の無い感情で体が震えているのがわかる。
「やがて私達はついに新たなる生命体を作り出す事に成功しました。とても人の形なんて物ではありませんでしたが、しかし意思の疎通は出来ました。学習能力もありました。私達は『それ』に様々な知識を与えてみました。『それ』は私達の言語を理解していました」
淡々と印堂は語っていく。
「そしてその成果を神様にご覧になって頂こうとしたあの日、事故は起こりました」
どくん、とクロの心臓が再び激しく鳴った。嫌な汗が噴き出してくる。知りたい……そう思う一方で、聞きたくないと思う自分がいる。聞けば、思い出してしまうから。
「ちょうどお三方が研究所を訪れていらっしゃった時、『それ』は突如暴走を始めました。収容していたケースを破壊し、研究所内を暴れ回り……あの爆発はそれが発端です。薬品同士の化学反応が起こったのでしょう」
クロの脳裏に燃え盛る研究所のイメージが沸き立つ。業火に巻き込まれる父と母の姿……そして、クレアの泣き叫ぶ顔。
どくん。
やめろ、想像するな……彼は強く目をつぶった。
「おおっ!?」
印堂が突然甲高い声を上げる。
「また大きな反応が! 精神に強い負荷が加わればその分大きな反応が表れる、そういう事ですね! 面白い……実に面白いです……!」
「あんたは……」
呼吸を整えてからクロは口を開いた。
「あんたは何も思わなかったのか……? 何も思わずに、そんな……そんな、悪魔を犠牲にした研究をやってたのか」
「何も思わないなんてそんな事はありませんよ。好奇心を持って携わっていた訳ですから。こうしたらどうなるだろう。次はああしてみたらどうだろう。そんな事ばかり考えていましたよ。あ、検体に使用したのは天使もです」
「! ……やっぱりあんたはクズだ。あんたが……あんた達がそんな研究なんかしなかったら、父ちゃんも母ちゃんも……クレアも死ななかったんじゃないのか!」
この四年間ずっと心の底に沈めていた気持ちを吐き出した。あれは事故だ……そう割り切ろうとしても、解せない自分がいる。
「結論からいうと、そうですね……私も人ですからね。あなたに対して後ろめたい気持ちが無いと言えば嘘になるかもしれません」
「! ……ぐっ……!」
どくん、どくんと心臓が脈を打つ。精神がざわつき始める。気持ちを抑えようとするが、抑え切れなくなっていく。
「あいつが……! あいつが一体どれだけ苦しんで死んでいったのか……あんたにはわかるのか!」
「クレア様、ですか」
「そうだよ! 妹だ!」
「妹君の事をよほど好いていらっしゃったんですね……先ほどからそのお名前を口にする度に瞬間的に強い反応が見えています」
「うるせえよ!」
心臓への強い刺激は依然としてやまない。胸の中で獣が暴れ回っている様だ。
「いやあ興味深い。クレア様にまつわる記憶を掘り起こしたらもっと強い反応が見られるんじゃないだろうか……」
「あんた達が殺したんだ!」
「……本当にそうでしょうか」
「そうだよ!」
「本当に? 本当に私達が殺したんでしょうか」
「あんた達の研究のせいで!」
「そもそも、クレア様は元々あの日、研究所を訪れる予定ではありませんでした」
「!」
印堂の一言でクロははっとする。そうだ、確かにその通りだ。元々研究の視察には父と母しか行かない予定だった。そこにクレアが付いていく事になったのは……。
「お前は自分が犯した過ちを他人に転嫁したいだけじゃねーのかよ」
いつの間にか目の前にいたはずの印堂の姿が消え、代わりにそこに立っていたのは……鋭い目をした、四年前のクロ自身だった。
「……あっ……くあっ……! はあ……はあ……!」
……そうだ、クレアを殺したのは……。
俺だ。
その瞬間、クロの心は内に潜む獣に食われた。
「君も、それから竜斗が連れてった子も、ウチの生徒だったのか……まさか同じ学校に天使とか悪魔とかやらがいたとは……」
閉め切られている大学の総合事務棟の入口で晴喜は慣れた手つきで暗証番号のボタンを押していった。操作を終えると鍵が自動で動き、扉の開錠がされる。また閉まらない内にふたりは素早く入館した。
夜の学校というだけでもシロにとっては慣れない場所だが、おまけにここはほとんど縁が無い大学の構内だ。たまに陽菜と結と一緒に構内のカフェを訪れる事はあるが、それ以外では足を踏み入れた事など無い。こんな状況じゃなかったら少し探索してみたかったけど……などと考えながら晴喜に付いていくと、彼は二階へと続く上り階段の裏側に回り、そこにあった扉に鍵を差し込んだ。
「ここだよ」
階段下のスペースは一見するとただの倉庫にしか見えなかった。しかし中には更に扉があり、それを開くと地下へと下りていくもうひとつの階段があった。
「こ、こんな所に……」
「行こう」
地下には白い壁と床が広がっていた。清潔感があり、どこか冷たい雰囲気も漂っている。
「多分、君の友達はここのどこかにいると思う」
「……誰か来ます」
「え?」
晴喜は廊下の先へと目をやる。静かに足音が近付いてくる。
「竜斗、亜沙美」
突き当たりを横切っていくのはシロと同い年ほどの少年と少女だった。晴喜の声に反応し竜斗はふたりの方へと顔を向ける。気の抜けた表情で体調が悪い様にシロには見えた。
「……ああ、晴喜」
蚊の鳴く様な声でぼそりと竜斗は呟いた。
「どうしたんだよ。具合悪いのか?」
「……誰だよそいつ」
焦点の合っていない目で彼はシロを見る。
「……私は、晴喜さんに頼まれてあなた達を止めに来ました」
「私達を止めに……? どういう事? 晴喜」
「……それは……」
「もう、いいよ」
嘆きに近い声で竜斗は言う。
「え?」
「騙されてたんだよ俺達は」
「……どういう事だ……?」
そしてふたりは先ほど印堂から聞かされた事を話し始めた。
「……何だよ、それ……」
「俺は、ずっと正義のヒーローに憧れてた。正義の力で悪を倒したかったんだ……でも、俺に力をくれたあの人が悪だった……なら俺はどうすればいいんだよ」
「竜斗君! クロは今、その理事長先生と一緒にいるんだよね?」
「クロ……? ああ、あの白い羽の奴か……? ああ、そうだよ。先生と何か話してた」
「どこにいるの!? 私、クロを助けにも来たの!」
「……今俺達が来た方へずっとまっすぐ行った、一番奥の部屋だよ」
「ありがとう!」
「シロ!」
三人をその場に残し、シロはひとりクロの元へと向かった。竜斗達の事は心配だがとりあえず今はクロ奪還が最優先だ。いくつもの部屋の入口を通り過ぎていくが言われた通りまっすぐ走り続けると、やがて行き止まりに扉を見付けた。
「クロ!」
躊躇わずに彼女はそのドアを開けた。
「! な! 何ですかあなたは!」
部屋に入ると同時に中にいた女性が慌てて振り向いた。答えようとしたがその瞬間シロの目は信じ難い光景を捉え、驚きのあまり絶句してしまう。
「……っ!」
ガラスの向こうに、何かがいる。何かが、男の人を壁に打ち付けている……時折体の一部が揺らいで見えるあれは、一体、何……? 人ではない……肉体と呼んでいいのかもわからない体。凄く不安定な物が何とか形を保っている様に見える。人ではない。例えるなら、獣……の形をした、何か。バチバチと電気を帯びた……電気……?
少女の背筋がぞくりと震えた。信じたくないけど、けど、けど……この部屋にいるはずの、クロの姿がどこにも見当たらない。
「ク……………………クロ………………な、の…………?」
本作品で一番重要な物がようやく語られました。





