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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第三話
37/61

第三話 2

  2


「水着で外に出ちゃだめなんだよ、青藍さん」

「うむ、学習した」


 ほんとかな、と八白は首をかしげる。

 なにしろ、青藍には前科がある。

 ついいましがた起こった水着事件ではなく、二ヶ月前に、奇しくも同じ場所で買い物していたときに起きた事件である。

 今回は水着だったが、そのときは下着だった。

 それも、付け方がわからない、といってほとんど裸同然で試着室から出てきたときは、八白は自分のことのように慌てた。

 今回はそんなことが起こらないように、八白もいっしょに試着室に入って水着を着せてやったのだが、一瞬目を離した隙に出ていってしまったのだ。

 下着はだめだから、水着もだめだ、という常識的判断は、青藍にはないらしい。

 論理的に青藍が間違っているわけではない。

 下着はだめだ、という命題から、水着もだめだ、という新たな命題を導き出すことはむずかしい。

 そのむずかしさを手助けするのが常識というものなのだが、青藍にはそれが欠如しているから、思いも寄らぬ行動に出ることがある。

 和人もさぞかし驚いたことだろう。

 でも見とれていた、ということを、八白は見逃していない。


「赤もいいけど、もうちょっとおとなしい感じのやつも似合うかもね。今度はこれ着てみる?」

「リボンがついているな」

「うん、かわいいでしょ」


 そもそも青藍にかわいいという概念があるのか、ということは疑問が残るものの、とりあえずは年頃の女子が選びそうなもの、つまり八白が選びそうなものを着せてみる。

 青藍は赤い水着を脱いで、白地に明るいパステルカラーのデザインが施された水着を着る。

 下はともかく、上をつけるときが非常にもたつく。


「ん、む、お……んー」


 運動神経は抜群によい青藍だが、背中のホックをつけることは苦手らしい。

 八白は苦笑いしながらホックをつけてやり、前に回ってじっくりと姿を見る。


「うーん、やっぱり似合うなあ。スタイルがいいとなんでも似合うんだね。うらやましい……」

「これが似合っているのか?」


 青藍は鏡に映った自分の姿を見て、首をかしげる。


「うん、よく似合ってると思うよ」

「そうか。自分ではよくわからん。でも水着は動きやすいから好きだ」

「まあ、あんまり動くためには作られてないけどね。かわいいやつでも似合うし、大人っぽいやつでも似合うから、どれにするか悩むよね」


 自分の水着を選ぶときとは別の意味で時間がかかりそうだと八白は思う。

 自分の水着を選ぶときは、いってみれば消去法に近い。

 どれなら似合うか、という判断基準をおいて、それに適したものを探す、という作業である。

 しかし青藍の場合、だいたいどれを着ても似合ってしまう。

 すらりと足が長く、腰がくびれ、胸が大きい青藍に似合わないものなどない、というくらい完璧に着こなしてしまうから、どれを選ぶかというのがむずかしい。


「もうちょっと見てみよっか。どういう感じがいいか、牧村くんに聞いてみるのもいいし」


 服を着替えて、ふたりは試着室を出る。

 青藍の水着を選びながら、八白は自分の水着も探さなければならない。

 青藍を見ていると自信はどんどん失われていって、最終的には水着など着たくなくなってくるが、それではだめだと自分を奮い立たせる。


「うーん、やっぱり青藍さんは大人っぽくて落ち着いた感じのほうがいいかなあ。あたしのはできるだけ身体の線が消えるやつを……」


 ぶつぶつ言いながら八白が水着を選んでいるあいだ、青藍は店内をきょろきょろと見回している。

 こういう店が興味深いらしい。


「青藍さんは、なにか着てみたいのとかない?」


 八白は顔を上げ、訊ねた。


「とくにはないが――」


 と青藍は店内を見回して、ある一点で止まる。


「あれも水着なのか?」

「あ、あれは……」


 水着の専門店に置いてあるのだから、水着にはちがいない。

 しかし八白も思わず首をかしげたくなる形状であることも確かだった。

 青藍が指さしたのは、壁にかけられて展示してある「もの」である。

 八白には、それは紐にしか見えない。

 ハンガーに引っかけられ、かろうじてひとの形をしているような、していないような、それすら曖昧な赤い紐である。


「水着とはああいう形状のものもあるのか」

「そ、そうだね……」

「あれも着られるのか?」

「え、き、着るの? いやあ、あれは無理なんじゃないかなあ」


 と言いつつ、一応店員に聞いてみるあたり、八白はまじめである。


「あ、あの、店員さん、あの水着って、試着なんか……できませんよね?」

「あ、できますよ」

「え」


 できるだけまじめそうな店員を選んで話しかけたのが仇になったらしい。

 若い女性店員はにこにこと笑いながら例の紐を壁から降ろし、八白に手渡してくれた。

 間近で見て、手で持ってみても、やはり紐である。

 人間が着るものかどうかすら定かではない。

 むしろ、ここまできたら裸でいればいいのに、とすら思う。

 しかしせっかくこうして受け取ってしまった手前、このまま突き返すというわけにもいかず、八白は青藍の顔を見て、


「……試着、してみる?」

「うむ」

「ごゆっくりどうぞー」


 店員の笑顔に見送られ、再び試着室である。

 青藍は服を脱ぎ、準備万端で立っている。

 八白は紐を手に、これが下か、これはなんだ、と悪戦苦闘している。


「た、たぶん、これが下だと思う……向きはこうだから、ここに足を入れて……」

「こうか」

「うん、それでいいと思う。上は、えっと、この向きで、こうなってて、え、でもこれぜんぜん隠せてないけど……」


 とりあえず、着せてみるだけは着せてみた。

 青藍が身に纏っても、水着を着ているというよりは、紐でかろうじて隠しているようにしか見えない。


「こ、これは……」


 まあ、着るまでもなくわかっていたことではあるが――。

 もともと紐である以上、隠せる面積は紐一本分しかない。

 尻などまったく隠れておらず、白く張りのある肉がぷるんと出ている。

 上は上で、形容するのもはばかられるような有り様である。


「だ、だめっ。これはだめ!」


 まっ赤な顔をして、八白はぶんぶん手を振る。


「に、似合うとか似合わないとかって以前に、こ、これはだめだよっ」

「む、そうか。たしかに、これなら裸のほうが動きやすいな」

「そ、そういう問題でもないけど……」


 なぜ動くことを前提としているんだろうと思いつつ、八白は卑猥極まる水着を脱がせる。

 この水着は、わいせつ物なんたら罪には引っかからないのだろうか、これでも一応着ているということになるのか――なぞは深まるが、八白には探究する気力もなく、試着室を出てすぐにその水着を店員に返した。

 店の外で和人も待っているのだ。

 あまり長く悩むのは申し訳ない。

 それに、いまの水着に比べれば、店内にあるほとんどの水着が充分ガードの堅い水着に見えてくる。

 八白は青藍用と自分用にいくつかめぼしいものを集め、試着室に引き返した。

 まずは青藍から、一着ずつ試着していく。

 八白は真剣な表情でそれを眺め、どれがいちばん似合っているのか考えるが、見れば見るほどどれもよく似合っていて、なかなかひとつに決められない。

 それどころか、着替えのさなか、なにも着ておらず、ただ立っているだけで同性さえ魅了するようななにかがある。

 そもそもの前提がよすぎるのだ。

 八白は青藍の身体と自分の身体を見比べ、思わずため息をつく。


「いいなあ、青藍さん」

「ん?」

「足も長いし、きれいだし、胸もおっきいし」

「胸か」


 青藍は自分の身体を見下ろし、無造作に胸を掴む。


「あっても邪魔なだけだと思うが。こぢんまりしているほうが動きやすくていいだろう」

「こ、こぢんまりはしてないもんっ。そ、そりゃおっきくはないけど、平均的っていうか、すくなくとも菜月ちゃんよりはあるっていうか」

「そういえば織笠菜月は動きやそうな身体をしているな」

「な、菜月ちゃんの前では絶対に言っちゃだめだよ?」


 悪気がないのが恐ろしい。

 きっと青藍はそれが本心なのだろうが、菜月が聞いたら怒り狂ってどうなるかわからない。

 八白は、菜月のためにも青藍の水着はあまり派手でないものを選ぼうと決める。

 そして八白自身も、どちらかというと控えめな、しかしかわいらしい水着を見つけて、なんとかそれに決まった。

 比較的早く決まったほうだと八白は思ったが、会計の前に和人を呼びにいくと、和人はベンチに座って居眠りをしていた。

 買い物がはじまってから、かれこれ一時間半ほどは経っている。


「牧村くん、起きて。買い物終わったよ」

「ん、んん……」


 肩を揺すると、和人は薄く目を開け、ぼんやりあたりを見回す。


「おお、直坂。もう買い物終わったのか」

「うん、いまからお会計するところ。ごめんね、時間かかっちゃって」

「いや、寝てたから大丈夫だよ」


 和人はあくびをしながら立ち上がり、軽く首を鳴らす。


「で、どんなやつに決まったんだ」

「えへへ、それは明日のお楽しみ」

「む、そうか……まあ青藍も八白も、なに着ても似合うだろうしな」

「青藍さんはほんとにそうなの。だからどれにしたらいいか迷っちゃって、いろいろ試着してたんだけど」


 例の水着を思い出し、八白は軽く咳払いする。

 和人は首をかしげ、


「ま、明日を楽しみにしてるよ。じゃあ会計して帰ろうか」

「うん」


 水着を買うと、いよいよ海に行く気分が高まってくる。

 しかし海は、遊びに行くと同時に、ある種の戦いであることも八白は承知している。

 それは言ってみれば女の戦いである。

 勝敗の条件は定かではないものの、浜辺には必ず勝者と敗者がいて、勝者は美しい景色を堪能し、敗者は惨めな気分になって帰宅する、という厳しい条件の戦いなのだ。

 普段はおとなしい八白とて、決して戦いに負けるつもりはない。

 やるからには勝ちにいく。

 八白は袋に入った水着を受け取って、その気持ちをいよいよ強くするのだった。


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