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トニーは今日何度目になるか分からないため息をつきながら、串刺しのソーセージを口に運んだ。塩味が口いっぱいに広がり、豚肉の風味が鼻をつく。彼は肉をもぐもぐと噛みながら人差し指で目をこすった。
開会式を全員で見た後は、それぞれ散り散りになった。ステラとレクシオは二人で街に繰り出したし、ナタリーもジャックも自分たちが好きな方へ駆けていった。そしてトニーは一人、抜け殻のように放浪している状態である。事情聴取後の眠気のせいもあるが、それよりも。
「一人になると、嫌でも思い出すもんなんだな」
呟いた。何を、とは言うまい。彼の脳裏に冷たい目をした少年が浮かびあがる。
結果として事件は解決した。犯人も捕まった。おそらくもうこれで、また別の人物が馬鹿げたことを考えないかぎり、今回のような騒ぎが学院で勃発することはないだろう。そこは安心してもいいはずなのだ。だが彼の中で何か、しこりのようなものが残り続けていた。
「俺は本当に、正しいことをしたのかな」
あれでよかったのか。アーノルドとかいう捜査官がソーヤを連行したときから、何度も何度も自問自答を繰り返した。当然、答えなど出るわけもない。
途端に憂鬱になり、彼はまたため息をついた。そのとき、横に人が来る。
「トニーさん」
いきなり少女の声で名前を呼ばれたトニーは、目を瞬いて振り返った。すると、おさげ髪の少女が微笑んで立っている。
「ミオン」
少年が名を呼ぶと、少女はつぼみのような微笑を開花させて言った。
「良ければ一緒に観光しませんか? ……なんか、私一人だと迷子になりそうで」
頭をかいた。そう言われると断りづらい。トニーは「ちょっと待ってろ」と言ってから、半眼で一口分だけ残ったソーセージにかぶりついた。
帝都に比べればずいぶん田舎の地域からやってきたミオンは、ある意味予想通りではあるがこの人混みにすっかり圧倒されていたらしい。「誰かと一緒にいないと、飲みこまれてしまいそうで怖いんですよ」と苦笑交じりに言ったのは何よりもの証拠だった。
ミオンにとっては初めて見るものばかりのようで、いちいち目を輝かせていた。それを傍らでぼうっと見守っていたトニーはふと、その背中が誰かに似ていると思った。
しばらく沈黙して、考え込んで、そして、
「ああ……」
納得して吐息のような声を漏らした。
彼女は、自分にとてもよく似ているのだ。スラムから出て、帝都に来たばかりの頃の自分に。見るものすべてが鮮やかに輝いて見えて、その世界にただ感動するしかなかった幼い少年に。
気付いたトニーは、口元で微笑んだ。
「あ、トニーさん! あれおいしそうですね」
珍しく騒がしい声に叩き起こされ、彼は現実に戻ってきた。するとミオンがチョコバナナの露店――というか屋台――の前で立ち止まって目をキラキラ輝かせていた。猫目の少年は、直角に首をかしげる。
「ん? ……チョコバナナ、食べたことないのか」
「はい。私の住んでいたところにこんなものなかったので」
嬉しそうに、かつあっけらかんと言う少女。しかしこれを聞いてトニーは、この娘の故郷ルーウェンには恐らくそんなものがなかったのだろう、と重苦しく考えた。
今度、レクに色々聞いてみようかな
目の前の少女に比べれば大分つきあいの長い少年の姿を思い浮かべながら、トニーは財布を取り出してミオンに訊いた。
「……買う?」
太陽が頂点を過ぎて少しばかり時間が経った頃。二人は点々ともうけられている休憩スペースのベンチに腰掛けて、買ってきたチョコバナナを二人仲良くついばんでいた。ほどなくしてそれを食べ終え、トニーが口の端についたチョコレートを親指でぬぐっていたとき。
「あ、そうだ」
いきなりミオンが言った。トニーはふいとその方向に顔を向ける。すると、ベンチの横にあったゴミ箱に、丁寧にチョコバナナの棒を突っ込んだ少女は、開口一番、
「トニーさんに言い忘れていたことがあったんです」
と漏らした。
「何、それ」
少年が首を傾けると、少女はふんわり笑う。
「あの、ありがとうございました。前、軍人さんに襲われたとき、守ってくださって」
唐突にお礼を言われたトニーは目を白黒させたが、やがてばりばりと頭をかいた。
「そういえば、そんなこともあったな」
レクシオの正体が派手に露見した、あの騒動だ。なぜ軍人たちがいきなり短絡的な行動に出たのかは未だに謎であるが、思い出すだけで寒気のする一件なのでなるべく考えないようにしている。そのおかげか、この少女が言うようなことがあったということさえ、すっかり忘れていた。
「気にするな。怪我だってたいしたことなかったし、ほとんど反射的だったし。レクの方がよっぽど悲惨な目に遭った」
「……そう、ですね。でもちゃんとお礼が言いたかったんです」
黒い瞳がきらりと光る。たまに見せる、意志の強さを感じさせる瞳だ。ややたじろいだトニーは「そうかい」と言ってチョコバナナの棒を放って捨てた。弧を描いた棒は、ゴミ箱にすぽっとおさまった。
「どういたしまして。身体も心も、無事でよかった」
彼はそれを見届けた後言い、ぽかんとしているミオンに向かってにかっと笑った。すると彼女の方も、頬を朱にそめて失笑する。それからぽつりと、唇を動かした。
「良かった」
「え?」
「先日の件で、落ち込んでいるかと思ったから」
先ほどとは打って変わって悲しげな微笑に、トニーはどきりとした。まさかミオンが自分に声をかけたのも、そのせいだったのか。思っているうちに彼女の言葉は続いた。
「あまり、一人で抱え込まないでください。確かにソーヤさんと関わりが深かったのはトニーさんです。けど事の発端はルディリアさんやシャルロッテさんからの依頼であって、それをこなしたのはあなた一人ではなく、『調査団』と『新聞部』の十人なんです」
少年は黙っていた。この事件に関与した人々の顔が浮かんでは、消えていく。
「何か、まだ苦しいことがあるのなら、背負わせてください」
――私たちは信用できませんか?――
そんな声が、黒い瞳から聞こえてきそうだった。息をのんだトニーは少ししてそれを吐き出し、丁寧に言葉を紡ぎだしていく。
「ミオン個人としては、今回の件、どう思ってる」
質問の意図をはかりかねたのか、ミオンは首を傾いだ。そこでトニーが「正しかったんだろうか」と喘ぐような声で続けると、視線を落とした。
「……正直、私にも分かりません。もちろんソーヤさんは罪を犯しました。そしてたくさんの人を傷つけました。だからしかるべき罰は受ける必要があると思います。けど」
一度言葉を切ったミオンは、夕暮れに向かっていく薄青い空を見上げた。
「決して、ソーヤさん一人が悪いわけではない。手を差し伸べなかった周りの人、国、そして彼の闇に気づいてあげられなかった私たち。誰もが悪く、誰もが悪くないんです、きっと。だから分からない」
ミオンは闇に気づいてあげられなかった、と自分で言って、顔をゆがめた。
レクシオのときもそうだったのだ。最後まで、ああなるまで目を向けることすらしていなかったのだから、もっと質が悪かった。あれ以来、十分に言い聞かせてきたつもりだったのだ。
だがそんな少女の胸の内を知る由もないトニーは、彼女と一緒に苦々しい顔つきになる。
「みんなきっと、同じことで悩んでいるんじゃないでしょうか」
だが続く言葉に、彼は驚かされた。
「トニーさんだけでなく、私だけでもなく。『調査団』の誰もが、『新聞部』の誰もが、きっと悩んでる。そして真実を知れば、ルディリアさんだってきっと。自分に直接かかわってこなくても、考えてしまうのではないでしょうか」
滔々と語ったあと、彼女はまた笑みを取り戻した。
「みなさん、そういう優しい人ですから」
今度吹きだしたのはトニーの方だった。彼はそれから喉の奥で笑い、それをどうにか押し殺してからミオンを見上げた。
「それ、おまえがいうかぁ?」
おどけて言う少年の顔に、影はなかった。




