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クレメンツ・フェスティバルの一日目は結局、何事もなく閉幕した。実際には些細なトラブルが多発していたのだが、そばに控えている警官隊や帝国学院生のひそかな活躍により、すべて表ざたになる前に収集をつけたのだ。
そしていよいよ二日目に入る。クレメンツ・フェスティバルの盛り上がりは最高潮に達し、ステラたちの活躍する学園祭が、始まろうとしていた。
「おら、急げよー! そこが終わったら次、強化魔導術頼むわ!」
剣術クラスの準備でリーダー役を務めていた少年が、今も声を張り上げている。ステラ、レクシオ、ブライス、ミオンが参加する『剣術教室』は教室と武道場の二か所で行われることになっている。うち、ステラとミオンが担当することになったのが教室で、残りの二人は武道場に回された。
「ふう」
ため息とともに教室を出たステラはだがそこで、窓辺に待ちかまえている人影を見つけた。よく目を凝らしてみると、それは同じグループの人間だった。
「ジャック!? なんで」
驚きと疑問を同時にぶつけると、舞台俳優のような少年は親しげに近寄ってくる。
「やあステラ。仕事熱心なんだね」
「いやまあ、そりゃね。そこはいいけど、なんであんたがここに?」
ステラは再度問うた。するとジャックが肩をすくめる。
「ちょっと、業務連絡」
「業務連絡?」
彼の言葉を繰り返したステラは目をぱちくりさせた。答えはほどなくして返ってくる。
「アーノルドさんから連絡だよ。『今日の午後、お邪魔させてもらう。そのときに事後報告をしたいから、関係者をかき集めておいてくれ』とのことだ。ミオン君とルディリアさんによろしく」
「なるほど、そういうことね」
了解、と返したステラはくるりと身をひるがえした。が、思い出したことがあり、ジャックを再び振り返る。
「それだけ? あの人ほかに、何か言ってなかった?」
首をかしげたジャックが、頬をかく。
「いいや。ああそういえば、『まったく。同じ軍警察の捜査官なのに下っ端扱いはやめてほしいもんだな』って愚痴ってたよ」
答えを聞いて湧きでた感情は呆れ以外の何物でもなかった。
このあとミオンとルディリアをとっ捕まえて報告をしたステラは、他の生徒の追及をかわしながら準備と作業に没頭したという。
――やがて学園祭の開催と同時に、学院には人が押し寄せてきた。ありがたいことに、ステラたちがいるその場所も波から逃れることはできそうになかった。
「切り方が甘い! ためらっちゃだめよ!」
言うと同時に木剣を振りおろす。硬いそれは、一応防具をしていた少年の頭をぺちりと叩く。少年は「いてっ」と声を上げて地面に思いっきり尻もちをついた。それでも剣を離さなかったあたりは褒めてもいいだろう。
相手が降参の意を示したことで、ステラも剣を下ろした。それから少年の防具を外し、頭をなでる。
「筋は悪くないわ。でも、思い切りが足りないわね」
ステラが言うと、少年は歯を見せて笑った。
「姉ちゃん、強いなあ。俺、騎士志望なんだけど、まだまだ甘いかも」
ちょうど初等部生くらいの年齢の子だ。悔しそうで、恥ずかしそうで、嬉しそうな顔の少年を見てステラも自然と微笑んでいた。そのうち、彼の母親と思しき女性がやってくる。お礼とともに教室を出ていくその姿を見送ってから、少女は次の挑戦者に挑んだ。
鐘が鳴る。お昼を告げる鐘だ。これを皮切りに学園祭は一時中止となり、生徒たちの休憩時間に入る。各々の店を勤め上げた彼らは、弁当を持って自分の教室に行くか、手ぶらで食堂に行くか、二つの道を選ぶことになる。
むろんステラは後者だった。
「やっほい、ステラ」
のん気な声に肩を叩かれた少女は振り返る。そこには声の主ブライスとレクシオ、そしてミオンがいた。みな、やや疲れ切った顔をしている。
「みんな、お疲れ様」とステラが言うと、それぞれから気の抜けた返事があった。それから四人で食堂に向かう。この日だけは魔導科生を待つことはしなかった。
この日は何の因果か全員がオムレツプレートとパンとコーンスープを注文し、皿と椀を乗せたトレイを持って席についた。生徒たちの無邪気な笑い声が聞こえる中、四人は食べ始めた。そして食事時の話題は、自然と今日の出しもののことになっていく。
「ステラはさすがに、容赦なさすぎじゃない?」
まず言ったのは、パンにかじりついていたブライスだった。一方ステラはブロッコリーをフォークでひと刺しし、それを口に運びながら返す。
「容赦がなくても構わないような人がこっちに回ってくるんだから、問題ないでしょ」
「まーな」
レクシオがオムレツを切り分けてその一片を口に放り込みながら、同意。だが卵を飲みこんだあとにこうも続けた。
「だが、それにしたって気迫があったぜ。初めて教室に来る大人がちょっと引いてた」
「え、嘘?」
「まあ、そうかもしれませんね」
意外な言葉に目を瞬かせたステラはついミオンの方を見ていたらしく、彼女が曖昧な笑いとともに答えていた。完全に無意識だったステラは、さすがにちょっとうめいた。
「けどま、確かにあんたの言う通り、それでも構わないって人には本気になるくらいがちょうどいいかもねー」
間延びした声で言ったブライスが、白いカップに口をつける。それから、「うん、甘くてうまい」と簡潔な感想を口にして舌舐めずりをした。一方のステラがパンをちぎっていると、レクシオが話題を転換する。
「そういえばおまえら、午後のことだけど。ちゃんと休み取ったか?」
問いかけられた三人は、それぞれの顔を順繰りに見ると
「うん。もちろん」
「取った取った」
「オッケーって言ってくれました。あと、ルディリアさんも休み取ったって」
各々に肯定の言葉を返した。ただ、午前の部に最後まで残ったらしいブライスの証言によると、
「でも、あたしらが一斉に休みくれって言ったもんだから、周りの奴らには快く思ってない奴もいるみたいだねえ」
のん気な声にミオンが目を伏せる。
「それは……まあ、でも、仕方ないですよねえ」
「うんうん。国家権力には逆らえまいって」
心底申し訳なさそうなミオンに対し、レクシオはからからと笑った。それからコーンスープをすする。もちろん少年の言葉が冗談であるというのは、三人が三人とも承知していた。
彼らがしているのは、もちろん午後からの「来訪者」に関する話だ。レクシオはステラより先に伝え聞いていた様子だったし、ブライスはオスカーから話を聞いたとのことだ。ミオンには、ステラの方から伝えた。もちろん大衆の目があったので、それと分かるような分からないような言い回しを用いて、だったが。
「それにしても、アーノルドって人も意外と律儀だよねえ。わざわざ報告に来てくれるなんて」
ブライスがしみじみと言い、さりげなくプレートに乗っていた丸いニンジンをフォークで脇にどける。対するレクシオは、それを一瞥してから素っ気なく言った。
「逆に言うと、来ざるを得ないんだろ。俺たちがあそこまで事件に関与してたんだから。あと猫娘、好き嫌いするな」
「そういうもんかしらね。あと、好悪はどうだっていいでしょ。猫娘言うな」
二つの会話が平行して行われているのを見て、聞いて、ステラとミオンは同時に吹きだした。どうやらこの二人も大分仲良くなってしまった様子である。
四人が食事を終えて食堂から出ると、すでに午後の準備をしている人が見受けられた。どれも、午後から本格的に営業する店が多いようだ。これからの一仕事を終えたら見て回ろうね、などと約束を取り付ける。
「あ、いたいた!」
正面から声がした。四人が目をぱちくりさせていると、ボードを脇に抱えたリンダ・テイラー教官が駆けてきた。なぜか少し焦りが見える。
「あれ、テイラー先生? どうしたんですか」
ブライスが聞いた。ただし四人ともこの時点でなんとなく予想はついていた。
果たして、案の定。
「フェスティバルのお客様の中に、あなたたちに会いたいって人が来ているの。それが、今日は休みのはずの清掃員さんなんだけどね。どうしたのかしら」
言いきったテイラーは首をかしげていた。他方、四人の学生は視線を交差させる。
「いよいよ特別ゲストのお出ましだな」
レクシオがからかうように言い、
「ルディリアさんたちに伝えなきゃ!」
ミオンが鼻息荒く拳をにぎった。
四人は関係者を探して駆けまわった。そこで、
「おっ、武術科四人組、はっけーん。話は聞いたー?」
ナタリーとシンシア、そしてルディリアとシャルロッテの四人に合流した。一番心配だった依頼者二人は、彼女らが捕まえておいてくれたようだ。
ステラは廊下の真ん中で安堵から肩を落とす。
「テイラー教官から聞いたよ。どこにいるの、例の人は」
「特別学習室―」
返ってきたのは間延びした声だった。それを聞いた四人はぽかんとし、ただやがてブライスが「律儀なこって」といたずらっ子のような表情で言った
不安そうにしているのは、事情を知らされていない依頼人二人くらいのものだ。
このあと立て続けに仲間たちと合流した彼女ら。ただ長の姿だけは見つからなかった。「どこにいるの」と訊くと、トニーが「もうすでに例の人と顔合わせしてるはずだよ」と教えてくれた。
少しして特別学習室に到着した学生たちは、声を揃えて「こんにちはー」と言い、引き戸を開ける。するといつもの素っ気ない教室の奥、椅子に座って、明らかに学校には似合わない背広を着た男性がくつろいでいた。
彼は待ちに待った彼らの姿をとらえると、
「やあ、久し振りだな。約束通り『事後報告』をしに来たよ」
実に気安く手を挙げる。すると袖の辺りで光る、軍警察の紋章がちらりと見え、それを目に留めてしまったルディリアとシャルロッテがぎょっと目をむいていた。




