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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第三話
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第三話 0

  第三話



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 彼女の隠れ家は静謐に満ちている。

 まるで時が止まったように物音がない。

 八畳程度のちいさな部屋には風も吹かず、開け放たれた襖の向こうに見える庭はすべての植物が刈り取られている。

 いまはただ乾いた土が露出しているだけのそこを、彼女はじっと見つめている。

 視線を止めて、物思いにふけっているようなふうでもない。

 本当に興味をもってその荒れた庭を眺めている。

 身じろぎもせず庭に向かう少女の後ろ姿も含んで、隠れ家は静寂そのものである。

 実は、そのような静寂が降りるのは久々のことだった。

 ここ数日、ひとの出入りが激しく、少女は常に部屋のどこかには座っていたが、静かに庭を眺める時間はなかった。

 それよりも世界を奪う企みに忙しかったのだ。

 いまはそれもすっかり済んだように、少女は庭を眺めている。

 ――と。

 襖がすっと開いて、年老いた男が顔を出す。


「すべての準備が完了しました」


 部屋には入ってこず、その場で男は膝をつく。


「あとはご命令ひとつで実行できます」

「ワシントンの状況は?」

「大統領の所在は確認できています。いつでも突撃、拘束が可能です」

「ロンドンはどうだ」

「同じく、バッキンガム宮殿に女王の滞在を確認しています。ウェストミンスターも同様に。各都市の主要部には必要な人材を投入し、合図でもって制圧する準備は整っています」

「日本はどうだ。東京は」

「霞ヶ関には百二十人、精霊使いが待機しています。国会議事堂、御所ともに制圧可能な戦力です」

「学園の対応は」

「現在のところ、動きはありません。われわれの障害にはなり得ないものと判断できます」

「世界中に散らばっているその他の精霊使いに関しては?」

「学園のように統率のとれた集団を形成しているものについては、すべて確認がとれています。どれも動きなし、われわれの行動には気づいていないようです」

「実際に作戦がはじまってからの対応はどう想定している」

「彼らに与えられる選択肢は三つです。ひとつは、われわれの味方につく。ひとつは、われわれの敵に回る。最後はどちらにもつかず、中立を貫く。味方につく場合と中立を貫く場合は考えるまでもありませんが、すべてが敵に回ったとしても問題はないと判断します。先日の学園襲撃において、われわれは対精霊使いの戦闘を経験しました。二度とあのような戦闘は繰り返しません」

「ふむ――」


 それまで背を向けて答えていた少女が、はじめて振り向いた。

 自分の祖父ほども年上の男を、まるで責めるようにじろりと見る。


「なぜ前回の襲撃においてわれわれは失敗したのか? 各自、その検討は済んだか」


 戦力だけを見るなら、その襲撃は成功して然るべきものだった。

 方や戦闘訓練を経験した精霊使いが二百人以上。

 方や学生の精霊使いが百人弱。

 学園側の勢力として、何人か桁外れに強い者がいたとしても、全体的な勝利は揺るがないはずだった。

 しかし蓋を開けてみれば、襲撃部隊には多数の死者を出し、学園側にはひとりの死者も出ていない。

 学生のひとりも殺せず、この世界が奪えるはずもない。

 少女が作戦実行をいままで先延ばしにしていたのは、その反省を促すためである。


「われわれは認めなければならない。われわれは甘かった。戦意のない子どもを殺せるほどは、非情ではなかった。無理もない。われわれは精霊使いで、生まれながらの殺し屋でも戦争屋でもない。ひとを殺す、ということに抵抗を持つことは当然だ。人間であれば、多少の知性を持つ生物であれば、それをためらうことは美徳ですらある。しかし――」


 少女は目を細める。


「学園を襲撃してみて、美徳は弱い、ということがわかった。上品な人間は、獣には敵わない。獣でも、より壊れた化け物には敵わない。われわれは化け物になろう。それが勝利へ続く唯一の道だ」

「ためらうな、とは伝えてあります」

「それでは弱い。破壊を楽しめ、と伝えろ。世界が崩壊する音を楽しめ。それを打ち鳴らす光栄をよろこべ。理性など世界とともにうち捨てろ。立ちふさがるものはすべて殺していい。その果てに革命がある」

「……そのように伝えます」

「いままで私は退路を造ってきた。私の子どもたちがいつでも後戻りできるように。しかしここから先はその必要もない。進めなければ、死ぬだけだ。殺せなければ死ぬだけだ。ためらうひまもなくなるだろう」


 少女は再び背中を向け、庭を見た。

 男は数分黙りこくったあと、すこし声色を変えて、ぽつりと言う。


「われわれがうらやましいのですか。遠からず死ぬことになるわれわれが」

「死なら私も幾度となく経験している」


 少女もすこし声を和らげる。


「ただ、私にとって死は終わりではないというだけだ。死をもって終わる者を羨むことはとっくにやめたよ。そう、ただ、ほんのすこし考えている。おまえたちは、生きているあいだにどんなことをしても、死ねばいい。死んでしまえばすべて帳消しになる。よいことも、悪いことも。だから死ぬことに意味がある。死にゆくことに価値がる。私はちがう。私の死はまったくの無意味で、無価値だ。死んでもなにも変わらない。私の死とおまえたちの死は、同列には語れない」

「死ぬのはわれわれだけ、ということですか」

「いつもそうだ。どんな場所にいても、私はひとりで生き残ってきたよ」

「そしてわれわれがいなくなったあと、また別の精霊使いを集めるのですか」

「さて、未来のことはわからん。それを知りたいから未来へいくんだ。でなければ、未来へいく価値などない。――作戦開始は近い。気を抜かず、狂気を飼い慣らしておけ」

「はっ」

「ああ、それともうひとつ」


 と少女は男を呼び止める。


「学園の動向に注意する必要もあるが、それ以上に牧村和人を監視しておけ。彼がなにをしているか、詳しい報告が必要だ」

「わかりました」


 男は一度立ち去りかけたが、再び身体を室内に向ける。


「牧村和人という少年がどのような意味を持つのか、伺ってもよろしいでしょうか」

「さあ、それはかまわないが」


 少女はくすくすと笑った。

 屈託のない、恐ろしく無邪気な笑みである。


「聞いて、理解できるかどうかは保証できんな」

「複雑なのですか」

「というより、希薄なのだ。彼がどのような意味を持ち、役割を果たすのか――空中に張られた細い糸がなんの役に立つのか、というようなものだ。常識的に考えるなら、なんの役にも立たん。しかしそれがなにかの役割を果たしたとしたら、それは運命と呼べる」

「運命、ですか」

「芽衣子の口癖が移ったかな。あの子も、向こうで楽しくやっているだろう。しかし芽衣子には悪いが、牧村和人と運命の糸で結ばれているのは、この私だ」


 男は皺だらけの顔に意外そうな表情を浮かべる。

 少女は振り返ってそれを読み取り、楽しげにふんと鼻を鳴らす。


「言葉を使って説明するなら、やはり運命という単語がいちばんふさわしい。根拠は薄いが、必ず深く関係してくる、と確信できるものだ。牧村和人は必ず私に関係する。そのように確信しているから、運命の相手と呼んでいる。それでは納得できないか」

「いえ、納得など」

「では理屈をつけよう。牧村和人が私に関わる根拠を洗い出そう」


 牧村和人に関する話題のときだけ、少女の表情は明るく輝く。

 それはさながら、運命という言葉をきらびやかで甘美なものとして捉えているかのようだった。


「まず牧村和人は、一度私の目の前に現れている」


 少女は人差し指を立てる。


「これがひとつ目の根拠だ。学園襲撃の際、向こうの勢力で私の前まで現れたのは三人しかいない。そのうちふたりは私を殺すつもりだったが、牧村和人はどうやらそうではないようだった。それから、牧村和人と私には因縁がある。これがふたつ目。三つ目は牧村和人がキーストーンの持ち主であること。数えればまだあるが――いちばんは、私がそれを望んでいるということだ」

「牧村和人と再び会うことを、ですか」

「牧村和人が私の前に立ちはだかることを、だ。私はね、壱。いま自衛隊が組織している対精霊使いの特殊作戦群よりよっぽど彼ひとりを警戒すべきだと考えているよ。世界中の軍隊をひとまとめにするより牧村和人ひとりのほうが私にとっては危険だ」

「それほどの戦力、というわけではないのでしょう」

「もちろん、戦力じゃない。しかし私にとって彼はそういう存在なんだよ。味方にすればかけがえのないパートナーになれただろうが、彼は敵になった。私の行く手を阻み得るのは牧村和人ただひとりだ。だからこそ、彼に割く兵力はない。百万人を投入したところで、彼なら私の前に現れるとわかっているからね」

「百万人の兵隊を倒してでもあなたの前に現れると?」

「あるいはやり過ごすのかもしれない。どのような方法で越えてくるのかはわからないが、牧村和人は必ず私の前に現れ、おそらく、私の前で死ぬだろう。そうでなければ、彼の前で私が死ぬ――本当の意味で終わるんだ。そのどちらかにちがいない」

「わたしには、あなたが殺されるとは思えません」

「私もだよ。いままで幾度となく殺されたが、その度にこうして生き残っているからね。本当の意味で死ぬということが、私にはわからない。ほかの人間たちが死を知らないのと同じように、私もそれは未知の体験だ。どうなるのかはわからないが、どうにかはなる」

「牧村和人には監視をつけます」

「できるだけ細かく報告させろ。私に、直接だ」

「そのように」


 男は部屋を出ていく。

 少女は荒れた庭を眺める。

 すべての命が刈り取られ、不毛となったちいさな世界をいつまでも飽きることなく眺めている。

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