第三話 6
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和人は芽衣子と青藍を引き連れ、屋台に向かった。
屋台の前にはパラソルつきのテーブルがいくつか並んでいて、そこには食べかけの焼きそばや半分残ったままのジュースが置かれている。
しかしその前にはだれもいない。
屋台の近くにいる全員が、その屋台の前に殺到している。
卓郎や八白の姿もそこにある。
不思議に思いながら和人たちが近づくと、卓郎がすこし振り返って、
「まずいことになってきたぞ、牧村」
「どうしたんだ、真剣な顔して」
「ふざけてる場合じゃなくなったんだよ。テレビ、見てみろ」
屋台を覗き込むと、奥にちいさなテレビがある。
殺到する全員がそれを眺めているのだ。
屋台の店主も、鉄板の上で焼きそばが音を立てて焼けているのも構わず、手を止めてテレビに見入っている。
和人も何人かの頭越しにテレビを見た。
一見、スタジオで撮影されているニュース番組のようだったが、よく見ると背景が異なることに気づく。
画面には男がひとり映っているが、その後ろにあるのは、星条旗である。
ただし、堂々と掲げられているのではない。
半ば切り裂かれ、壁に貼りつけられているような形で晒されている。
唯一画面のなかにいる男は、それを背にして、厳しい表情でなにかを訴えている。
「なんだ、これ」
状況はわからないが、異様な雰囲気は感じられる。
これは本来なされるべき放送ではない。
なにか、起こっているらしいのだ。
「声が聞こえないぞ」
とだれかが呟くと、店主がテレビに近づいて音量を上げた。
それでやっと男の声が聞こえるようになる。
男は英語をしゃべっている。
それに被さって、日本語の通訳が入る。
「――によって虐げられていたわれわれは、いまこそ立ち上がるべきなのだ。支配からの脱却を! われわれは自由を得るための戦いを開始した。この放送は世界中で生中継されている。われわれはワシントンで勝利した! 世界中のフェアリーたちがそれに続くだろう。ロンドン、パリ、ベルリン、北京、東京にはわれわれの仲間がいる。彼らも自由を得るための戦いをはじめるだろう。繰り返す。われわれはワシントンで勝利した!」
男の熱っぽい口調は、ほとんど感情が感じられないといってもいい通訳の声でかき消されている。
「フェアリーたちってなんだろう」
「精霊使いのことです」
和人が呟いたのを芽衣子が聞いて、すかさず答える。
「外国ではフェアリーと呼ばれることが多くて、肯定的に自称する場合にも使います」
「精霊使い――じゃあ、これは、精霊使いの反乱なのか?」
芽衣子は、この場にいるだれよりも沈んだ顔をしている。
まだ事態が把握できていない人間がほとんどのなか、芽衣子だけは、それを正確に理解していた。
「きっと本人たちは、革命と呼んでいるはずです。精霊使いを解放するための革命だと」
和人は、そのどこか非現実的な匂いを持っている革命という言葉を、つい最近耳にしたばかりだった。
「まさか、これは――」
「あのひとたちが動き出したんです」
「でも、別の連中だってことも考えられるだろ。あれはアメリカだし、きっとアメリカにも精霊使いの組織はあるはずだ。そういうやつらが動いたのかも」
「いえ、あのひとたち――わたしの仲間だったひとたちに間違いありません。いま映っているあのひとと、一度だけですけど会ったことがありますから」
和人は呆然とテレビ画面に見入った。
切り裂かれた星条旗と熱っぽくしゃべる男が妙に空々しく感じる。
しかしそれは紛れもない現実なのだ。
まさにいま、世界は変化しようとしている。
男は熱っぽくしゃべり続け、通訳はかろうじてそれに追いついていく。
「われわれの成功を疑う者がいることはわかっている。ここは本当にワシントンか? ホワイトハウスによく似たどこかではないのか? よろしい。証拠を見せよう」
不意に男が画面から外れた。
切り裂かれた星条旗だけが数分映し出され、再び戻ってきた男は、別の男を抱きかかえている。
「あっ」
とだれかが叫んだ。
全員が同じ気持ちだった。
男が抱えているのは、テレビで何度も見たことがあるアメリカ合衆国の大統領なのだ。
普段は威厳と親しみをもってほほえんでいる大統領が、いまは髪を乱し、後ろ手に縛りつけられ、顔を引きつらせている。
「この男こそ世界一有名な悪人である」
大統領を縛り上げている男は堂々と断言する。
「人間は貴く、フェアリーは下賤か? 人間は神の子で、フェアリーは悪魔の子か? 答えろ、アメリカよ」
男は大統領の首を掴み、ぐいとカメラのほうへ向ける。
汗ばんだ顔が大写しになり、落ち着きのない眼球の動きまで見えるようになる。
大統領は、カメラは見ず、男がいるほうを必死に見ようとしながら早口でなにかをしゃべった。
それは通訳されなかったが、だいたいのことは表情から読み取れた。
大統領は必死の弁解を試みて、おそらくそれは失敗したのだ。
「これがアメリカの答えだ!」
男が叫んだ。
カメラは再び大統領と男を映している。
「偉大なるアメリカは、差別などないという! あったとしても、それをなくそうと努力すると! いったい何百年前から同じ言い訳を繰り返すのだ。何百年の努力で、差別は減ったか? われわれはほんのすこしでも自由を得たか? 人間たちとともに暮らすこともできず、まともな生活などできないわれわれの惨めは、いったいだれが作ったのだ。先に戦争を仕掛けたのは人間だ。われわれは長く耐え忍んできた。しかしもはや限界を越えている。人間が望むなら、応えてやろう。立ち上がれ、戦ってみろというなら、そうしてやろう。しかし人間たちの命と引き替えだ。われわれの要求はただひとつ、人間たちの全面降伏である。それ以外の条件を呑むつもりはない。交渉の余地はない、と理解しろ。われわれは全存在を賭けている。おまえたちにも全存在を賭けさせてやる。見ていろ、人間たち」
ふたりの男を映していたカメラが、不意にすっと引いた。
彼らがいる場所が映し出される。
背後に星条旗が張られ、彼らはすこし高くなった壇上に立っていた。
そこはテレビにもよく映る会見場らしい。
木製のテーブルは退けられ、ふたりの男だけがそこに立っている。
男は、大統領に跪かせた。
腕を縛られている大統領は半ば倒れるように腰を落とし、膝立ちになる。
男はまっすぐ大統領の前に立っている。
なにか、不吉な場面を連想させる立ち位置だった。
「まさか――」
男の手には、いつの間にか長細い剣が握られている。
つい一瞬前まではなかったものである。
精霊使いの武器――それを取り出して、男はカメラを見た。
「やめろ!」
思わず和人は叫んだ。
ほとんど同時に、男がすっと腕を振っている。
男の剣は、あまりに鮮やかに跪いた人間の首を刈り取っていた。
身体から分離された頭が、ごろんと音を立てて落ちる。
切断された首から赤い血が沸き出し、身体はそのまま前のめりになって倒れる。
男は冷静な目つきで死体と、壇上を転がって顔面を下にして止まった頭を見下ろした。
そのころになって、やっとテレビを見ていた何人かが悲鳴を上げた。
和人は唇を噛む。
芽衣子はとっさに目を逸らしていた。
菜月は八白の頭を抱き、卓郎は悔しげに顔をしかめる。
テレビを通じてその一部始終を目撃した人間たちは、ひとりの人間の死をもって、その出来事と無関係でないことを思い知らされたのだ。
男は剣先をカメラに向ける。
大声でなにかを叫んだが、通訳がつかない。
日本語の訳がついたのは、男がくるりとカメラに背を向けたあとだった。
「われわれは全人類に宣戦布告する。これは単なるテロリズムではない。戦争である。フェアリーたちよ、立ち上がれ。アメリカの死に続け。われわれの自由は、われわれで勝ち取るのだ。繰り返す、フェアリーは全人類に宣戦布告する――」
中継映像は、そこで途切れた。