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「たまには街に出るか?」
レクシオにそんなふうに誘われたのは、ステラがジャックに、ブライスから頼まれていた案件を打診した放課後のグループ活動のあとであった。
案の定、ジャックを含む全団員が「楽しそう」との理由で快諾した。いや、ただ一人ナタリーだけは、なんだか思わせぶりなにやけ顔でステラの方向を見ていたが。そうして直後に、活動はお開きとなった。レクシオからいきなり誘われたのは、彼女がほっと胸をなでおろしていたときである。
「……街に? どうしたの、急に」
その誘いにどういうわけか動揺してしまった少女は、そんな感情の揺れを抑えるためにも、わざわざそんなことを訊いた。するとレクシオが頭をかいて言う。
「いや、俺がある店で頼んでいた品物ができたそうなんで、取りにいこうかと思ってたんだ。で、たまにはだれかと行くのも悪くないかなあ、と」
「あ、なんだ。そういう話か」
要はただの付き添いである。その事実を知ったステラはほっとしたが、それと同時になぜか残念な気持ちになる。わけが分からないその考えをどうにか振り払おうとして頭をふっってから、彼女は、
「うん、いいよ」
と言った。よし、と言って笑うレクシオを傍目に、いつまでももやもやとした気持ちが取れない自分に、ステラは首をかしげていた。
その後、二人して夕暮れの街に繰り出す。この時間帯は、夕飯の買い物に繰り出してきた奥方の姿をあちこちで見ることができた。彼女らは時に値切り、時に仲間と言葉を交わす。もちろん奥方だけではなく、老若男女様々な人間が道を埋め尽くしている。人のざわめきは茜色の空にいくら吸い込まれようとも止むことなく響き続ける。笑い声、叫び声、呼び声、ときに怒号。それらすべて、帝都の活気を象徴するものだ。
なんともやかましい、そんな大通りを、しかしレクシオは足早に通り過ぎた。その先に見えるのは、人通りもまばらな閑静な通り。ともすれば犯罪者のたまり場にでもなりそうなこの場を彼は臆することなく通り抜けていく。幼馴染の背中を追いながら、ステラは思わず声を上げていた。
「あ、あの、レク? どこに行くの」
必死な様子で問いかけたが、それに対して返ってきた答えは、「行けば分かる」という素っ気ないものだった。
それから――三分くらい歩き続けただろうか。二人の学生は、ひとつのボロ屋の前に立っていた。『武器店』という、傾いて今にも落ちてきそうな看板が、なぜだか不気味に見える。
ステラは唖然として、見上げてしまった。
「あ――……レクシオさん、ここって」
問おうとした彼女を無視する形で、幼馴染は無邪気に笑って言う。
「武器専門店なんだけど、常連相手なら頼めばそうじゃない物も作ってくれる。本業は鍛冶屋だ」
「え、常連? こんな店に、いるの?」
彼女が聞きたかったこととはまったく別の情報のはずだったのに、信じられない言葉を耳にしたせいで思わず質問を返していた。レクシオは彼女の言葉に、建てつけの悪い扉に手をかけながら答える。
「何人かいるみたいだ。ちなみに、俺がその一人」
言い終えた彼は、少し力を込めてドアを開く。ギイギイと軋みが上がると同時に、ドアチャイムの軽やかな音色が聞こえる。ひどくミスマッチだった。
少年に続いて少女が中に足を踏み入れる。小さく、薄暗い店内にはほとんど人の気配がない。ステラが落ち着きなく辺りを見回していると、突然声が聞こえた。
「いらっしゃい」
「ひっ!?」
低い声で放たれた決まり文句は、少女の身と心を飛びあがらせた。だが少女の幼馴染は苦笑して「落ち着けって」と言うだけである。ステラが眉をひそめている間に、レクシオは陽気に笑いながらカウンターの方に行っていた。店の奥にカウンターがあることに気付いたステラは、また慌てふためきながらレクシオを追う。そんなことをしている間に、少年は何やら店の主に向かって語りかけていた。
「チャーリー、俺だよ、俺。例のブツを取りにきた」
彼がそう言うと同時に、薄暗闇の中から人の姿が浮かび上がる。先端が茶色い変わった金髪と、鳶色の瞳を併せ持った男は、色あせた緑のツナギと白シャツという姿で新品らしき剣を見ていた。その彼は、レクシオの姿を改めて認めると急に明るい顔になる。
「おお、レク坊か。待ってたぜ……と」
すぐそばに剣を置いて立ち上がった彼は、ステラの姿に気付いて目を丸くした。彼女とレクシオを見比べて言う。
「おい、おめぇ――いつのまに彼女なんてできたのか?」
「かっ!?」
ステラは思わず真っ赤になって悲鳴を上げる。レクシオも珍しくびっくりしたように「はっ?」と声を上げると、咳払いをして言う。
「そんなんじゃねえよ、ただの幼馴染。なんとなく誘ってみた」
しかし武器屋の店主は意外としつこい。
「む、てめ。女の子の幼馴染っていうだけで十分オイシイぞ」
「なんの話をしてんだ」
レクシオから鋭いツッコミが飛んだ段階で、どうやらようやくこの男の脳みそは軌道修正を始めたらしい。はーやれやれ、などとため息をつくと、彼はステラの方に向き直った。
「つーわけで、俺がこの武器屋の店主、チャールズだ。まあ気軽にチャーリーとでも呼んでくれ。レク坊……レクシオは昔っからのお得意様だ。こいつが訳ありなのはよく知ってる」
最後の言葉はきっと、秘密をしっかり守ってくれることの裏付けだろう。おそらく本人は気付かず口にしているが。
「は、はあ。ステラ・イルフォードです。よろしくお願いします」
彼に比べて簡素な自己紹介をびくびくとしながら終える。どうせ相槌を打たれて終わりだろうと思ったが、意外にもチャールズは物凄く食いついてきた。
「な、何い!? あのイルフォード家のご息女なのか!」
「え!? あ、ああ、そうか。はい。家出中ですけど」
なぜそんなところに食いつく、と思ったが、鍛冶屋なら高名な剣士の一門のことは知っていて当然だろう。そう思いなおし、あっさりと補足付きでうなずいた。家出中、と聞いてチャールズはまたびっくりしている。さすがに長女が家出となれば外聞が悪いので、伏せてあるのだろう。
ぼけっとしているチャールズとステラにある意味での助け舟を出したのは、レクシオだ。
「チャーリー、いつも通り黙秘よろしく。で、例のもの」
「お、おう。了解した」
未だ動揺の中にいるらしいチャールズは、それでも勤めを果たすべく店のさらに奥へと入っていった。
彼が奥で何かやっている間に、レクシオは一度だけ口を開いた。
「前、幽霊騒ぎの最中に使った発煙弾があるだろ?」
「う、うん」
ステラがどぎまぎしながらも返事をすると、彼はあっさり続ける。
「あれ、ここで買ったんだ」
「ええっ!? そうだったんだ」
帝国より西でしか流通していないという最新型の武器。そんなものまで取りそろえているとは、あのチャールズという男、実はとんでもない人物なのかもしれない。
ステラがそう考えているうちに、チャールズが何かを抱えて戻ってきた。
「ほらよ。これ」
彼はどこかぶっきらぼうなふうに言うと、それをカウンターの上に置いた。ステラとレクシオは二人してのぞきこみ、それぞれ別の意味で首をかしげる。
「これは?」
「鉤縄、か?」
あとから発されたレクシオの言葉を聞いて、ステラはようやく理解した。鉤縄は、よく軍隊で使用されているのを見たことがある。縄の先端についている鉤を岩壁などに引っ掛けて登るときに使われる。
これもまた鉤縄だが、それにしてはやや短い気もした。それに、通常よりも細い。
チャールズはレクシオの問いに答えて、にやりと笑う。
「そう。でも、ただの鉤縄じゃあねえんだよな。デルタのおまえなら、手に取ってみれば分かるだろう」
彼の自信たっぷりな言葉にレクシオは首をかしげながらも、鉤縄をそっと手に取った。瞬間、彼の眼が見開かれる。驚いたような顔をした少年は、しばらく、まじまじと縄を見つめていた。それから、ようやく小さな声を出す。
「これ――魔力が、こもってる? チャーリー、そんな真似ができたのか?」
その言葉には、さすがにステラも一緒になって驚いた。魔導術の心得など無い、普通の鍛冶屋だと思っていたからである。二人の心情を察したのか、胸を張るチャールズの顔はいやに得意気だった。
「おうよ。何年も、何年も、お客どもの無茶苦茶な注文を受け付けてれば、嫌でも魔導を学ぶ羽目になったぜ」
「そ、そんな無茶な注文をする人っているんですか?」
よく話に聞くことはあったが、本当にいるとは。ステラが問うと、チャールズはにかっと少年のようなあどけない笑顔を浮かべて、さらりと妙なことを言う。
「おうよ。例えばこいつの親父とかな」
彼の視線を追ったステラの目が点になる。その先には、確かにレクシオの姿があった。彼はチャールズの視線の意味を悟ると、乾いた笑いを漏らして目を泳がせた。その背後になぜか『あの男』がいるような気分になったステラは改めてぎょっとすると、声を上げる。
「えええっ!? あの無愛想男がお客さんだったんですかあ!?」
「おう。と言うか、少し前までは常連だったんだ。あいつが息子を引きつれてこなければ、俺がレク坊と知り合うこともなかっただろうしな」
「へ、へえ」
ステラは引きつり笑いを浮かべた。チャールズとレクシオはヴィント経由で知り合ったのだと、このときやっと知った。それにしても、どれだけ顔が広いのだろう、あの男は。少女がそんなことを考えている間に、男の話は続いていく。
「だから、あいつが何と戦っているのか、俺は知ってる。おまえらも『奴ら』と少しずつ接触を始めてるんだろう?」
少女とその幼馴染は、ここで顔を見合わせた。どこからそのことを知ったのか、と問う必要はない。ほかでもないヴィントの口から、ふとしたときに聞いたのだろう。世界を統べる神と対立する集団の話を。この国の軍の裏側を。きっとこの武器屋の主人は、帝都の中ではだれよりも真実に近い存在だ。それも、ずっと前から。
ならば、隠す必要はない。今更そんなことをしても無意味だし、ひょっとしたら何か助力を得られる日がくるかもしれないのだ。だったら、それを利用しない手はない。聞こえは悪いが、それこそが可能性を摘み取る手段なのだ。
「ええ、まあ。確実に」
だからステラはうなずいた。どこか凄絶な雰囲気を漂わせる笑みとともに。それを見たチャールズは明らかに驚いていたが、やがて満足そうな顔でため息をつくと、突然レクシオに話を振った。それも、とんでもなく太っ腹な話を。
「というわけだからレク坊。それは戦のための贈り物っていうことで、無料にしてやる」
「――へっ!?」
「喜べ、特別サービスだ」
素っ頓狂な声を上げるレクシオにお構いなしに、チャールズは大声で笑う。それを見るとなぜだかステラも苦笑を隠せなくなった。胸を張っているチャールズと失笑するステラを見たレクシオは仕方ないと言ったふうに首をふると、ようやく口を開いた。
「――分かった、貰っとくよ」
言ったレクシオの肩を、次の瞬間チャールズは力強く叩いた。おかげで少年は少しばかり咳きこんだ。
その後は少しだけ談笑をすると、寮の門限の都合もあるので、足早に武器店を出た。去り際に背後から「今度、ウチで剣を新調してくれたら安くしとくぜ」と声をかけられたステラは、どう答えていいものか分からず、結局曖昧に笑う程度にとどめておいた。そんな彼女を見て、幼馴染がそっと囁きかけてきた。
「変わった奴だろ?」
「うん、まあ、かなり」
ステラはあっさりと肯定した。