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少女は上機嫌に鼻歌を歌い、金髪を揺らしながら廊下を歩いていた。
中等部二年の頃に学院に転がり込み、実に三度目の学園祭を経験するに至った彼女は、この催し物が好きだった。準備から本番まで、何もかもが好きだった。今、こうして外から買いこんできた物資を運んでいるだけでも心が躍るのである。普通科は机に向かっての勉強がどうしても多くなるため、こういう行事になるとみんな「無駄な」がつくほどに盛り上がるのだが、少女はその中でも飛び抜けていた。
「さーてと、早いとこみんなに合流しよ。……わたしらのことが新聞に載るの、いつかなあ」
いつの間にか少女はそんなことを呟いていた。脳裏に、先程取材に来た二人組の顔が過る。猫目の少年の方は知らなかったが、栗毛の少女の方は顔も名前も知っていた。ステラ・イルフォードという武術科のエリートだ。まさかそんな「雲上人」にお目にかかれるとは思っていなかったが、人生何が起こるか分からないものである。
「ああ、今日は良い日だなあ」
思わずそう言った少女。
彼女は気付いていなかった。自分のすぐ後ろに迫る、影があることに。
そして、気配に気づいて振り返ったときには、手遅れになっていた。
「え?」
わけが分からなかった少女が呆けた声を出すと同時に、背後に忍び寄っていた人は言う。棒を振り上げた姿勢のまま。
「ごめん」
そして言い終わるが早いか、少女の頭に向かって棒を力いっぱい振り下ろしていた。
◇ ◇ ◇
あの取材以降の数日は、みんなそれぞれ自分のクラスに入って、準備に参加していた。ステラたちは『剣を分かりやすく教える方法』について激論を交わし、時にはだれかが激怒して大喧嘩、ということもあった。何にせよ、濃密な数日であったと思う。
そしてそれらをどうにかやり過ごし、全員が再び集まる機会に恵まれる。ステラが違和感に気付いたのはこのときであった。ただし、最初はその違和感の正体がなんなのかまったくつかめなかった。ただし、しばらく全員を順繰りに見渡していると気付くことがある。
「あれ……カーター、その頭どうしたの?」
彼女は正体を突き止めると同時に、この奇妙な気持ちを疑問に変えてぶつける。いつもと違い、頭に包帯を巻いたカーターは、ステラに問われるとしばらく視線を泳がせていたが、やがてまごまごとこう答えた。
「ああ、その。実は、誰かに後ろからぶん殴られまして」
彼の実に軽い物言いに『新聞部』の部員たちの目が呆れを含んだものになるが、逆に事情を知らないステラ含む『調査団』の団員は目を丸くした。
「はああっ!?」
トニーが珍しい大声を上げると、続けてミオンも詰め寄るような勢いで問う。
「ど、どういうことですか?」
こんなに詰め寄られて、ただでさえ慌てやすいあのカーターが戸惑わないはずがなかった。実際、かなりおろおろして辺りを見回していたものの、シンシアに脇腹を小突かれてようやく我に返ると、どうにか話し始める。
「え、ええと、ですね。昨日、準備に参加していたときですよ。その日やることが早めに終わったので、付近のクラスを手伝いに行ったんですね。それで、物を運んでいるときにいきなりだれかに思いっきり殴られまして……幸い気を失わないで済んだのですが、その相手がさらに追撃してこようとしていたので慌てて魔導術を使ったら、その人、飛び上がって逃げていきました。状況としては、こんなところです」
ところどころつまずきながら一気に語り終えた彼は、その後、はあ、とため息をついた。
「一応校則には触れてないと思いますし、正当防衛ですし、大丈夫ですよね?」
彼のうめくような言葉に、まず気にするのがそこなんかい、とツッコミを入れたくなったステラであったが、いちいち突っ込んでいたらきりがないので、呆れを含んだ視線を向けるにとどめておいた。それよりも、と、先程隣の思考で考えていたことを口にする。
「あの、さ。まさかとは思うけど、その人、学生服着てた?」
部外者が入りこんでいたとしても大変なことだが、ここの学生だとしたら更に大変なことになる。できればその可能性を否定したくて投げかけた問いだったが、無情にも返ってきたのは無言の肯定だった。それを見て全員の顔が初めてこわばり、中でもトニーが頭を抱えてこう呟いた。
「まさかの校内暴行・傷害事件かよ。厄介だな……」
そこにナタリーが続く。
「それ、教官に報告したの?」
答えたのは、カーターではなくどこか疲れた顔のシンシアだった。
「一応、昨日の時点でしておきましたわ。正確には保健室にかけこんだのでせざるを得なかったんですけれどね」
なるほどな、という声はレクシオのものだった。ステラが彼の方を見ると、幼馴染はいかにも「面倒くさいことが起きた」といわんばかりの顔で頭をかいている。ぼそり、と呟くのが聞こえた。
「学園祭が近いのにこんな厄介事が起きて、教官たちは今頃慌てふためいてるだろうな」
いらだちと失望が滲んだ声に、ステラは息をのむ。レクシオが感情を露わにすることが少なかったせいか、内容が教官たちを批判するものだったせいかは、分からない。ただ――とても新鮮な様子だったことは確かである。
「学園祭が近いから、かな」
思わずステラが呟くと、みんなの視線が彼女の方向へと集中した。独り言のつもりだったのでさすがに慌てた少女であったが、自分の問いに答えた、ということに気付いたらしいレクシオが口を開くと、そっと息を吐いた。
「なるほどね。今までこの学院では、もめごとはあってもこんな事件はなかった。普段の生活の中でそんなことをしようと思うほど心が荒れてる奴も見たことがなかったし、『今を狙って』ことを起こした可能性もある、か」
レクシオが自身の推論を述べる。しかし、その後に彼も含めた全員の心に湧き上がる疑問は「なんのために?」ということだった。日ごろのうっぷん晴らしだったとしても質が悪いし、わざわざ魔導術を行使できる魔導科生を力ずくでどうこうしようとすることにも違和感がぬぐいきれない。
「まいったな。こういった話は専門の範囲外なんだけど」
ジャックが心底困ったような様子でそう言う。たしかに、『怪奇現象調査団』にとって刑事事件は専門外である。というより、そんなことに対応できる学生の方が珍しい。そう考えたのはステラだけではなかったようで、その証拠にブライスが、ふむ、と呟いてからこう言った。
「やっぱりさー。こういうことは大人に任せた方が良いような気がするな。あたしら結局は、一介の学生だし。今回はラフィアうんぬんも関係なさそうだし」
彼女の正論に、全員が同意しようとした。
が、まるでその瞬間を狙ったかのように特別学習室の引き戸がノックされる。全員がうなずきかけた頭を上げて、視線を交差させた。それから真っ先に立ち上がったのは団長ジャックで、彼はやや早足で戸の前まで行くと、
「はい、なんでしょう? 今はグループ活動の最中ですが」
と言って戸を開け、そうかと思えば少し硬直した。ステラたちがいる方向から見えるのは後ろ姿だけなのでどんな顔をしているかなどは分からないが、おそらく目を点にして固まっていたのだろう。
しかし、すぐさま再起動をかけて言葉をつむいだ。こういうところは、さすがグループの長出と思う。
「君は……何か用かい?」
「ええ。今ここにいるのは、『調査団』と『新聞部』のみなさんよね。頼みたいことがあるの」
直後に響いたソプラノに、ステラの心臓が跳ね上がった。思わず、座っていた椅子を蹴って立ち上がりそうになるが、多くの眼がある手前どうにかこらえる。代わりにミオンとレクシオを順繰りに見ると、彼らもそれぞれに驚いていた。それだけ、覚えのある声だったのだ。
こんな衝撃に浸っている間に、団長と訪客はひとまず話をつけたらしく、揃って入ってきた。すると今度は全員が、驚きを顔に出す。
「あ、あんたは!」
真っ先に、ジャックの後ろにいる少女のうち一人を指さして叫んだのは、ブライスだった。続けてミオンが、呟くようにその名を呼ぶ。
「しゃ、シャルロッテ……さん」
彼女の声は、若干震えていた。
無理もない。そこにいたのは間違いなく、合同授業の模擬戦闘試合でミオンと当たり、彼女が秘術を使うきっかけを作ってしまった人物――シャルロッテ・ハイドランジアだったのだから。
彼女はミオンの姿を認めると、意外にも、面白い物を見たといわんばかりに唇を笑みの形に歪めた。
「へぇ……。あなたが変わり者揃いの『調査団』に入ったっていう噂は、本当だったのね」
「ちょ、ちょっとお! どういう意味?」
なぜか「変わり者」の部分に憤慨したらしいナタリーが思いっきり立ち上がったが、シャルロッテはそれをさらりと無視した。代わりにミオンの方を凝視する。そのミオンはというと、シャルロッテと目が合った瞬間、深く頭を下げた。
「あっ――あのっ! せ、先日は本当に……すみませんでした。あんなことを、してしまって」
ステラは目を見開きながら、ことの成行きを見守っていた。あの小さな少女にとってみれば、シャルロッテが「被害者」で自分が「加害者」なのだ。ステラとしてはどっちもどっちだと思うのだが。そしてこれまた意外にも、シャルロッテと意見が合ったようだ。彼女もまた、そっぽを向きながらもこう返したのだから。
「別に何とも思っていないわ。あれは……私にも非があったわけだし、あなたがデルタだって言われても、少し驚いた程度だったしね」
じゃあ、レクシオさんがデルタだって言ったらどんな顔するんでしょうか――そんな独り言が聞こえた気がしたが、ステラは聞かなかったことにして、またもや泣きそうになっているミオンの頭に手を置いた。黒髪の少女に呆れながらも、シャルロッテはころりと話題を変えてくる。
「それに、今日は恨みごとを言いに来たんじゃないわ。頼みごとをしにきたの。ほら、ルディ、あとはあなたが言いなさいよ」
彼女はそう言うと、半歩ほど下がって後ろの方にいた人物を逆に前へと押し出す。その姿を見て、ステラは今度こそ立ち上がった。
「あ! あなたは確か――」
「俺たちが取材した人か!」
トニーが驚きの顔で続きを引きとる。すると、十人の目の前に立った人物は、居心地が悪そうに身じろぎした。確かに、ステラとトニーの二人があの日、取材したうちの一人、金髪の女子生徒である。ただし頭には白い包帯を巻いていた。
あれ? というひっくり返ったような声はステラのものだった。白い包帯を巻いた頭に既存感を覚えた彼女は、すぐさまカーターとその女子生徒を見比べてしまった。そうしているうちに女子生徒がおずおずと口を開く。昨日の気が強そうな印象からは、ほど遠かった。
「いきなりごめんなさい。わたし、同じ高等部一年のルディリアといいます」
ただし、声だけは取材の日と変わらないはきはきとしたものだった。それを受けて、次は自分だといわんばかりにオスカーが対応する。ただし、かなり無愛想に。
「先程シャルロッテは頼みごとと言っていたが、いったいなんだ?」
次に来るのは面倒事、と決めつけているようだ。いつもに増して嫌そうな声がそれを裏付けていた。さすがにルディリアと名乗った女子生徒はむっとしたようで口をとがらせたが、すぐにそんな表情は消え去り、そうかと思えば淡々と語りだす。
「二、三日前のことかな……わたしが、学園祭の準備のために物資を運んでいたとき。わたし、誰かに襲われたの」
七つの素っ頓狂な声と三つの沈黙が返る。ある者は驚きを顔と声に出し、ある者は難しそうな顔をして考え込みだしたのだ。それに気付いているのかいないのか、ルディリアの話は続く。
「後ろからいきなり誰かに殴られて、気を失ってた。犯人が直前に何かを言ったような気がしたけど……詳しくは覚えてない。それで、目が覚めたら保健室のベッドの上だったんだけど」
彼女はそこまで行ってシャルロッテをちらりと見る。発言を譲られた少女は、わずかに顔をしかめて腕を組みながら口を開いた。
「倒れているこの子を発見したのは私だったのだけれど、ルディが運んでいたという物資がその場に無かったの。正確に言えば、無くなっていたのよ」
「無くなっていた?」
トニーがぎょっとしたような声で繰り返す。シャルロッテは重々しく首を縦に振った。
「それで、この子がとても困っているようだったから、私があなたたちのことを簡単に教えたのよ。まあ、噂程度でしか知らなかったけれどね」
胸を張ってそんなことを言う少女を見て、みんなが困惑顔になった。だが、すぐにその中の一人――レクシオがなにかに気付いたような顔になり、言う。
「おい、待て。あんたらまさか、俺らにその『犯人』を探せと言いたいのか?」
こう言われてさすがにステラも理解した。彼女は弾かれたようにジャックを見やる。彼女らの団長も、さすがにこのときばかりは険しい顔をしていた。ステラの脳裏に、いつしか団長が言っていた台詞がよぎる。
『僕らは正義の探偵団ってわけじゃないからね』
そう。彼女たちは探偵でもましてや捜査員でもないのだ。さらにいえば、このような『事件』は本来ならば大人に任せるべき案件である。当事者でもない学生が不用意に首を突っ込んでよい問題ではない。だが――ステラはカーターを一瞥したあと、すぐさま二人の依頼人の方へ向き直る。
「そう。あなたたちに、それをお願いしたかった」
直後に、ルディリアのはっきりとした声が聞こえてきた。