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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第三話
43/61

第三話 8

  8


 不破学園の学園長室には五台のテレビが持ち込まれ、それぞれ別の放送局を映し出している。

 伝えていることはどの局も同じだが、その細部がすこしずつちがう。

 現地の特配員を使ってアメリカの様子を詳しく伝えているところもあれば、ほとんど日本のスタジオに終始しているところもある。

 その様子を、学園長室に集まった不破学園の職員たちがずらりと並んで眺めている。

 学園長も厳しい表情でそれを眺め、時折鳴る電話にもやはり低い声で応えている。


「フランスの会見がはじまりましたね」


 教師のひとりがぽつりと呟く。

 それが重々しい空気の学園長室に、やけに長々と響いた。


「フランスは、どう出るでしょうか」

「暴動が起こっているらしいから、とりあえずはそれをやめろということしか言えんだろうな」


 別の教師が答えた。


「なんにしても、根が深い問題だ。会見ひとつではどうにもならんよ」

「ヨーロッパは、やはりそうですか」

「現代の日本にいるとあまり感じないが、ヨーロッパはとくに精霊使いに対する差別が厳しい。おれが昔行ったときも、精霊使いだと気づかれたら終わりだった」

「日本でも昔は厳しかったんでしょう」

「そりゃあ、そうさ。人間たちの言い分もわかる。精霊使いが化け物だ、という点は、否定できない。素手でコンクリートを砕けるようなやつは、人間にとっては脅威そのものだ。しかし化け物じみた力を持っていても、人間の心があるということは忘れられたくない。おれたちは意味もなく破壊したりはしない」

「裏を返せば、意味を持てば破壊もやむなし、ということになるな」


 学園長が呟いた。

 教師たちの視線が学園長に集中する。


「力を持たぬ人間たちはそう考えるだろう。無理もない。それを行使するか否かにかかわらず、力を持っている、ということがすでに脅威なのだ。だれも核兵器のとなりで生活しようとは思わん」

「しかしその状況を改善したのが、まさにあなたでしょう」

「さあ、そのつもりでやってはきたが、結果としてどうだったのか――」

「もちろん成功していますよ。いまの日本は、おそらく世界でもっとも精霊使いが安全に暮らせる国になっている。精霊使いというだけで座敷牢に入れられていた時代を考えれば、人間と精霊使いの共存にもっとも近い形になっています」

「そう、その座敷牢だ。以前は他人によってそこへ入れられていた。わしは自由に入り、出ることができる座敷牢を作った。それがこの学園だ。ここでは、精霊使いが精霊使いとして生きられる。精霊使いでないふりをする必要がない。その場として学園を作ったが、果たしてそれが正しかったのかどうか、わしにはわからぬ」


 いつも矍鑠としている老人が、いまは妙に弱気だった。

 そのせいか、急激に老けたように見えて、教師たちは驚いた。


「わしは年老いたのかもしれん」


 学園長はぽつりと言った。


「もうわしには野心というものがない。こうしてやろう、という気骨がない。次の世代へ残さねばと思うことはあるが、それも所詮は自分でやってきたことの後始末かもしれぬ」

「学園長――どうなさったんですか」

「年をとったということだ。昔はただ未来を追いかけていたが、いまは過去が追いかけてくる。そこへきて、まるで子どものような幼さを持った連中が台頭してくるのだ。世界を革命するなど、できるだろうか。しかしそれはわしがかつて考えていたことと大差ない。わしは、すくなくとも自分のまわりの世界を革命させようとした。精霊使いが怯えて潜まなければならぬ世界から、堂々と生きていける世界に変えたかった。その結果がこれだ。そして彼らはいま、世界全体をそのように変えようとしている。それを幼さで片づけることはできんだろう」


 実際、革命を目指して行動を起こした精霊使いたちは、すでに一定の成果を上げている。

 世界中を混乱に陥れ、精霊使いの存在をこれ以上ないほど堂々と表明したのだ。


「では……学園長は、この騒動に賛成なさるんですか」

「わしは賛成すべきか否か?」


 自問するように学園長は言う。


「若ければ、あるいはそうしたかもしれん。彼らの一員となり、目の前にぶら下がった革命にすがりついたかもしれんが――いまは、そうするわけにもいかん。しかし宙ぶらりんでもいかんのだ。いまヨーロッパで荒れ狂っている波は、やがてこの国にまで波及する。そのとき、この不破学園の立ち位置は人間にとっても精霊使いにとっても重要になる」

「日本まで波及しますか」

「あるいは、日本からはじまったといってもよい。なにしろ首謀者がこの国におるのだから。もっとも、首謀者がなにを考えておるのかは定かではないが、日本もなんらかの形で転覆する恐れがある」

「例の中継でも東京は名指しされていましたね。このあいだ学園を襲撃した連中なんでしょうか」

「おそらくはそうだろう。そして人間たちから見れば、彼らもわれわれも同じ精霊使いだ。いまヨーロッパで起こっていることと同様のことが、ここでも起こる可能性がある」


 教師たちはざわつき、お互いの顔を見合わせたあと、学園長に視線を向けた。


「日本でも精霊使いを狙った暴動が起こると?」

「事態が悪化すれば、そうなるだろう。そのときわれわれはどうするべきか?」

「それはもちろん、この学園を守るべきです」

「そう、しかしその方法が問題なのだ。人間たちが集団になって学園を襲ったとき、それを追い払うか。つまり人間と敵対し、かつ革命を標榜する集団とも敵対するか。あるいはその連中と接近し、その一部となることで身を守るか。それとも精霊使いとして人間の味方をして、同じ精霊使いと戦うことで身を守るか。どれをとっても容易ではあるまい」


 その問いに対し、即答できる人間はいなかった。

 一方の味方になれば双方から攻撃を受けることはないが、主義主張とは関係のない戦いを強いられることになる。

 自らの主義を守り通すには双方と敵対しなければならない。

 三つの選択肢のうち、どれを選ぶかはおそろしく困難な選択だった。


「……連中は、そこまで考えてあの中継をやったんでしょうか」

「そうだろうな。あの中継によって世界中の人間が精霊使いの危険度を認識した。カメラの前で大統領を殺してみせるというのも、残虐性の演出だ。そのうえ、これからも世界各地で精霊使いが蜂起すると脅しをかけている。人間たちは当然精霊使いを恐怖し、それを排除したがる。そして無関係な精霊使いまでもがそれに巻き込まれ、自衛のために武器をとることになる――たったひとつの出来事が連鎖して世界中が壊れていくのだ。よく考え、よく実行したものだが、もう後戻りはできん」


 行き着く場所はどこなのだろうと、だれもが考える。

 果たして人間と精霊使いはどこへ向かい、どこで力尽きるのか。


「自分たちでは革命など不可能だとわかっていたのだ。それですべての精霊使いを巻き込んだのだろうが、どうしたものか」


 学園長はため息まじりに呟く。

 即答などできようはずもないが、それに答える声が上がる。


「ぼくたちの至上の目的はこの学園を守り抜くことです。革命なんて、やりたい連中でやればいい。ぼくたちは彼らと道を別にすべきだと思います」

「賀上くんか――しかし、精霊使いへの風当たりが強まったなかで学園を維持するのは並大抵ではない。どちらかの陣営に入れば、まだその道が開けるかもしれんが」

「外の連中がなんと言おうと、精霊使いが精霊使いらしく生きられるために学園長はこの学園を作ったんでしょう」


 賀上伸彦は、そこにいる全員を元気づけるように笑う。


「ほかの精霊使いも人間たちも関係ない。ぼくたちはぼくたちで歩くべきだ。そのために、この学園はぼくたちだけで死守しなければ」

「ふむ――賀上くんの意見に賛成だという者は手を挙げてくれるか」


 集まった教師たちは、はじめは互いの顔を見合わせて様子を窺っているようだった。

 最初に手を挙げたのは、賀上伸彦のとなりに座っていた椎名哲彌である。

 それをきっかけにして、次々に手が挙がる。

 最終的にそこにいるほぼ全員が伸彦の意見に賛成し、手を挙げなかったのは教師のなかでもひとりだけだった。

 そのひとりというのは、江戸前有希子であった。

 手を挙げないといっても、明確に反対している様子ではなく、賛成するかどうか迷っているという顔である。

 学園長は教師たちを見回し、ちいさくうなずいた。


「そうだな。学園はどこにも頼らず、独力で存在すべきだ。もちろんそれには他を圧倒する力がいるが、きみたちならそれもできるだろう。では、本日をもって学園は完全封鎖とする。出入りを一切なくし、寮通いでない生徒たちも学園内に寝泊まりさせる。これから先、世間は平和ではない。警備も一層強化し、いかなる危険も子どもたちに近寄らぬよう徹底する」

「はい」

「ではそれぞれ生徒への説明と警備の強化に当たってくれ。またなにか動きがあれば招集をかけることになると思うが」


 教師たちはこくんとうなずき、銘々に席を立った。

 全員が学園長室から出ていくと、ちいさく絞られたテレビの音声だけがかすかに響く。

 学園長は五つの画面を眺め、そこに映し出されている世界を見つめる――それを見つめる顔には苦渋が浮かんでいる。


「なるようになったということか、あるいは回避できたことなのか――世界を壊した張本人は、わしかもしれんな」


  *


 学園長室を出て、教師たちはぞろぞろと廊下を歩く。

 その最後尾に江戸前有希子はいた。

 俯き、ほとんど足下ばかりを見ながら歩いている。

 もともと、ふたつのことを同時にはできない性格の有希子である。

 思い悩むことがあると、ほかの一切がおろそかになって、とぼとぼと進んでいるうちに前を歩いていた賀上伸彦の背中にぶつかった。


「あ、ごめん、かがみん――」


 有希子はほんのすこしだけ顔を上げ、伸彦を迂回して進もうとする。

 それを、


「ちょっと待って、姫」


 と伸彦が呼び止めた。


「さっきはごめんね。どうもぼくの意見だけが通って、きみの意見は聞けなかったけど……ぼくの意見に賛成ってわけじゃないんだろう?」


 伸彦と有希子は、学生のころからの付き合いである。

 黙っていても相手がなにを感じているかというくらいは理解できる。

 有希子はこくんとうなずき、


「別にね、かがみんの意見が間違ってるとは思わないの。ただ、本当にそれしかないのかなって」

「言いたいことはわかるよ」


 と伸彦もうなずく。


「もっといい解決法がないかってことは、きっとぼくだけじゃなくてみんなが考えてることだ。学園長だって、きっとそう考えてる。ぼくたちと、人間たちと、ほかの精霊使いが完全に和解して平和に暮らせる方法はないかって――そんなものはないって言いきってしまうのは、ぼくにだってできない。ただ、考えているうちになにもかもなくしてしまうことだけは避けたいと思うんだ」

「うん、それもわかる」

「だからぼくは物事に優先順位をつけた。ぼくがいちばん失いたくないのは、この学園だから」


 有希子は一層俯き、悲しげな顔をする。


「かがみんならきっとそうなんだろうって思ってた」

「ぼくは、姫ならちがうんだろうって思ってるよ」


 冗談めかしたように伸彦は言う。


「ほかの先生たちは先に行っちゃったみたいだし、ちょっとそこらへんに座ってゆっくり話そうか」


 ふたりは校舎を出て、校庭を望むベンチに腰を下ろした。

 夏休み中ということもあって、校庭にはだれもいない。

 寮に残っている生徒もいるが、ほとんどは外出していて、広い学園はどこも閑散としている。


「ぼくはね、この静かでなにもない学園でさえ守りたいと思うよ」


 伸彦は言った。


「ここにある木々の一本一本も、校舎のひとつひとつも学園を形作るものとしてぼくは愛している。そこがきみとぼくのちがいじゃないかな。ぼくは、だれもいなくなった空っぽの箱としての学園も好きなんだよ。きみはちがうんだろう」

「うん――わたしは、生徒たちが好き。生徒たちが無事なら、校舎とか学校はなくなってもいいと思う。それにね……」


 有希子は顔を上げ、伸彦を見つめた。


「ちっちゃいころからずっと学園にいて、卒業したあともそのまま学園に残ったかがみんとはちがって、わたしは途中から学園に入って卒業したあとも外へ出たもの。だから学園以外にも大切なものがたくさんある。昔の学校の生徒だって、わたしには大切な生徒だもん。そこでお世話になった先生だっているし、ほかにも精霊使いじゃない知り合いだっているから、人間と敵対するなんて、考えたくない」

「でも、彼らはきっとここにも攻めてくる。ヨーロッパではもうその段階に入ってるんだ。昔の魔女狩りだってそうだった。あれで何千人の精霊使いが殺されたかわからないし、同じように精霊使いじゃないひとたちでさえ、精霊使いだと決めつけられて殺されたんだ。それはもう人間のするべきことじゃない。ある種の狂気に憑かれてるんだよ。ぼくだって人間がきらいというわけじゃないし、できることなら仲良くしたいけど、それよりこの学園を守りたいんだ」

「わかってるの――わかってるんだけど、納得できないんだもん」


 消え入りそうな声で呟き、有希子は手で顔を覆った。

 それでも涙は隠せず、手首を伝って肘へと流れ落ちていく。

 伸彦は自分が傷ついているように顔をしかめ、そんな有希子を見ていた。


「答えなんか、ないんだろうな」


 ぽつりと伸彦は呟く。


「どれが正しいなんて、きっとだれにも決められないんだ。人間たちは自分や大切なひとを守るために精霊使いと戦おうとする。精霊使いだって同じだ。自分の目的のために、他人を煽る人間もいる。彼らだってある目的を達したいという意味では、戦っているんだ。全員が自分の信じたことをしているのに、どうしてそれがかみ合わないんだろう。どうしてぼくの目的と彼らの目的が一致しないんだろう。考えていることはよく似ているのに」


 人間から見れば、自分やほかの大切なものを守るためには精霊使いの脅威を取り除かなければならない。

 精霊使いから見れば、一方的に襲いかかってくる人間たちをどうにかしないかぎり、安泰はない。

 そしてある思想を持つ精霊使いからしてみれば、そうして精霊使いと人間が戦い、その果てに精霊使いが勝利しなければ真に平和には暮らせない。

 現状では、そのような前提ができてしまっている。

 もはやその前提を取り除くことはできない。

 そういう社会になってしまったからには、そのレールの上を進み続けるしかないのだ。

 本当にこの状況を打破したいなら、闘争に勝利しなければ平和はない、という前提の成立を阻止すべきだった。

 世界の中心たるホワイトハウスの襲撃とアメリカ大統領の殺害をもってその前提を高らかに宣言した時点で、彼らの作ったシナリオに従うしかなくなったのである。


「学園を封鎖して、我関せずを貫くなら、事態が収拾しても学園の立場は改善されないだろうね」


 と伸彦は言う。


「どの陣営にも肩入れしないってことは、どの陣営が勝ってもそのおこぼれをもらえないってことだ。もし精霊使いが本当に革命ってものを成功させて、ここが精霊使いの支配する世界になっても、ぼくたちはその聖戦に協力しなかった裏切り者だ。人間が勝てば、なおさら精霊使いの扱いは悪化する。これを機にぼくたちは永遠の戦いをはじめなきゃいけないのかもしれない」

「それもお互いに敵対してしまうからでしょ? そうならないような方法はないのかな。たとえば、わたしたちと人間が協力して、いまほかの精霊使いが起こそうとしてることを防ぐとか」

「それは人間の陣営に肩入れするってことだろう。同じ精霊使いを裏切って、だ」

「だめ、かな」

「人間たちの仲間になって、ほかの精霊使いを殺せるかい?」

「それは――」

「ぼくは、学園のためならできる。でもそんなふうに割りきれる人間ばかりじゃないだろ。積極的に保身するよりは、自衛だけに留めるのがいちばんいいんだ。そうすれば、すくなくとも傷つかずには済む」


 それでも納得いかないような表情の有希子である。

 伸彦もその気持ちは理解できるが、同時に有希子は理想を追いかけすぎているとも感じる。

 手と手を取り合ってみんな仲良く、という状況はもう過ぎ去ってしまったのだ。

 繋いでいた手を解き、その手で武器を持って戦う時期がきたのである。

 最善の方法などない。

 銘々の状況で最良の選択をしていくしかない。

 伸彦は、学園を封鎖して立て籠もるというのがこの状況で最良の選択だと信じている。


「さあ、子どもたちに説明しなきゃならない」


 伸彦はベンチから立ち上がった。

 有希子は座ったままである。


「あの子たちに、なんて説明したらいいの?」

「身を守るためにできることをしようって言えばいいのさ。それは本当のことなんだし」

「自分でも納得できていないことを説明して、あの子たちは納得するかしら」

「しなくても、させるしかない。状況は変化していくんだから、流れのなかでもっといい方法だって見つかるかもしれないんだ。日本では、精霊使いを狙った暴動なんて起こらないかもしれない。そうなればぼくたちの取り越し苦労だけど、そうなることを願いながら、いまできる準備をしておこうよ」

「うん……わかった」


 やっと有希子も立ち上がる。

 納得できないながらも、なにもしないわけにはいかないということは有希子にもわかっているのだ。

 伸彦と有希子は、教室ではなく寮に向かう。

 夏休み中で外出している生徒も多いが、まずはいま残っている生徒たちに状況を伝え、安心させてやらなければならない。

 ふたりは手分けすることになって、有希子は新しくできた寮へ、伸彦は校舎どなりの古い寮へ向かう。

 新しい寮は正門の近くにあり、ほとんどの生徒はそこに入っている。

 収容人数も多く、男女別で施設も充実しているから、そちらを望む生徒も多いが、多少不便でも校舎に近いほうがいい、という生徒はあえて古い寮に入っている。

 登校時間ぎりぎりまで寝ていられる、と古い寮を選ぶ生徒も多く、かつては伸彦もその寮で暮らしていた。

 もう十年近く前のことだ――伸彦はふと、そのころの自分といまの自分はなにも変わっていないなと感じて苦笑いした。

 想像していた十年後は、もっと立派な大人になっているはずだったが、相変わらず右往左往している。

 できることよりできないことのほうが多いし、やったことよりやりたいことのほうが多い。

 しかし十年前の自分は、いまの自分が思うほど子どもではなく、また無邪気でもなかっただろうと伸彦は思う。

 お互いさま、というのはおかしな表現だが、過去も未来も、現在ほど明確に見通せないのは同じだ。

 だからこそ、現在をよく見ておかなければならない。

 過去から見て未来の、未来から見て過去になる現在がしっかりと見えるのは、いまだけなのだ。

 伸彦は、学園ができる以前からこの場所に立っていた洋館をそのまま利用した寮の一階に入る。

 玄関は広いホールになっていて、その分部屋数はすくないが、なかなか豪奢な印象を与えていて悪くはない。

 その玄関ホールの隅に、ちいさな受話器がある。

 寮として利用しはじめてからつけたもので、電話ではなく、寮全体に向けて放送する際のマイクになっている。

 伸彦はそれを使って、寮にいる生徒全員に集合をかけた。


「現在寮にいる生徒は速やかに玄関ホールへ集合してください。繰り返します、現在寮にいる生徒は全員速やかに玄関ホールへ集合してください――」


 古い洋館に伸彦の声が響き渡り、そのうち、扉が開く音や廊下を歩く音が聞こえてくる。

 五分ほどで玄関ホールには二十人ほどの生徒が集まった。

 伸彦は階段の半ばに立って、生徒たちの顔を見下ろす。

 大抵、なぜ集合がかかったのかわかっているという顔である。

 とくに高学年になるとそれが顕著で、低学年の生徒は校長室に呼び出しを喰らったような、不安げな顔をしている。


「えー、こうして集合がかかった理由は、わかっているひともいると思うけど、いまテレビでやっている問題について話し合うためだ。みんな、テレビは見ただろう?」


 生徒たちは銘々にうなずく。

 さすがに、どの放送局もすべての番組を中止して報道特別番組を流しているだけはある。


「いまテレビでやっているのはアメリカの話だけど、あれはぼくたちにも無関係じゃない。どうしてだか、わかるね」

「犯人が精霊使いだから?」


 と生徒のひとりが言った。

 伸彦はうなずき、


「それともうひとつ、犯人はすべての精霊使いを巻き込む気でいるからだ。これにはもちろん、ぼくたちも含まれる。いまフランスを中心に暴動が起こっていることは知っているかな。これは、恐ろしい精霊使いをなんとかしようと思った人間たちが起こした暴動だ。これによって多くの精霊使いが襲われている」


 生徒たちは顔を見合わせ、かすかに不安げな表情を浮かべる。


「でも、精霊使いが普通の人間に負けるはずありませんよね」

「うん、そうだね。精霊使いがその気になれば、たとえ人間が百人で襲ってきても負けることはないけど、それも問題といえば問題なんだ。あまり報道はされていないけど、犠牲は精霊使いだけじゃないってことは簡単に推測できる。精霊使いを襲って、返り討ちにあった人間も大勢いるはずなんだ」

「ざまあみろ」


 とだれかが呟き、それに賛同する声と、それを非難する声が同時に上がる。

 伸彦はひとまずそれをなだめて、


「そういう感情こそ、中継に映っていた犯人が目論んだことなんだよ。精霊使いには、人間に対する敵愾心を植えつける。そして人間には、精霊使いに対する嫌悪感と恐怖を植えつけるんだ。お互いが顔を合わせれば争いなしには終わらないという状況を作ることこそ、彼らの目的だ。フランスでは実際、そういう展開が広がって、いまでは警察や軍でも抑えきれないほどになっている。これはね、フランスで起きているからといって、ぼくたちにとって対岸の火事ってわけじゃないんだよ。同じことが日本でも起こる可能性がある。日本は比較的精霊使いに対する差別がすくない国ではあるけど、あの刺激的な中継を見せつけられたことには変わりない。精霊使いとはあんなことを平気でできるものだ、と人間たちが思いはじめたら、フランスとまったく同じ状況に陥る。そのときぼくたちはどうすべきか、ということを話し合いたいんだ」


 これが学園の決定だ、とだけ伝えても、生徒たちは納得しないだろう。

 自分たちで考え、出した結論なら、完全に納得することはなくとも、それ以外に方法がないということは理解できる。

 伸彦は生徒たちの顔をひとつひとつ見回した。

 寮住まいの半分ほどは外出しているらしく、よく見知った生徒の顔がないことも多かったが、全校生徒に向けての説明はのちのち学園長が行うだろう。

 それよりも小規模の、詳細な説明をここでしておかなければならない。


「もしこの学園に人間たちが武器を持って攻めてきたら、きみたちならどうする?」


 生徒たちはすこし顔を見合わせる。


「戦う、とか」

「そう、まずはそうするしかない。でも人間すべてを敵に回して戦うのはむずかしいね。一対一では、たしかに精霊使いは人間以上の力を持っているが、人間は数が多い。精霊使いは十万人にひとり程度で生まれるというから、単純計算で精霊使いひとりあたり十万人の力がないと人類すべてとは戦えないというわけだ。さすがに精霊使いでも、それだけの力はない。つまり積極的に戦ったとしても、どうなるかはわかりきっているんだね」

「じゃあ、降参する?」

「それもむずかしい。なにしろ、向こうは精霊使いの存在自体を恐怖に感じているわけだから、譲歩するのがむずかしいんだ。まさか、人間たちのためにすべての精霊使いが消えるわけにはいかないからね」

「それじゃあどうするんですか」

「自衛する、というのが、まずいちばんだとぼくは思う。敵を倒す、戦うのではなく、身を守るんだ。それ以上のことはしない。たとえば、人間たちが武器を持って学園へ攻めてきても、人間を傷つけることは極力避ける。退けるだけにして、直接戦うことを避けるんだ。一度戦いはじめると、双方に犠牲が出る――そうなると争いはもう止まらない」

「それでなんとかなるんですか。戦わないなんて」

「なんとかするしかないだろうね。まあ、基本的にきみたちはじっとしているだけでいいんだ。学園を守るのは先生たちの仕事だから」


 理解したような、それでいてまだ得心はしていないような生徒たちの表情であった。

 それも無理はないと伸彦は思う。

 与えられた回答に納得せず、考え続けることは決して悪いことではない。

 そのうち、ひとりの生徒が手を挙げた。


「テレビに出てた精霊使いのひとたちと協力して、人間を倒すっていうのはだめなんですか。テレビでは、東京にもあのひとたちの仲間がいるって言ってたけど、協力すれば精霊使いがもっと自由に暮らせるようになるんでしょう?」

「彼らはそう言っているね。でも、さっきも言ったけど、精霊使いと人間では数がちがいすぎるんだよ。たとえば、あの中継を発端にして、いま世界中で精霊使いに関係する騒動が起こっているが、結局それだけなんだ。ぼくは、彼らのやり方では世界を変えられないと思っている。革命をするには武力が足りないんだ。人間さえ味方につける方法なら、世界は変えられるかもしれないけど」

「失敗するにしても、試してみる価値はあるんじゃないですか。ぼくたちだけじゃなくて、すべての精霊使いのために」


 堂々と手を挙げて意見を言っているのは、年長の男子生徒である。

 目はきらきらと輝き、口調には独特の熱っぽさがあって、からかうために言っているのではないことはすぐにわかる。

 生徒たちのなかには彼の意見に同調する者もあるようだった。


「成功する可能性があるなら、ぼくもそのすこしの可能性に賭けてみるのもいいと思う」


 伸彦も教師というよりはひとりの人間として答える。


「だけど、この試みには成功する可能性はほとんどないんだ。失敗すれば、精霊使いの立場はより悪化する。精霊使いは不穏分子である、と社会が判断するなら、それを規制するなにかしらの制度ができるだろう。そうでなくても、精霊使いに自由はあまりないんだ。いまより厳しい締めつけになる可能性を考えるなら、性急にはならず、すこしずつ社会と同化することがいちばんなんだよ」

「じゃあ、どうしてあのひとたちはそんなことをはじめたんですか。先生が言うように、本当に成功する可能性がないなら、だれもそんなことはしないと思います」

「そうだね――がまんできなかったのかな」

「がまん?」

「太刀打ちできないとわかっていても、現状にがまんができなかったのかもしれない。日本とはちがい、外国の精霊使いの扱いは本当にひどいものだから、不可能だとわかっても立ち上がるしかなかったのかもしれないね」


 それとも、と伸彦は、子どもたちには伝えられない可能性を考える。

 実際に戦っている精霊使いたちは本気で革命を信じ、実行しようとしているのかもしれないが、後ろで糸を引いている人間までそうだとは限らない。

 聖戦を謳いながら、裏にはひどく生臭い理由が潜んでいるのかもしれない。

 前戦で戦っている兵隊たちは、だれかに操られているだけなのかも――もしそうだとしたら、なんと救いのない戦いだろう。

 勝利にも敗北にも意味などないとしたら、その戦いで死んでいく者にもやはり意味などないのだ。


「先生は、同じ精霊使いがそうやって負けてもいいと思ってるんですか」

「できることなら助けたい気持ちはある。でもそれは、ぼくたちができる限界を越えてるんだ。それよりぼくはできる限りの力で、学園を守りたいと思ってる。もちろんきみたちがどう行動するのかはきみたちが決めることだけど、なによりも学園のためを思っていることだけはわかってほしいんだ」


 伸彦の言葉に、生徒たちはしんと押し黙る。

 これ以上は意見も出ないだろうと判断し、伸彦は生徒たちに言った。


「これから先、外出はむずかしくなる。家族への連絡なんかはいままでどおりにできると思うから、許可なく学園の外へ出たりはしないようにね。また詳しいことは学園長もお話されると思うけど――」

「せっかくの夏休みなのになあ」


 とだれかが呟いたことに、伸彦は笑顔になる。


「学園のなかだって夏休みは満喫できるさ。なにしろひとりきりでいるわけじゃないんだからね。じゃあ、各自部屋に戻っていいよ」


 その一声で、生徒たちはぞろぞろと玄関ホールをあとにする。

 伸彦も職員室に戻ろうと、寮を出た。

 校舎のすこし手前で、やはり生徒たちへの説明を終えて戻ってきた有希子といっしょになる。

 有希子はやはり浮かない顔をしていたが、生徒たちへの説明はしっかりとしてきたらしい。


「わかってくれる生徒もいたけど、やっぱり納得いかない子もいたみたい」

「まあ、無理もないよ。ぼくのほうもそうだった。同じ精霊使い同士、彼らと協力すべきだという意見もあったしね。同胞意識が強いのはいいことなんだろうけど、いまばかりはね……」


 どこまでを仲間と認めるか、というのが、現状では大きな問題になっている。

 伸彦は、その線引きを学園と定めた。

 学園内部のものは仲間だが、それ以外はちがう、と決めたのだ。

 有希子はその線引きに迷っている。

 人間たちも、同じ精霊使いとして生まれた者たちも愛おしく思っているからこそ、すべてを守りたいと感じているが、その力がないこともわかっているのだ。

 同じ精霊使いはすべて仲間だ、とするなら、いまも人間たちと戦っている精霊使いのことも放ってはおけない。


「久しぶりに寮へ入って、子どものころのことをちょっと思い出したよ」


 校舎の廊下を歩きながら、伸彦は言った。


「もっと立派な大人になってるはずだったけど、相変わらずの無力感だな。手足が伸びればなんだってできると思っていたのに」

「やってみれば、なんだってできるのかもね」


 有希子はかすかに笑みを浮かべる。


「昔はなんでもやってみて、それでできなかったからそう思ったんじゃない? 大人になったらできるはずだ、って。いまはあんまり、できないことをやってみるってこともしなくなったもんね」

「かもしれないな。そうなると、あのころより臆病になったわけだ。まあ、それも無理はないかな」

「守りたいものが増えたから?」

「責任ってものを理解したからかもしれない」

「だとしたら、余計にがんばらないといけないのかもね――守りたいものが多いなら、その分だけ努力をしないといけないんだから」

「努力でどうにかなるならそうするけど……」


 そう考える伸彦は、自分はいやな大人になったものだとつくづく実感する。

 口先ばかり使うようになって、実際にはなにもしていないのに、なにかしたような気分になっている。

 しかし理性的に考えるなら、ここは無茶をせず、守れるものだけを確実に守るべきなのだ。

 子どものころのように、できるかどうかわからないがやってみる、ということをしていたら、守れたはずのものまで失ってしまう。

 失敗という経験を得るために、ほかのものを犠牲にできなくなるのが大人だ。

 強烈な自己嫌悪があったとしても、やるべきことはやらねばならない。


「いまのうちに食料の買い出しも進めたほうがいいのかもしれないな」


 伸彦は、わざと事務的な話題に変える。


「襲撃が実際に起こるかどうかもわからないし、起こるとしても何週間、何ヶ月先か推測もできない。そのあいだ、生徒たちと学園に籠城するとして、必要な分の食料はいまのうちから確保しないと」

「着替えとか、日用品もね」

「やるべきことは山積みだな」


 しかしなにもないよりはいいと伸彦は思い、まずは自分が挫けてしまわないように気合いを入れ直す。

 戦いは、まだはじまってもいないのだ。


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