第二話 17
17
「いや、ほんとに、世の中に奇跡ってあるものだね」
ここ数日の苦行を思い、福円はしみじみと呟いた。
「隣県どころか、三つ向こうの県まで迷いこんだあげく最終的には目的地に辿り着くなんて、こんな奇跡、一生に何度もあるもんじゃあないよ」
「方角が合ってるんだから、いつかは辿り着くだろう」
泉は平然と言う。
そういう意識の連中をふたりも抱えながら、無事目的地に導いた自分はすごいと福円は心中で自画自賛する。
そして反面、目的地に着いてしまったとも思う。
辿り着かなければ延々歩いているだけでいいが、着いてしまったからには、それなりにやるべきことが生まれる。
「……しかし、どうしたもんかな」
福円は真正面にそびえ立つ鉄製の門を見る。
まるで刑務所の、あるいは地獄の門のように強固だ。
手で押すくらいではびくともしない。
乗り越えようにも、門は五メートル以上あるし、ご丁寧なことに返しまで付いている。
「無理すりゃ、上れねえこともないけどな」
泉は格子を掴み、門を揺すった。
門はぎしぎしと重たく軋む。
福円は周囲を見る。
門でないところは、すべて塀だ。
コンクリート製で、こちらも背は高い。
足場になるようなおうとつもないから、乗り越えるなら道具を使わなければならない。
そのあまりに強固な警備が、不破学園の性質を表しているように見える。
つまり、部外者は入るな、といっているわけだ。
入っていいのは、大の男が五人がかりでも開けられそうにない門を素手で開けられる人間か、五メートル以上ある塀をひとっ飛びで越えられる人間――つまり精霊使いということになる。
「どうします、班長」
これで諦めてくれればいいが、と福円は思い、すぐにそんなはずはないとがっかりする。
国龍千明は腕組みをし、真正面から門と対峙している。
その背中に退く気配など微塵も感じられない。
「なかに入ろう」
千明は簡単に言う。
もはや止めても無駄だろうと福円はため息をつき、門越しに学園のなかを見た。
なんといっても、広大な敷地を誇る学園である。
正門の向こうに校舎が見えているが、そこまでずいぶん距離がある。
あたりに人影もなく、監視カメラでもないかと探してみるが、すくなくとも威嚇目的のカメラは見当たらなかった。
「ここからでは不破学園の実体は見えまい。なかに入り、学生や職員を見ればわかることもあるだろう」
「でも、どうやって入りますか。塀も泉が言うとおり、乗り越えられなくはないですが、おそらく警備のシステムに引っかかるでしょう。そうなると完全なる敵襲と見なされる。あまりお勧めの入り方ではありませんね」
「乗り越える必要はない。門を開けてもらえばいいだろう」
「開けてくれますかね、これ」
「必ず開く」
千明は堂々と胸を張る。
「われわれがここに立っていることは、すでに向こうも気づいているはずだ。帰る素振りがなければ確認に出てくるしかあるまい。その人間に開けてもらえばいい」
「その時点で敵襲と捉えられる可能性もありますが」
「いいほうに考えようぜ」
泉はいつも気楽である。
「ひとが出てくる。そいつに開けてもらう。おれたちは無事なかに入る。そうやって考えたほうが楽だろ」
「楽に考えてそのとおりに行くなら、ぼくだってそうするさ」
しかし千明の判断は正しい。
穏便に学園内へ潜入するには、向こうに招き入れてもらうのがいちばんだ。
攻撃の意思はない、ということが伝われば、突然襲撃されることもあるまい。
ただ、その意思を伝えるということがむずかしい。
話し合い以前に敵意を持たれてはどうしようもない。
「なんとか向こうのひとと話ができればいいんだけどなあ。まさか目的を正直に言うわけにはいかないけど、話さえできればぼくがなんとかするんだが」
「その点、班長は優秀じゃねえか」
と泉は腕を組む。
「こっちが下手に出ると向こうがつけ上がる。こっちが威張ると向こうも警戒する。班長みたいに素手で堂々と立ってるってのがいちばん有効だ。敵の本陣で、なかなかできることじゃねえ。それに、班長を矢面に立たせるのは別の意味でも有効だろう」
「別の意味?」
「見てみろよ」
泉はくいとあごをしゃくる。
千明を見ろ、という仕草らしい。
はてと福円はその姿を観察する。
腕を組み、胸を張って直立する様子は威風堂々、たしかに立派なものである。
泉の言うとおり、下手に出るでもなく威張るでもない態度は、なかなかできるものではない。
しかしそれとは別の意味というのが、福円にはわからなかった。
「まあ、おまえにはわかんねえかもな」
泉は別段声をひそめるでもなく、言う。
「班長の胸を、乳を見ろ。ただでさえでかいが、胸を張っているのに加えて腕を組んでいるから、まるで腕という皿に載せているようだろう? あれを見て敵意を持てる男はそうそういないぜ。さすが班長だ」
「いや、この状況でそういう視点を持つやつは稀少だと思うよ。きみみたいに図太いやつはなかなかいないって」
「状況なんか関係ねえ。そこに乳がありゃいつでも目は向くさ」
「まわりを見ろよ。どっかから狙撃されるぞ」
「それで死ぬなら本望だね」
「胸に見とれて死ぬのがか? なんていうか、いまさらなのかもしれないけど、きみはばかだな?」
「男はみんなばかなもんさ」
「ぼくは別に興味ないけど」
「おまえ、ロリコンだろ」
「じ、事実無根だ! 名誉毀損で訴えたら勝つぞっ。す、スレンダー好きと言え」
「スレンダーな子どもが好きなんだろ?」
「子どもはいらんっ。ぼくが言っているのはだな、幼いんじゃなくてあどけない感じがいいってことで――そ、そもそも、胸が大きいことのなにがいいんだ? あんなもの、脂肪だろ。胸の大きさと人間性が比例しているとでもいうのか?」
「単純に胸がでかいと男は幸せだろ」
「だから、そういうのがわからないって言ってるわけで」
「静かに」
千明がよく通る声でふたりを制する。
「だれか出てきたぞ」
不毛な言い争いしているあいだに、門の向こうに人影が現れている。
どこから出てきたのか、福円はその瞬間を見ていなかったが、どうやら生徒ではないらしいとはわかる。
人影はためらいなく正門に向かって歩いてくる。
もちろん、偶然その先に福円たちが立っているのではない。
「女だな」
泉が低く言った。
「若い女だ。秘書かなにかかもしれん」
「武装した連中がぞろぞろ出てくるより、はるかにいい状況だよ」
福円は武器を持っていないことを示すため、両手をポケットから出し、手のひらを相手に向ける。
「話し合いになれば、ぼくがなんとかできる」
「油断はするなよ。連中の武装は、精霊石ひとつだけだ」
それもそうだと福円はうなずく。
なにも軍隊のように、防弾チョッキや小銃を持つ必要はない。
彼らは精霊石ひとつで重装備に充分対抗できる。
若い女はすこしも歩幅を変えず近づき、やがて門を挟んで千明と向き合った。
お互いに相手を見つめ、視線を逸らさない。
千明のそうした態度は福円もよく見ているが、相手の女も物怖じしない。
単なる秘書ではなさそうだと認識を改める。
場合によっては、この場で一戦交えることになるかもしれない。
「われわれに攻撃の意思はない」
千明は言った。
「装備はそれぞれ拳銃が一丁ずつ。それ以上の武装はなく、そちらが求めるなら武器の提出にも従う」
「それで、お訪ねの目的は?」
女が言った。
福円はそれに答えようと一歩前に出るが、それを千明が制して、
「学園の見学にきた。この国唯一の精霊使いだけの学校だ。内情を見てみたい。できれば案内も頼みたいが」
「見学ね。なるほど」
女は値踏みするように千明を見た。
厳しい視線である。
おかしな挙動を見せればすぐに悟られる。
しかし女がじっくり見るのは千明だけで、その後ろに控える福円と泉には、なぜか軽蔑がこもったような一瞥をくれるだけだった。
「いい顔だわ」
女は言った。
「それに、いい胸ね。大きいし、やわらかそう」
「……なにを言ってるんだ、このひと」
思わず、福円が呟いた。
泉は平然と、
「胸に対する感想だろう。おれもおおむね同意だ」
「いや、だからなんでそれをいま言ったんだ。そういう状況か? あれ、もしかしてシリアスに捉えてるのはぼくだけなのか?」
「たしかに不破学園の門はだれにも開かれているわ」
不意に女は話題を戻す。
「何歳でも、過去になにをしていても、未来になにをするつもりでも、すべて等しく不破学園は受け入れる。ただ、精霊使いに関しては。見たところ、あなたたちは全員精霊使いではないわね。それとも精霊石を携帯していないだけ?」
そうだ、とうそをつくこともできる。
いまはただ精霊石を持っていないだけで、実は精霊使いなのだ、と。
それなら容易に門は開かれるだろう。
しかし、そう答えることは、福円にもできない。
精霊石を携帯していない精霊使いなどいるはずがない――うそがうそだとばれるような言葉は、どうしても言えない。
そしてその躊躇を見逃す相手ではない。
まずい、と福円は後悔する。
この女を見誤った。
ただの秘書どころか、頭の切れる敵である。
「いや、われわれは精霊使いではない」
答えたのは千明だった。
ためらいなどまったく感じられない口調である。
実際、真実を言うことをためらうような千明ではない。
女も一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐににやりと笑い、
「精霊使いではないのに、精霊使いばかりの学校を見てみたいのね。目的は、視察かしら。軍関係であることを隠すつもりはないみたいだけど」
「軍ではなく自衛隊だが」
と千明は答える。
「これは上層部が指示する作戦ではない。わたしが一個人として希望するものだ」
「じゃあ、後ろのふたりはなあに?」
「個人的にわたしの希望に従う友人というところだ。もしそちらが望むのであれば、このふたりはここに待たせる」
「ひとりで敵地に乗り込むってことね」
女は興奮しているような口調である。
「いいわ、素敵よ。でも、いくら一個人でも軍人である以上、そう簡単に入れるわけにはいかないの」
「条件次第ではかまわない、ということでいいかな?」
「まず条件は三つ。ひとつは所持している武器をすべて提出すること。ふたつは学園内にいるあいだ外部と連絡をとることは許されない。それから三つは、後日、わたしと個人的なデートをすること」
「ふむ、悪い条件ではない」
「……え、いや、なんかひとつおかしいのがあったけど」
堪らず福円が口を出すと、女は門越しに恐ろしい目で福円をにらんだ。
その視線には一喝よりもひとを黙らせる効果がある。
「どうかしら。この条件が呑めないのであれば、このままお帰りいただくしかないけれど」
「条件は理解した。わたしはそれに従おう」
「後ろのふたりは? まあ男なんてとっとと帰ればいいけど」
「おれも従う」
泉が言った。
「ただひとつ、個人的なデートという条件は、残念だが呑めない」
「だれが男とデートなんかしますかっ。そっちの地味な男は?」
「ぼ、ぼくのことか? ぼくも、デートは呑めないが、それ以外の条件は呑む」
「じゃあ、まずその位置から武器を投げ入れなさい。ああ、待って、先頭のあなたがリーダーね? リーダーは直々にわたしが検査するから、そのままでいいわ」
奇妙なことを言うなと思いながらも、現状、立場は門の向こうが有利である、福円は一丁しかない拳銃を格子の向こうに投げる。
泉も同じように武器を捨てる。
女はそれを足先で蹴って退ける。
ただの武器ではなく、正体不明の危険物として扱うこと自体は正解だが、女の、なにか穢らわしいものを退けるような表情に、福円はすこし傷つく。
「武器はこれだけだ。簡易食料まで取り上げるなら、それも投げるけど」
「ここはごみ捨て場じゃないわ」
女は言って、門に手をかけた。
細く、日焼けしていない白い腕である。
その腕がぴくりと動く。
巨大な鉄製の門が、それにふさわしい腹の奥に響くような轟音を立てて開いた。
女の表情に福円はぞっとする。
まるで自室の扉を開けるような気軽さで、その細い腕が巨大な鉄の門を開いたのだ。
これが精霊石の力、精霊使いの力である。
彼らには武装など必要ない。
その身体と、その石があればいい。
驚愕の一方で、福円の頭はすでに別方向へ思考をはじめている。
彼らは、こういうものだとして――果たしてそれだけの身体能力を持つ相手を、どのように制圧するか。
遠距離からの射撃など利くまい。
音速より早く飛ぶ銃弾でも、彼らなら視認し、余裕を持って回避できるかもしれない。
銃で制圧するなら、ほとんどゼロ距離でなければ効果がない。
ではどうやってゼロ距離まで近づくか。
「入るぞ」
千明が低く言う。
福円は慎重に門をくぐった――そこはもう、敵陣のど真ん中だ。
三人が門を入るのを見て、女はまた門を閉じる。
退路もしっかり断つというわけだ、と福円はどこか愉快な気持ちになる。
なるほど、これが戦闘状態の心情か。
恐怖と興奮が完全に同居し、神経が過敏になる。
戦いとはこういうものなのだと福円は門をくぐった瞬間に理解する。
精霊石、精霊使いとの闘争だ。
精霊使いと、人間との。
「福円」
泉が福円に耳打ちする。
「おれは、ひとつわかったぜ」
「へえ、奇遇だな。ぼくもいま、貴重なことをひとつ理解したよ」
「ああ、まったく、困ったもんだよな」
泉はため息をつく。
「精霊使いにも、変態っているんだな」
「そうそう、変態って……変態?」
すでに武器を捨てたふたりとはちがい、千明はまだ武器を携帯している。
それを、相手の女が探り出す。
それはよい。
よいのだが、千明の身体をまさぐる女の手つきは、明らかに怪しい。
普通はだいたい腰まわりを探る。
ガンベルトも当然そこにつけているから、当然のことだ。
しかし女は、なぜか千明の肩から手を這わせる。
身体の上から下へと手が降りていく過程で、何気なく胸に触ったのを、福円は見た。
痴漢の瞬間である。
女は至ってまじめな、これはただの身体検査だという顔をしているが、鼻息が荒い。
「へ、変態だっ」
「失敬な」
女がむっと顔を上げる。
「これは、愛よ。純粋なる愛なのよ。穢らわしい男の思考回路では到底理解できないでしょうが」
「身体検査にかこつけて身体を触るのが愛なのか?」
「この手つきにこもった愛情が見えないの?」
「変態性なら見え隠れしてるけど」
女はふんと鼻を鳴らし、身体検査を続行する。
「そこの男ふたり、後ろを向いていなさい」
「なんで」
「いいから。追い出されたいの?」
「くっ……それを言われると弱い」
しかし敵陣で、目の前にいる敵にさえ背を向けるのは危険である。
なにより、上司の貞操が危ない。
福円はしばらく迷っていたが、千明が従えというのを見て、踵を返す。
それを待ちかねていたように後ろから、
「さて、武器の持ち込みがないかしっかり検査しないとね。その大きな胸になにか隠してるんじゃないの? よく見せてみなさい」
「ああ……ぼくたちの上司が汚されていく……」
――振り返ってもいい、という許可が出たのは、たっぷり十分ほど経ってからだった。
女は明らかに上機嫌で、千明から取り上げた拳銃を弄んでいる。
福円はそっと千明に近づき、
「だ、大丈夫でしたか。なんか卑猥なこととかされませんでしたか」
「いや、ただの念入りな身体検査だった」
「その念入りっていうのが怖いですけど……」
「それに、同じ女性だ。別に恥ずかしいこともないだろう?」
「そういうもんですか」
たしかに、身体検査で身体を触られて赤面する千明は想像できない。
そもそも千明が恥ずかしがる様子を想像できない福円である。
常に堂々と胸を張っている千明が、恥ずかしげにかしこまることなどあるのだろうか。
「それで、どこを見学したいの」
女は拳銃を懐にしまい、腕を組む。
「勝手に歩きまわられるのは困るから、わたしが案内するけど。そのへんの校舎を見れば満足?」
「いや、建物には興味がない」
と千明はあたりを見回す。
「できるだけひとが多い場所がいい。学生でも職員でもいいが」
「あいにく、今日は普通の授業はやってないのよ。授業参観はできないと思うけど、じゃあ、武道会でも見に行く?」
「武道会?」
「年に一度のお祭りみたいなものよ。全校生徒が揃ってるし、職員も大勢いるわ」
「では、そこに頼む」
「ついてきなさい。ここでは絶対にわたしの指示に従うこと。勝手に行動したら、その時点で敵性と見なすわ」
女は三人に背を向けて歩き出す。
いくらこちらが手ぶらとはいえ、とくに攻撃を警戒している様子でもない。
おそらく、どのような形で襲いかかってきても完全に制圧できる自信があるのだ。
ただの人間ごときには負けないという絶対の自信は、裏を返せば精霊使いの驕りでもある。
それは危険だと福円は考えている。
どちらか一方でも対等でないと考え出したら、行き着くところは力尽くの闘争しかない。
人間が精霊使いを畏怖するように精霊使いが人間を見下すなら、決して遠くない将来、どちらかが大胆な行動に出る可能性もある。
福円は女の後ろをついて歩きながら、あたりの観察も忘れない。
あるいはこれから襲撃し、無事に逃げ出さなければならない場所だ。
正門から並木道が続き、そこを歩いていくと、三階建ての校舎に出くわす。
それがどうやら生徒たちが授業を受ける校舎らしい。
校舎の前をすぎると、校庭のように広々とした土の広場がある。
広場の向こうは体育館らしき建物がある。
それだけでもひとつの学校施設として成り立つが、不破学園はまだまだ広く、広場をすぎていくと用途のわからない建物がいくつもある。
校舎にしては多すぎるし、かといってほかに使い道もなさそうだが、放置されているわけでもない。
その建物のあいだを抜けていくと、また校舎らしいものが現れる。
いったいこの学園はどういう構造になっているのだろう。
精霊使いばかりの学校といっても、生徒数がそう多いはずはない。
日本にいる精霊使いは人口比で考えて千人ほどだが、それは単純計算だから、生まれたばかりの赤ん坊から老人まで含まれている。
小学生から高校卒業まで、つまり六歳から十八歳までの精霊使いに限定すれば、日本全国合わせても、通常の学校の一学年程度だろう。
それだけの生徒のために、これだけの設備がいるものかどうか。
もし生徒のための設備でないとしたら、なんのための設備なのか。
これまでから、福円はその可能性について考えることはあった。
しかしここへきて観察し、その可能性がにわかに現実味を帯びてくる。
不破学園は、精霊使いのための学校だとされているが、それはただの建前にすぎない。
学校を隠れ蓑に、精霊使いの巨大な組織が暗躍しているとしたら――。
たったひとりでも桁外れの力を見せる精霊使いである。
それが束になれば、どうなるか。
「……国盗りくらいは、できそうだ」
実際、過去にもそうした例はある。
世界中のあらゆる遺跡で精霊石が見つかっているのだ。
とくに王墓には、必ずといっていいほど遺体と精霊石は合わせて埋葬されている。
かつての王たちは、精霊石の力を用いて王になり、民衆を率いた。
それをいま試みる人間がいてもおかしくはない。
とくに精霊使いを取り巻く情勢が不安定ないま、どこかひとつが動けば、ほかも動かざるをえない。
一度坂道を転がりだした石は終わりまで止まることはない――その最初の一押しをしようとしている人間が、ここにはいるのかもしれない。
そしてそれは人間側にしても同じことだ。
世界がどんな状況でも利を得る人間はいる。
精霊使いと人間の戦争を望む連中も、必ず存在している。
「もしわたしたちが人間たちに憎しみを向けているとしたら――」
女が福円を振り返り、吐き捨てるように言う。
「あなたのその目つきのせいでしょうね」
「ぼくの、目つき?」
「精霊使いを化け物のように感じているんでしょう。実際、それに近いかもしれないけど、精霊使いにも心はあるわ。あなたがそんなふうに見られたらどう思うか、考えてみなさい」
「それは……」
「福円」
千明が福円を見る。
その目つきの意味がわからない福円ではない。
「すみませんでした」
福円は頭を下げる。
「そうした偏見はないほうだと思っていたけど……きみが言うことを否定はできない」
「別に、あなたが特別だというわけじゃない。それがわたしたちにとっても、あなたたちにとっても問題なんでしょうけど」
福円が特別に精霊使いを蔑視するなら、問題などなにもない。
ほとんどの人間がそのような偏見を持っているから、人間と精霊使いという、本来は同質であるはずのものがふたつに分けられる。
人間は「精霊使い」というものを憎み、精霊使いは「人間」という総体を憎む。
「精霊使いも、ぼくたちも同じ人間だ。ただ、ほんのすこしだけ身体のつくりがちがう」
「そのほんのすこしを問題にするのはいつも人間よ」
「精霊使いはいつも歩み寄ろうとしているっていうのか」
「精霊使いが、どんな仕組みで精霊石を利用できるのかはわからない。生まれつきの体質かもしれないし、成長過程のどこかで生まれる能力なのかもしれない。でもほとんどの精霊使いは、その能力がわかるまで、人間として生きているわ。普通の赤ん坊として生まれて、どこにでもいる子どもとして育つ。はじめから人間に偏見を持っている精霊使いなんていないの。むしろ、精霊使いに偏見を持っていたのに、自分が精霊使いだとわかるときもある。そのときいままで自分がやってきたことが、すべて自分に返ってくるわ。だから精霊使いは人間を恨んでいるのかもね――自分自身を含む人間すべてを」
人間が精霊使いを嫌いだというから、精霊使いも人間を嫌いだという。
まるで子どもの理論だ。
しかしそれは正しいと福円は思う。
大人も子どもも、年齢以上のなにかが変わるわけではない。
子どもが感じることは大人も感じている――子どもの理論は、そのまま人間の本質に関する理論になる。
「前にも、あなたたちみたいなのはいたんでしょう。人間でありながら、負の連鎖を断ち切ろうとして精霊使いと仲良くしたがるやつらが。成功したかどうかは疑わしいけどね」
「われわれは、負の連鎖を断ち切るためにきたのではない」
千明は存外に明るい声で言った。
「精霊使いが真に敵かどうか、見極めるためにきたんだ。いまはまだ、敵なのかどうかわからない。きみも同じだろう」
「わたしも?」
「言っただろう。勝手な行動をとると敵性と見なす、と。つまり、いまは敵性とは見られていないわけだ。もちろん味方ではない。どちらともつかない位置にわれわれは浮かんでいる。われわれも同じだ。敵でも味方でもないきみたちを、敵か味方か、どちらかにしたい。でないと落ち着かない」
「落ち着かないって理由だけで、こんなところまで乗り込んできたってわけ?」
女は呆れたように笑う。
笑うと、やけに幼い。
すくなくとも町中にいる若い女となにも変わらない笑顔である。
「やっぱりあなたはいいわ。ねえ、おっぱい揉んでいい?」
「え、いまそういう雰囲気の話題だった?」
やはりただの女ではないと福円は心のなかで訂正する。
かなり変態の部類に入る女だ。
精霊使いとはこんなやつばかりなのかと思い、もしそうなら、それはそれで危険だと考える。
敵の本拠地と変態の巣窟、どちらがいいかと考えてみるが、答えは出ない。
一行は正門から五分ほど歩き、その場所に到着した。
「ここよ」
と女が立ち止まる前から、福円にはわかっていた。
なにしろ、フェンスに囲まれた芝の広場に、無数の若者が集まっている。
ご丁寧に、入り口には「第十一回武道大会」と垂れ幕がこしらえてある。
広場に集まっている若者は、どうやら学園の生徒たちらしい。
小学校低学年に見える子どもから、大人と体格も変わらない高校生らしい生徒まで大勢いる。
おそらく百人前後だろう。
その生徒たちは全員同じ方向を向いている。
視線の先を追うと、不思議な形をした壇上に、老人が立っている。
年は経ているが、衰えるどころかより鋭くなっているような老人である。
なにか話しているらしいが、声までは聞こえない。
「ちょうど学園長の挨拶をやってるみたいね」
女はくいとあごでしゃくる。
「見学してみる? どうせ学園長の許可はとらなきゃいけないし」
千明はこくんとうなずき、ためらいなく歩を進めた。
当然、福円と泉も続く。
この時点で、福円は千明を止めるべきだった。
千明の性格を考えると、気づかれぬようにこっそり入るなどあり得ない。
堂々と入り、また、そうすべきだと千明が判断したなら躊躇なくそれを行うだろうということもわかる。
しかし福円は、不破学園の学園長という敵の大将を目の前にし、その演説に興味を惹かれていた。
泉にしてもそれほど深謀遠慮ではないし、仮に考えていたとしても千明を止めるような泉ではないから、結局千明は野放しのままその広場へと入っていった。
そして千明は全員の度肝を抜くような行動に出る。