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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第三話
36/61

第三話 1

  1


 八月の半ばといえば、真夏である。

 蝉はみんみん鳴いている。

 太陽は燦々と輝いている。

 空気はむんむんと蒸し上がり、人々はうんうんと唸る。

 それが日常と化しているのが、八月半ばという時期である。

 いつの間にか鳴き出した蝉に風流を感じることもなくなり、昼間から聞こえてくる子どもたちの声や抜けるような青空にも過去を懐かしんだりはしない。

 そういうことは八月の頭にすべてやり尽くし、あとはひたすらに暑く怠惰で不健全な夏が待っている。

 社会人は、それでも何食わぬ顔で毎日を過ごさなければならない。

 今日も暑いね、という言葉の裏には、それでもがんばらなくちゃね、という励ましめいた意味が潜んでいる。

 社会人たるもの、多少世間がどうにかなったところで動揺してはいけない。

 夏は夏らしく、などということはなく、一年を通して平静に過ごすのが大人というものである。

 一方で学生、子どもたちは、七月の終わりから夏独特の気分で生活をしている。

 夏休みである。

 一ヶ月以上にも及ぶ長い休みのあいだ、学生は大人たちのように努力をする必要がない。

 暑いときは暑くないように冷房の効いた部屋から出ないし、それが退屈になったらプールや海に出かけて暑い夏の涼しさを満喫する。

 眠たいときに寝て、眠たくないときは寝ない、という当たり前の、しかしわがままな生活を存分に楽しむ。

 要は、この時期の子どもたちは、やりたいことをやって、やりたくないことはしない。

 それは小学生も高校生も変わらない。

 だから高校生たる牧村和人も、七月の終わりに終業式をやってからというもの、とにかく寝ている。

 夜は部屋の窓を開け放ち、風通しのよい場所にベッドを移動させ、そこで寝る。

 昼間はリビングで扇風機をかけながら寝る。

 たまに起きて食事をしたり、必要最低限の買い出しに行くほかは、ほとんど寝ている。

 テレビは見ない。

 勉強もしない。

 電話も出ない。

 来客にも対応しない。

 とにかく寝ている。

 雨の日でも構わず寝ている。

 窓から西日が差し込んで室温が上がっても寝ている。

 腹が減っても寝ているし、ときには風呂に入っても寝ている。

 さすがに浴槽で溺死しかけてからはシャワーで済ませるようにしているが、シャワーを頭から被りながらでも寝ている。

 だいたいそういう日が二十日ほどあった。

 普通の高校生なら親から怒られるか、心配されて病院へ連れて行かれるが、和人に両親はしない。

 代わりに同居人がいる。

 この同居人、青藍も、和人が寝ているあいだは大抵寝ている。

 さすがに風呂で寝ることはないが、和人はリビングで寝ているときはすこし離れたところで寝ているし、ベッドで寝ているときはその下に敷かれている布団で寝ている。

 いつも同じ空間にはいるが、会話はない。

 お互いに会話の暇もなく寝ているせいである。

 七月の終わり、夏休みがはじまる直前に起こったことを考えればゆっくり休養するのも無理はないという見方もあるが、それにしても牧村和人は睡眠過多だった。

 さすがにいつまでも寝穢く過ごしているわけにはいかない、と和人自身も思ってはいる。

 貴重な夏休み、せっかくなら出かけたり遊んだりすべきだとも思う。

 それが一般的な夏休みの過ごし方で、自分もそれに倣うべきだと思うが、夜は夜で眠たいし、朝起きてもまだ眠たいから、つい寝てしまう。

 まるで身体が駄々をこねているようだった。

 まだ起きたくない、もっと寝ていたいという身体に対して、和人の意思は極めて弱い。

 つい、そうだよな、たしかに、と納得して、寝てしまう。

 一日のうち、二十二時間ほどは眠って過ごす。

 そのくせ目を覚ましたときに眠たくて仕方がない。

 これはもはや正常な睡眠ではない。

 起きて、普通の人間のように生活するのを拒否しているような身体の働きである。

 実際、起きている短い時間で和人が考えることは、精神的に決して考えていたくないことばかりだった。

 起きている苦しさがまた眠気を誘って、夢も見ない睡眠へ落ちていく。

 一度の睡眠で二十時間ほど寝ることもあるから、和人は日付の感覚をすっかり失って、途中からは夜明けか夕暮れを見るたびに印をつけ、それで日付を確認するほどだった。

 もっとも、いま見ているのが朝焼けなのか夕焼けなのか和人にはわからなかったし、朝焼けにしても夜が明けただけなのか、それとも眠っているうちに一日が過ぎ、二日目の夜明けなのかもわからない。

 それでもなんとか二十日ほどで和人は立ち直った。

 鳴った電話には出るようになったし、一日の半分程度は起きていられるようになってからは、人間らしい夏休みの生活が戻ってきた。

 天気がいい日は大抵布団を干す。

 風に揺れるシーツを見ながら昼寝をするのも健康的で、一時間もしないうちに目を覚ます。

 料理もできるだけするようになったし、買い物のほかにも散歩をするようになり、夏休みの終盤にはなんとか元どおりの生活に戻れそうな気がしていた。

 友人の日比谷卓郎から、


「海へ行こう」


 という電話があったのはそんなころだった。


「海ったって、もう八月の終わりだぜ。クラゲとか出るんじゃないのか」

「クラゲだって生きてるんだ。海中を浮遊くらいさせてやれよ」

「いやそういう話じゃねえよ。そりゃ好きなだけ漂わせてやるけどさ」

「ほんとは八月のはじめに行くつもりだったんだけど、おまえ、連絡つかなかっただろ。だから先延ばしになってたんだよ」

「ああ……」


 なるほど、と受話器を持って和人はうなずく。


「そいつはご迷惑をおかけしました」

「いえどういたしまして。ってことでよ、海、行こうぜ」

「えー」

「なんだよ、クラゲ嫌いなのか?」

「好きじゃないのはたしかだけど、海ってなんかめんどくせえ……」

「めんどくさいとか言うなっ」


 熱っぽい口調で卓郎は言う。


「おまえな、考えてもみろ。夏だぜ。暑いんだぜ。しかも海だぜ」

「お、おう、それはいま聞いたけど、だぜだぜうるせえ」

「おまえ、暑いときはどうする?」

「扇風機かける」

「扇風機がないときは」

「脱ぐ」

「だろ! そうだよ、脱ぐんだよ。ひとは暑いとぬぬ脱ぎたくなるんだっ」

「わかったから落ち着けよ」

「つ、つまりだな、海という空間は夏の欲求を解放させる恐ろしくもすばらしい場なわけで、健全な男子高校生たる身としては行かざるをえんだろう。そしておまえは青藍さんを連れていかねばならんだろう」

「……要するに、青藍の水着が見たい、と」

「話が早いな、相棒」

「相棒じゃねえけど、海ってのはほかにもいろんな人間がいるわけだよな。青藍はともかく、ほかの若いおなごが」

「そりゃあ、いるとも。うじゃうじゃいるとも」

「どうやら行かねばならんようだな」

「よし、決まりだ。日時は明日。天気もいいらしい。朝九時に駅前集合な。遅刻すんなよ」

「九時か。了解」

「あと、おんなじ寮だから、布島さんと織笠はおれが誘っておく。おまえの担当は直坂さんと青藍さんだからな。絶対両方確保しておくように」

「わかった」

「海水浴必須アイテムはこっちで揃えておくから、おまえらは着替えだけでいい。じゃ、また明日な」

「おう」


 男の電話は早い。

 必要なことだけ打ち合わせ、すぐに受話器を置く。

 和人はリビングのソファに座り、ぼんやり時計を見上げた。

 午後二時半。

 どちらにせよ、今日も買い出しには行かねばならないから、そのときに必要なものを買ってこようと決める。

 それから、八白にも連絡しなければ、と考えていると、洗面所の扉が開く音が聞こえてきた。

 ちょうどいま、青藍が暑いといってシャワーを浴びているところである。

 七月の終わりの、あの出来事以降、青藍が具現化できる範囲が広がっている。

 それまではせいぜい部屋のなか程度しかできなかったのが、いまは家全体まで拡大している。

 以前のような不便――たとえば、片方が風呂に入っているあいだ、もう片方は洗面所で待つとか、そういった様々な問題を孕む不便から解放されたのはよいことだが、和人は、手放しではよろこべずにいる。

 青藍、つまり精霊石を使える範囲が広がったということは、それだけ精霊使いとして熟練してきたということでもある。

 強くなった、と考えれば、決して悪いことではない。

 しかし和人は、精霊石が馴染んできたのだ、と感じている。

 いまや精霊石、青藍は、身体の一部のように感じられる。

 あの日以降、青藍がどこにいて、どのように動いているか、ということが、五感に頼らずともわかるようになった。

 精霊石と自分自身の境界線が浸食されている証拠である。

 青藍の存在は、もはや和人にとって自分の一部になっている。

 以前よりうまく精霊石を使える自身はあるが、一方で精霊石に使われている、と感じることもある。

 どちらが上位に立ち、どちらの意思で相手を動かしているのかが定かではない。

 本来そこには明確な線引きがあるはずだが、相手のことを身体の一部のように感じているいま、どちらが優位に立とうと同じだというところまで感覚が進んでいる。

 それぞれの意思、というものがなく、全体としてひとつの意思を持っているような、自分自身でありながら自分自身でなくなるような不安が和人にはあるのだ。

 そしてそれは、ただ精霊石を強く感じられるようになったという理由だけではない。


「主よ、だれかいたのか? 話し声が聞こえたが」


 振り返らずとも、青藍が歩いて近づいてくるのがわかる。


「電話だよ。日比谷が明日……」


 それでも会話の礼儀として振り返った和人は、まじまじと見てしまった。

 鋭い聴覚で和人の声を聞いた青藍は、シャワーを浴びたそのまま、リビングまで出てきている。

 長い髪の毛はじっとりと濡れ、一応は滴らないように拭いたらしいが、白い首筋にぴたりと張りついている。

 身体は、手に持ったちいさなタオルがぎりぎり隠しているような、隠れていないような様子である。


「お、おまえな、何回も言うけど、服は着ろよ」


 やっと理解が追いついて、和人は視線を逸らす。

 青藍はとくに反省した様子もなくうなずき、


「それで、日比谷卓郎がどうかしたのか」

「明日、海に行こうってさ」

「うみ?」

「海だよ、海。あれ、知らないのか」

「む」


 と青藍は眉をひそめる。


「ばかにしているな? その顔は、ばかにしているな? 海くらいは知っているぞ。水がたくさんあるところだ」

「……まあ、間違っちゃいないけど」

「なにをしに行くのだ」

「遊びに行くんだよ。泳いだり、くつろいだり」

「海でくつろぐのか」

「このへんは暑いだろ。海に入ったら涼しくなるし、ほかにもまあいろいろと理由はあるわけだけど、とりあえずはそういうことだ」

「ふむ……」

「あ、こら、腕を組むなっ。見えてる見えてる!」

「なにが見えている?」

「な、なにがって、おまえ、その……と、とにかく! 服を着ろ、服を。話はそれからだ」

「むう。服を着ると暑い……」


 ぶつぶつ言いながら、青藍は洗面所に戻っていく。

 和人はほっとため息をつく。

 青藍のこういうところは、相変わらず慣れない。

 そろそろ青藍も一般常識を覚えていいころのはずだが、本人に覚える気がないせいか、まったく進歩が見られない。

 困ったものだとため息をつく和人は、子育てに疲れた父親のような顔をしている。

 五分ほどして、青藍は服を着て戻ってきた。

 服といっても、白い薄手のワンピースである。

 袖はなく、スカートは膝上でひらひらしている。

 見る分には涼しげだが、青藍いわく、この服は腹や胸のあたりが蒸し暑いらしい。

 胸が蒸し暑いのは服のせいではあるまい、と和人などは思うが、もちろん口には出さない。

 青藍は和人のとなりにすとんと腰を下ろす。

 まだ濡れている髪が重たげに揺れて、和人は眉をひそめた。


「ちゃんと乾かさないとだめだろ。風邪引くぞ」

「精霊石は風邪など引かぬし、乾かすのは面倒だ」

「そっちが本音だろ。ったく、しょうがねえなあ」


 和人は洗面所からドライヤーを持ってきて、青藍を前に座らせる。


「おれは子持ちかっての」


 とぼやく和人だが、手つきはすっかり熟練している。

 青藍の髪は絹のように手触りがいい。

 完全に乾いていなくてもさらりと指先を流れ、キューティクルが輝いている。

 青藍が動くと、これがふわりと舞って、なんともいえないほど優雅なのだ。

 和人が青藍の長い髪を丁寧にドライヤーで乾かしているあいだ、青藍は気持ちよさそうに目を細めている。

 自分で乾かすのは面倒だが、和人にやってもらうのは好きらしい。

 和人はドライヤーの音でかき消される程度の声でなにやらぶつぶつ言っていたが、不意に青藍にも聞き取れる声で呟いた。


「いつまでこんなことが続くんだろうな」

「……髪が乾くまでではないのか?」

「いや、そのことじゃねえよ。なんていうか、こういうなんにもない日がいつまで続くのかって思ってさ。学園を襲撃した連中は、きっとあれで終わりじゃない。まだなにかやるつもりにちがいないんだ。たぶん、それにはおれも無関係じゃないだろう。あの連中がなにかはじめたら、こういう日常ってすぐになくなるだろ。だから、いつまで続くのかって」

「それは主によるだろう」

「おれに?」


 青藍は和人を振り返る。


「主の日常は、主のものだ。やめたいと思うならすぐにでもやめられるだろうし、続けたいと思うならいつまでも続けられる」

「……そういうもんかな」

「何事も意思が大切だ。強固な意志があり、それを担うだけの行動力があれば、大抵のことは思い通りになる」

「おれにその行動力があるかどうかってことだな」

「主なら、望んだことを現実にできるだろう。われはその手助けをするものだ」

「――それが精霊石の意味なのか?」


 和人はふと気づいたように手を止めた。


「人間の手助けをして、行動を助けることが精霊石の存在意義なのか?」

「すべての精霊石がそうだというわけではない。なかにはそういうものもある、ということだ」

「ふむ。おまえはそうだってことか」

「はじめから言っているだろう。われは主のものなり、と」

「それで、おれはおまえのものってわけだ」


 最後に呟いた言葉は、青藍には聞こえなかったらしい。

 和人はドライヤーを止め、青藍の頭を軽く撫でる。


「よし、できた。じゃあ買い物行くか。今日はちょっと遠出しなきゃな」

「む、そうなのか」

「海水浴っていったらいろいろ必要だろ。水着も持ってねえし」

「水着なら前に着ただろう」

「学校でだろ。さすがにあれじゃなあ」


 和人は財布の中身を確認し、ポケットに入れる。


「よし、行くか」


 着替えはせず、青藍は玄関へ向かう。

 露出の高いワンピースで外出するのは、和人もいかがなものかと思うものの、街を歩いていてそれなりに見かけることを考えるとおかしくはないのかもしれない。

 和人もTシャツにジーンズという格好で靴を履き、外に出る。

 その瞬間、


「うっ」


 まるでサウナのように湿度の高い熱気が身体中を包み込む。

 玄関の扉を開けた時点で出かける気力はかなり殺がれたが、買い出しもしなければならないし、出かけないわけにはいかない。

 青藍も真夏の日差しと気温に眉をひそめている。

 時折吹く風もじっとりと生温く、すぐ背後に山があるとはいえ、不快感の強い午後である。

 こういうとき、和人は青藍の姿を眺めることにしている。

 長い髪をなびかせて立つ様子はなんとなく涼しげで、眺めていると気分だけは涼しくなるのだ。

 しかし、それにしても今日は暑い。


「あー、夕方にしたほうがよかったかもなあ……」


 一日でいちばん暑い昼過ぎに好きこのんで出かけたがる人間はすくないらしく、街はやけに静かだった。

 山のほうからかすかに蝉の声が聞こえてくるものの、植物がすくない町中はあまり蝉も鳴かず、子どもの声もしない。

 いまどきの子どもは直射日光よりも冷房に当たっているらしい。

 どちらか選べるならだれでも冷房を選ぶ、と和人は考えながら、玄関に鍵をかけた。


「あ、そうだ青藍、ちょい待ち」


 すぐに歩き出そうとする青藍を呼び止め、和人はそのまま道を横切って向かいの家に近づく。

 直坂、という表札の下の呼び鈴を鳴らすと、すぐ寝ぼけたような、


「ふぁい……」


 という返事が返ってきた。


「あー、牧村ですけど。直坂か?」

「まきむら……ま、牧村くん?」

「おう。悪ぃ、昼寝でもしてたか」

「う、ううん、ちょちょちょちょっと待ってて!」


 通話が切れても、家のなかからどたばたと慌ただしい足音が聞こえてくる。

 あくびを洩らしつつ、待つこと五分。

 やっと足音が玄関に近づいてきて、扉が開いた。


「お、お待たせっ」


 直坂八白は、耳のあたりを手で押さえながら顔を出した。


「ど、どうしたの、牧村くん。うちへくるなんて珍しいけど……」

「いや、ひまだったらいっしょに買い物行かねえかと思ってさ。あと、明日ひま?」

「え、あ、あの、今日も明日も、ひまだけど」

「じゃ、海行こうぜ」

「う、うう海?」

「うん、海」

「ううう海って、あ、あの海だよね?」

「その海だな」

「ざぶーんって波がなってる……」

「そう、それ」

「なな、なんで海に?」

「日比谷に誘われてな。あいつは芽衣子と織笠を誘ってるから、おれは青藍と直坂を誘えって。ひまだったら行こうぜ」

「も、ももちろん行く! で、でも、海ってことは、その、お、泳いだりするんだよね。だったら、と、当然、みみ水着なわけで……」


 八白はなにか想像したらしく、ぽっと顔を火照らせる。

 その頬を両手で隠すと、耳のあたりの髪の毛がぴょんと跳ねていた。

 どうやら昼寝でできた寝ぐせらしい。

 それを隠したかったのか、と和人は妙に納得し、ひとりでうなずく。


「いまから青藍と水着買いに行くから、よかったら直坂もいっしょに行こう。あと」


 と和人はすこし声をひそめ、


「青藍の水着を見てやってほしいんだよ。本人に任せるのは不安だし、おれもよくわかんねえからさ」

「そ、そっか、そうだよね。じゃ、じゃあ、着替えてくるからちょっと待っててもらっていい?」

「わかった。ゆっくりでいいぞ」


 ばたんと扉が閉まり、八白が引っ込む。

 ばたばたと足音が聞こえてくるほか、なんで寝ぐせが、と悲鳴めいた声まで聞こえてくるが、本人は気づいていないにちがいない。


「……Tシャツの前と後ろを間違えて着てることは、着替えるって言ってるし、まあ言わなくていいか」


 和人は呟き、塀に背中を預ける。

 青藍はぼんやりと空を見ていた。

 真似するように和人も頭上を仰ぐ。

 抜けるような青い空が、民家の屋根に切り取られている。

 そこに薄い雲がいくつか浮かび、遠くには積乱雲も見えた。


「あれがこっちまできたら一雨降りそうだな」

「涼しくなるなら、それもいい」


 と青藍は応える。


「主は、雨はきらいか?」

「まあ、好きではないな。濡れるし」

「濡れるのがいやなのか?」

「そういうことになる。着替えるのもめんどくせえしな。あと、雨が降るときは空が暗い。暗いよりは明るいほうが好きだ」

「なるほど」

「おまえはきらいじゃないのか、雨」

「濡れるのは、きらいではない。むしろ好きだ。皮膚感覚が研ぎ澄まされるような気がする」

「気がする?」


 珍しいもの言いに、和人は身体を起こした。

 青藍も自分が口にした言葉を理解できないように首をかしげている。


「気がする、などという言い方はすべきではなかった。研ぎ澄まされる、と感じるなら、そう断言すべきだが――」

「気がするってことはよくあるけど、おまえが言うのは珍しいよな」


 すこしは青藍も人間らしくなってきたというか、と和人は楽観的に考えるが、青藍は真剣な口調で続ける。


「近ごろ、ときおりそういうものを感じる。自分の感覚が、自分で理解できない。たとえば――」


 と青藍は、和人に左腕にぴたりと寄り添う。


「お、おい、青藍」

「こうして寄り添うと、快を感じる。はじめは精霊石と主の結びつきが強固になるせいだと考えたが、実際はそうではない。主が精霊石を操れる範囲であれば、結びつきの強さは変わらない。だから、こうして寄り添うことと、すこし離れることではなにも変化しないはずだが、実際は快不快がある。理屈に合わん。これはどういうことなのだ?」

「そ、それは……」


 青藍はまっすぐ和人を見つめる。

 和人は青藍に対して覚えたことのない感情が沸き上がってくるのを感じて、どぎまぎしてしまう。

 鈍い鈍いと言われる和人だが、青藍の疑問に対する答えはさすがにわかる。

 それはつまり、そういうことではあるのだろうが、そんなことが起こりうるのかどうか。

 青藍は精霊石であり、和人はその持ち主である。

 同じ人間同士でもなければ、対等な関係というわけでもない。

 青藍の言う不可解な感情は、お互いを対等な人間として考えるなら簡単な話だが、精霊石と持ち主のあいだの独特な関係に起因している可能性もある。

 どちらかというとその可能性のほうが高そうだと和人は思う。

 なにしろ、青藍に好かれる要素が、自分のなかには一切見当たらない。

 青藍という特別な精霊石の持ち主である、というほかに、自分の価値が見いだせない和人である。

 どうしようもない、と言われる根拠はあっても、好かれる理由はなにひとつない。


「た、たぶん、青藍も人間らしくなってきたってことじゃないか」


 視線を逸らしながら、和人は言う。


「人間ってそういうところがあるし、まあ、別に悪いことじゃないだろ。あんまり気にするなって」

「むう……そういうものか」

「そういうもん、そういうもん。人間自身にだって人間の心の動きが全部説明できるわけじゃねえんだから、考えるだけ無駄ってやつだ」

「なるほど。人間とは不可解なものだな」

「そうそう」


 威勢がよすぎる返事でも、青藍は怪しまない。

 こういうときばかりは、青藍が人間からすこし乖離した意識の持ち主でよかったと和人は思う。

 しかし青藍が人間に近づいているというのは、口から出任せではない。

 先ほどの「気がする」というのも、青藍の不可解な感情の正体にしても、いままでに一度もなかったことなのは事実なのだ。

 より人間に近づいているから、人間らしい言葉や感情が芽生えているのは間違いない。

 きっかけはあの日だろうと、和人はおおよそ見当がついている。

 あの日、和人は精霊石を使いこなした。

 しかしその方法は、たとえば和人よりも精霊石の扱いがうまい江戸前有希子とはちがう。

 有希子はおそらく精霊使いと精霊石、という立場を意識し、それを崩すことなく精霊石を使っている。

 和人の場合は、その立場が変化している。

 精霊石と自分を隔てる境界が浸食され、お互いに混ざり合って、精霊石そのものに飲み込まれたような気分で戦っていた。

 始終の記憶はあるが、自分で動いているのではないような感覚――それを覚えるのは、先日がはじめてではない。

 二ヶ月前、山の上の博物館ではじめてひとを殺したときも、同じ感覚があった。

 自分でありながら、自分ではない。

 二ヶ月前は身体を乗っ取られたように感じ、今回は意識が混ざり合ったように感じた。

 そのちがいにもなにかの意味があるはずだと和人は考える。


「お、お待たせっ」


 どたどたと騒がしい足音を立てて、やっと八白が顔を出す。

 八白はそのまま靴を突っ掛け、家のなかに行ってきますと叫んで玄関を出た。


「ごめんね、遅くなっちゃって」

「いや、思ったよりは速かったよ。寝ぐせは直ったか?」


 八白はぱっと耳のあたりの髪の毛を押さえ、むっと和人をにらむ。


「そ、そういうことは気づいてても言っちゃいけないんだよっ」

「別に跳ねててもいいと思うけどな。アホっぽくて」

「あ、あほ……」

「あ、いや、かわいくて」

「言い直すのが遅いっ。べ、勉強はあたしのほうができるんだからね!」

「そうだよな」


 と和人は腕を組む。


「勉強はできるのに、そのアホっぽさはどこからくるんだろう?」

「あ、あほっぽくないもん」

「ぼんやりしているところでは?」

「青藍さんまで! もうっ」


 八白はぷりぷりと怒って歩き出す。

 和人は笑いながらあとに続き、それに青藍もついていく。

 三人の目的地は、駅前の複合ビルである。

 歩いて二十分ほどかかるが、道中も会話をしながらなら苦にはならない。


「夏休みが終わったら、ちょっとずつ文化祭の準備もしないとね」


 和人の横を歩きながら、八白が言う。


「文化祭って十月だろ、たしか」

「うん。でもしっかりしたやつを作ろうと思ったら、早くから準備しないと。菜月ちゃんも張り切ってたし」

「ああ、織笠はそういうタイプだよな。わかるわかる。んで、おれと日比谷はまじめにやらねえから怒られるタイプだ。ちょっとそこのばかふたり、まじめにやりなさいよーって」

「その様子がリアルに想像できるね……ってまじめにやらなきゃだめだよっ。クラスの団結力が試されるんだから」


 八白はぐっと拳を握る。

 どうやら菜月以上にやる気らしい。

 それを見ていると、本当ならめんどくさがる和人だが、手伝ってやらなければという気になる。


「まずはなにをやるか決めないとな。去年はなにをやったんだ」

「えっとね、去年はね、ど――」


 明るい口調で言いかけて、不意に八白は口ごもる。


「ど?」

「ど、どど……どうぶつ」

「どうぶつ?」

「どど動物喫茶……」


 頬を赤らめ、俯き加減で八白は言った。

 和人は首をかしげ、


「動物喫茶? ネコでも連れてきてやったのか」

「う、うん、まあ、そんな感じかな? きっとそうだったと思うよ、うん。なんか思い出したくないからもう忘れちゃったけど!」

「……もしかして、生徒が動物の格好して接客したとか」

「うっ……」

「ネコミミとかつけちゃって、いらっしゃいませだにゃん、とか言っちゃったりなんかして」

「そ、そんなこと……だ、だって! 決まっちゃったからにはやりきらないと逆に恥ずかしいって菜月ちゃんが……!」


 まっ赤になった顔を両手で隠し、うううと八白はうなる。

 よほど恥ずかしい思い出らしい。

 八白の反応を見て、俄然興味が沸く和人である。


「だいたいだれが発案して、どんな感じでそれが通ったのか予想はつくけど、クラス全員でやったのか?」

「裏方以外は、全員……」

「みんな耳とか尻尾つけて?」

「そ、それは女子だけで、男子はみんな着ぐるみだったけど……」

「どうやって注文とるんだ。そこは普通? たとえば、珈琲を頼んだとしたら」

「え、えっと」


 恥ずかしいのならやらなければいいのに、八白は和人の顔を見上げ、


「にゃ、にゃんにゃん珈琲入ります……だにゃん?」

「え、それ毎回言うの? うわあ、すげえ行きてえ。直坂はネコで、織笠は?」

「菜月ちゃんはたしか、うさぎだったと思う……長い耳とちっちゃな尻尾つけて」

「虎とかライオンじゃないのか。よりによってウサギ……いや、たしかに見てみたいけど。さすが日比谷、侮れねえ」

「菜月ちゃんはかわいかったよ。服もまっ白でふわふわした感じだったし。で、でも、恥ずかしかった……」

「ウサギだったら、いらっしゃいませだぴょん、とか言ったのかな。うわあ、録音して残しときたいな。日比谷のやつ、持ってねえかな。せめて写真とか」

「写真はいっぱいとってたけど、そのあと日比谷くんの部屋でなぞのぼやが出て燃えちゃったんだって」

「な、なぞの……? なんか真相を知りたいような、知りたくないような。まあでも、おもしろそうではあるよな。もし今年やるなら芽衣子と青藍も加わるわけだし」


 和人はすぐ後ろを歩いている青藍を振り返り、その顔をじっと見つめる。

 青藍は不思議そうに首をかしげながらも和人を見返す。


「……青藍なら、案外うさぎとかがいいかもな。ふりふりの服も似合いそうだし」

「そうだねー」


 と八白も青藍を見る。


「青藍さんは美人だから、なんでも似合っちゃいそうだよね。美人系だから、かわいい衣装だと印象が変わっていいかも」

「芽衣子はたぶんネコだな。気まぐれっていうか、なに考えてんのかよくわかんねえとことか、ネコそのままだし」

「ここに布島さんがいたら否定しそうだけど、たしかに合ってるかも」


 八白はくすくす笑う。

 その八白に目をやって、和人は腕を組む。


「直坂だと、普通の考えればおっとりしたネコとかなんだよなあ。でもそれじゃおもしろくねえし」

「そ、そうかな」


 和人に見つめられ、八白は落ち着かない様子で視線を彷徨わせる。


「案外、こわい感じのが似合ったりするのかもな」

「こわい感じ? たとえば、虎とか?」

「ライオンとか。ちょっとやってみ」

「え、ええ?」

「ライオンだよ。がおーってやってみ」

「が、がおー」

「迫力の欠片もねえな。ライオンに生まれなくてよかったなあ、直坂。ライオンに生まれてたらあっという間にほかの動物に喰われてるぞ」

「そ、そんなことないよ。ライオンに生まれたら生まれたで、ちゃんと生きていけるもんっ」

「反論すべきところはそこか? まあいいけど――直坂はライオンでいいとして」

「え、いまのでいいんだ……」

「問題は織笠だよ」


 真剣な顔で和人は腕を組む。


「見た感じ、清楚なお嬢さまなんだよな。それでいて本性があれだから、どっちも似合うっちゃどっちも似合うけど、似合いすぎて癪だ」

「犬とかはどうかな。おっきな耳つけて」


 自分のことでなければ乗り気の八白である。

 両手を頭の上に乗せ、ひょこひょこと動かしている。


「犬っていうと柴犬とかよりドーベルマンっぽいよな。主人に忠実じゃないドーベルマン。むしろ主人のほうが逆らえないような、こわいやつ」

「……菜月ちゃんが聞いたら怒りそうだなあ」

「それか、あれかな。ケルベロス」

「け、けるべろす?」

「知らないか? 頭が三つある犬で、地獄の番犬なんだよ。たまに火とか吐く」

「そ、それはさすがにかわいそうだよー。菜月ちゃん、もっとかわいいし」

「じゃあ犬はだめだ。迫力が足りない。ってなるとどうしてもライオンとか豹になってくるんだけど、ライオンは直坂だし、豹だとちょっとな」

「豹はだめなの?」

「女豹ってさ、ほら、えろいだろ。織笠じゃえろさが足りない」

「……よくわかんないけど、絶対菜月ちゃんの前で言わないほうがいいよ。たぶん言ったら無事じゃ済まないから」

「むずかしいなあ、織笠は。ぴったりのがないもんかな」

「あれはどうだ」


 とすこし後ろから青藍が言う。

 振り返ると、青藍はなにかを指さしている。

 すっと伸びた指先を伝っていくと、先にあるのは、信号待ちをしている引っ越し屋のトラックだった。

 トラックの側面にはデフォルメされた動物のキャラクターが描かれている。


「……なるほどな。象か」


 ふむ、と和人はうなずく。


「織笠の印象とはかけ離れてるが、だからこそおもしろそうだな。本気出したら強いってところも合ってるし、なにより長い鼻をつけてぼんやり立ってる織笠を想像したら……」


 普段きりりとしている菜月が、象の鼻をつけて教室にぼんやり立っている様を想像する。


「あははは」


 と八白。


「なんかおもしろいね、それ」

「だろ。かわいくはないけど、おもしろさは抜群だ。よし、織笠は象でいこう。鼻をつけさせよう。きっと本人は嫌がると思うけど」

「全力で抵抗するだろうね……」

「ま、その役目は日比谷に任せればいい。あいつならやり遂げる。あー、今年も動物喫茶になればいいのになあ」

「でも、男子もなにか着なきゃいけないんだよ。去年は日比谷くんたちがどこから着ぐるみを借りてきてたけど」

「男子なんか適当でいいよ」


 とやる気もなさげに和人は言う。


「余った耳とか尻尾適当につけてりゃいいし、どうせだれも求めてないんだから、男子は全員裏方に回ってもいいし」

「そんなことないよー。牧村くんなんか、犬とか似合いそうだし」

「犬っていえば日比谷だろ。おれは河童とかでいいよ」

「か、河童って動物なの……?」

「人間じゃねえだろ。全身緑に塗ってキュウリ食ってるよ、おれは」


 教室の隅で、まじめな顔をしてキュウリを食べている緑色の和人を想像したのか、八白は腹を抱えて笑う。

 そんなことをしているうちに二十分の道のりが終わって、三人はいろいろな店が入る複合ビルに到着する。

 水着が売っているのは四階にある店らしい。

 狭いエスカレーターに乗ってそこまで行くと、さっそく女物の水着を着たマネキンがずらりと並んでいた。

 その周囲には当然のように若い女性が大勢いて、和人はうっと尻込みする。


「お、おれは先に自分のやつ買ってくるから、どっかで待ち合わせるか」

「でも、あたしたちは時間かかっちゃうかも」


 申し訳なさそうに八白が言う。

 和人は、八白と買い物にくるのははじめてではない。

 二ヶ月前にも和人ではどうにもならない青藍の服やらなんやらを買いに、八白とこのビルにきている。

 そこで女の買い物は長いと学習しているから、すこし考えて、


「じゃあ自分のやつを買い終わったら、そこのベンチで待ってるよ。会計の前に声かけてくれ」

「うん、わかった。じゃああとでね」

「おう」


 ひらひらと手を振りながら、八白は店内へ入っていく。

 それに青藍がついていけるなら話は早いのだが、青藍は和人からさほど離れられないから、八白といっしょには行けない。

 代わりに和人といっしょに、男物の水着が売っている店へ入る。

 こちらには当然男性客が多いが、入ってきた青藍に並んでいる客がどぎまぎして、和人と青藍が行く周囲にはぽっかりと穴が空いたようにひとが近づかない。

 しかしとくにそれを気にする和人でもないから、ずらりと飾ってある水着の前に立ち、腕を組む。


「さあ、どんな柄にするかなあ。まあ、男の水着なんか大して悩むもんでもないけど」

「あれはどうだ」


 と青藍は店の一角を指さす。

 明らかに和人が見ているトランクスタイプの水着とは別の棚である。


「どれどれ」


 一応近づいてみて、和人は立ち止まった。


「おまえはおれにこれを穿けというのか? このブーメランパンツを?」

「ブーメランというのか。たしかに形状が似ている」

「受け狙いで着てもだめな気がする。貧弱な身体には似合わない水着だな」


 和人は一顧だにせず、もとの棚に戻る。

 そこでとくに悩むこともなく水着をひとつ手に取り、さっさと会計も済ませた。

 店に入ってから二分ほどで自身の買い物は終了したことになる。


「じゃあ肝心のおまえの水着を見に行くか」


 と意気込んで女物の水着売り場に近づいたまではよかったが、


「うっ……これはなかなかいたたまれないな」


 若い女性の集団は、男子禁制の張り紙よりよっぽど強固に男の存在を拒んでいる。

 和人は青藍を連れ、向けられる視線にいちいち場違いだということはわかっているんだ、と心のなかで言い訳しながら進んだ。

 店のなかまでは入らずに済むのは不幸中の幸いである。

 和人は青藍を店のなかに入れ、自分はそそくさと外のベンチに座り、偶然ここに座っているだけです、という済ました顔で店に背を向ける。

 それが許されるだけ、今回は幸運なのだ。

 和人は二ヶ月前に受けた恥辱を思い出す。

 あのころは、まだ精霊石の使い方がよくわからず、ほとんど寄り添う距離にいなければ青藍を具現化できなかった。

 女物の服はまだいいとしても、下着売り場は恐ろしく苦痛だった。

 客と店員の双方からなんともいえない視線を向けられ、おまけにそのときは付き添いの八白もいたから、女ふたりに男ひとりで下着屋にくるとはどういうことだ、というような視線まで加わって、とにかくひたすらに苦しかった。

 なかでもいちばん苦しかったのは、八白と青藍が揃って試着室に入ったあとだ。

 試着室の扉の前でひとり待たされるあの恥辱だけは二度と経験したくない。

 それを思うと、店の前で座っているだけで済む今回は天国のようなものだ――と楽観視していた和人は、肩をぽんと叩かれて振り返った。


「主よ、水着とはこれでいいのか?」

「お、おま、なん、え――」


 和人が座っているのは店の外のベンチである。

 なのに、なぜか水着姿の青藍がすっと背筋を伸ばして立っている。

 ビキニである。

 上下ともに赤い。

 決して面積の狭い、扇情的なものではないが、白い肌によく映えている。

 とくに胸元の、見るからに巨大なふたつの山とその谷間は、無条件で男を虜にする。

 和人は見入った。

 その気はなしに、じっと見つめた。

 視線を逸らすという発想がそもそも浮かばないほどの衝撃である。


「せ、青藍さん、出ていっちゃだめだよっ」

「む、そうなのか?」


 慌てて店内から八白がやってきて、青藍の腕を引っ張って店内に戻っていく。

 その姿がすっかり見えなくなってから、和人ははっとわれに返った。

 気づくと、店内やらその周囲の視線が和人に集中している。

 いまのはなんだったのか、という視線だということはわかるが、それはこっちが聞きたい問題だと和人は思い、そそくさと背を向ける。

 人間らしいかどうか、という問題において、重要なのは姿形より羞恥心のようなものらしいと和人は最近気づいた。

 そういう意味では、青藍はまだ人間にはほど遠い。


「……まあ、恥ずかしがる青藍は、それはそれでいやだけど」


 つい想像してしまった姿に、和人はわざと不機嫌な表情を作る。

 八白と青藍の買い物は、まだまだ終わりそうにない。


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