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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第三話
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第三話 15

  15


 レドモンドはヘリに乗ってからもぶつぶつなにか呟いているようだったが、頭上で回転しているローターの騒音で言葉までは聞き取れなかった。


「なにかおっしゃいましたか、レドモンドさん」


 と担当者が聞き返すと、レドモンドはすこし顔を上げて、


「神へ祈ってたんだ」

「それは、どうも……邪魔をしてすみません」

「冗談さ。おれは神なんて信じてねえ。悪魔なら信じてもいいがな――実際、悪魔はいると思うぜ。あんた、見たことはあるかい」

「悪魔を、ですか。いえ」


 悪魔を見た、と言い張るようなオカルティストか、と担当者は眉をひそめる。

 レドモンドはそれを見て笑うと、


「おれも見たことはねえんだが、悪魔みたいな人間なら何人も見てきた。金を口実にひとを殺すやつ、女を口実にひとを殺すやつ、まあ種類はいろいろだが、一言でいうなら殺人狂だ。あんた、本は読むかい?」

「は、本ですか」

「小説だよ。おれはよく読むんだ」


 話がよく飛ぶ男である。

 一見、レドモンドという男はいかにも屈強な軍人タイプで、神学と文学よりも戦争と女の話を好むような人間に見える。

 この男が警察官をやっている、というところまでは納得できるが、文学を理解できるほどナイーブな神経の持ち主には思えなかった。


「モーパッサンって作家を知ってるか。フランスの作家なんだが、こいつ曰く、人間の根本にあるのは殺害欲求らしい。ひとはだれにも、殺したくて殺したくて仕方ねえってことだ。子どもがアリを踏みつぶすのも、大人が戦争をはじめるのもそのせいだとこいつは言ってる。なるほど、と思うよ。たとえば強盗殺人をしたやつ。こいつは金がほしかったんじゃない、殺す快感のついでに金を奪っていくんだ。なにしろ金だけがほしいならもっと効率のいい方法がある。ひとを殺して、たかだか百ドルじゃ割に合わねえ。そうだろ?」

「まあ、そうかもしれませんが」

「強姦殺人も似たようなもんさ。放火殺人も、怨恨の殺人でさえ、目的は人殺しそのものなんだ。だから若者は兵隊になりたがる。兵隊になりゃ、敵を殺し放題だからな。おまけに給料をもらえて、うまくやりゃ国の英雄だ。これほどうまい仕事はねえ。で、だ。なんでおれが警察官になったか、あんたにわかるか?」

「それは……」


 担当者は口ごもる。

 脈絡を読めば明らかである。

 レドモンドはにっと笑った。


「正義のためさ。おれは悪党がきらいでね。ガキのころは正義の味方に憧れたもんだ。おかげさんで、いまでは悪党から毎日のように実弾が届く。手を引かねえとどうなるかわかってるだろうな、って脅しさ。くだらねえから、送られてきた銃弾をそいつの脳天に叩き返してやる。いまじゃおれも立派な警察官になった。これも全部、おれが墓を掘ってやった連中のおかげだ。あんたはあるかね、ひとを殺したこと?」

「い、いえ、ありません」

「そうかい。それがいい。あれは、くせになる。一度やると、どうもだめだ」


 レドモンドはふと窓の下を見下ろす。


「ところで、おれはどこに連れていかれるんだ。セント・ヘレナか?」

「ワシントンです。ご説明したと思いますが」

「ああ、そうだったな。思い出した。ホワイトハウスを乗っ取った連中を殺しにいくんだったか。しかし、なんでわざわざニューヨーク市警のおれを呼ぶ? グリーンベレーあたりのほうが適任だと思うが」

「それは、現地で詳しくご説明しますが、あなたが非常に優秀な警察官であるからです」

「ふむ、わかったぜ。おれは勘がいいんだ。おれ以外の連中は、みんな殺されちまったわけだな。それで、残りはおれか殺し屋かってことになっちまったんだ」

「そういうわけでは」

「いいさ、気にしちゃいねえ。ケネディを殺したやつかジョン・レノンを殺したやつかおれかって選択肢なら、間違いなくおれを選ぶべきだ。あいつらはひとりしか殺してねえ。おれはもっと殺してる」


 ヘリは人通りが完全に封鎖されたスミソニアンの広場に下りる。

 ローターの轟音に身をかがめながらヘリを下り、担当者はレドモンドを総合司令室へ案内した。

 それは付近にあるFBIの本部に間借りしており、その周囲まで含んで一般人の立ち入りは禁止されていた。

 すでにそのような体勢になって三日経つ。

 報道陣さえ追い出されている状況で、テレビではしきりに司令本部の無能さを嘆いているが、本部としても全力でホワイトハウス奪還作戦を進行しているところだった。

 レドモンドはFBI本部を観光客のように眺めながらなかに入り、そのまま一直線に二階の会議室へ向かう。

 そこはいかにも実務的な司令室である。

 奥のホワイトボードにはホワイトハウスの見取り図が張り出され、円形のテーブルにはいくつもの書類が散らばっている。

 しかし人間は存外にすくない。

 ホワイトボードの手前にひとり、スーツ姿の男が立っている。

 四十をすぎたばかりに見える若い男だが、容易ならぬ気配を持っている。

 ほかに、入り口に近い場所に五人ほど男たちが座っていた。

 彼らの風貌は様々である。

 レドモンドと同じく、軍人か警官かというような体格の大男もいれば、肉体労働より頭脳労働を好むような色白の男もいる。

 黒人もいればアジア人もいて、さながらアメリカの縮図のような人選であった。

 レドモンドが到着すると、案内役の担当者はすぐに会議室を出ていく。


「これで全員が揃ったわけだが」


 とホワイトボードの手前に立つスーツの男が口を開いた。

 よく通る、低い声であった。


「それぞれに自己紹介をしているひまはないことを理解してほしい。われわれはすぐ仕事に取りかからなければならない」

「おれはてっきり副大統領が待ってるんだと思ったんだが、ちがうようだね」


 レドモンドはにやりと笑って言った。


「副大統領に会ったら、その幸運を分けてもらおうと思ってたんだが」

「きみたちの指揮をするのはわたしだが、当然その背後には副大統領ならびに亡くなった大統領の意思があるものと考えてくれていい。では説明に入る。席につきたまえ」

「まるで学校だな」


 おとなしく、レドモンドは近くにあった椅子に座る。

 もっとも近くに座っているのは色白の白人で、レドモンドは握手の手を差し伸べたが、相手はちらりとレドモンドの手を見ただけで無視した。


「これがホワイトハウスのレジデンス、いわゆるメインハウスの見取り図だ」


 男は指揮棒でホワイトボードを指す。


「諸君は、ホワイトハウスはすべて占拠されたものと思っているだろうが、実際に占拠されているのはこのメインハウスのみである」

「ナイトやクイーンを通り越して一気にキングを取られたってことか」

「形状としてはルークではないか」


 とアジア人らしい男が呟く。

 レドモンドはうなずき、


「ルークを取られて、キングを殺されたんだ。チェスなら負けだが、現実にはポーンが生きてる。ポーンで城を取り返してやろうじゃねえか」

「諸君にやる気があるのはいいことだが、敵を甘く見るな。いままでもいくつかの部隊がメインハウスに突入したが、すべて連絡が断絶している」

「だからおれたちみたいな寄せ集めになったんだろう」

「否定はしない。説明を続ける。まずきみたちは南からメインハウスに侵入する。内部の状況はわかっていないが、侵入直後に敵と遭遇する可能性もある」

「ひとつ、質問があるんだが」


 と黒人の男が手を挙げた。


「いいかね、先生」


 スーツの男は肩をすくめる。


「なにかな」

「犯人の射殺許可は、当然出ているんだろうな」

「やむを得ない場合に限り、許可は下りている」

「そのやむを得ない場合ってのは、現場判断でいいんだよな。おれたちが殺すしかねえって感じたら、それでいいんだろ?」

「立場上、いちいち許可を待つ必要はない、としか言えないな」

「充分さ」


 黒人の男は陽気に笑う。


「続けてくれよ、先生」

「――このなかでメインハウスを見学したことがある者はいるか」


 だれも返事をしない。


「ふむ、では一から説明しよう。侵入口になるのは一階の南側、大統領公園のザ・エリプス側だ。南側から、まずこの部屋、グリーンルームに侵入する。そこを抜け、イーストルームへ入るが、このイーストルームは例の中継が行われた場所だ。犯人グループが拠点にしている可能性がある。まずここまで侵入し、犯人グループとの接触がなかった場合、地下と地上の部屋を捜索することになる。犯人グループと接触があった場合は最優先で制圧する。むずかしい作戦ではないだろう」

「わかりづらい作戦ではないが、もっと簡単な言い方がある。皆殺し、と一言で伝わるぜ」

「制圧、だ。無事に制圧できるなら、それに越したことはない」

「犯人グループは全部で何人なんだ」


 レドモンドが言った。


「テレビは見たが、四、五人とか、五、六人とか、曖昧にしか言ってなかった」

「本部では五人から七人と見ている」

「それもわかってねえのか。先行部隊はろくに報告しねえうちに死んだんだな。じゃあ、最初の部屋で連中を皆殺しにしても、一応は全部の部屋を回るってことか」

「そういうことだ。理解してくれたようでうれしいよ」

「作戦開始は?」

「十分後。となりの部屋に装備がある。準備したまえ」


 男たちは立ち上がり、ぞろぞろと会議室を出ていく。

 隣室もやはりもとは会議室のようだったが、そこは防弾チョッキや火器を揃えたロッカールームになっている。

 六人の男たちは手慣れた様子で防弾チョッキをつけ、拳銃の点検をはじめた。


「リボルバーはさすがにねえか」


 とひとりが呟く。


「オートは苦手だ」

「いつの時代の人間だよ、おまえさんは。ジャムるのが不安なのか?」

「好みの問題だ。おれはリボルバーが好きなんだよ」

「ビートルズなら、おれもそうだがな」

「ライフルはどうする? M16とスカーがある」

「断然スカーだろう」

「おれはM16でいい。昔、軍にいたとき使ったことがある」

「もと軍人か。いまは?」

「カリフォルニアでアイスクリームを売ってる」

「おまえさんはどうする?」

「おれは拳銃だけでいい」


 レドモンドは答えた。


「なにしろ警官なんでね。アサルトライフルの使い方はわからねえ。邪魔なだけだ」

「簡単なもんだぜ。銃口を相手の眉間に押し当てて引き金を引けばいい」

「ぼくも拳銃だけでいい」


 とアジア人の男は自分のベルトから銀色に輝く拳銃を取り出した。


「ほう」


 レドモンドはちいさく唸る。


「ワルサーPPKか。洒落てるねえ」

「慣れたものがいちばんだ。ちがうか?」

「いや、そのとおりだ。おれも自分のやつを使う」

「だれがいちばん多く仕留められるか、勝負しねえか」


 と黒人の男が言った。


「敵は五人から七人だから、最低、ひとりにひとりずつはあるわけだ。もし七人以上なら、ふたりやれる」

「勝者にはなにかあるのか」

「おれの嫁の手料理を食わせてやる」

「そいつはいまいち惹かれねえな」

「ばか言え、大統領お抱えのシェフよりうまいぜ」

「こういうのはどうだ」


 レドモンドはベレッタの弾倉に弾を込めながら言った。


「多く殺すってことは、それだけ地獄に近づくってことだ。どうせなら、頭の先まで浸かってやろうじゃねえか。勝ったやつは、負けた連中の金ですげえ女を買うってのは?」

「それならいいぜ、やりがいがある」

「決まりだな。いちばん多く仕留めたやつはこの国でいちばん高い女を買う」

「ふん、くだらん」


 アジア人の男は鼻を鳴らす。


「ぼくには関係ないことだ」

「おまえさんも参加するだろ? 買う女は、ブロンドでなくてもいいんだぜ」

「女にも国の英雄にも興味はない。金さえもらえればいい」

「ふむ、それも一理あるな。まあ、やりたい連中でやろうぜ。参加者は?」


 六人中、五人が手を挙げる。

 不参加はアジア人の男のみであった。


「武器は自由でいいんだよな。アサルトライフルを使っても?」

「もちろん、やりたいようにやればいい」

「いっそのことホワイトハウスごとミサイルでぶっ潰してやりゃ楽なんだが」


 男たちはひとしきり笑う。

 そこにスーツの男が入ってきて、一同を見回した。


「準備はできているようだな。すぐに出られるか」

「もちろん。やる気は充分さ」


 完全武装した男たちは部屋から出て、FBI本部の前に横付けされた米軍のトラックに乗り込んだ。


「こういうときは黒塗りの高級車で送ってほしいもんだぜ」

「行きはトラックでも、帰りは高級車でお出迎えだ」

「霊柩車にならきゃいいがね」


 車に乗っている時間はほんの数分である。

 ザ・エリプスと呼ばれる楕円形の公園でトラックは止まった。

 スーツの男はトラックから降りず、


「ホワイトハウス奪還は全アメリカ人の悲願だ。きみたちの成功を信じている」


 と発破をかけてそのまま去っていた。

 残された六人はそれぞれに武器の最終確認をして、ホワイトハウスの南側から接近する。

 前方には大きな広場があり、その先にホワイトハウスの巨大な姿が控えている。

 敷地内の広場に入った時点で、全員が銃を構えていた。

 当然、安全装置も解除している。


「連中がどこで仕掛けてくるかわからねえが――」


 と黒人の男が言った。


「いまのうちにメインハウスのなかでの行動を決めようぜ。最初に突入するのはだれだ?」

「もちろん、おれが行く」


 白人の、二メートル近い身長を持つ男が言った。


「優勝を狙ってるんでね。一番手は有利だ」

「じゃあ交代で行くか。最初に突入するのはおまえさんで、次の扉はおれが行く。その次は警官のおまえさん、そこから時計回りでいいな」

「敵はもちろん、見つけたやつが撃っていいんだよな」

「その前に死なねえように気をつけるべきだろうがな。なんせ、相手は精霊使いだ」

「なに、慣れたもんさ」


 横一列に並んだ男たちはサウスローンと呼ばれる最後の広場を越え、ホワイトハウスの間近に迫った。

 屋上からの射撃を警戒し、全員が壁に張りつく。

 黒人の男が、正門から見て裏口に当たる扉の前に立った。

 扉は施錠されていない。

 すでに先行する部隊が開けていったらしく、扉は荒々しく破壊されていて、ぎいぎいと音を立てながら揺れているような有り様である。

 長身の男が、まずその扉を蹴破って突入した。

 同時にほかの男たちもなだれ込む。

 銃口を室内に向け、奥、左右とすばやく窺う。


「ここは外れか」

「次は右側の扉だ」


 先ほどと同じように全員が扉の前に集合し、そのうち何人かは周囲を警戒する。

 今度の扉は、壊れていなかった。

 先に扉を薄く開けておいて、黒人の男が飛び込む。

 そのあとからレドモンドも続いた。

 そこは、グリーンルームという名前のとおり、壁紙が一面緑に装飾された部屋である。

 きらびやかな照明、重厚な机や椅子と、いかにも高級そうなものが並んでいる。

 床は分厚い絨毯で、奥には暖炉があり、その上に何枚か絵が飾ってあった。


「ここも外れ、と」


 それほど広くはない部屋である。

 一目でだれもいないことはわかる。

 家具にも乱れはなく、ここでは血なまぐさい戦闘は行われなかったらしい。


「次はおれか」


 レドモンドが先頭に立つ。

 見取り図によれば、その先はクロスホールと呼ばれる廊下状の空間である。

 これまでと違い、広い空間であることがわかっているから、複数の方向からの襲撃に備える必要があった。

 全員が扉の前に集合する。

 レドモンドが突入の目線を送り、扉を蹴り破った。

 どっと男たちが廊下に飛び出す。

 レドモンドは真っ先に左に銃口を向け、それから右、頭上へ振った。

 その時点で床に倒れているものには気づいていたが、動くものだけを警戒しているレドモンドはほとんど意識せず、残りの空間を探っている。

 横に長い廊下である。

 メインハウスの中央を貫くホールには、赤い絨毯が敷かれている。

 所々には椅子も置かれていたが、それらのほとんどはひっくり返ったり破壊されたりして、ばらばらになっていた。

 天井からぶら下がったシャンデリアも半ば壊れ、重心がずれたように斜めになってぶら下がっている。

 明らかな戦闘の痕跡を見た一行だったが、肝心の動く人影は発見できない。

 ホールは静まり返り、生ける者の存在は感じられなかった。

 しかしホールに面した扉は多く、そこからいつ敵が出てくるとも知れない。

 レドモンドは警戒したまま、廊下を進んだ。

 ひとが倒れている。

 黒い防弾スーツを着た人間が、全部で三人、廊下の隅に積み上げられていた。

 レドモンドがそれを確認しているあいだは、ほかの五人が警戒を続ける。


「息は?」


 とレドモンドの後ろで、黒人の男が言った。


「ない」


 レドモンドは俯せになったひとりをひっくり返す。

 三十すぎの男であった。

 肌は蝋のように白くなり、反対に唇は紫色に変色している。

 見ると、首筋に裂傷があった。

 出血は大量だったようだが、いまはすっかりそれも凝固し、赤黒い傷口を晒している。


「首を切られたらしい。向こうはやっぱり刃物だ」

「精霊使いなんだぜ、当然だろう」

「血痕はこっちにある」


 とアジア系の男が足下を指さした。


「それからもうひとつ、向こうにも見える」

「殺してから、邪魔だからここへ運んだのか」

「いいねえ」


 レドモンドはうなずいた。


「この悪党ぶり、ぞくぞくするぜ」

「次はどこだ。奥の部屋か」

「イーストルーム。右側の扉だ」


 背後を気にしながら、男たちはその扉に近づいた。

 今度は、さほど体格はよくない、やけに色白の男が先頭に立つ。

 戦闘には向いていないように見えて、銃器の扱いにはだれよりも慣れている男だった。

 彼のすぐ後ろに控えるふたりが室内へ飛び込み、残りの三人はホールで警戒に当たる。


「行くぞ」


 動物の悲鳴めいた高い声で男は言って、扉を蹴破った。

 レドモンドはホールの奥に銃口を向けながら、背中で室内を気にしている。

 入って一、二秒で敵の姿がないことはわかった。

 室内から銃声が聞こえてこないためである。

 それを確かめ、レドモンドも背中から室内に入る。

 入ったとたん、血の匂いが鼻をついた。

 ホールを除けば、いままでいちばん広い部屋である。

 白を基調とした部屋で、壁には格式のある意匠が彫り込まれ、天井からは大きなシャンデリアがぶら下がっていた。

 しかしいまの印象は、惨状である。

 広い空間には、いくつもの死体が折り重なっていた。

 高級そうなスーツを着た死体の上にコックの衣装を着た死体が乗り、さらに上には防弾チョッキを着たシークレットサービスらしい男の死体がある。

 ざっと数えて、二十以上の死体である。

 それらから濃密な血の匂いが放たれ、陰惨な現場に慣れている彼らもさすがに顔をしかめた。


「死体安置所のつもりか」

「安置ってほど安らかじゃなさそうだが」

「見ろ」


 と黒人の男が部屋の奥を指さす。


「例の中継場所だぜ」


 部屋の奥の一角には、ちいさな舞台が作られていた。

 三十センチほどの高さがある舞台の後ろには星条旗が掲げられ、それを映すように大きなカメラが二台置いてある。

 そして舞台の上には、大統領の死体が横たわっていた。


「ふん――」


 レドモンドは鼻を鳴らす。


「あの中継は、本物だったんだな」

「偽物だと思ってたのか?」

「そういうこともあるかもとは思ったよ。大統領はでかい切り札だろ。もっと有効利用できそうなもんだが」


 男たちはそろそろと舞台に近づいた。

 大統領の死亡を確認しようとしたのである。

 しかし意識が舞台上に注がれた一瞬、室内に黒い影が飛び込んできた。

 黒人の男が真っ先に気づく。


「きたぞ、敵だ!」


 同時に引き金を引き、遅れて何発か銃声が鳴る。

 飛び込んできたのは、ひょろりと背が高く、枯木のように痩せた男である。

 Tシャツにジーンズという格好で、銃を避けて真上へ飛び上がると、シャンデリアにぶら下がった。

 ゆっくりと揺れるシャンデリアの上で、男はにっと笑う。


「今度はどこの部隊だ? 黒人に黄色人、白人の体力馬鹿にナードか」

「寄せ集めの殺し屋さ」


 ふたつ、発砲音が響いた。

 男はシャンデリアから壁へ飛び移り、そこからさらに跳躍して反対側の壁に掴まる。

 まるで巨大な昆虫めいた動きである。

 長い手足は恐ろしいバネを秘めていて、目にも止まらぬ速さで男は室内を移動する。


「化け物め――」


 黒人の男が腰を落とし、アサルトライフルを構えた。

 フルオートに設定して、引き金を固定する。

 どどどど、と地響きのような銃声が鳴り、壁や天井といわずあらゆる場所に銃弾が飛ぶ。

 壁にはいくつものちいさな穴ができ、シャンデリアのガラスが砕けて頭上からぱらぱらと降ってくる。

 すき間なく銃弾をばらまいたつもりだったが、相手の男はそれが自分のもとへくる前にぐっと地面を蹴り、距離を詰めていた。


「おうっ――」


 黒人の男は、間近に迫った敵を見て後ずさる。

 それより速く、精霊使いの男の手がすっと走った。

 骨を断つような音はまったくしなかった。

 ただ、刃物がすっと空間を通過しただけのように見える。

 なんだ、と、斬られた本人さえ不思議な表情を浮かべた瞬間、右の頸動脈から噴水のように血が噴き出した。


「あ、あ……」


 黒人の男は慌てて首を手で押さえたが、指のあいだから激しく血が漏れ出している。

 精霊使いの男は唇を歪めて笑った。

 瞬間、


「おっと」


 銃声が響き、男は真後ろへ飛んだ。

 レドモンドはちいさく舌打ちをして、次の一撃を狙う。

 しかし引き金は引かなかった。

 よほど油断でもしていないかぎり、連射のできない拳銃で精霊使いを仕留めることは不可能なのだ。


「もうちょっと遊んでやるぜ。三階のテラスにこい。広いところのほうがいいだろ?」


 男は、ききき、と奇妙な笑い声を残し、部屋を出ていった。

 レドモンドはすぐに扉へ駆け寄り、廊下に銃口を向けたが、すでに男の姿は消えていた。


「くそ、止まらねえ。なんで止まらねえんだ」


 室内では、黒人の男が必死に手で傷口を押さえようとしている。

 アジア人がそれをやめさせ、包帯を使って傷口を絞めたが、それでも血は止まらなかった。


「寒ぃ、ちくしょう」


 黒人の男はがたがたと震えながら床に横たわった。

 絨毯が、あっという間に血に染まっていく。

 すでに致死量の血を流している。


「医療班を呼んで、間に合うか?」


 レドモンドが言った。


「手遅れだ」


 だれともなく呟いた。

 レドモンドは腰をかがめ、黒人の男に言った。

「なにかしてほしいことはあるか。このまま血を流して死ぬのは、いやだろう」

「どうせ死ぬんなら、さっさと殺してくれ。寒い、寒いんだ」

「わかった。じゃあな」


 レドモンドは銃口を男の眉間に当てた。

 褐色の肌のなかでやけに目立つ白い目がレドモンドを見上げた。

 引き金を引く瞬間も、レドモンドは目を逸らさなかった。


「この場所に置いていくか。それとも、外に出して回収できるようにするか」

「外に出す必要はねえだろ。どのみち、あいつらは死ぬのさ。おれたちが殺すんだ。そしたら、このなかに置いてあっても回収できる」

「もっともだ」


 男たちは立ち上がり、先ほどいくらか消費したマガジンを入れ替えた。

 黒人の男が持っていた拳銃とアサルトライフルも回収して、レドモンドが持つ。


「三階だって言ってたな。そこで待ってるんだろうが、行くか?」

「行くしかないだろう」


 アジア系の男が言う。


「敵の全員がそこに集まっているというなら、手間が省ける」

「罠かもしれんぜ」

「はまってやろうじゃねえか。なにせ、もうこっちは向こうの腹のなかに入ってるようなもんだ」

「作戦会議でもしていくかね」

「作戦なんてねえよ。見つけて、撃って、殺すだけだ」

「たしかにな」


 男たちは、入ったときからひとり欠いて、部屋を出た。

 廊下状のホールは直接エントランスホールに繋がっていて、そこに階段がある。


「いちいち高そうな絨毯が敷いてあるな」

「国の中心ってのはそういうもんだろ」

「足音が消えて、敵との距離がわからねえ。ここは見栄のせいで占拠されたのかもな」


 二階は、一階に比べて細々とした部屋が多い。

 短い廊下にはいくつもの扉があり、一階の宮殿然とした雰囲気に比べれば、さしずめ高級住宅というところであった。

 五人はそれを一瞥し、さらに階段を上がった。

 三階部分は、それまでの二階とは構造がちがっている。

 階段を上がると廊下があり、その向こうに、広々としたテラスが見えている。

 ホワイトハウスの名のとおり白を基調にした外観で、いまも夏の強い日差しを受けてきらきらと輝いているようだった。

 男たちは銃を構えながら、テラスに出る。

 この偉大な施設を占拠した犯人たちは、横一列に並んで待っていた。

 数は全部で四人だった。

 うちひとりは、先ほど階下で一戦交えた長身痩躯の男である。

 もうひとり、見覚えのある男がいる。

 四人のなかではいちばん年長で、厳めしい顔をして腕を組んでいる男である。


「あんたの中継、見てたぜ」


 レドモンドはその男に言った。


「こんなところで世界一の有名人に会えるとは光栄だな。さっき、下で大統領とも会ったが、それよりも感動的だよ」

「あの男は、愚かだった。命乞いをして、精霊使いに対する制度を改めるというのだ。われわれがそのようなことを求めてこの城を占拠したとでも思っていたらしい」


 四十がらみで無精髭を生やした男は、迷いのない口調でしゃべる。


「じゃあ、あんたらの目的は?」


 レドモンドは言った。


「精霊使いに対する制度を見直す以外に、なにかあるのかい」

「革命だ。世界を変えるつもりなのだ」

「ふん。合衆国の大統領を殺して、世界は変わったかい?」

「変わろうとしている。世界中で大きなうねりが生まれているだろう。すべての精霊使いが武器を持ち、人間と戦うのだ。その先には必ず精霊使いの勝利があり、精霊使いの支配する世界がある」

「こいつはまた、質の悪い革命家がいたもんだ」

「革命家などどれも似たようなものだ」


 とアジア系の男が呟いた。


「まあ、そうかな」


 レドモンドもうなずき、彼らも自然と横一列の並びになる。

 精霊使い四人に対して、彼らはひとり多い。

 レドモンドは自然と対面にいるひげ面の男に向かう。


「人間など何人きても同じだと思い知らせてやろう」


 ひげ面の男は代表者然としていたから、動くなら最後だろうとレドモンドは予想していたが、それに反して最初に動いたのがその男だった。

 たん、と軽く地面を蹴り、飛び上がる。

 ワイヤで吊されたように数メートル飛び上がって、そこから恐ろしい速度で落下してきた。

 レドモンドは地面を転がりながら、銃口を男に向けた。

 しかしその先に男の姿はない。

 レドモンドのすぐ真上まで飛んで、踏み抜こうとしている。


「くっ――」


 できるだけ身体を曲げ、男の足を回避する。

 男は着地してすぐ、レドモンドの腹を蹴り上げた。


「ぐあっ――」


 レドモンドの身体は小枝のように吹き飛び、テラスに面したガラス窓を割って室内の壁に叩きつけられる。

 すかさず男が距離を詰める。

 レドモンドは銃を構え、引き金を引いた。

 銃弾は男の頬をかすめる。


「ほう」


 男はちいさく唸った。


「ためらいなく頭を狙うか」

「精霊使いとの戦い方はわかってるつもりだ。一発で頭をぶち抜かねえと回復しちまうだろ」

「身体能力も治癒力もこちらが上、勝ち目はないと思うが」

「どうかな。やってみなくちゃわからねえだろ」


 レドモンドは男の横を抜けてテラスに出る。

 テラスでは、ほかの戦いもはじまっていた。

 銃声は止まず、強く地面を蹴りつける音があちこちから響く。

 レドモンドは距離をとって銃を構えた。

 男はぬっと銃口の前に立つ。

 レドモンドは二度引き金を引いた。

 男は軽く首をひねって躱し、一瞬でレドモンドの懐に飛び込む。


「ふんっ」


 足を踏ん張り、真下から拳を突き上げる。

 レドモンドの身体がぐっと浮き上がった。


「へへっ」


 とレドモンドが笑う。

 やわらかい腹は、両腕で守っている。


「この距離なら銃も役に立つだろう」


 レドモンドは銃口を男の腕に押し当て、引き金を引いた。

 男はレドモンドの身体を放り投げ、さっと後退する。

 右腕の肘のあたりから、だらだらと血が流れ出している。

 男は表情を変えず傷を見下ろし、レドモンドを見た。


「無駄だと悟らぬか」

「すぐ治っちまうんだろ。その前に終わらせてやる」


 今度はレドモンドのほうが地面を蹴り、男に近づいた。

 ふと、手ぶらだった男の左手に、細長い剣が現れている。

 男はぬっとそれを振った。

 レドモンドの左腕が、宙に飛ぶ。

 驚いた顔をしたのは男のほうである。

 レドモンドは切り落とされた腕には注意を払わず、そのままの速度で男に体当たりを仕掛けた。

 どうとふたりは倒れ、レドモンドは男に馬乗りになった。


「運だと思うかい?」


 レドモンドは銃口を男の眉間に押しつける。


「あんたの右腕が使い物にならなくて、左腕で攻撃するしかなかったのは運だと思うかい。その攻撃のためにおれが銃を右手に持っていたのも、こうやってあんたの頭に鉛の弾を撃ち込もうとしてるのも、運だと思うかい?」

「――人間ごときが!」


 男が吠える。

 レドモンドはふんと鼻を鳴らした。


「精霊使いごときが、犬みたいに吠えてんじゃねえ」


 銃声は一発であった。

 レドモンドは立ち上がり、はじめて顔をしかめる。

 なにしろ、腕を一本なくしているのだ。

 鋭利な剣は骨まで両断し、切断面は平らになっている。

 そこから深い赤色の血がだらだらと流れ落ちていた。


「失血死か。ぞっとしねえな」


 レドモンドは死んだ男の懐を探った。

 精霊石は、胸のポケットにあった。

 それを奪い取り、男から離れる。

 倒れるように腰を下ろし、手すりにもたれかかった。

 見たところ、戦況は五分である。

 相手方の損失は、レドモンドが殺した男を入れて、ふたり。

 こちらは一階でやられた男を入れて、すでに三人が死んでいる。


「英雄にはなれねえかな」


 レドモンドは呟いた。

 体温が急激に低下しているのが感じられる。

 そのくせ、妙な汗が噴き出してくる。

 肌はべとつき、目が霞んだ。

 その霞んだ視界のなかに、武器マニアらしい白人の男が映る。


「ばかが。血を流す前に止血をすれば死なずに済むぞ」

「腕がねえのに、どうやって止血するんだい」


 茶化すようにレドモンドは言った。

 男は自分の服を裂き、紐状にして、レドモンドの腕に巻きつけた。

 あまりにぐっときつく締めるので、レドモンドは思わずうめいた。


「その対処は正しいんだろうな。かなり痛ぇぞ」

「腕がないんだ。痛いのは当たり前だろ」

「はっ、そりゃそうだ」


 レドモンドは右腕を掲げた。

 引き金を引く。

 どん、と呆気ない音がして、男の真後ろに飛びかかろうとしていた精霊使いの男が、空中でのけぞって落下する。

 銃弾は男の眉間を正確に撃ち抜いていた。


「これで貸し借りはなしだと思うか?」

「冗談じゃない。ぼくは、これからあんたを下まで運ぶんだぜ。面倒な説明だってぼくがやるんだ。例の賭けは、ぼくの勝ちってことでいいよな?」

「ちゃっかりしてるな」

「だから生き残ったのさ」

「まだわからねえ。敵の残りは?」

「さっきあんたが倒したやつが最後だ。死体を確認して、精霊石を取ってきた」

「そうか――ホワイトハウスは奪還したわけだ」


 とくになんとも思っていないような、レドモンドの口調であった。

 レドモンドは肩を支えられ、立ち上がる。

 あたりにはいくつか死体が転がっている――即席の仲間のものもあれば、敵のものもある。

 ホワイトハウスの白い外見が、いくらか赤茶けたような色になっていた。


「生き残ったのは、おれとおまえさんだけか」

「らしいね」

「いっそ、死んだほうがよかったかもな」

「そうはさせない。あんたが死んだら、だれが金を払ってくれるんだ? 世界一いい女を買うつもりなんだぜ」

「待てよ。ってことは、おれがひとりでその金を払うのか?」

「言い出したのはあんただろ?」

「こんな状況は予想しちゃいなかった」


 レドモンドは低く唸った。


「ローンはできるか?」

「さあ、店に聞いてみろよ」


 男は笑う。


「それとも、副大統領閣下に立て替えてもらうか」

「そりゃいい。おれの治療費に盛り込んでもらおう」

「政府高官御用達の店もあるかもしれないな。そこにするか」

「いいな。やっぱり賭けはおれの勝ちだ」

「じゃあ、ここで置いていくぜ。あんたの腕の止血をしてるぼくのシャツも返してもらう」

「冗談だよ。やさしく下まで運んでくれ」


 レドモンドはため息をついた。

 アメリカを奪還した男たちは、好みの女について議論しながらホワイトハウスの階段を下っていった。

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