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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第一話
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第一話 4

  4


 榎田猛は、半ば感心と呆れが混じった表情で崩れ落ちた博物館の跡を見た。


「これはまた、念の入ったことだ」


 博物館は絨毯爆撃でもされたように、完全に瓦礫と化している。

 その入念さといったら、柱の一本も残さないほどだった。

 もとより博物館はそのように設計されていたにちがいない。

 精霊石を狙った輩が侵入したとき、自壊することで賊を巻き込み、あるいは目的の精霊石を瓦礫に埋もれさせることで容易には強奪されぬようになっている。

 博物館というわりに貴重な展示物がなかったのは、そもそも崩壊させるためだったせいだろう。


「もう一歩遅れたら、おれたちもあのなかでお陀仏だったな」


 洋一郎もさすがに肝を冷やした表情で、すぐ足下まで迫った瓦礫のひとつを蹴り飛ばした。


「見事な警備だな」


 猛は呟く。


「かろうじて瓦礫の下敷きを逃れても、精霊石を掘り出しているあいだに別の部隊がやってくるというわけだ」

「おれたちの精霊石さえありゃあ、こんな瓦礫、すぐに吹き飛ばしてやるんだが」


 ふたりは手ぶらである。

 彼らの持っていた精霊石は、ひとりの男の命と引き替えに瓦礫のなかへ隠れてしまっている。


「まずはおれたちの精霊石を掘り出して、キーストーンを探すか」

「いや、先にキーストーンを探す。キーストーンさえ確保すればいい」

「っつっても、瓦礫の下だぜ。手作業で掘り出すのか?」

「そうするほかあるまい。展示室のだいたいの場所はわかっている」

「めんどくせえなあ。でもまあ、しょうがねえか」


 愚痴を言いながらでも動くのが洋一郎らしい。

 猛も瓦礫の小山を上り、あたりを見回した。

 博物館は完全に失われているが、その周囲には被害もない。

 すこし離れた広い駐車場に学生たちが集まっていた。

 その数を見れば、偶然生き残った学生ではなく、おそらくあの男が事前に逃がしたのだろうとわかる。

 遠巻きにこちらを見ているが、気にするほどのことはなかった。

 仮に動いたとしても、一般人に遅れを取る猛や洋一郎ではない。

 精霊石を持たずとも、常人の範囲で鍛えられる部分は鍛え上げてあるのだ。


「山神洋一郎。あのあたりが展示室だ」

「フルネームで呼ぶなっつうのに」


 ふたりは手分けして瓦礫の撤去に取りかかった。

 猛がまず拳大の瓦礫をいくつか退けてみると、すぐ下に展示物が転がっていた。

 しかし肝心の青い石は見つからず、巨大な瓦礫の下に顔を突っ込んで手探りもしてみたが、指先に触れるのはごつごつした瓦礫の感触だけだ。

 急がなければ敵の第二部隊が到着してしまう。

 自分の精霊石もなくしているいま、準備万端の敵との衝突は避けなければならない。

 そもそもこうなったのは自分のせいだと猛は考えていた。

 あのとき、背後の男を放っておいてでも精霊石を懐に入れておけばよかったのだ。

 相手がさほど手練れでもないようだと気を抜いて、まず斃してからゆっくり精霊石を奪い取ればよいという驕った考えがこのような事態を生んでいる。

 あの青い精霊石、キーストーンだけは、なんとしても持ち帰らなければならなかった。


「山神洋一郎」

「あ?」

「敵の第二部隊がきたら、おれがそいつらを引きつける。おまえはそのあいだにキーストーンを持って本部へ戻れ」

「なんだあ。柄にもなく責任でも感じてんのか。こりゃおまえのせいじゃねえよ」

「わかっている。作戦上のことだ。おまえは根性がない。勝てない相手を引きつけるのには向いていないだろう」

「けっ、うるせえ……その前にキーストーンを見つけねえと、作戦もなんもねえだろ」

「ふむ、たしかに。たまにはまともなことを言う」

「たまには、じゃねえ。おれはまともなことしか言わねえぞ。なんせおれは――」

「口より手を動かせ」

「くそっ、おまえが敵だったらよかったのに」


 瓦礫を退かす。

 持てる瓦礫はどこかへ放り投げ、大きなものは地面に這いつくばってすき間を覗き込む。

 五月の太陽が、そんなふたりをじりじりと照らしていた。

 猛は流れてくる汗を拭い、一瞬、目眩のするような青い空を見上げた。


「うおっ」


 と洋一郎が声をあげたのはそのときだった。

 猛の意識が空白になったのは一秒にも満たない時間だったが、そのあいだになにがあったのか――。

 洋一郎のすぐそばに、ひとりの男が立っている。

 血が染み込んで赤茶けた服を着ている。

 中肉中背、若い男で、目元は髪で隠れていた。

 学生のひとりらしい。

 手には、細長い剣を持っている。

 刀身がごく薄く、白銀に輝き、一条の光のようだった。

 美しく、繊細で、神々しい――そんなような剣である。

 戦いを知り、死を知っている猛でさえ一瞬で魅了され、見とれてしまう。

 洋一郎もどうやら同じ不可解な感情に囚われているらしい。

 呆然と目の前の男と、その男が持つ剣に見とれている。

 と――男の口元が、にぃ、とつり上がった。

 その瞬間、猛は寒気を覚えた。

 絵画のなかの美しい女が、不意に自分に向かって笑いかけたようだった。

 しかし、それよりも――男が笑った次の一瞬で、洋一郎から高々と血が吹き上がるのを見た。

 洋一郎は肩から袈裟懸けに斬られている。

 水風船が破裂したように、洋一郎は一瞬にして赤い血の塊と化し、あたりを赤黒く汚していく。

 驚いたことに、斬られた洋一郎がどうと瓦礫に倒れても、斬った男は先ほどから微塵も動いていないようだった。

 それどころか、美しい刀身さえ、まったく汚れていないのだ。

 いつ斬ったのか、本当にあの男が斬ったのかさえ、猛にはわからない。

 ただ男の薄笑いにえもいわれぬ恐怖を覚え、先ほどまで汗をかいていたのが、いまは身体ががたがたと震える。


「なんだ、おまえは」


 それだけ、訊いた。

 男は薄笑いを浮かべ、気取らぬ様子で瓦礫を越えてくる。

 猛に近づいてくる。

 逃げられない、と猛は感じた。

 後ずさっても、必ず追いつかれる。

 背を向ければその瞬間に斬られる。

 距離など、あってないようなものだ――その距離さえ、いまはたった数歩しかない。


「われに名はない。ただ――」


 男は答え、あの笑みを浮かべた。


「われはわれなり」


 ひゅん、と風が鳴った。

 かまいたちのような斬撃は、猛の右腕と胴の半分を的確に切り裂いていた。

 ずん、と腕が落ち、猛はよろめいて逃げた。


「ほう」


 男は感心したように呟く。


「胴を断ったつもりだが――逃げたか」

「なぜ、刃が汚れん――おれを斬ったのではないのか」

「下賤の血ごときで、よもや」


 笑った男の顔のすさまじいこと。

 二度目はなかった。

 気怠ささえ感じる動きで男が腕を振ると、猛の首は胴と離れ、瓦礫のなかへ消えた。

 残された胴から血が噴き出す――しかしやはり、男の剣はすこしも汚れず、気高い輝きを失わない。

 猛の身体はびくんと痙攣し、ぎこちなく倒れた。

 男は目を細めてそれを見下ろす――その視線の、なんと冷たく恐ろしいことか。

 たったいま自分が殺したものにさえ興味を失っているような、いかなる熱も感じない眼だった。

 男は瓦礫の上に立ち、ぐるりとあたりを見回した。

 抜き身の剣先がなにかを探るように揺れ動く。

 まだ視界には入らないが、ここへ近づいてくる気配があった。

 男はそれを感じ取り、口元を釣り上げて笑う。

 そして瓦礫の世界の王のように堂々とそれらの気配が到着するのを待つのだった。


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