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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第一話
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第一話 8

  8


 和人はいつもどおり登校したつもりだった。

 時間もいつもと同じ、場所も同じ学校だが、なにかがちがう。

 はじめは、自分の気分のせいかとも考えた。

 体調は悪くないが、精神的には健康とはほど遠い。

 なんとか食べなければと自分で用意した朝食も、一口飲み込めただけだった。

 おまけにポケットには青い精霊石が入っている。

 すべての元凶となったそれは、家に置いて登校してもよかったのだが、本人がそれを強く拒否し、持って行かないなら人間の姿になってついていく、と脅しをかけてきたので、仕方なくポケットに忍ばせたものだった。

 結局、昨日の悪夢からは一歩も抜け出せていないのが現状だった。

 そのせいか、とも思ったが、どうもちがうらしい。

 周囲の学生たちの視線である。

 知っている顔もあれば、まったく知らない下級生だか上級生だかもいる。

 登校中、校舎のなかで、教室のなかで、その視線に晒され続ける。

 恐怖と軽蔑が入り混じったような、ぞっとするほど冷たい視線だった。

 ほとんど敵意といってもいい。

 ただ昇降口ですれ違っただけの生徒からも、四月から同じ教室で授業を受けてきたはずのクラスメイトからも、そんな視線を向けられる。

 挨拶をしてもだれひとり返事はなく、むしろクラス全体がそれを拒むように静まり返る。

 話しかけようと近づけば、その前に背を向けられる。

 露骨に逃げられるときもある。

 和人はクラスのなかで孤立し、まるでだれにも見えていない透明人間のように扱われた。

 普段なら、どうしたんだ、と無理にでも聞き出すが、昨日のことが原因になっていることは明らかだったから、和人はただ黙って自分の席に座った。

 これならひとりで家にこもっているのと大差はない、と和人は思う。

 むしろ、耳障りな囁き声や遠巻きの視線がない分、ひとりでいるほうがずっと楽だ。

 帰ろうか、とも思うが、これが自分の行ったことに対する反応なら、目を背けてはいけないという気もした。

 なにより、まだ鈴山恵介が登校していない。

 彼ならほかのクラスメイトのような対応はしないだろう。

 軽蔑はするにしても、このような形ではないにちがいない。

 いちばん親しい友人の意見を聞きたかったし、その顔を見たかった。

 そのために和人はひとりで待ったが、恵介はこないまま、予鈴が鳴った。

 教室を見渡せば、恵介のほかにも登校していない生徒が何人かいる。

 予鈴が鳴ってしばらくすると、担任の江戸前有希子が教室に入ってきた。

 有希子はいつになく重苦しい表情で教卓へ向かう。

 その途中、一瞬だけ目が合ったように和人には感じられた。


「今日は一時間目に全校集会があります」


 ――いやな予感はしていた。


「詳しくは校長先生からお話があると思います。同じ教室で授業を受けてきた鈴山くんが亡くなったことも、事件のことも、決して忘れられることではないでしょう。でも、だからこそ、わたしたちは前を向いて生きていかなければなりません。どうかそのことを忘れないでください」


 間に合わなかったのだ。

 あのとき、恵介は間に合わなかったのだ――。

 和人がふと顔を上げると、教室にはだれもいなくなっている。

 体育館へ移動する、というようなことを有希子が言っていたのはぼんやり覚えていたが、ほかの生徒たちがいつ移動したのか、まったくわからなかった。

 タイムスリップでもしたような気分で和人は呆然と時計を見上げる。

 時間はそれほど経っていなかったが、急にすべてが現実感をなくしてしまったように感じられた。

 見えるものすべてが色褪せ、音はどこか遠くで鳴っているのを聞いているような、妙な孤立感がある。

 座っている椅子や机でさえ、次の瞬間には消失してしまいそうだった。

 和人は椅子を蹴って立ち上がる。

 そのがたんという物音が、教室の入り口近くで聞こえた音と重なった。

 教室の扉の陰に半ば隠れて、有希子が立っている。

 先ほどまでは厳しい表情で気丈に振る舞っていたのに、いまは目に涙を溜め、和人もよく知っている泣き顔の有希子に戻っていた。


「先生、あの、体育館のほうはいいんですか」


 取り繕うように和人は言った。

 有希子はすこし怒った顔で、


「牧村くんだってきてないじゃない」

「おれはその、ちょっとぼーっとしてて。いまから行こうと思ってたんですよ」

「うそ。そのままどっかに行っちゃうつもりだったんでしょ」

「そんなこと――」


 和人の声を遮って、有希子が駆け寄ってくる。

 そしてそのままの勢いで和人に抱きついた。


「せ、先生っ!」


 有希子のほうが年は上だが、身長はもう和人のほうが高い。

 抱きしめるというよりは、文字どおりすがりつくような体勢だった。

 なのに、有希子は和人の背中をゆっくりと撫でながら、子どもをあやすように囁く。


「ごめんね。つらいよね、悲しいよね。先生なのに、なにも言えなくてごめんね」

「先生、おれ――」


 なにかを言いかけた和人は、ぐっと堪えて笑う。


「おれ、大丈夫ですよ。心配かけてすみません。でも、あの、今日は帰ります」


 有希子を突き飛ばすように離れ、教室を逃げ出すまでがまんするのが精いっぱいだった。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 こんな目に遭うようなことをしたというのか――考えても無駄だと思いながら、そう自問するのを止められない。

 だれのせいでこうなったんだ。

 だれが加害者で、だれが被害者なんだ。


「おれはなんでひとを殺さなくちゃならなかった? 鈴山が死んだのはだれのせいだ。全部偶然だったのか? おれが生き残ったのも、鈴山が死んだのも、こんなことになったのも、全部偶然なのか」


 加害者はいないなど、信じられない。信じたくもない。

 どこかに悪いやつがいるはずだ。そいつがすべての元凶なのだと、和人は思い込もうとした。

 子どもじみた善悪でも、地面と空がなければ人間は立つことさえできない。

 悪いやつを探すのだ。

 博物館を襲った直接の犯人は、すでにいない。

 ならば、襲う理由を作った連中を捜せばいい。

 死んだ鈴山のためではない。

 ただ自分がまっすぐ立つために、そうしなければならない。

 和人はほとんど狂気のような色を瞳に浮かべ、学校をあとにした。

 二度とその場所には戻らないだろうという確信があった。

 昨日までの日常はすでにない。

 それならいっそ、捨ててやる。

 ポケットに入れた精霊石を握りしめ、和人はその石と自分自身に誓った。

 もう流されるのはごめんだ。

 自分の行き先は自分で決める。

 偶然だろうが他人だろうが、それを邪魔するものはすべて排除してやる。

 まずは犯人を捜さなければならない。

 手がかりになるのは、あの博物館だ。


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