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「おらおらおらおら! とっとと資料作成を終わらせろー! それが終わったらリハーサルだ、いいな!」
剣術クラスの中を大声で叫びながらかけ回っているのは、先日ミオンたちが取材をした女の子とともに模擬店準備の指揮を執っている男子生徒だ。ほとんどの同級生がそれに、「おう!」と妙に気合の入った声で返し、作業に取り掛かる。
剣術クラスの模擬店は『初心者向け剣術教室』だ。これは毎年恒例で、一見需要がなさそうに見えるが、思いのほか人気だったりする――おもに男どもに。
クラスメートたちが奔走する中、ステラとミオンは倉庫から運んできた、準備につかう物品が大量に詰め込まれた段ボールの箱を、教室の入口に積み上げた。
「さて。もう、あとふた箱かな」
「よろしくお願いします、お二人とも~」
ステラの呟きに、同じくこの場の指揮官である女子生徒がおっとりとした口調で返す。ステラは「任せて」と元気よく応じて立ち上がり、横で何やら表情を引き締めているミオンに声をかけた。
「ミオン、先に運び出し作業してて。あたしもすぐに追いつくから」
「――っ! は、はい!」
緊張していたらしいミオンは、上ずった声を上げると飛び上がった。そのまま猛スピードで出ていこうとする彼女の耳元に、ステラは声を届ける。
「心配しないで。取り逃がすつもりはないから」
ミオンは目をまんまるに開いていたが、やがて小さくうなずくと、そのまま走り出した。
遠ざかっていく足音を聞きながら、女子生徒が言う。
「お二人とも、ずいぶん仲がいいですよねー」
間延びした声に、少女は苦笑で答えた。
「まあね。でも、出会ったころはこんなに仲良くなれるなんて思ってもみなかった」
すると、相手も「たしかにー」と言って笑う。それから続けて、ステラの背中を押してくれた。
「では、ステラさん。頼みますね~」
「了解。そっちも頑張ってね」
「はい~」
彼女は返事をすると、未だ大声を張り上げている男子のもとまで走っていった。その様子をある程度見送ったステラは、すぐさま身をひるがえして走り出す。走りながら、両手で頬を叩いた。
「さてと、こっちも頑張りますか! ――ま、半分は賭けだけども」
独語した彼女は廊下の突き当たりで一度速度を落として曲がると、跳ぶようにして階段を駆け下りた。
「お、おもい……」
ミオンは、倉庫から続く廊下をのろのろと歩きながらうめいていた。
彼女が今抱えている箱は、二個。別に二個をひとりで持ってこいと言われたわけではないし、ステラもあとから追いつく予定ではあったはずなのだが、彼女は自分の意地を貫き通して二個とも運んでしまおうとしている。筋力トレーニングという意味ではちょうどいいくらいだが、はっきり言ってこの状態で階段を上がるのは無謀なのではとすら思えてくる。
「で、でも、がんばるのです!」
目尻に涙をためながら彼女は叫んだ。その姿勢は立派だと評価したいが、正直あきれる。呆れながら見届けていると、ミオンは途中で何度かよろめきながらも階段の前まで到達した。そこで一度、重い箱を床に置く。そうして、息を吐いた。
「ふう……これを抱えて階段をのぼるのはさすがに無茶ですね。一個ずつにしますか」
どうやらそこのところはちゃんと理解していたらしい。彼女は、重ねられたふたつの箱のうちひとつを持ち上げて、歩きだそうとした。
そのとき。ミオンの背後に、ひとつの影がゆらりゆらりと忍び寄る。影は、息を殺して、慎重に、飛び出す機会をうかがっていた。その視線の先には、ミオンがいる。
そのまま何秒か経ったあと、影はミオンが油断したと判断したのだろう。勢いよく飛び出して、少女の背後までくると、腕を振り上げた。
――が。
「……ふっ!」
彼女は小さく息を吐き出すと、箱を持ったまま、右足を軸にして身体を回転させ、左足で強烈な蹴りを放った。その蹴りは影の腕を直撃し、それが持っていた棒状のものを勢いよく弾き飛ばす。
天高く飛ばされた棒は、少々いびつな放物線を描いて舞うと、床に落ちて硬質な音を立てた。
一方影の方はというと、突然のことに動揺していた。そしてミオンは、蹴りの格好を解くと眼光鋭くそれをにらみつける。
「私に何かご用ですか? 見たところ、同じ学院生のようですが」
しかし、影は質問に答えることをしなかった。歯ぎしりをすると、慌てて踵を返して走り出す。ミオンはそれを見て、箱を放り出して走った。そしてあっという間に追いついてしまった。
「逃げないで、質問には答えてください!」
彼女は影の肩をつかみ、厳しい声でそう言う。すると影は舌打ちをひとつして――彼女から力任せに逃れてから、近くに落ちていた棒を拾い上げると、それをがむしゃらに彼女の方へ叩きつけた。
多少動揺して反応が遅れたミオンの頭に、棒が直撃する。彼女は声を上げることもせず身をこわばらせた。さすが武術科生と言うべきか、その場で踏みとどまることはしたようだ。
ただ、影の方も甘くない。ミオンの動きが少しでも鈍くなっている間に片をつけるつもりなのか、そのまま拳をおもいっきり振り上げた。
これを見て――さすがに放っておけなくなり、ステラは柱の影から飛びだした。その位置は相手から少し離れた場所。そして、相手の死角。そこから助走をつけた彼女は、そのままつま先で地面を蹴って飛び出し、一回転すると、
「でりゃあっ!」
掛け声とともに、相手の背中に蹴りをお見舞いした。ちなみに、加減はしたつもりである。ただ、さすがに武術科エリートの一撃は強烈だったようで、その者は身体を大きくのけ反らせてから倒れた。
それを見届けたステラは、すぐさまミオンの方にかけよる。彼女と言えば、泣きそうになっていた。
「す、ステラさん! すみません、私……」
「いいっていいって。気にしない!」
言った彼女は、ミオンの頭をなでた。……こぶができているらしいことが分かった。
「この一件が片付いたら、保健室行きますか」
言いながらステラは、先生に話す言い訳を機関銃のように思いついていた。しかし、倒れた相手がもぞりと動き起き上がると、さすがにそのような思考は飛んでいく。すぐさま身構え、相手を睨みつけた。
「まさか、その子が武術科生だったとは」
開口一番そんなことを言う。
ステラはそれを聞いて、不敵な笑みを浮かべた。
「この学院、転校生って最初のうちは所属の学科とか、あんまり知られないのよね。だからほら、さすがに予想外だったでしょう?」
返ってきたのは沈黙だった。しかしステラは構わず続ける。
「それにしても、こんなえげつないことを何度も繰り返してるのがあんたみたいな人だったとは」
わずかに顔をしかめる相手に向けて、ステラは鋭く言い放った。
「――ねえ、ソーヤ?」
彼――ソーヤは、鬼の形相で見るステラに微笑んだ。
「いやはや。『調査団』と『新聞部』が手を組んで捜査しているということは聞いていたので、警戒していたはずなんですが。思わぬところでしてやられました」
「なぜ、こんなことをしているの」
厳しい表情でステラが問うも、このときのソーヤはいやに飄々としていた。
「ステラさんに出てこられると、さすがに敵いませんね。さすが武術科のエリート」
「質問に答えなさい!」
ステラは、久し振りに語気を荒げた。ソーヤの表情が険しいものになる。いや、どちらかと言えば「冷めた」表情というほうが適切なような気がした。
「あなたに答える義理は、ないですよ」
彼は冷たく言い放つと、すぐさまかけだした。それを見たステラは歯を食いしばる。そうして自らも、弾かれたように走りだした。
「待ちなさいっ!!」
「ステラさん、この先は校庭です!」
ミオンがすぐさま隣に並び、ステラに対してそう言い放つ。聞いた彼女は、一度目を瞬いたが、ミオンのいわんとしていることを察すると、凄絶とも思える笑みを浮かべた。
「なるほどね」
呟いた彼女はすぐさま視線を前に向けると、逃走した犯人を追って走った。
爆走。という言葉が当てはまりそうなほど壮絶な追跡劇は、実際、院の外に出るまで続いた。どたどたと廊下に足音が響き渡る。周囲にほとんど人がいなかったのは幸運としか言いようがないが、仮にいたとして、咎められても、ステラとミオンはそれに気づきもしなかっただろう。なぜなら、目標を追うことで頭がいっぱいだったから。
――だから当然、ソーヤと、それを追うステラとミオンをアーノルドが近くで見ていても、まったく気付いていなかった。
予想通り、ソーヤは上履きのまま校庭に飛び出す。それを見たミオンが珍しく顔をしかめた。
「もしかしたら、あのまま市街に逃走する気ですかね。だとしたら厄介です」
「帝都は入り組んでるからねー。でも」
一度そこで言葉をとめたステラは、口の端を三日月形にして笑った。
「そんな心配はしなくていいわ」
彼女がそう言い、ミオンが「え?」と漏らすと同時に、逃走していたソーヤの前方を影が通り過ぎていく。そうかと思えば影は彼の背後に回り込み、容赦なく拳を振るった。それを間一髪でよけたソーヤはしかし、その間に進路をふさいでいた影を見て、目をみはった。
「ばっ、ばかな――」
明らかに動揺している少年に向けて、冷淡な声が浴びせられる。
「さっき、おまえは自分で言ったはずだろう?」
彼が辺りを見回すと、彼を囲むようにしていたるところに人影があった。わななくソーヤを見ながら、影、いやオスカーが目を細めた。
「『調査団』と『新聞部』が手を組んで捜査をしている――と」
そう。ソーヤを取り囲むように舎や校庭でスタンバイしているのは、ステラとミオン、そしてオスカーを除く「捜査班」の七人。
彼らは、ステラとソーヤが問答し、ミオンも加えて廊下を爆走している間に、しっかりと包囲網を完成させていたのだ。




