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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第二話
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第二話 19

  19


「年少組を守れ! 無理に戦おうとするな。全力で逃げれば相手に追いつかれることもない――おっと」


 背後から迫る剣をしゃがんで躱し、そのまま相手の腹を蹴りつける。

 精霊石の力で蹴りつけられれば、人間ならひとたまりもない。

 同じ精霊使いといえどその衝撃だけはどうしようもなく、「く」の字になって敵が飛んでいく。

 その姿を見ようともせず、伸彦はすぐに立ち上がる。


「ひとりでは動くなよ。必ず三人以上で行動しろ。これは訓練じゃない。勝ち負けで考えるな! 生きるか死ぬかで考えて慎重に行動するんだ」


 球技場には、まだ多くの生徒が残っている。

 それと同程度、あるいはもっと大勢の敵が球技場に入り込んでいる。

 あたりを見回せば、至るところで戦闘が行われている。

 怒号と、金属がぶつかる甲高い音、それに悲鳴が重なっている――そのなかを駆けながら、伸彦は生徒たちに指示を与えていた。

 いまのところ、戦闘はうまくいっている。

 時間的な余裕はなかったが、それでも実際に戦闘がはじまる前に事情を伝達できたこともあって、生徒たちも無闇に戦うことはなく、しっかり戦える生徒だけが武器を持ち、それ以外は逃げることに専念していた。

 高等部の生徒のほとんどは下級生を誘導しながら逃げ、教師は全員武器を持って戦っている。

 しかし軍隊式の訓練をしていない学園の生徒と、戦うための訓練を積んでいる敵側とでは、どうしても戦力差が生まれる。

 それを帳消しにするのが伸彦やほかの教師の仕事である。


「願わくばだれひとり傷つかず済めばいいが――」


 伸彦は呟きながら、目の前に現れた敵をなぎ倒している。

 剣は使うが、殺してはいない。

 傷つけ、戦意を失わせるだけで充分だ。

 向こうも怪我をすればおとなしく後退し、死ぬまで迫ってくることはすくない。

 なかには殺すつもりでかかってきて、実際に殺すまで一歩の引かない相手もいる。

 伸彦はすでにそういう相手をふたり殺していた。

 あたりを見回し、狂気めいた気配がする相手を探して、自ら相手をしているのだ。

 どちらにしても、そういう人間を相手にするとただでは済まない。

 自分の血か相手の血かという違いはあるにしても、血まみれにならないことには決着がつかないようになっている。

 生徒を殺させるつもりは毛頭ないし、生徒にも相手を殺してほしくないと伸彦は思う。

 一方で、それはただの傲慢だとも気づいている。

 なにしろ伸彦自身はすでにひとを殺しているのだ。

 一度など、生徒を襲っているところを割って入ったせいで、生徒のすぐ目の前で殺さなければならなかった。

 そんな人間がなにかを言ったところで説得力などあるはずがない。

 どんな理由があるにせよ、ひとを殺した人間は、その時点で人間としての権利を失う。

 伸彦がはじめてひとを殺したとき、幸いにも伸彦には殺すかどうか選択する余地があった。

 殺さないという選択肢も与えられていたが、伸彦はあえてそれを選び、自らの意思で人間としての権利を放棄した。

 いまはそんな状況ではない。

 生徒たちは否応なく戦わなければならない。

 死にたくなければ殺すしかないという不可抗力で人間をやめてしまうのは、あまりに悲劇すぎる。


「立ち止まるな、動き続けろ! 絶対に一対一にはなるなよ!」


 伸彦は叫び、駆け、戦う。

 自分の声がどれだけ届いているかはわからないが、すくなくとも伸彦の目に入るかぎりで倒れた生徒はいなかったし、敵を殺した生徒もいなかった。

 ――と、伸彦は芝の地面にすこし足を滑らせながら立ち止まる。

 初等部の生徒が腰を下ろし、泣いている。

 敵があえて戦意のない子どもを狙うとは思えないが、混乱した戦場ではなにが起こるのかもわからない。


「大丈夫かい。怪我はないか?」


 初等部の男子生徒は顔を上げ、首を振った。

 伸彦は抱き上げようとして、自分の手や服にべっとりと血がついていることに気づく。

 伸ばした腕が、空中で止まった。

 男子生徒は赤い目で不思議そうに伸彦を見上げている。


「なにをしている?」


 不意に背後から声が飛んだ。

 とっさに伸彦は生徒を抱き上げ、腕のなかで守る。


「……椎名先生」


 声をかけた哲彌は、両腕にそれぞれ初等部の生徒を抱いていた。

 哲彌もまた、血まみれである。

 生徒はその哲彌の腕にすがりついている。

 伸彦は自分の腕のなかを見た。

 さっきまで泣いていた生徒が、いまは泣きやんで、伸彦の腕に抱かれている。

 血まみれの腕に、だ。


「――考えすぎなのかな、ぼくは」

「ずいぶん余裕があることだな。考えるひまがあったら動け」

「反省します。それにしても椎名先生、そうやってると案外子どもが似合いますね。いい父親になりそうだ。恋人もいないけど」

「殴ってほしいのか? それとも蹴ってほしいのか?」

「この戦いが終わってお互いに元気なら、どっちでも。ところで椎名先生、牧村くんの行方は」

「いや、知らん。おれも探している。牧村は事前に知っていたはずだから、早々に捕まったということもないとは思うが」

「このなかにいないとすれば、ひとりで先に逃げたか、まったく別の思惑でどこかへ行っているか――まあ後者でしょうけど」


 担任の伸彦から見て、和人はほかの生徒を見捨てて逃げるような人間ではない。

 このような状況になれば、むしろ仲間を助けるために必死で戦うような生徒だ。

 その印象に間違いがなければ、いまも和人はどこかで仲間を守るために戦っている。


「おまえと牧村はすこし似ているな」

「え、そうですか。まあ、たしかにぼくたちは学園屈指のイケメンですが」

「……殴って目を覚ましてやったほうがいいらしい」

「いや、目は覚めてます。正直、ぼくと牧村くんに共通点はないように思えますけど」

「どちらもひとりで片づけようとする」

「ああ――ぼくと同じ失敗を、牧村くんがしていなければいいですが」

「賀上、生徒を頼む」


 哲彌は両腕に抱えていた生徒を降ろし、剣を構える。

 後方から敵がふたり近づいている。

 向こうにもある程度の礼儀はあるが、一対一でなければ戦わない、というほど紳士ではない。

 ふたりの敵は同時に飛んだ。

 生徒たちが慌てて伸彦に駆け寄り、その足にしがみつく。

 伸彦の陰に隠れてぎゅっと目を閉じた女子生徒が恐る恐る様子を見たとき、すでに戦闘は終わっている。

「とにかく、子どもたちをどこか安全な場所に移すぞ」


 哲彌は剣をしまい、再び生徒を抱き上げた。


「もっと早くに行動していれば、こんなことにはならなかったんだが」

「いまやれるだけのことをやるしかありませんよ。椎名先生、もうひとり預けても大丈夫ですか。ぼくは牧村くんを探します」

「わかった」


 伸彦は、抱えていた生徒を哲彌に渡す。

 そして頭を撫で、


「椎名先生はとても強いから、安心するといい。顔はちょっと怖いんだけど、それは生まれつきだからどうしようもないんだ。それに普段はこんな感じだけどお酒を飲むと笑い上戸で――」

「は、早く行けっ」


 伸彦はひらひらと手を振り、その場を離れる。

 和人は、おそらく球技場内にはいないだろうが、外へ出て探すには、この学園は広すぎる。

 それに、球技場のなかに残って戦っている生徒たちを置いて外へ出るわけにはいかなかった。

 伸彦は球技場のなかを移動しながら、時折観客席に上って外を見てみる。

 球技場の外でも戦闘は行われている。

 逃げ出した生徒を敵が追いかける形で戦場が広がっているらしい。


「このままじゃ全員無事はむずかしいか」


 戦闘に終止符を打つには、やはり頭を潰すしかない。

 しかしこの状況ではそれもむずかしいと、伸彦は思う。

 そもそも万全の状態だとしても、あの少女をどのように倒せばいいのか見当もつかない。

 なにか秘密があるはずなのだ。

 伸彦が見たとおりのことが起こったとは思えない。

 しかしその秘密がわからない以上、倒せないことには変わりない。

 伸彦は再び芝の地面に降り、手こずっていた生徒の手助けをしながら和人を捜す。

 その場では和人は見つからなかったが、別のものを見つけた。

 生徒をぞろぞろ連れて移動する、江戸前有希子である。


「お嬢。カモの散歩みたいでかわいらしいね」


 有希子が立ち止まると、後ろから続いている生徒も全員ぴたりと止まる。

 ほとんどは自分で戦えない初等部の生徒たちである。


「な、なんだ、かがみんかあ。敵かと思ってびっくりしたわ」

「かがみんっていうのはやめてほしいけど、そっちは大丈夫かい」

「わたしは大丈夫だけど、手が足りないの。とりあえず戦えない子たちを安全なところへ移したいんだけど」

「ひとまず球技場の外の校舎に連れていくことになってる。そこで先生が何人かついて守るつもりだけど、お嬢にはここへ戻ってきてもらわなきゃいけないと思う。なにしろ、強力な戦力なんだから――つらいとは思うけど、がんばってほしい」

「大丈夫、大丈夫」


 有希子はにっこり笑う。


「わたし、先生だもん。生徒たちを守らないとね」

「うん――きみが学園に戻ってきてくれて本当によかったよ」


 有希子とは、かれこれ十年近い付き合いになる伸彦である。

 とくに親しいというわけでもないが、有希子の性格はよくわかっている。

 精霊使いとしての生き方を嫌って、一度は学園を出て普通の教師になった有希子だ。

 このような戦いは不本意だろうし、できることなら精霊石を戦いの武器としては使いたくないにちがいない。

 だれよりも精霊石の意思を感じ取り、それに心を寄せる有希子だからこそ、精霊石を使ってひとを殺すことには耐えられない。

 そんな有希子の心情を汲んでやる余裕がないことを、伸彦は残念に思う。

 戦いたくないならそれでもいい、と言ってやれれば伸彦も楽になるが、有希子は学園側で最強の戦力である。

 本人が嫌がっても、勝利のためには戦ってもらうしかない。


「そんな顔しないでよ、かがみん」


 有希子は白々しいほど明るい口調で言う。


「わたしなら大丈夫だし、生徒もちゃんと守るからね」

「ああ……頼むよ。全部終わったら、なにか奢るから――椎名先生が」

「うん、期待してる。あ、ねえかがみん、学園長先生は大丈夫なのかな」

「そっちには別の先生が行ってる。向こうの主戦力はここに集中してるから、もし学園長の居場所を知られてもなんとかなるはずだ。それよりも、牧村くんを見なかったかな。さっきから探してるんだけど」

「牧村くん、いないの?」


 はじめて不安げな表情で、有希子はあたりを見回した。


「いや、無事だってことはだいたいわかってるんだけど、姿を見ないからどこに行ってるんだろうと思って。ほら、ぼくって牧村くんの担任だからね、とりあえず所在は確認しておきたいんだ」

「む……あのねかがみん、牧村くんは学園にくる前からわたしの生徒なんだから――」

「お嬢、後ろ!」


 頭上高くまで剣を振りかぶった敵を、有希子は見向きもせず倒している。

 精霊石が意思を持っているように動き、敵を弾き飛ばしたのだ。

 相変わらずの強さである。

 伸彦にも、精霊石の形状を自由に変える有希子の技だけは真似できない。


「とにかく、牧村くんはわたしの生徒なんだから、しっかり守ってあげてね!」

「なんでお嬢の生徒なのかわかんないけど……彼の安全はぼくが約束するよ。お嬢も気をつけて」


 有希子は再び生徒たちを引き連れて歩いていく。

 その一行と別れて、伸彦は移動をはじめる。

 球技場のなかをぐるりと回ったが、牧村の姿は見えない。

 やはり球技場にはいないらしい。

 だれもいない場所へ逃げたということは考えられないし、校舎で子どもたちの世話をしているとも考えにくい。

 となれば、


「……敵の大将のところか」


 あの少女は、いまどこに潜んでいるのか。

 山の頂上ではないだろう。

 あの場所からは、学園の様子は見えない。

 おそらく近くまでは降りてきているはずだ。

 少女と会っているなら、和人もそのあたりにいるはずだが、探しにいくにはリスクが高すぎる。

 あの少女と会っているなら和人自身も危険である。

 敵の大将に会う目的などひとつしかない。

 降伏や寝返りではないなら、頭を潰しにいったにちがいないが、それは伸彦が失敗している。


「牧村くんが敵の大将の位置を正確に理解していないなら、行き違う可能性もあるけど――」


 しかし、和人の動きは迅速だった。

 決勝戦の終わりまで和人は球技場にいたが、それが終わった直後、姿を消している。

 敵の様子を見て動き出したというよりは、はじめから敵の動きを理解して動いているようだ。

 それなら和人は敵の大将の居場所も知っている可能性がある。

 伸彦は、この場に留まって生徒たちを助けるか、危険な和人を追って山へ入るか、しばらく悩んだ。

 そもそも和人だけは、ほかの生徒とちがって明確に敵の目標になっている。

 大勢の生徒を優先すべきか、ただひとりを優先すべきか。

 当たり前に考えれば、伸彦はここに留まり、大勢の生徒を守るべきである。

 それが教師としての務めであり、学園を守るという伸彦の信念とも合致する。

 一方で、和人は敵が欲している唯一のものである。

 学園の実際の責任者は学園長だが、この戦いでは、向こうは和人を得るために戦いを挑んできたのだ。


「……ぼくたちは戦ってるわけじゃないんだ」


 学園側としては、これは防衛戦である。

 守りきればよい。

 相手を打ち倒す必要はない。

 そう考えれば、答えは自ずと決まってくる。

 伸彦は客席から球技場の外へ飛び降りる。

 球技場内の戦闘は、ある程度落ち着いてきている。

 いまはむしろ外が主戦場となり、多くの生徒と敵が入り乱れて戦っていた。

 伸彦は、敵と見える相手を手当たり次第に倒していく。

 ほとんどは剣の腹を使った打撃で、致命傷どころか骨の一本も折っていないが、手負いの相手に負けるほど学園の生徒も弱くはない。

 敵の隙を突く攻撃において、伸彦の力は圧倒的である。

 長い剣を身体の一部のように操り、敵をなぎ倒していく。

 五分もしないうちに、伸彦の周囲の戦闘は鎮静化しはじめていた。

 もちろん、一対一で向かってくる相手にも、伸彦は強い。

 大抵の場合、一撃で勝負が決まる。

 相手が飛びかかってきても、伸彦は地上で冷静に見極め、相手の武器を躱すと同時に攻撃を繰り出している。

 普段から無駄のない攻撃を心がけている伸彦だが、いまはそれが研ぎ澄まされ、伸彦自身敵の攻撃に当たるはずがないと確信しているほどだった。

 伸彦は戦闘から戦闘へと飛び移っていく。

 戦闘が激しい場所は刻一刻と変化していて、それに寄り添うように伸彦も移動を繰り返す。

 伸彦は、どうやら戦闘が激しい場所は学園の端へと追いやられる傾向があるらしいことと、学園側の犠牲者をひとり見ていないことにも励まされる。

 戦闘は学園が有利に進んでいるらしい。

 さらに戦闘を追って学園の端へと進んだ伸彦は、そこで苦戦をしている生徒たちの一団を見つけた。

 生徒側で戦っているのは三人である。

 その三人で大きな輪を作り、そのなかに戦えない初等部の子どもたちが数人いる。

 敵はそれを遠巻きに囲んで、十人程度はいるようだった。

 伸彦は敵の背後に忍び寄り、ためらいなく一人目を剣の腹で弾き飛ばす。

 その一撃で、敵も伸彦の存在に気づいた。

 生徒たちにも意識をやりながら、それよりも伸彦のほうがやっかいだとすばやく判断し、ゆっくりした動きで伸彦を包囲する。

 その動きを、伸彦は邪魔しなかった。

 自分が囲まれれば、その分だけ生徒たちが楽になる。

 戦っているのは伸彦もよく知っている生徒――伸彦が受け持っているクラスの生徒たちだ。

 直坂八白、織笠菜月、日比谷卓郎の三人なら、一対一の戦いで負けることもないだろう。


「さあ、だれからくる?」


 伸彦は挑戦的に敵を見回す。


「ここは先生としての威厳を生徒たちに見せつけたいからね。全員同時でもいいよ」


 敵はちらりと目くばせする。

 長いあいだは迷わない。

 三人が高く飛び、同時にふたりが地上を駆ける。

 上下をぴたりと合わせた攻撃である。

 悪くはない。

 ある程度の戦力差なら覆せる人数と攻撃ではあるが、伸彦とのあいだにある戦力差を埋めるには、まだ足りない。

 伸彦はぐっと足に力を込め、その場に留まる。


「はあっ」


 と一声気合いを入れた。

 頭上から三本、左右から二本、鈍く輝く刃が迫ってくる。

 ぎいん、という美しい金属音ではなく、ぎゃあんと悲鳴のような乱れた金属音が響いた。

 音はそれだけである。

 人間の絶叫はない。

 頭上から襲撃した敵は、目を見開く。

 伸彦は一本の剣で、五本の武器をすべて防いでいた。

 そのうち四本は刀身で受け止め、残りの一本は、柄で受けている。

 ほんの数センチずれていれば手を切断しているという位置である。

 五人分の体重と全力を受けても、伸彦の身体はびくともしてない。

 薄ら寒いものすら感じる冷静さと筋力である。

 伸彦がそのままぶんと剣を振ると、逆に男たちはひとり残らず吹き飛ぶ。

 まるで力がちがう。

 五人の男たちは慌てて顔を見合わせ、そのうち三人が踵を返して山へ逃げ込んだ。

 さらに後方では、生徒たちもそれぞれに敵を追い払っている。

 残る敵はふたりだけだ。

 彼らには退く意思がないのだと伸彦は理解する。


「強い人間こそ生き急いで死んでしまうんだな――」


 だれに呟いた言葉か、伸彦は剣を構える。

 ふたりは、同時には飛びかからなかった。

 ひとりが先に雄叫びを上げ、伸彦に向かってくる。

 速い。

 伸彦は目を細め、相手の熱気には引き込まれず、冷静に太刀筋と敵の動きを見る。

 居合いのような、伸彦の構えである。

 精霊石の剣に、鞘は存在しない。

 ただ刀身を後方へ流し、手を当てて腰を落とす。

 疾駆する男と、立ち止まる伸彦が衝突する。

 駆け抜けた男は、五メートルほど惰性で進んで、崩れ落ちた。

 すぐに二番目の敵が伸彦を狙ってくる。

 今度は伸彦も男に向けて駆ける。

 伸彦が宙へ飛んだ。

 敵も追う。

 空中で二度、剣先がぶつかる。

 着地し、お互い相手へ向かって体当たりのような突進を見せる。

 ぎいん、と高く響いて、ふたりの動きが止まった。

 つばぜり合いになっている。

 伸彦は敵と一メートルもない至近距離で向かい合った。

 相手は四十がらみの男だが、やけに若々しい目をしているのが印象的だった。

 剣を持つ男の腕が、ぶるぶると震えている。


「負けたよ」


 男はさっと剣を引いた。

 そこを、伸彦が袈裟斬りにする。

 返り血で伸彦の視界は赤く染まり、そのなかでゆっくりと男が倒れた。

 膝から崩れ落ちたのを伸彦が支え、ゆっくりと仰向けに寝かせる。

 男は声も出さず、眼球だけを動かして伸彦を見たあと、空を見上げた。

 目蓋は最後まで閉じられなかった。

 伸彦は服の袖で、顔に飛び散った血を拭う。

 まるで涙を拭くような仕草である。

 すでに茶色く変色している服が、さらに深い赤色に染まっている。

 伸彦は荒く呼吸しながら、しばらく呆然と自分の身体を見下ろしていた。


「先生! 大丈夫ですか」


 敵を自力で片づけた生徒が駆け寄ってくる。

 伸彦は顔を上げ、笑ってみせた。


「大丈夫、怪我はしてない。きみたちこそ大丈夫だったかい。到着が遅れてすまなかった」

「充分間に合いましたよ」


 と日比谷卓郎は言って、後ろをちらりと見る。

 直坂八白と織笠菜月は、死体を初等部の子どもに見せないように、ふたりに背を向けてあやしているところだった。


「正直、やばいなと思ってたんですよ。人数でも負けてるし、最後に戦ったこのひとは、おれたちじゃ勝てなかったかもしれない」

「間に合ったならよかったよ。あの初等部の子たちは、どうしてこんなところまで?」

「戦闘がはじまってすぐ、怖くなって何人かで逃げたみたいっす。そこにちょうどおれたちが通りかかって。ま、それに合わせて敵もきたんですけど」

「そうか。よくやったよ、三人とも。あんまり深追いするのはいただけないけど」

「いや、ははは」


 気まずそうに卓郎は頭を掻く。


「じゃあ先生、あの子たち任せていいですか」

「きみたちは安全な場所には戻らないのかい」

「まだちょっと行くところがありまして。あ、そういや先生、牧村がどこ行ったのか知りません?」

「いや――そうか、牧村くんを探してここまできたんだな」

「そうなんですよ。あいつ、戦いになるちょっと前にひとりでどっか行っちまいやがって……こういう事態になるってことはわかってたみたいなんですけど。なんかあったら賀上先生の指示に従えって言ってたし」

「どこへ行くとは言っていなかったんだね」

「まったく。それに布島さんもいねえんだよなあ……牧村といっしょにいるから心配ないとは言ってたけど、状況も状況だし、おれたちで探してみるかってことになって」

「布島くんといっしょか――なるほど、それでやっとわかったよ」

「え、居場所がわかったんすか」

「いや、そうじゃないんだけど、たぶん牧村くんは敵の指揮官を倒しにいったんだ」

「やっぱり! おれもそうじゃねえかとは思ってたんですよ」

「ここから先はきみたちじゃ危険だから、一度あの子たちを連れて校舎に戻ったほうがいい。牧村くんと布島くんのことはぼくがなんとかするから」

「でも……」


 卓郎は、後ろの菜月と八白を振り返る。

 伸彦にも卓郎の感情はよくわかった。

 本人の意見としては、仲間のことだ、自力で和人を捜したいにちがいない。

 しかし危険もある。

 自分ひとりならともかく、同行する人間はほかにもふたりいる。

 そのふたりの安全を考えるなら、伸彦に任せたほうが賢明なのだ。


「……しゃあねえか」


 卓郎はぽつりと呟き、


「じゃあ、牧村のこと、お願いします。あいつ、おれとおんなじくらいばかだから、たぶんひとりで突っ走ってると思いますけど。いや、あいつのことはどうでもいいんですけど、あいつといっしょにいる布島さんに危険がないか心配で」

「大丈夫だよ。牧村くんもきみと同じように仲間思いだろうから、自分も、いっしょにいる布島くんも大事にしているだろう。――別に、いますぐ強くならなくてもいいんだよ。弱いうちは、大人が守ってくれる。そのために大人はいるんだから、利用できるうちに利用しておいたほうがいい。そのうちきみたちだって大人になるんだから」

「おれは早く大人になっていろいろしたいですけど」

「いやあ、案外ね、大人になったらなんにもできないもんだよ?」

「ちょっとそこ、いつまでのんきに話してるんですか」

「おっと、怖いお姫さまがお怒りだ。じゃあ、きみたちはその子を校舎まで連れていってやってくれ。そっちにはほかの先生もいるはずだから。道中、敵がいるかもしれないから、それも気をつけて」

「了解です。先生も気をつけて」


 伸彦は生徒たちと別れ、さらに学園の奥へと向かう。

 しばらくは当てずっぽうだったが、ある程度進むと、その選択が間違いでなかったことがわかる。

 濃密な戦闘の気配がするのだ。

 ただの気配ではない。

 血の匂いも混じっている。

 敵にしろ、味方にしろ、ただならぬことが起こっているらしい。

 和人を捜すなら、なにも起こっていない場所より、なにか起こっている場所を巡ったほうが早い。

 伸彦は足に力を込めて加速し、現場へ急いだ。


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