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クレメンツ・フェスティバル  作者: 蒼井七海
第四章 決別
14/22

1

「もしもし、こちらアーノルドです」

 学校の電話を借り、その受話器をとったアーノルドは、清掃員の仮面を外し、やけに慇懃な口調で相手に話を切り出した。

「はい、はい。そちらはどうなっていますか?――そうですか。はい、こちらもある程度足取りはつかめました。――はい、ええ、はい。了解です」

 電話越しに相手と一通りの会話を終えた彼は、最後の言葉を言いきった後、受話器を力なくおいた。チン、という音がする。

 静かになった室内で、アーノルドはため息をつく。

「やれやれ、人使いの荒い上司だ。おかげでこちらの予定が狂ったな」

 これはさっさと片付けるしかない、そう呟いた彼は、ふと顔を上げた。ドア越しに何かやかましい音が聞こえた気がしたからである。しばらく耳を澄ませ、果たしてそれが足音であると分かった瞬間、彼は飛びはねるように身体を起こし、(おおゆみ)から撃たれた弾のように走ってドアを開き、音のもとに近づいた。

 音のもと、は廊下だった。アーノルドがのぞきこむと、廊下を少年少女が疾走しているのが見える。呆れた彼は注意しようとして、しかしそれがだれであるかを判別すると注意を忘れて唖然とした。

 前方を走るのは、一人の気弱そうな少年。それを追うは、二人の少女。一人の方は写真でなら顔を知っていた。――イルフォード家の息女である。

 そして前方を走る少年は、別の意味でよく知っていた。

 三人が走り去ってしばらくしてから呆然自失の状態から抜け出したアーノルドは、

「――っ、あいつら!」

『彼女ら』がしようとしていることを察し、叫びに近い悪態をついて後を追った。


   ◇      ◇      ◇


 少し離れたところからであるが、それでも予断なく構える七人の姿をぐるりと見回したソーヤは、たちまち嫌そうな顔になった。その表情のまま、ステラの方へと向き直る。

「まったく、用意周到すぎて困りますね」

 苦笑した彼を見て、ステラは腰に佩いている剣に手をかけた。

「あたしとしては、あなたの軽口を大人しく聞いてあげる気はないのだけど」

 彼女が怒りを隠そうともしない声で言うと、少年は、そうですか、と呟いて肩をすくめた。今にも本物の剣を抜き放とうとしている少女が目の前にいるというのに、いやに冷静だった。

 だが、そう思ったステラが眉をひそめたその瞬間に、ソーヤは動き出す。

「ただ――僕としても大人しく捕まる気はないので、おあいこですかね」

 言い終わらないうちに、彼は身をひるがえしたかと思うと、オスカーの横をすり抜けたのだ。目を見開いた『新聞部』部長は後を追おうとして足を動かしかけたが、そうなる前に、

「ブライスと猫目、いったぞ!」

 ソーヤの進行方向で控えている二人に向けてそう叫んだ。どうやら、自分が追うより先の二人に任せた方が確実だと判断したらしい。その場にいたステラとしても、それは同感だった。というのも。

「運動神経良すぎでしょ、あの子」

 みるみるうちに遠ざかっていく後ろ姿を見ながら、思わず吐き捨ててしまった。

「道化師ですね」

 隣でミオンもしきりにうなずきながらそう言う。それから彼女は、ソーヤの背中が消えていった方向を見ているオスカーに訊いた。

「どうします、オスカーさん。私たちも行きますか?」

 デルタ一族の少女の顔は、普段の様子からは想像もつかないほど堂々としていた。どういうわけか、この一カ月ほどで彼女はだいぶたくましさというものを身につけたらしい。

 いや――と、ステラは思いなおした。もともとそういうものを兼ね備えているのだ。普段はなりを潜めているだけで。

 その強さを顕著にあらわしているといえる瞳を振りかえったオスカーは、ため息まじりに答える。

「そうだな。どうせ『上』で一戦交えるだろうから、下でスタンバイしておこう」

「――了解!」

 独り言にも聞こえるそれに、二人の少女はまったく同じ言葉を返した。同時に、三人は地を蹴ってかけだした。砂が蹴りあげられる音を背に、彼らは黒い背中に当たりをつける。

「いたっ! というか、本当に上にいた!」

 そう。ソーヤは、学院の敷地内にある建物の一つ、その上に確かにいたのである。相変わらず冷静なオスカーが言う。

「今は生徒が中で活動中だからな。あれくらい強引な手を使わなければ、逃げるのは不可能といっていいだろう。だからあいつもその手を使った。例えその先に『あの二人』が待ち構えていると分かっていても――な」

 言葉とともに細められた目。それを見たステラは、思わず沈黙した。それでも走りを止めないまま、建物のひとつを見上げる。

「大丈夫でしょうね。ブライス、トニー」

 呟きが足音にまぎれて消えると同時に、三人の足音は止まった。彼らの視線は例外なく、動きが止まったソーヤの影の方に注がれている。

 始まった。その声は、だれのものだっただろう。ステラがそれを確かめぬうちに、上から別の声が降ってきた。

「そういえば……君も『調査団』の一員だったんですよね」

「ああ、そーだよ。まさかこんなことになるとは思わなかったがな」

 ステラの胸が高鳴る。すぐ横でミオンも息をのんでいた。

 二つの少年の声は、間違いなくソーヤとトニーのものだった。


   ◇      ◇      ◇


 ソーヤがこの事件に関わりの深い者であることは、あのメモを見たときから気付いていた。そしてステラとナタリーの調査報告を聞いた瞬間、確信したのである。犯人は間違いなくあいつだ、と。だからこそ、ここで彼に遭遇してもなんの感情もわかなかったのだ。

 ただ――

「おまえ、そんなつまらん奴だったか?」

 トニーはついつい、肩をすくめて彼にそんな問いをぶつけていた。別に説得を試みたわけでもなければ迷っているわけでもない。ただ少し、呆れただけだ。

「つまらない人ですよ」

 問いに答えるソーヤの声は、ずいぶんあっさりとしていた。そうかい、と呟いたトニーはつづけて口を開く。

「さて。それじゃ一応訊くが、大人しくお縄にかかるつもりはないかい? 今素直に自分がやりましたって言えば、刑罰も多少は軽くなるかもしれないぜ」

 言いながら、彼は自分が馬鹿なことを言っていると自覚していた。

 確かに逃げれば逃げた分罪が重くなっていくのは事実だが、今さら「素直に」申し出たところで、何度も同じ窃盗を繰り返していることに変わりはないのだ。

 それを分かっているのかいないのか、ソーヤは肩を上下させて笑うと、息を吸う。

「ありませんね。母と妹を養わなければならないので」

 次いで吐きだされたきれいごとに、少年は眉をひそめた。

「犯罪者に養われても、嬉しくはないだろうけどな」

「犯罪者? この程度で、そう呼びますか」

「……どの程度だろうと罪は罪だ。馬鹿か、おまえは」

 トニーは思わず目を細め、険しい声で吐き捨てる。あれほど純粋だと思っていた少年が、今はひどく狡猾な人物に見えてきた。あれはすべて錯覚か幻視だったのかと思うとめまいがしてくる。

 後ろで、ブライスが剣の柄に手をかけているのが分かった。おそらくあの大きな瞳は、目の前の少年の動向を注視しているのだろう。トニーもひそかに魔導術発動の準備をしながらソーヤを見る。すると彼は、目をちかりと光らせた。茶色いはずの目は、このときばかりは漆黒のようにトニーの目に映る。

「あなたには、分からないでしょうね」

 静かに放たれた言葉にトニーは首をひねった。

「何?」

「もともと貧民街(スラム)なんかで育ったあなたには、僕の気持ちなど分からないでしょう」

 ゆっくりと、ソーヤの顔に笑みが広がっていく。

 え? というブライスの声が聞こえた。一方トニーは雷にでも打たれたかのように硬直していた。二の句が継げないでいる間にソーヤの「演説」は続く。

「二人でお互いのことを話したあの日から、しらじらしいと思っていたんですよ。僕のことなんて、あなたなんかに分かるはずがないのにもっともらしく同情してきた。だって、分かりますか? 僕は元々ごく普通の家庭でごくふつうに暮らしていたんです。でも、両親が離婚して母が病気にかかってから、その暮らしは一気に厳しくなった」

 そこまで役者のように語り終えたソーヤは急に沈んだ声で締めくくる。

「『変化する』ときの気持ちが、もともと下賤な民だったあなたに分かるんですか!?」

「下賤、ってあんた!」

 怒鳴るように叫んだのはトニーの背後にいるブライスだ。声音から、彼女が今どんな表情をしているかは想像に難くない。

 一方のトニーは妙に静かな感情を保っていた。口元には冷笑すら浮かんでいる。

 レクとミオンもこんな気分だったのかな、などと他人事のように考えた。出自を嘲られ罵られるのには慣れていた。しかし、せっかく仲良くなれたと思った人間に言われるのは意外と堪える。あの二人が嫌われるのが嫌で出自を黙っていたという気持ちが、今なら少しだけ分かる気がした。

 一通りの思考を終えたトニーは、顔を上げる。そこには衝撃も、迷いも、気楽さもなかった。刃のように鋭い瞳がただまっすぐ、ソーヤを射抜いている。

 確かに一度は彼とも仲良くなれた。そんな気がしていた。――だが、それもここまでだ。

「確かに、分からねえな」

 声はどこまでも暗く低く、悲しみをまとっていた。だが同時に、強さも潜めていた。

「分からんが、おまえのしていることを容認するつもりはさらさらない。そんな語りで俺たちを惑わせるとでも思ったか」

 彼の切り捨てるような声音に、ソーヤは眉をひそめた。同時に、前へ進み出たブライスは笑っていた。

「あんた、たまには良いこと言うじゃん? ミオンも喜ぶよ」

「……なんでそこで、あの子の名前を出すんだ?」

 彼女の台詞に、トニーは肩を落とした。するとブライスのにやけ顔が深みを増す。

「あれ、鈍感」

 その言葉の意味は理解しかねたが、問いつめている暇もない。ブライスもこれ以上教えてはくれなさそうだ。トニーは再びソーヤに向き直った。そうして不敵な笑みを浮かべると、黒髪の少年に手を突き出す。

「来いよ盗人。おまえが意地でも逃げるってんなら、こっちは意地でもとっつかまえてやる」

「あたしらを舐めない方がいいよ?」

 ブライスもそれに追従した。

 ソーヤはきょとんとして目を瞬いたが、やがて一瞬だけ瞑想するような顔になると、すぐに目を開いて足踏みを始めた。

「やってみて、くださいよ」

 その言葉はまるで試合開始の合図のようであった。言葉とともにソーヤが向かってくる。トニーとブライスは静かにそれを迎え撃った。


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