第三話 13
13
暗い階段を下りきっても、その先がどうなっているのか和人にはわからなかった。
開けた空間であることは音の反響から感じ取れる。
しかし見て確かめるのには、ライターの明かりではあまりに頼りない。
「先生、ここは……」
「研究所時代に使っていた倉庫だ。怪しげな実験施設ではないよ」
学園長はすこし笑って続ける。
「ここにはもう電気も通っていない。ライター以外に使えそうなものもないから、この暗さでがまんするしかないようだ。しかし精霊石を活性化させれば、この炎だけでも充分だろう」
言われてはじめて、和人はその手段があったことに気づく。
わずかに意識を集中して精霊石を活性化させると、それまでほとんどなにも見えなかった部屋のなかが見えるようになってくる。
ライターの光は眩しさを増し、和人は直視しないようにあたりを見回した。
学園長の言うとおり、なんの変哲もない倉庫らしい。
広さは十畳ほどで、壁や天井はコンクリートがむき出しになっている。
まったくなにもない空っぽの部屋で、床にはうずたかく埃が積もり、足を動かすとそれがふわりと舞い上がった。
「もうすっかり精霊石を使いこなせているようだ」
と学園長は目を細める。
「精霊石を使いはじめて、まだ数ヶ月だったな。やはりきみには精霊石を使いこなす才能があるのかもしれん。きみが武道大会で準優勝したときも、そう感じたが――不思議なことだ。精霊使いに遺伝的要素はないはずだが、きみの母も精霊使いとしての才能に溢れた人物だった」
「おれの母親? 先生は、知ってるんですか。おれの母親のこと」
「もちろん、知っている。きみの父親はわしの教え子だった。この研究所に勤めていたのだ。そしてきみの母もわれわれの研究の協力者だった」
「そんな……じゃあ、おれもここにはきたことがあるんですか」
「まだ幼いころだったが、わしとも会っている」
和人はひどく妙な気分で、立ちくらみを起こしたように頭がふらついた。
壁に手をつき、その体勢のまましばらくうつむく。
「おれは――おれは、なにを忘れてるんですか。どうしてなにも覚えていないんですか」
「そう、きみにはすべてを知る権利がある。順を追って話そう。まず、十数年前、ここが不破研究所だったころの話だ」
学園長は静かな口調で話しはじめた。
それは、牧村和人という人間についての話であった。
*
南波喜一は、不破研究所の所長室から見える景色が好きだった。
そこからは不破学園が一望できる。
彼が若いころに夢見た理想そのものである不破学園は、何時間眺めていても飽きるということがない。
そこでは多くの学生たちが生活し、学び、成長している。
精霊使いであることを隠す必要もなく、精霊使いとして生きている。
簡単なことに見えて、それは奇跡に近いことだ。
精霊使いに対する差別が比較的すくない日本でも、自分は精霊使いだと胸を張って生きることはできない。
まともに生きたいなら、自分を覆い隠し、自らを否定して社会を肯定するしかないのだ。
そんな生き方は間違っていると喜一は感じる。
精霊使いは、精霊使いらしく生きるべきなのだ。
人間だれでも、生まれたままの姿で生きる権利がある。
不破学園というちいさな箱庭はそのために作られたものだった。
「――所長、南波所長」
喜一は窓から視線を離し、振り返る。
「牧村くんか」
「例の結果が第二病院から上がってきましたよ」
白衣を着て、書類を片手に立っているのは所員の牧村友和だった。
年はやっと三十をすぎたころで、どちらかというと線の細い柔和な顔立ちの男である。
友和は喜一の背後にある窓をちらりと見て、
「学園の様子はどうですか、先生」
「異常ないようだ」
「それはよかった」
と友和が笑うと、つられたように喜一も笑う。
友和の笑顔には不思議と他人を和ませる効果があって、喜一は友和が学生のころから知っているが、彼が不機嫌そうにしているのを見たことがない。
「それで、結果は?」
「やはり完全に癒着しているようですね」
友和は書類をめくる。
「レントゲン検査でも明らかですが、体内の組織と融合し、外科手術でも分離は不可能ということです。無理に分離して摘出しようとするなら、おそらく身体のほうが耐えられないだろうと」
「ふむ、やはりそうか。医学的に考えられることなのか?」
「前例のないことではないようです。身体に異物が入り込み、それが体内の組織と融合するというのは、さほど多くはありませんがまったくないことではない、と。もちろん、彼女のような例はごくまれでしょうけど」
「健康に影響がない場合は、摘出せずに放っておくということになるのか」
「そうなります。向こうのお医者さんも不思議がっていましたよ。外科手術で移植したのならともかく、そうではないのにこのような状況になっているんですから」
「たしかに不可解なことだ。奇跡的、というべきか。それで、朱音は」
「もうこっちに戻ってきて、部屋で休んでます。いまから検査結果を伝えに行くつもりですけど、ご一緒されますか」
「そうだな、そうするか」
喜一と友和は揃って所長室を出る。
ぐるりと回り込んでいる廊下は清潔に保たれていて、足音も立たないリノリウムになっていた。
「精霊石というのは、不思議なものですね」
友和がぽつりと呟く。
「いまさら、と笑われるかもしれませんが、ぼくは最近になってそれを実感するようになりました。昔は漠然としていたのが、いまはなにが不思議なのかはっきりしていますからね。あり得ない分子構造、あり得ない硬度、あり得ない反応――所長、ぼくは精霊石がただの鉱物だとは思えません」
「ただの鉱物という言葉の意味にもよるだろう」
喜一は用心深く言った。
「地球上に存在している鉱物とは一線を画すというなら、たしかにそのとおりだ。精霊石の由来は未だ仮説以上のものではないが、宇宙由来であることは最有力になっている」
「それはつまり、隕石の一種というわけでしょう? ぼくが思うのは、そうじゃないんです。むしろ生物に近い。そう考えているのはぼくだけじゃないと思います。先週発表されたルアン教授の論文はごらんになりましたか」
「刺激に対する反応実験の報告か」
「そうです。あの結果が事実であるなら、精霊石はただの鉱物なんかじゃない。もっと深い生物的なものですよ。ある一定条件下で同一の刺激を与えた場合、鉱物なら必ず同一の反応を見せるはずです。一定の電圧で負荷をかけたとき、その環境をAとするなら、対象の変化もAでなければならない。しかし精霊使いはBであったりCであったりする。これは、鉱物の反応じゃありませんよ」
「実験の環境Aが厳密に守られていたとしても、たとえば環境Aを一度経験したものがA1、二度経験したものがA2とするなら、回数によって反応が変化するのは当然のことだ。ある石に対して一定の力で打撃を与えた場合、つまりその打撃を環境Aとした場合、一度目の打撃によって起こる反応と二度目の打撃によって起こる反応は当然異なる。一度目で罅が入り、二度目で砕け散る、というように」
「しかし砕け散ったものが元どおりになることは、鉱物なら決してないでしょう。非可逆的反応であればたしかに鉱物としても理解できますが、可逆的反応であった場合はどうですか」
「環境設定が厳密ではなかったのかもしれん」
「たしかに、あの論文ではそのあたりがすこし曖昧でしたが、それならこっちでも実験してみればいい。ぼくはルアン教授の論文と同じ反応を示すと考えています」
「きみは研究熱心だな」
「所長は、もうあまり研究には意欲がないようですね」
すこし悲しげに友和は言った。
「以前ならご自分で実験されて確かめたと思いますけど」
「年をとったのかもしれんな」
喜一はゆっくりと首を振る。
「このあたりで引退すべきだとも考えているが、後任が見つからんうちはそれもむずかしい。きみが跡を継いでくれれば話は早いんだが」
「ぼくはなんてまだ、先生には敵いませんよ。先生の下だからこそ自由に研究できるんです」
「ふむ、この年寄りに、まだ働けというわけか」
「まだまだお若いですよ」
廊下を進むふたりは、ある扉の前で立ち止まった。
友和がノックをすると、なかから子どもの声が返ってくる。
ふたりは扉を開けてなかに入った。
室内にいるのは、子どもである。
十にも満たない女の子だ。
ベッドの端にちょこんと腰を下ろし、退屈そうに足をぶらぶら動かしている。
その子どもらしい態度と、ふたりを見る落ち着いた目がひどく不一致だった。
「検査結果が出たよ」
と友和が笑顔で言う。
「健康には問題なし、ということだ」
「当たり前だろう」
呆れたように少女は言って、ため息をつく。
「健康に問題があったら、これほど長生きはしていない」
「まあ、それはそうかもしれないけどね。改めて確認できたということだよ」
「体調はどうだ」
喜一が聞くと、少女は鼻を鳴らして、
「いいも悪いもない。いつもどおりだ。強いていうなら退屈なくらいだが」
「そう言うと思って、いいものを持ってきたんだ」
友和はわが意を得たりという顔で白衣のポケットを探る。
取り出したのは、透明なガラスでできたおはじきである。
「これはね、最初は息子に遊ばせようと思ったんだけど、まだちいさいからだめだって怒られたんだよ。だから、きみにちょうどいいと思って」
「おはじきが、わたしにちょうどいいのか?」
少女は呆れを通り越して、むしろおもしろがっているような顔をしている。
「見た目は子どもでも、年はおまえたちよりはるかに上だぞ。そのわたしに、いまさらおはじきで遊べと?」
「いいじゃないか。何歳になっても遊びは楽しいものだ。ねえ、先生」
「ん、まあ、そうかな」
と気のない返事の喜一である。
友和は半ば強引におはじきを少女へ押しつけ、さあ遊んでみろといわんがばかりににこにこと見つめる。
おはじきを受け取った少女は手のひらにそれを乗せ、しばらく見つめて、
「あ、遊べるかっ」
「ああっ」
ばらばらとおはじきが落ちる。
友和はぶつぶつ言いながら腰をかがめ、ひとつひとつ拾う。
「ちょっと遊ぶくらいいいのにな。せっかく持ってきたのに」
「わたしはおまえたちの研究に付き合ってやっているだけだ。遊ぶためにきたわけじゃない」
「わかってるけど、実験ばっかりじゃ疲れるだろう」
しかしおはじきは諦めたらしく、友和は白衣のポケットにそれをしまった。
「それに、見た目と心とはきみが思う以上にシンクロしているものだ。いくら心が大人びているからといって、身体がそれに伴っていないんじゃどうしても心のほうも成長しづらいんだよ」
「それにも限度がある。たかだか五十年や百年ではない。わたしはもう何百年もこの格好だ。いまさら子どもの名残などないよ」
「うーん、そんなものかな……」
「ところで、次の実験はどうするんだ。また病院へ行くのか?」
「さあ、次のことはいま考えている途中なんだけど、どうしようかと悩んでてね。精霊石と精霊使いのなぞを解き明かすには、いったいどんな実験が必要か――」
友和は研究者らしい表情で腕を組む。
喜一はそのとなりに立ち、少女の様子を窺っていた。
見れば見るほど、外見は幼い少女である。
しかし中身はまるで少女とは似つかない。
地球上のだれよりも長く生き、時代を見てきた意識がその少女に宿っている。
彼らが朱音と呼んでいるその少女は、おそらく世界でただひとり、体内に精霊石を取り込んだ人間である。
そのため少女は決して年をとらず、また死というものがない。
精霊使いの治癒力がすさまじいことはすでにわかっているが、少女はそれとは別次元で死というものから遠ざかっている。
この先何年生きていても彼女が死ぬことはないし、どんな怪我をしても、たとえば首を切り落とされたとしても、彼女に死は訪れないのだ。
それはどんな気分なのだろうと、喜一は考える。
絶対に死なないこと、死なずに生き続けることは人間の心にどんな影響を与えるだろう。
「精霊石のなぞが、そう簡単に解けるはずがない」
朱音は静かに言った。
「とくに、構成している物質や強度を調べ上げても精霊石についてなにもわからないだろう。そんな方法ではいくらやっても無駄だ」
「じゃあ、ほかにいい方法があるかな。科学的手段に頼らず、精霊石の真実に近づく方法が」
「考えればいい。精霊石の意味や存在について考えていれば、見えてくることもある。科学的手段は、科学的に検証されうることの裏付けでしかない。それで納得できるならともかく、そうでないのなら、考えるしかないだろう」
「それできみは、考え続けてなにかわかったかね」
喜一は言った。
「ひとりの人生では足りないほど長い時間考え続けたきみの結論を聞いてみたい」
「結論は、まだ出ていない」
澄ました顔で朱音は言う。
「精霊石とはなにか――その真意を理解するには、まだまだ時間が必要だろう。その点で、わたしはこのようになってよかったと思っているよ。考える時間は無限に与えられている」
「きみには遠く及ばないが、ぼくも考えてはいるよ」
と友和は白衣のポケットに手を入れた。
「精霊石は、ただの鉱物ではないんだ。ぼくは生物の一種だと思っている。科学的裏付けはとれていないが、思考においてなら、それを証明できると思う」
「なぜ生物だと思う?」
試すように朱音は言う。
「まずひとつ、刺激に対する反応に根拠をおくつもりだ。精霊石は、同一環境での一定の刺激に対し、不可逆的変化を含むある種の理屈で反応するわけではない。ここへくる途中、所長とも話していたんだけどね、ある一定の電圧を同じ条件下で与えたからといって、常に一定の反応を見せるわけではない。ここまでは研究者が確かめていることなんだ。そこから頭のなかで一歩飛躍して、なぜ一定の刺激に対してランダムな反応を見せるのかと考えた。ぼくは、それは意識によるものだと思うんだ」
「意識?」
「人間と同じさ。たとえば、まったく同じ条件下で、ある人物がもうひとりに対して同じ言葉を言ったとする。そのとき、相手がどのように反応するのかは、決して決まった法則があるわけじゃない。同じ言葉であっても、よろこんだり悲しんだりということがある。精霊石のランダムは反応は、そうした意識の揺れ方と同じじゃないかな」
「精霊石にも意識があると――それも、人間と同じように複雑な意識を持っているというのか」
「普通の物質がなぜ一定の刺激に対して一定の反応を見せるかというと、内的世界がないせいだ。つまり、外的要因をすべて同じにすれば、必ず同じ結果が得られる――もちろん量子論ではそうもいかないけど、巨視的に見ればある程度の誤差はあるにしても一定の結果が得られる。しかし人間のようなものは、そうはいかない。これは人間がその内部に独自に変化する変数を持っているからで、外的要因をすべて同一にしても、内的要因がちがっていれば、同然得られる結果はまったくちがうものになる。そして外部から観測するかぎり、その内的要因というのは観測されえないものだから、結果はランダムになる。精霊石のそれが意識と呼ぶべきものかどうかはわからないけど、内的世界を持ったものであることはたしかだと思うし、それは人間と同じくらい複雑なものだと思う」
「ふむ……しかしそれを支える科学的根拠は、一切ないというわけか」
「そのうち、なにかの方法でわかるかもしれないけど、いまのところは意識の有無を科学で計ることはできないからね」
人間という複雑な生物を例に取らずとも、内的世界はありふれている。
たとえば、カエルにもそれはある。
ケージのなかで一匹のカエルに対し、同じ種類の蠅を与えたとして、それにカエルがどのように反応するかは、カエルの内的世界にかかっている。
腹が減っていれば舌を伸ばすだろうし、満腹であればおそらくは無視するだろう。
その変化が内的世界、つまり変数であり、鉱物にはそのようなものはない。
気分、というものがないから、外部からの刺激を一定にすれば、一定の反応が返ってくるのだ。
「それで、精霊石に意識があり、生物に分類すべきものだとしたら、おまえたちはどうするんだ」
「どうする、というのは?」
「生物だとわかった時点で研究は終わりにするのか、さらにその先を探るのか」
「もちろん、ただ生物だとわかっただけじゃ研究は終わらないだろうね。その先というのがあるなら、そこへ進もうとするはずだ」
「最終目標はどうする。なにをもって精霊石のすべてを理解できたと決める?」
「それは――」
友和は口ごもる。
「精霊石とコミュニケーションがとれたとき、ではないかね」
と喜一が口を挟んだ。
「精霊石は生物であるという仮説が正しいとすれば、なんらかの方法でコミュニケーションをとれる可能性がある。それが成功すれば、わからないことがあれば精霊石自身に訊けばいいということになる。それ以上研究して暴き出す事柄がないなら、それが研究の終わりではないか」
「しかし人間は地球上に住むほとんどの動物とコミュニケーションがとれていない。犬のことは犬に訊け、といって解決する問題はほとんどないだろう。精霊石もまたそのようなものだとしたら、人類との正確なコミュニケーションは不可能かもしれない」
「不可能だと判明すれば、それもひとつの研究成果だ」
「ふむ――おまえはやはり根っからの研究者だな、南波喜一。精霊使いでありながら、精霊石を研究材料として見ている。では、牧村友和、おまえはどうか。精霊使いではないおまえは、精霊石と人類の関係をどう見る。研究というのは、要は両者の距離感を決めるものだ。もっと近づいて接するべきか、もっと離れて暮らすべきか決めるものといってもいい。精霊使いから見れば、たとえ研究者がどのような結論を出そうとも、精霊石から離れることはできない。どんな研究結果が出ても受け入れることしかできないわけだ。しかし精霊使いでない人間たちは、自分でその距離を決めることができる。近づくべきか、遠ざかるべきか、おまえはどう見る」
「ぼくは、たしかに精霊使いじゃない。精霊石に触れてもなにも感じることはできないから、きみや所長のような精霊使いからしてみれば滑稽なだけかもしれないけど、ぼくは精霊石の研究には終わりがないと思う。きみがいま言ったように、精霊石研究が人類と精霊石との付き合い方を計る研究だとしたら、終わりなんてあるはずがないんだ。だって、人間同士の付き合いにしたって、いまだにひとつの結論は出ていないだろう。他人にはこう接するべきだ、という結論が得られない以上、精霊石に関する研究が終わるとは思えない」
「考え続けるべし、か」
朱音は心底おもしろがるように笑う。
「精霊使いはそれを強いられたものだが、そうでない人間がそのように考えるか」
「逆に聞くけど、きみはどう思っているんだ。精霊石と人間はどのような関係であるべきか――というより、精霊石の正体はなんだと思う?」
「さあ、精霊石が何物なのかはわからない。ただ、生物である、というおまえの考えには同意している。まあ、細かな点では異なるが」
「では、精霊石と人類は共存できるだろうか」
「試してみなければわからない。人間はどうやら、精霊石という未知の生物を恐怖し嫌っているように見える。精霊石はどうだろう。人間に寄り添いたいと感じているか、あるいは真逆のことを考えているのか――精霊石は、人間のなかから少数を選んで自分の代理としているのかもしれない」
「それが精霊使いだっていうのか」
「あるいは、すべてはただの偶然かもしれないな。なにもかも、意味なんてない。仮に必然であっても、それは物理的法則や生物学的法則によって起こっているだけで、そこに含まれない意味を考えることは愚かかもしれん。そのようなことを考えるのは地球上でも人間だけだろうし、精霊石もそのようなことは考えず、理解もできない思想かもな」
「人類の独り相撲か」
喜一がぽつりと呟くのに合わせたように、部屋の扉が開いた。
全員が振り返ると、部屋に入ってきた人間はそれほど大勢がいるとは思わなかったらしく、うっ、と驚いて身を引く。
「ど、どうしたんですか、みんな揃って。南波先生までいらっしゃるなんて」
「いや、朱音に検査結果を伝えにきたついでに、いろいろと話をね」
と友和は頭を掻く。
「悪いね、わざわざきてもらって」
「いいのよ。あなたの研究のためですもの」
「きみに手伝ってもらえてよかったよ。仕事中も家族でいられるし」
「わたしもうれしいわ。一日中あなたといられて」
「ばか夫婦め」
朱音がぽつりと呟く。
「ん、なにか言ったかい、朱音」
「別になにも」
「和人も、よくきたね」
部屋に入ってきたのはひとりの女とひとりの子どもである。
女は、牧村玲子という。
友和の妻である。
玲子の足下でズボンの裾を握っているのは、牧村和人、ふたりの子どもだった。
友和は和人の頭を撫でる。
和人は驚いたように母親の身体に隠れた。
「子どものほうはそれほど懐いていないらしいな」
と仕返しでもするように朱音が言う。
「おかしいなあ……家ではそんなことないんだけど」
白衣が悪いのかな、と友和は首をかしげる。
玲子はくすくす笑いながら、
「おはよう、朱音ちゃん。体調はどう?」
「同じことばかり聞くな、おまえたちは。あと、朱音ちゃんはやめろ」
「でも呼び捨てだと子どもをいじめてるみたいでしょ」
「そんなこともないだろ」
「いや、ぼくもそれは思ってた」
と友和は腕を組む。
「自分の子どもならともかく、余所さまの子どもを呼び捨てというのは、やっぱりよくない」
「ちゃん付けのほうが失礼だ。わたしのほうが年上だぞ」
「しかし見た目がね。きみ自身はいいかもしれないけど、ぼくたちだってその見た目は無視できないんだから」
「そうそう。これからは朱音ちゃんに統一しましょう」
「賛成」
「この夫婦は基本的にひとの話を聞かないな。南波喜一、おまえの教え子はふたり揃ってどうかしてる」
「さて、わしは部屋に戻るかな」
喜一は伸びをして、ついでにあくびもする。
「じゃあ、ぼくたちも実験の準備をはじめようか」
と友和は玲子に言った。
玲子はうなずき、
「朱音ちゃん、悪いんだけど、ちょっとのあいだ和人を預かってもらえる?」
「わたしがか。保育士がいるだろう」
「それが、今日はお休みなんですって。和人を連れて実験をするわけにもいかないし、ちょっとのあいだだから。ね、お願い」
「お、お願いといわれても」
玲子の足の後ろから、和人がすこしだけ顔を出している。
朱音と目が合うと、慌てて引っ込んだ。
「まあ、和人もさっそく懐いてるみたい」
「どこが? 明らかに人見知りを発揮しているが」
「じゃ、そういうことでよろしく」
「ちょ、ちょっと待て。泣いたらどうする?」
「大丈夫よ、男の子だから」
「この年頃に男とか女とか関係ないだろう。あ、ま、待て」
と呼び止める声も空しく、ぱたんと扉が閉じた。
部屋には朱音と、明らかに不安げな表情で母親が出ていった扉を見ている和人が残される。
朱音はじっと和人の後ろ姿を見ていた。
和人がゆっくりと振り返り、目が合う。
はっ、となにかに怯えた顔であたりを見回した和人は、周囲に隠れるものがなにもないことを悟り、くしゃっと泣き顔を作った。
「ま、待て。落ち着け。泣くことはない」
朱音は冷静に言う。
「わたしはなにもしないし、わたし以外にもなにかするものは、ここにはない。それはわかるな?」
「うう……」
「うう、じゃない。まわりをよく見ろ。なにか怖いものがあるか? ないだろう。泣く必要もないわけだ」
「ママ……」
「ママと呼ばせているのか、悪趣味な。いや、そんなことはどうでもいい。とにかく、泣くのはよせ。な?」
朱音は笑顔を作る。
が、どう見ても、口元を引きつらせているようにしか見えない。
和人はますます怯えたように後ずさり、扉に背中がぶつかってびくりとしている。
「ま、ママは……?」
「ママは実験の準備だ。そのあたりにはいるだろうが、いまはいない」
「い、いないの?」
「いや、いる。いるから、泣くな。ああもう、面倒だな、子どもは」
朱音と和人は、見た目はほとんど同年代である。
しかし和人のほうでも朱音が見た目どおりでないことを敏感に察知しているらしく、友だちに接するようにはなかなかしてくれない。
「ママはすぐに戻ってくるから、それまでおとなしくしているんだ。そうでないと、ママが戻ってきたときに叱られるぞ」
「う、うん……わかった」
舌っ足らずに和人は言って、やっと泣き顔を引っ込める。
朱音はほっと息をついた。
「そんなところに立っているのもなんだから、こっちへくるか」
「うん」
とことこと歩き、和人は朱音のとなりに座る。
そうなると、今度は朱音がたじたじになる。
和人は子ども独特の、遠慮のない目つきで朱音をじろじろと観察して、見慣れないらしい和服の袖を引っ張ったりする。
また泣かれては堪らないと朱音はされるがままに任せた。
すると和人は行儀よく座り直して、
「きみのママは?」
「わたしの? さあ、もうずっと会っていない」
「そうなの?」
「もう会えないんだ。遠くへ行ってしまったから」
「ふうん……寂しい?」
「寂しくはない。いないほうが普通だから、むしろいまさら現れたほうが鬱陶しい」
和人はわかったようなわかっていないような顔でうなずき、もう朱音には興味をなくしたようだった。
子どもの移り気を発揮し、ベッドの脇に置いてある棚をがたがたと揺らしはじめる。
会話にはすぐ飽きたくせに、棚を揺らす遊びには一向に飽きず、いつまでもがたがた鳴らす。
なんだこいつ、と思う朱音だが、自分にもそんなころがあったのかと思うと妙な気分だった。
「あんまりうるさくするとママに叱られるぞ」
その言葉の効果は覿面であった。
和人はぴたりと手を止め、ベッドに戻ってきて、ちょこんと座る。
「もうしない」
「そうか。えらいな……えらいのかな?」
よくわからないが、ほめておけばいいだろうと、頭を撫でてやる。
和人は抵抗しなかった。
これで父親よりは懐かれたわけだ、と朱音はほくそ笑む。
「さっきからママとしか言わないが、パパはどうした」
「パパは、お仕事」
「さっき、いただろ」
「お仕事に行ってるの」
「ふむ……別人だと思っているのか。じゃあ、ママもいまはお仕事か」
「ママはお仕事行かない」
「パパはどんな仕事をしている?」
「パパはね、石を作ってるの」
「そうか。まあ、あながち間違いではないな。今度パパにあったら、ばーか、と言ってやるといい」
「ばーか?」
「そう。きっとパパもよろこぶ」
「わかった。パパに言う」
そんなことをしているあいだに、準備を終えた玲子と友和が部屋に戻ってきた。
「ママ!」
和人はベッドから飛び降り、母親の足に抱きつく。
「いい子にしてた? ちゃんと朱音お姉ちゃんの言うこと聞いた?」
「いい子にしてた!」
どうかな、と朱音は首をかしげるが、いい子にしていたほうだろうと情けをかけ、黙っていた。
「ずいぶん仲良くなったようだね」
と友和はうれしそうに言う。
「まあ、存在に気づかれてさえいないどこぞのだれかよりはな」
と朱音は鼻で笑う。
友和はその言い回しに気づかず、
「それにしても、並ぶとよく似合ってるなあ。朱音ちゃん、和人のお嫁さんにならない?」
「なってもいいが、結婚するころには児童なんとか罪で逮捕されるぞ。それより、わたしの実験はいいのか」
「今日は病院での検査もしてもらったし、あんまり詰めすぎるのもよくないから、今日はもう休んでいいよ」
「ふむ、ではおまえたちの実験というのを見学しよう」
「ああ、いいよ。じゃあいっしょに行こうか」
と友和は朱音に手を差し出す。
朱音はその手をじっと見て、
「なんだ、これは」
「手だよ」
「足には見えん」
「動物なら前足だけどね」
「なんのための手だ?」
「そりゃあ、道具を使ったり……」
「人間における手の意義じゃない。なんのために手を差し出している?」
「もちろん、手を繋ぐために。迷子になったら困るだろう。広い研究所だし、廊下は入り組んでるからね」
「ばかにしているのか? それとも、おまえがばかなのか?」
「小学生までは天才児って呼ばれてたよ。中学あたりで、そうでもないか、みたいなことになって、高校時代はさっぱりだったけど。最終的にはメガネって呼ばれてた」
「おまえのあだ名遍歴は聞いてない。メガネ以上の特徴はなかったのか?」
「色白、とかもあったけどね。まあ、メガネがいちばんいいかってことになって、二、三人からおいメガネって呼ばれてたな」
「それはいじめられてたんじゃないのか?」
「え、そうなの?」
「まあ本人が自覚していないならいいが――そんな話じゃない。なぜ手を繋ぐ必要がある?」
「どうして拒む必要があるの」
「は、恥ずかしいだろう。そしてなにより、ばかみたいだろう」
「恥ずかしくなんかないよ。子どもは、親と手を繋ぐものだ」
「だれが子どもだ」
「迷子になって泣いても知らないぞ」
「泣くか。そして迷子にもなるか」
「ちょっとあなたたち、いつまでぶつぶつ言ってるの」
と玲子は、すでに和人の手を繋いで廊下に出ている。
「実験、遅くなると困るのよ。スーパーのタイムセールがあるから」
「そんな理由なのか?」
ぶつぶつ言う朱音の手を、友和が強引に掴む。
「あ、こら」
「暴れない暴れない」
結局、朱音は友和に手を引っ張られながら部屋の外に出た。
「は、離せ、この」
と抵抗する朱音だが、所詮子どもの体格と体力ではどうしようもない。
そのうち抵抗が無駄であることを悟り、おとなしくなった。
しかし廊下を歩いているうちはいいが、たまにほかの職員とすれ違ったりするとき、くすくす笑いながら通りすぎていくのが恐ろしく苦痛だった。
手を繋いでもらってるわ、子どもみたいに、という話し声が空耳で聞こえてくるほどである。
こんなことならあとからこっそりついていけばよかったと朱音が後悔を深める。
玲子と手を繋いでいる和人は、それを不思議そうに見ていた。
実際、研究所の廊下はやけに曲がりくねっていて、扉が多い。
それにはふたつの理由があり、ひとつは侵入者を迷わせるため、もうひとつは各フロアを隔離しやすくするためである。
もしなにかしらの事故が起きたとき、フロアの隔離がなによりも重要になる。
対外的には製薬会社の研究所ということになっているから、そのような予備策が必要なのだ。
友和は、扉があるごとに首から提げている職員証をかざし、先に進む。
正規の職員ではない玲子や朱音はそれについていくしかない。
目指すのは、資料室などと同じく一部の限られた職員しか出入りを許されていない研究所の最深部である。
フロアを進むごとに、すれ違う職員の数がすくなくなる。
目的の扉の近くではほとんど物音も消え、空調のかすかな唸りが聞こえているだけだった。
「さあ、ここだ」
友和は立ち止まり、職員証を使って最後の扉を開ける。
実験室、というわりに、部屋の内装に特徴はない。
部屋は内部でふたつに分かれていて、手前には書類棚や書き物机があり、大きな窓からは奥の部屋が覗けるようになっている。
奥の部屋には、家具といえるものはなにもない。
十畳ほどの空間に椅子が一脚置いてあるだけである。
朱音は、この部屋に入るのははじめてだった。
彼女が使うような実験室はもっといかにもらしい機械で溢れた場所である。
ここはまるで、実験室というよりは奥の部屋を監視するための部屋になっている。
「じゃあ玲子、頼むよ」
玲子は和人の手を放し、奥の部屋へ入る。
友和は手前の部屋に留まった。
急に母親から切り離された和人は不安げにあたりを見回し、友和より朱音にそっと近づいて、どうやら落ち着いたらしい。
「あれー」
と友和は首をかしげる。
「ぼく、一応父親なんだけどな」
「家に帰らないせいじゃないのか」
「むう、これは由々しき問題だな……次の休みにはどこかへ遊びに行こう」
手前の部屋の机には、スイッチのついたマイクが置いてある。
どうやらそれが奥の部屋に聞こえるようで、向こうの音はこちらのスピーカーから聞こえるようになっていた。
「玲子、大丈夫かい」
と友和はマイクに向かって言う。
「体調は万全」
玲子はぐっと力こぶを作ってみせる。
友和はうなずき、
「じゃあ、実験をはじめよう。いつもどおり精霊石が用意してあるから、それを持ってきてくれ」
玲子の姿が窓の前から消え、すぐに戻ってくる。
右手には黒い箱を持っていた。
窓の前で玲子がそれを開けると、なかには薄いオレンジ色の精霊石が入っている。
見た目は、ただのちいさな貴石である。
「あれは、新しい石か」
と朱音は友和に言った。
「昨日届いたやつなんだ。一応精霊石の研究所だからね。日本中から精霊石を借りられる。――玲子、なにか感じるか?」
「ええ、ちゃんと石を感じられるわ」
玲子は精霊石をつまみ出し、手のひらに載せた。
壁を一枚挟んでいても、朱音にもその精霊石の気配は感じられる。
ただの貴石とちがう部分がそこである。
精霊石は、単独でも独特の気配を持っている。
それは精霊使いにしか感じられないが、精霊石の気配を感じたことがある者なら、それが鉱物ではなく生物だといわれても素直に納得できるだろう。
精霊使いではない、つまり精霊石をすこしも感じられない友和は、感覚ではなく理屈でその結論に達するしかないのだ。
「じゃあ、活性化してみてくれ」
和人が言って、奥の部屋で玲子はうなずいた。
玲子はゆっくりと目を閉じる。
手のひらの精霊石は変化を見せないが、朱音には精霊石の力が玲子の身体に行き渡る様子が手に取るようにわかる。
見るのははじめてだが、朱音も玲子の特殊な体質については聞き知っていた。
「ふむ、大したものだ」
「成功したのかな」
「精霊使いなら、見ればわかるが」
いじわるをするように朱音は言って、
「成功している。暴走もしていない」
「そうか」
と友和はほっと息をついた。
「このときがいつも不安なんだ。精霊石の暴走も、ない話ではないからね。おまけに玲子は特殊だから、常にその危険がある」
「防弾ガラスにコンクリートの壁は、暴走のときのためか」
「一応はそうなってる。暴走する可能性のある精霊石は、爆発物のようなもの――人間としては、その基準で安全を守らなきゃいけないからね。ぼくひとりなら、同じ部屋でやったって構わないんだけど」
「うまくいったでしょ?」
スピーカーから、玲子の明るい声が聞こえてくる。
「なかなかいい子よ。落ち着いてるし、素直だし」
「そうか。じゃあ、変質させてみてくれ」
「りょーかい」
返事があった次の瞬間には、玲子は小ぶりの刃物を握っている。
脇差し程度の長さの西洋的な刃物である。
刃は湾曲のない直線のもので、鍔に相当するものはついていない。
玲子はその刃物を持って、見よう見まねで構えてみせる。
「どう、様になってる?」
「なってる、なってる」
と友和は苦笑いで応える。
「重さはどんな感じ? 感覚としては、普通の刃物と変わりないんだね」
「硬さや扱い方は刃物と変わらないと思うけど、重さはだいぶん軽くなっているはずよ。わたしでも簡単に振り回せるくらいだから」
「なるほど。ちょっと待って」
友和はマイクの前から離れ、書類棚に向かった。
そこには様々な資料が並べられている。
とくに充実しているのは刃物の資料で、どのような時代にどのような人々がどのような刃物を使っていたのか、簡単に調べられるようになっている。
精霊石の由来を調べる唯一の手段は、それなのだ。
精霊石は理論上、位相幾何学に該当するあらゆる形をとれるが、一度変質のくせをつけるとそう簡単には変えられないという特性も持っている。
つまり精霊石についている変質のくせを見れば、以前の使用者、あるいは最初の使用者がどのような環境にあったのか読み取る場合があるのだ。
「刃は左右対称で、鍔はほとんどなくて――」
友和はぶつぶつと呟きながら本のページをめくる。
「うーん、やっぱり欧州系なのは間違いないと思うんだよなあ。中世ヨーロッパ……一般人が剣を持つような時代じゃないから、もしかしたらその時代の騎士かなにかが持っていたのかもしれないな。それが回り回ってこの国へやってきたわけだ」
そのあいだも玲子は、剣を片手にポーズをとっている。
和人は窓に張りつき、そんな母親の様子をうらやましそうに見ていた。
まだ子どもだが、武器に憧れる程度には男なのかもしれない。
「中世ヨーロッパで間違いないみたいだ」
と友和はマイクの前に戻って、玲子に報告する。
「そのころの騎士が使っていたのかもしれないけど、確証は得られそうにないね。ありがとう、玲子。もういいよ」
「そう?」
玲子はなんとなく残念そうに変質を解く。
再びオレンジ色の貴石になった精霊石を箱へしまい、玲子は椅子に腰掛けた。
友和は手元の書類に実験の結果を書き込み、ボールペンの尻で軽くこめかみを叩きながらぶつぶつとなにか呟いている。
「玲子、もうひとつ精霊石の実験をお願いできるかい」
「いいけど、また新しいのがあるの?」
「うん、今日届いたばかりのやつなんだ。机の引き出しに入ってると思う。本当は明日やろうと思ってたんだけど、時間がありそうだからね」
玲子が窓の前から消え、先ほどと同じ黒い箱を持って戻ってくる。
その表情は、先ほどとは打って変わって真剣なものになっている。
そして朱音も、身体全体でそれを感じていた。
「友和くん、この精霊石は――」
「由来ははっきりしないんだけどね、最近なにかの拍子に見つかったらしいんだよ」
精霊使いではない友和は、まったくそれを感じていないらしい。
朱音は自分の身体を抱くように腕を抑えた。
そうしていなければぶるぶると震え出してしまいそうなのだ。
精霊石の共鳴は、よくあることである――しかしこれほどはっきりした共鳴は感じたことがない。
見ないうちから精霊石の存在を感じる。
そしてそれはほとんど威圧感に近いものである。
恐怖だ。
精霊石が恐怖している。
玲子もはっきりとそれを感じていることが表情からわかる。
友和は、まず同じ室内にいる朱音の異変に気づき、それから窓越しに玲子の異変にも気づいた。
「どうしたんだ。なにか問題でもあったのか」
「問題ってほどじゃないんだけど――この精霊石は、ほかとはちがうの」
「ちがう? でも、大きさや形状はほかと変わりないよ」
「精霊使いではないおまえにはわからないことだ」
朱音は言った。
「同じ精霊使い、精霊石を持っていなければ、この感覚はわからない」
「精霊石の共鳴か」
友和もそれに気づき、眉をひそめる。
「玲子、危険ならすぐに精霊石を遠ざけろ。共鳴は一定の距離をとればなくなるはずだ。どうして強烈な共鳴をするのかはわからないけど、きみの安全のほうが大事だ」
「うん――でも、大丈夫よ。危険な感じはしないの。怯えてるのかしら……」
「怯えてる?」
友和は説明を求めるように朱音を振り返った。
朱音はゆっくりと首を振る。
「わたしにもわからない。彼女はとくに感受性が強いのかもしれない。複数の精霊石を使える人間は、わたしが知っているかぎりでは牧村玲子ただひとりだ。ほかの精霊使いにもわからないことを読み取ってもおかしくはない」
本来、精霊石はそれに適合するひとりの精霊使いにしか使いこなせない。
ほかの精霊使いが使おうとしても、精霊石同士が共鳴するだけで、力を受け取ることも変質させることもできないのだ。
しかし玲子は、その例外である。
彼女は複数の精霊石から力を受け取り、変質させることができる。
精霊使いのなかでも特殊な体質だからこそ、日本中から集まる精霊石の由来を調べるという実験が可能なのだ。
「箱から出してもいい?」
「危険がないなら、構わないけど」
不安げな表情の友和である。
「なにも今日にこだわらなくていいんだ。もうすこしその精霊石について調べて、後日やり直してもいい。きみが安全だと思うやり方でいいよ」
「それなら、いますぐのほうがいいわ。たぶん時間を空けるともっと危険になるから」
玲子は箱を開ける。
なかに入っている精霊石は、一見したところほかの精霊石と変わりない。
くすんだ青色の精霊石である。
「あんまりきれいじゃない」
と窓に張りついて見ている和人が呟く。
精霊使いとしての素質は父親に遺伝しているらしく、和人にもそれはただの石にしか見えていないようだった。
「人間たちが怖いの? なにもわからないままここに連れてこられて不安なのね」
玲子は精霊石に話しかけている。
やさしい手つきで箱から取り出すと、前回と同じように手のひらに載せた。
精霊石からは相変わらず強い威圧感を感じる――しかしそれがいくらか弱まったようにも思う朱音である。
身体の震えは、止まっている。
玲子の言葉が精霊石に影響を与えているのかもしれない。
「不安なのは、まだなにも知らないからね。大丈夫よ。まずはわたしのことを知って――それからあなたのことも教えてね」
玲子は、精霊石を自分の額に当てた。
目を閉じて意識を集中しているようだった。
友和と朱音も、それを注意深く窺っている。
と――ぴし、とどこかが軋んだ。
朱音はとっさに和人の腕を引っ張り、窓から離れさせた。
がしゃん、と音を立てて窓が砕け散ったのはその直後である。