第三話 20
20
時間はすこし遡る。
都民のほとんどが隣県へ避難したあと、空になった東京には民間人と入れ替わりに警察が自衛隊が集合していた。
名目は、だれもいなくなった東京の警備である。
そのなかには習志野から派遣された自衛隊員も含まれている。
しかし彼らは、ほかの自衛隊員や警察とはちがい、町の警備は任されなかった。
巡回の代わりに、だれもいなくなった国会内で敵の襲撃に備える、という任務が与えられている。
彼らは対精霊使い用の特戦であった。
総勢二十五名である。
国会の、広い玄関ホールのなかに陣取り、ひたすら敵がくるのを待つ。
敵とはつまり精霊使いであり、その瞬間、日本でも精霊使いと軍、自衛隊による正面衝突が起こるのだ。
「まあ、人間相手よりは、多少やりやすいところはあるけど」
福円は、赤いカーペットの上に腰を下ろし、アサルトライフルにもたれるようにして待機している。
はじめはもっと緊張感を伴った待機であったが、丸二日も経つとさすがに緊張も続かない。
「気が滅入るよな、こういう仕事は」
福円が話しかけているのは、となりに座る泉である。
さらにその前に座っている国龍千明と合わせて、この三人がひとつの班になっている。
同じホールにはほかにも班がいくつかあり、総勢十数名が待機している。
ほかは、国会の裏側で待機している。
「ほかの連中は、まだいいよ。訓練ばっかりで実戦を経験してない。まあ、それはぼくたちにしても同じだけど、ぼくたちは一度精霊使いの強さを目の当たりにしてるからなあ」
「怖じ気づいたか」
泉はにやりと笑った。
「逃げ出すなら、いまだぜ」
「逃げ出せるもんなら、そうしたいけどね」
と福円は周囲を見回す。
「逃げたら、同僚がみんなで追ってくるわけだろ。それはそれで怖い」
「たしかにな。おれは、そっちのほうが怖い。とくに班長に追いかけられるのが」
「なんの話だ?」
千明が振り返る。
「福円が、戦いたくないそうです」
しかつめらしい顔で泉が言う。
「いや、戦いたくないわけじゃなくて、ぼくでは実力不足なんじゃないかと」
「ふむ、実力不足か。それを言うなら、わたしも同じだ」
「班長なら大丈夫でしょう」
「わたしは、以前に一度精霊使いに負けている」
ああ、と福円はうなずいて、
「でもあれはルールがある戦いのなかでのことです。ルール無用なら、あんなふうには負けないでしょう。こっちには武器もあるわけだし」
「それはおまえも同じことだろう」
と泉が言った。
「武器は、おまえの手のなかにもあるぜ」
「まあ、たしかに」
福円は、体重を預けているアサルトライフルを見る。
人間相手なら絶大な力を発揮する銃である。
連射能力にも優れているし、近距離の射撃なら性能に不安はない。
ただ、精霊使い相手にどこまで通用するか、それが唯一の不安である。
武器ひとつで対抗できるなら、人間もそう簡単にはやられない。
人間にも意地があり、守るべきものがある。
しかし武器の有無も覚悟も踏みつぶして乗り越えていくのが、精霊使いの強さである。
世界中の都市がそのようにして破壊されていった。
残された東京だけは守り抜かねばならんと政府のほうでも力を入れているが、実際に投入できる戦力は限られている。
その限られた戦力こそ彼らであり、福円でもあるのだが、どうも自分の力に疑問が湧く福円である。
もっとも、いざ戦闘がはじまれば、そんな疑問も消え失せるだろう。
戦闘がはじまってなお悩んでいるようなら、そのときは命を落とす。
死にたくはない。
だから、いざとなれば戦うのだろう。
漠然と福円は思う。
「そろそろ、昼飯かな」
泉が腕時計を確認する。
それを合図のように、ホールにひとり、隊員が駆け込んでくる。
「きたぞ、連中が正門前に集まってる!」
隊員たちは一斉に立ち上がった。
銃器と装備の検査を一分以内で済ませ、所定の位置につく。
福円はすこし後方、前衛が倒れ次第発砲することになっている。
「数は、何人だ」
「それほど多くない。二十か、三十だ」
「つまり、ひとり一殺ってところか」
だれかが笑う。
「できるだけ殺さずに制圧しろっていわれてるだろ」
「精霊使いを制圧するには、殺すしかない。でなきゃ、殺される」
外から、雄叫びが聞こえてきた。
なるほど、数はさほど多くない。
福円は妙に落ち着いている。
くるならこい、という気分で、ライフルを構える。
ホールの入り口は、大きな扉で閉ざされている。
それがゆっくりと内側へ開いた。
若い男が、ひょっこりと顔を出す。
「撃て!」
三つの銃声がほぼ同時に響いた。
破裂音がホールに反響し、耳が痛くなるほどの大音量になる。
顔を出した男は慌てて扉の奥に消えた。
それを、六人が追う。
扉を開け放ち、外へ向けて発砲する。
福円はその後ろに控えている。
見たところ、敵は十人程度だ。
銃声と銃弾に驚いて、広い庭を逃げまわっている。
まるで戦いの意思も感じられない、一般人のようであった。
格好も普通の若者といったところで、これといった武器も持っていない。
あれが敵か。
制圧も容易そうだ。
にい、と福円は笑みを浮かべる。
集合している隊員はどれも生え抜きのエリートである。
比較的近くにいる的を、外すようなことはない。
ぱあん――と銃声が響き、ひとり、男が倒れた。
頭からどろりとした血が流れ出す。
それを見て、ほかの男たちは余計に恐怖したらしい。
あろうことか、背を向けて、逃げ出す。
撃ってくれ、といっているようなものだ。
当然、狙い打つ。
五人倒れた。
そこを、さらに撃つ。
頭を狙い、正確に即死させる。
開いた門の向こうに十人ほど逃げていった。
そこまでは、追っていかない。
庭に残った数人を優先的に始末する。
それは、管理された森で狩りを楽しむようなものだ。
逃げ惑う人間を、だれの弾が仕留めるのか無言のうちに競う。
なかには、逃げることを諦め、向かってくる者もいる。
一度、精霊使いの身体能力をまざまざと見せつけられたことのある福円はどきりとしたが、向かってきた男はその能力を発揮しないうちに射殺された。
おかしい、と福円は思う。
精霊使いにしては、あまりに呆気ない。
これでは、人間と大差ないではないか。
こんなものが何十人集まっても、敵ではないが――。
「精霊石を回収する。援護しろ」
前線に立つ隊員たちが、石造りの階段を降りていく。
福円はライフルを構え、新たな敵が出てこないか警戒した。
隊員たちは倒れた男に近づき、ひとりずつ慎重に身体を探っていく。
精霊石を取り上げることに頭上にかざしてみせ、隊員同士で歓声を上げた。
第一撃で仕留めたのは九人である。
すべてが精霊石を持つ精霊使いで、精霊石の回収も無事に終わる。
今度は隊員が交代して、福円たちが広場へ下りた。
死体を片づけるためである。
ふたり一組となり、死体の足と頭を持ち、隅のほうへ運ぶ。
死亡を確認しているとはいえ、つい数分前まで生きていた人間である。
すこし揺らすと、それをきっかけに動き出しそうで恐ろしい。
そうでなくても、死体からは赤い血が滴り落ちている。
その、奇妙な粘り気を持った深紅の液体が、まったく別の生物のように思えてくるのだ。
ぽたり、ぽたり、と地面に溜まって、背中を見せた瞬間にそこからなにかが襲いかかってくるような気がする。
戦いが終わって、弱気が出ているのだ。
福円は平然と任務をこなしていく同僚を見ながら、自分もそうあるべきだと考える。
感情をなくすことも、ときには必要なのである。
死体を片づけると、再びすべての隊員が持ち場に戻る。
任務は続く。
次の襲撃に備えて、マガジンを交換し、待機する。
しかし一度敵を退けたことで隊員のなかには陽気が生まれていて、福円が持ち場に戻ると、後ろからほかの隊員が話しかけてきた。
「おまえたちが外で見たっていう精霊使いも、あんなもんだったのか? 大したことねえな、精霊使いなんて」
「ぼくたちが見たのはもっと強かったと思うけど……いまのは、まるで普通の人間みたいだったな」
「どれも、あんなもんなのさ。精霊使いなんておれたちの敵じゃねえ。もしかしたら日本の精霊使いの暴動はあれで終わりかもな。連中、半分以下になったし、あんなに無様に逃げちゃあとが続かない」
「どうかな。まあ、待機命令が続くかぎりは待機しないと」
「連中、霞ヶ関のほうへ逃げていったらしい」
と通信係りが声を上げる。
「人数もばらばららしいから、普通の警察で充分だな。そのあとからほかが続いて出てくる気配もない」
「呆気ないもんだな、終わってみると」
ひとりがのんきにあくびを洩らす。
「これが日本の未来を左右するかもしれん、なんて意気込んできたのに、五分で世紀の大決戦は終わりだぜ。もうちょっと訓練の成果を見せたかったよ」
「おまえ、ほとんど訓練はサボってただろ」
けらけらと何人かが笑う。
そのなかで、国龍千明は真剣な表情を崩していない。
福円はそれが気になって、千明に近づいた。
「班長、大丈夫ですか」
「多少、緊張はしている」
千明はぎこちなく笑う。
「いまから緊張、ですか。もう戦いは終わったのに?」
「まだ終わっていないよ」
「終わっていない……?」
「さっきのは、敵ではない。ただ精霊使いに生まれたというだけの人間だ。そんなものが何人きたところで相手ではないが、本物の精霊使いが必ずやってくる。そうなれば、総力戦になるだろう」
「本物の精霊使いですか」
「精霊使いとして生まれ、精霊使いの訓練を積んできた者だ。不破学園で見たものに比べて、いまの精霊使いはレベルがちがうと思わないか?」
「たしかに――でも、彼らが暴動を主導していたなら、それが潰えたことで後続は出てこないかもしれませんよ」
「いや、彼らはくる。この国を獲るために、戦うはずだ」
その預言めいた言葉は、一時間もしないうちに的中することになる。
戦いは終わり、それでも待機命令は解けず、隊員たちにも怠惰な空気が感じられるようになったことである。
こんこん――と、扉を叩く音がする。
隊員たちは一瞬で静まり返り、扉を見た。
また、こんこん、とノックする音が響く。
同じ隊員がノックをするはずはない。
かといってほかのだれが国会議事堂の正面入り口をノックするだろう。
異様なノックの音であった。
こん、と三度目が鳴る。
そもそも扉には施錠などされていない。
開けようと思うなら、だれにでも開けられる。
ひたすら開けられるのを待っている時点で尋常ではない。
「おい、だれがきたんだ。外からの連絡は」
「それが、通信ができないんだ。どれだけ呼び出しても相手が出ない」
「まさか――さっきのやつらが戻ってきたのか?」
「いや、別の連中だろう」
「開けるか」
「どうせ、向こうが開けて入ってくる」
「その前に先手をとったほうがいい」
「開けるぞ。構えろ」
前衛後衛と関係なく、全員が銃を構える。
ひとりが前に出て、扉に手をかけた。
こんこん、と、まだしつこくノックが響く。
隊員が目で合図して、扉を薄く開けた。
瞬間であった。
爆発でもしたように扉が吹き飛ぶ。
猛烈な勢いで吹き飛んだ扉は天井近くまで舞い上がり、隊員の何人かを巻き添えにしながら落下した。
そのときには、何十人かの敵が風のように入り込んでいる。
「撃て、撃て!」
一瞬にして国会議事堂は銃声と絶叫が飛び交う戦場になった。
とにかく、敵の数が多い。
百人では利かない。
そのすべてが恐ろしく強い。
銃口を向けるあいだに、敵は銃口の先から外れて、懐まで入り込んでいる。
そして素手で銃をたたき壊し、あるいは自慢げに剣を振って、力の差を見せつけるような態度を見せる。
刃を持った風が吹き荒れているようであった。
目にも止まらぬ攻撃で、ばたばたと隊員が倒れていく。
分厚い防弾チョッキなど易々と貫通し、銃弾より速く動くような連中である。
隊員のほうでも必死に銃を撃つ。
敵、味方など見定めているひまはない。
味方なら防弾チョッキを着ているから大丈夫だろうと、とにかく引き金は常に引き続ける。
それでもだめだと思う隊員は、国会議事堂の奥へ逃げ込んでいく。
それを何人かの敵が追う。
迎え撃っては逃げ、また立ち止まって迎え撃つ。
そうして戦場はすこしずつ広がり、戦況は読みづらくなっていく。
数と力では精霊使いたちが有利である。
しかし人間にも意地がある。
ここで負けたら終わりだ、とだれもが理解しているから、最後の瞬間まで戦い続ける。
死がくすくすと笑っていた。