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昼食休憩終了の直前に、ブライスが持ってきたひとつの情報がある。それは、バッツが放課後、寮に帰るまえ――どうやら寮生らしい――にどこに寄るかというものである。それを見たときのステラの感想は、この一言につきた。
「行くの嫌がってたわりには楽しそうじゃない、あんた」
ブライスはバッツをよく知る者のひとりであり、あの取り決めの際に断固拒否した人の一人だ。そのはずだった。そのくせ、自分が行かなくていいとなると、いきなり喜々として情報収集にあたるのだから呆れたものである。
しかしそのときの彼女は、満面の笑みをもってこう答えた。
「貴重なものを提供してやってるんだから、感謝くらいされてもいいと思うんだけど」
ステラはそれに対して何も言わず、ただただため息をつくのみであった。
さて。その日の放課後、ステラは幼馴染とともに情報にあった場所へと向かう。仲間の現金な態度に呆れはしたが、今さら役目を放棄する気もないのだった。
「さーて、取材対象さんはここにきてるかなー」
若干のいらつきを隠そうともしないステラに対し、レクシオは妙に楽しげだ。
ちなみにこの言葉は、別にブライスの情報を当てにしていないわけではない。ただ、いくらその話が正しくともその日に限って指定の場所にいないことがあり得るということをよく知っているゆえのものだ。
「いなくても良い……と言いたいところだけど、いないと捜査に進展がないからなあ」
げんなりとした顔でステラは呟き、その直後にふと足を止めた。
――噂をすればなんとやら、である。
ブライス調べで書かれた資料にあった場所というのが、校門から少し外れた小さい校庭にある、大きな木、ちなみに今見て分かったがイチョウの木である、その木のだというものだった。そして資料の通りの場所に、一人の少年の姿があった。おそらくあれが、バッツ・ロードマンその人だろう。
足を止めて顔を見合わせたステラとレクシオは、同時にうなずいた。それから一歩、二歩と踏み出しながら声をかける。ちなみにその役目はレクシオが担った。
「普通科のバッツだよな? こんにちは」
すると少年は弾かれたように振り向き、文字通り飛び上がって驚いた。そのあとも二人が近づくのに合わせ、じりじりと後退している。明らかに警戒されていた。
そこで、ステラがふんわりとほほ笑んでなだめた。
「落ち着いて。別にいきなり取って食おうってわけじゃないわよ。ちょっと話が聞きたいの」
「……話?」
思ったより低い声でステラの言葉を反芻したバッツは足を止めた。その代わり、太い眉が顔の中心に寄る。
「エリート二人が、なんの用だよ」
おや。というのは、幼馴染二人のものであった。
「ご存じで?」
レクシオが目を丸くして問うと、バッツは不満げに鼻を鳴らした。
「ああ、よーく知ってるよ。武術科のステラ・イルフォードにレクシオ・エルデだろ。なんでそんな奴が、俺なんかに話を聞きに来るんだ。お説教ならお断りだぜ」
「違うわよ、説教なんて柄じゃない。あんたが知ってるかどうか知らないけど……最近、学院で頻発しているある事件について」
ステラが静かな声で言うと――バッツの表情が明らかに変化した。目を見開いてわなわなと震えだしたのだ。ステラが首をかしげ、レクシオが口を開いたところで、彼はいきなり大声を上げた。
「なんでそんなことかぎ回ってんだ。お、俺は! 何も知らねえぞ!」
豹変。
その言葉が一番しっくりくるような変貌ぶりだ。思わずもう一度顔を見合わせたステラとレクシオ。正直、不審に思いつつも困り果てたが、このままでは情報収集どころではないので、慌ててステラが宥めに入る。
「さっきから言ってるけど落ち着きなさいよ。知っていることを聞きたいだけだから。ほんの少しでいいから」
「うるさい! そんなこと言いつつも俺を疑ってるんだろ!?」
否定はできなかった。
普段が普段だというので、多少は疑ってかかっていたのだから。それでもステラは息を吸い込み、バッツの腕をとる。
「違う、とは言わないけどね。その疑いを晴らすための情報収集なのよ。お願い、協力して」
ステラがまっすぐな目を向けてそう言うと、バッツの動きが一瞬止まる。しかし――
「だまれ、だまれぇ!!」
彼はありったけの声を振り絞って叫ぶと、少女の腕を払った。そのままの勢いで反対側の腕を振り上げる。手をほどかれたときの衝撃でよろめき、ステラは咄嗟に対応できなかった。
しまった、と思って目をつぶる。
だが、いつまで経っても思っていた衝撃はこなかった。奇妙に思ったステラは薄目を開き、そして声を上げた。
「あっ……」
「さっきから落ち着けと言ってるでしょうが」
彼女の正面にはいつの間にか、傍観者と化していたはずのレクシオが躍り出ていたのだ。さすがにあの状況では攻撃を防ぎきれなかったらしく、左手が赤くなっている。
「おまえっ」
「……いい加減にしろ。激情にかられてこれ以上騒ぎを広げようっていうんなら、問答無用で沈めさせてもらうぞ」
幼馴染のステラでもぞっとしてしまうほどの凄味をきかせ、レクシオがそう言うと、さすがのバッツもたじろいだ。だが、だからと言って大人しくしてくれていたわけではない。
彼は数歩後退すると、「畜生!」と吐き捨てて逃げていってしまった。が、レクシオはそれを追おうとはしなかったし、ステラもそれを咎めはしなかった。ただ、去っていく制服姿の男子生徒を黙って見送った。
やがてその背中が見えなくなると、レクシオは振り返った。
「大丈夫か?」
そう問いかけられて、ステラはようやく現実に戻ってきた気分になった。
「あ、うん。ありがとう」
答えるついでにお礼を述べた彼女は、知らぬ間に尻もちをついてしまっていたことを情けなく思いながらも立ち上がる。汚れを払ってから、訊いた。
「レクの方こそ、左手大丈夫?」
すると彼は自らの左手をきょとんとした顔でながめ、それから笑う。
「これくらいほっときゃ治るだろ。幸い利き手じゃないしな」
「そっか、良かった」
ホッと胸をなでおろしてから、「ごめんね。あたしがぼけっとしてたばっかりに」と続ける。すると幼馴染は良いよと言って手を振った。
「おーい! 二人とも!」
和やかな会話を続けているうちに、背後から声が聞こえてきた。二人して振り向くと、後者の方から一人の少年が手を振りながら走ってくるのが見えた。
「トニー!」
その少年の名を呼んだステラとレクシオは、揃って手を振り返した。
「ふーん、そっか。怪しい行動ではあるね」
一応やることを終えた二人は、やってきたトニーに事のあらましを説明した。このときの彼の反応が、これである。腕を組みながらもっともらしく言う猫目の少年に対し、ステラは苦々しい面持ちで答えた。
「うん。でも、なんか“いかにも”過ぎて逆に決めつけづらくなったというか」
「確かにな」
レクシオもしきりにうなずきながら同意する。トニーもまた思うところは同じだったらしく、腕組みしたままうなりだした。
妙な沈黙が辺りを包み込む中、空を一羽の鳥が旋回していく。その様子をなんの気なしに眺めたステラは、そこでようやく息を吸って言葉を吐き出した。
「とりあえず、もう少し詳細なことを調査していくしかなさそうね」
トニーがそこでようやく腕を解き、立ち上がった。
「ああ。でも、一応バッツもマークしておこう。ソーヤの奴もあいつのことは怪しいって言ってたし」
ソーヤが? とステラは思わず訊き返した。よく知らないレクシオは首をかしげるだけだった。さらに問いに対するトニーの反応は、おおよそ彼女の予想の範囲からは大きく外れていた。
「うん。言ってた」
かみしめるように繰り返したのだ。目を伏せて、どこか悲しげな表情で。
その理由は、ステラには分からなかった。
――結局、分析の機会をもつのは『新聞部』の情報収集を待ってからということになった。あの日から数日、ステラとレクシオとトニーはそれぞれにもどかしさを抑えこみながら生活をしていた。
そして。ステラのもとにブライスが猫のような素晴らしいジャンプで飛び込んできた日の放課後、十人は再び特別学習室に集まった。
「余計混乱することが分かっただけだった」
全員が集まると同時に、相変わらずのしかめっ面でオスカーがそんなことを言う。彼と、やる気をそがれた八人の間に割って入ったのがシンシアだった。
「というのも、あのバッツ、すでに先生たちからも目をつけられていたようですの。それで、ステラさんたちが来る前から何度も事情を訊かれ続けていたらしいですわ」
彼女の言葉に、つまり、とステラが呟くと、カーターが後を引きとった。
「単に『同じ手合い』だと思って激しく拒絶しただけ、という可能性もあります。犯人断定はますます困難になりましたね」
はあ、という、面倒くさそうで鬱陶しそうなため息は誰のものだっただろうか。そのため息のあとに十秒ほど沈黙が漂い、そうかと思えばミオンが部屋のカレンダーを横目に言った。
「困りました……。学園祭まで時間も無いのに」
「すでに事件のせいで無駄な費用がかかってるんじゃないかしら。学内予算の繰り越しがないかもね、最悪」
彼女の言葉の裏にある意味を自分なりに読み取ったのか、ナタリーはそう言ってストレッチを始めた。繰り越しがないだけならまだマシだよ、とそんな親友を見ながらステラは突っ込む。
「ま。祭が終わってこの事件がぴったりと終息すればそれはそれで良い気がするんだけどね。本当に問題なのは、そうならなかったときだよ」
けが人も増えるし、ナタリーが言ったような無駄な出費もかさむ。学院崩壊のきっかけになるといっても過言ではない出来事に発展するだろう。
トニーの言わんとしていることが分かったステラは、冗談抜きで頭を抱えた。
どこから確実な証拠を見つけ出して良いのかもわからない。最近は有力な証言も不足してきた。どうしても、学生の身でできることには限界があるのだ。
「それでも、やるしかないよね。できることから」
せいぜい『できること』と言えば諦めないことくらいだ。
呟いてからこう結論付けた彼女は、ぱん、と一度頬を叩いた。
「とりあえず、これからは先生たちにも事情聴取をしていってみようか」
ジャックがそう言うと、隣にいたオスカーは顔をしかめる。
「ばれてもいいのか?」
「ばれるくらいの覚悟でやらないと、進展がないと思ったんだよ」
なりふり構っていられない、ということか。
どこかふっきれたように笑う団長を見て、皆が思ったことはそれひとつだった。
それからいくつかの言葉の応酬と方針の取り決めを行ったあと、全員で学習室を出た。やることはやったので、これ以上教室で額をこすりあわせていても仕方がないのである。
「じゃあ、今日は全員で校門まで行くか」
ブライスのそんな提案のもと、十人が適度に散りつつ廊下を歩くことになった。ステラはもうだいぶ日が落ちていって暗くなりつつあることに気付き、薄紫色の空を見た。
「早く帰らないとチビたちに怒られるなあ」
「俺は寮母に怒られる」
ステラの独り言に便乗したのは苦笑気味のレクシオだった。彼女は幼馴染の方を見てはにかむ。『例の事件』以来妙にノリが良くなった彼には、知らぬうちに救われていると思う。
それから階段を下り、玄関がある一階についた。
――思わぬ事態に遭遇したのは、そのときだった。
「あら? あの方は――先日会った清掃員さんではありませんか?」
「ん。本当だ」
シンシアとナタリーの声を聞き、ステラは慌てて顔を上げた。『新聞部』のための取材初日にその話を聞いて以降、気にしていたのだ。
見ると、遠くからやってくるのは確かに、見覚えのない清掃員の格好をした男だ。
「アーノルドさん、だっけ? それはそうと隣にいるのって女の子じゃない?」
ステラが言うと、全員が「ホントだ」と言う。アーノルドは女子生徒を懸命に支えながら歩いているようだった。
「ふーん」
「ブライス、あんた変なこと考えてるでしょ」
そんな女子二人のやりとりを無視して、シンシアが駆けだす。ステラたちも慌ててその後を追った。
「アーノルドさん! 何かあったのですか」
高い声で呼びかけられると、アーノルドはびっくりしたような顔をこちらに向けた。だが声をかけたのがシンシアだと分かると、表情がゆるむ。
「ああ、君か。久し振りだね。後ろの人たちはお友達かい?」
「ええ。ところでその子はどうなさったのですか?」
「実はね」
次に続くアーノルドの言葉を聞いた瞬間、その場にいた十人は例外なく凍りついた。
「玄関のところで、ふらふらになっているこの子を発見したんだよ。聞けば『さっき校庭で、誰かに殴られた』って言ってね。一発やられてからもう一発やられそうになって、どうにか逃げてきたらしい」




