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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第二話
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第二話 16

  16


 ――ことの発端は十五分ほど前に遡る。

 場所は、不破学園の正門前。

 学園の性質上、正門前に限らず、学園への出入り口には必ず警備の人間がついている。

 正門には、門の奥にふたり、警備が立っている。

 ふたりはそれぞれ精霊使いである。

 精霊石を活性化させ、あらゆる神経を敏感に保ち、不審者や怪しい物事を監視しているのだが――そういうものは、そう多くあるものではない。

 不審者の侵入など学園がはじまって以来一度もなく、不審な物事も数年前に裏門でぼやがあった程度だが、だからといって人員を削ることもできないのが警備というものである。

 だから大抵、どんな警備でも、日ごろはだれている。

 この日警備を担当しているのは、中年の男と、若い女のふたり組だった。

 中年の男、名を濱木というが、以前はある地方で裏稼業をしていたいわくつきの男である。

 頭を丸め、ひどく目つきが悪い。

 普段はそれを隠すためにサングラスをしているが、これもまた柄が悪い。

 学生にはモーセとあだ名されている。

 町を歩けば、その強面が祟って、どんな人混みでも濱木の前には道が開けるせいだ。

 しかし性格は至ってまじめで、仕事にも根気よく取り組んでいる。

 登下校する生徒にも挨拶し、顔はこわいが根はやさしいひととして人気が高い。

 一方、若い女のほうは、数年前にこの学園の高等部を卒業したばかりである。

 名を三國花櫚という。

 髪を腰のあたりまで伸ばし、だいたいいつもやさしげな笑みを浮かべている。

 しかし実は根っからの女好きである。

 女にはとことんやさしいが、男にはとことん厳しい。

 生徒が遅刻したときも、それが女子生徒なら、


「スカートめくり一回でごまかしてあげる」


 と条件を出すが、それが男子生徒なら、


「どうせ遅刻なんだから、いっそ休めば?」


 と冷たい目で突き放す。

 なんとも奇妙なふたり組である。

 しかし実は存外にうまくいっている。

 というのも、お互いがお互いに興味がなく、余計ないざこざがない。

 濱木としては男と女で手のひらを返す花櫚など敵以外のなにものでもないし、花櫚としても男の、それも可憐さの欠片もない中年男の濱木などそのあたりに落ちている石ころより無価値だった。

 お互いに深入りしないからこそ、うまくやっていける。

 仕事終わりに飲みに行くような関係ではないが、仕事をおろそかにする関係でもない。

 彼らにとってはそれがもっとも大切なことだった。

 そしてこの日も彼らは同じ監視小屋のなかにいながら、ほとんどお互いを意識せず、それぞれ退屈そうに正門を見ていた。

 ――監視小屋から正門までは、五十メートル以上距離がある。

 これはまずこちらが向こうを発見し、常に先手をとれるように、という意味がある。

 五十メートルという距離も、精霊使いがその気になれば瞬きのあいだに詰められる距離である。

 窓際に座って濱木が眺めるかぎり、生徒たちの登校が済んだ正門は、至って静かだった。

 普通の人間には決して開けられない巨大な鉄の扉はぴたりと閉じられ、夏の日差しに鈍く輝いている。

 熱せられた空気が蜃気楼のように揺れるなか、濱木は流れる汗を拭い、思わず呟いた。


「……暑い」

「夏なんだから、当たり前でしょう」


 返答はいかにも刺々しい。

 知らぬ者が見れば、それまでにけんかでもしていたのか、と思われるような花櫚の返事だが、彼らにとってはそれが日常である。


「もうすこし、クーラーの温度を上げないか」

「いやよ。設定温度二十八度。電気代の節約を心がけなさい」

「しかし、明らかに室内は三十度以上ある。見ろ、温度計を」

「温度計が壊れてるんじゃない?」


 花櫚はふんと鼻を鳴らし、それでも正門からは目を離さない。

 濱木にとって鼻持ちならない相手ではあるが、仕事をおろそかにしないという一点だけは尊敬している。


「どちらかというと、壊れているのはエアコンだと思うが。モーター音が明らかにおかしい。まるで、そうだな、女が喘いでいるような――」

「セクハラ!」

「こらっ、物を投げるなっ」

「これだから男は! 一日中いっしょに空間にいるってだけでもこっちはがまんしてるのに、その上セクハラなんて、ほんとにいやだわ。地球上からすべての雄が消えてなくなればいいのに」

「お、おれの失言が地球上の雄すべての問題になるのか」

「雄という種族がきらいなの、わたしは。人間の雄も犬の雄も猫の雄も全部きらいなの」

「……過去にいやなことでもあったのか。つらい過去だろうが、やがて忘れることもできる」

「別にいやな過去なんかないけど。物心ついたころから目に入る男は全部撃退してきたし」

「……むしろいやな過去があるのはきみの周囲にいた男だな」


 それがトラウマになって女嫌いになっていなければいいが、と濱木は心配する。

 男嫌いが女嫌いを生み、それがまた男嫌いを生んでは解決が見られない。

 まるで感染性の高いウイルスのように男嫌いと女嫌いが地球に広まっていく様を想像し、濱木は身体を震わせた。


「きみは、暑くないのか。そしてなぜ年上のおれに敬語を使わないのか?」

「暑くないし、敬語は使いたくないから使わないの」


 そんなこともわからないのか、というような花櫚の口調である。


「わたしが敬語を使うのは、わたしが尊敬に値すると思った相手だけ。つまり、男に敬語を使うことは絶対にあり得ないわ」


 まるでとりつく島がない。

 濱木は会話で暑さをごまかすことを諦め、室内のエアコンを見上げた。

 何年前に設置されたものなのだろう。

 すくなくとも濱木がここにきたときには、古くてたまに故障するエアコンだった。

 いまはもっと古くなり、頻繁に故障するエアコンへと位を上げている。

 駆動音が明らかにおかしい。

 冷たい空気をはき出す音より、モーター音のほうがうるさい。

 それも、高くなったり低くなったり、強く震えるようだったりか細く弱ったり、落ち着きがない。

 その様子を濱木は女が喘ぐようと形容したのだが、そしていまでもその形容は的を射ていると思う濱木だが、花櫚のお気に召さないことには気づくべきだった。

 相手が花櫚でなくても、世知辛い世の中である。

 満員電車には両手を挙げて乗車しなければならぬ時代だ。

 同じ男の、それも愚かしい男たちがそういう時代にしてしまったとはいえ、なんともいえない虚しさを感じずにはいられない。

 エアコンはううんと唸る。

 かと思うと、ぴたりと止まった。

 濱木は思わず、


「絶頂したか」

「セクハラ! 塵も残さず消え去ればいいのにっ」

「……すまん。そういうつもりはなかったが。しかし、完全に止まったぞ。修理屋を呼ぶか」

「勝手にすれば」


 だが、修理屋を呼んでもすくなくとも数時間は壊れたままだろう。

 だったら自分で直せぬものか、と濱木は席を立つ。


「正門から目を離す。そのあいだの監視は任せたぞ」

「だれがあんたの代わりなんかしますか」


 しかし心配はしていない濱木である。

 学園の敷地内に女子生徒がいるかぎり、花櫚はしっかりと仕事をやるだろう。

 女子生徒がいなかったら、ということは考えず、座っていた椅子をエアコンの下まで引きずる。

 そこに乗って手を伸ばすと、かろうじてエアコンにも手が届いた。

 とはいえ、機械の修理などしたことがない。

 フィルターの交換くらいはなんとかなるが、フィルター部分を触ってみてもエアコンはぴくりともしない。


「すこし手荒にやったほうがいいか」


 拳を作り、こん、とエアコンを叩いてみる。

 無反応である。

 もうすこし強く叩く。

 エアコンのどこかに詰まっていた埃がばらばらと舞った。

 それがちょうど、開けたばかりの窓から入り込んだ風にひょいと乗って、花櫚のほうへ向かった。


「あ」


 と濱木は呟くが、遅い。

 灰色の埃はもう花櫚の黒髪に付着している。

 正門に集中しているせいか、花櫚はそれに気づいていないようである。

 教えてやるべきか、否か?

 おれがエアコンを叩き、おれが窓を開けたから埃が頭についたのだ、と教えてやって、果たして自分の身は無事だろうか?

 天秤の片方に良心を載せ、もう片方に保身を載せる。

 ……まあ、別に埃がちょっと乗っているだけだ、害があるわけでもなし。


「やはり動きそうにないな」


 濱木はごんごんとエアコンを叩く。

 花櫚はいらいらしたように指先で窓枠を叩き、


「エアコンひとつも直せないなんて、役に立たないのね」

「きみは直せるのか?」

「直せるけど、しないわ」

「どうして。暑いだろう」

「涼しくなってあなたがよろこぶのが癪だから」

「なるほど」


 明快な理由である。


「まあ、女を鳴かせるのはいつも男の仕事――おっと」


 どうも古巣が柄の悪い男たちの巣窟だったせいか、こういう言葉が口を突く。

 子どもたちの教育にもよくないし、なによりこの監視小屋のなかで言うと自分の身が危ない。

 案の定、花櫚は一瞬だけ振り返り、横目で濱木をにらんだ。


「女だって女を鳴かせられるわ! むしろ女の身体をよく知っているのは女なんだから」

「そっちか。いや、なんにしても失言だった。これは修理屋を呼ぶしかないな。たしか扇風機がどこかにあったはずだが」


 椅子から降り、今度は物置を探る。

 代々の警備員が雑多なものを詰め込んでいる物置である。

 どこで使うのか、赤い三角コーンやキープアウトの黄色いテープ、明らかに安物の生地で作られたセーラー服やモデルガンなどが方向もめちゃくちゃに押し込まれているなかに、古い扇風機があった。

 無理やり引っ張り出してもいいが、濱木の性格がそれを許さない。

 扇風機の前に積んであるものをひとつひとつ退かせ、扇風機を取り出し、また整頓してしまっていく。

 本当は物置のものをすべて取り出して整頓したかったが、それは次の休みまで待つとして、濱木は古ぼけた扇風機のコンセントを差す。

 いったい何十年前の扇風機なのか、本来は白いはずの外観が、くすんだ灰色になっている。

 しかし物置に入れていたせいか埃はほとんど被っていない。

 試しにスイッチを入れると、かすかに唸りながらも羽根が回り出した。


「おお、動いた。これでなんとかなるな」


 濱木はその強面に自慢げな笑みを浮かべ、窓際まで扇風機を持っていく。

 そして窓に向かって座る花櫚の背中に羽根を向け、スイッチを入れた。

 風がふっと流れ、花櫚も一瞬の涼を感じたはずだった。


「あ」


 風はいたずらである。

 扇風機の羽根が生みだした風は、花櫚のスカートの裾を誘い上げ、ふわりと宙に舞い上がる。

 白のレースだった。

 濱木は慌てて扇風機を止める。


「こ、このいやらしい扇風機めっ。エアコンが直った暁には最新式に買い換えてやるぞ」

「きたわ」


 花櫚がぽつりと言う。

 濱木はびくりとして、


「か、風の行方まではおれも感知できん。見たことは見たが、それも不可抗力で――」

「だれかきたわ」


 起き上がり、濱木も窓辺に張りつく。

 半身は壁の内側に入れ、片目だけで正門を見た。

 精霊石はすでに活性化させている。

 サングラス越しのその目には離れた正門の様子が仔細まで見えている。

 たしかに人影である。

 正門の向こう側に、三つ、影がある。

 精霊使いの目でも定かではないのは、その連中が門の格子に身を隠すようにして立っているせいだった。


「男ふたりに、女ひとりか」

「立ち振る舞いからして、一般人じゃない」


 しかし精霊使いでないこともわかる。

 精霊使いであるなら、精霊石を活性化していなくとも、その存在を感じることができる。

 彼らは紛れもない人間である。

 ただの人間かどうかは、まだ判断できない。

 しかしどんな目的にせよ門の前で立ち止まっている人影は看過できない。


「精霊使いでも冷やかしでもないなら、軍関係者か」

「この時期に軍の関係者が正門から堂々と乗り込んでくるかしら。それもたった三人で?」

「さあ、それはわからんが、ひとつわかっていることがある」


 サングラスの奥で、濱木は目を細める。


「先頭に立っているあの女、あれは――恐ろしく巨乳だ」


 至って真剣な口調である。

 対する花櫚もこくりとうなずき、


「ええ、巨乳ね。服越しでもわかるわ。八十、いえ、九十以上はある」

「よし、おれが行って様子を見てこよう」

「待ちなさい。わたしが行くわ。先輩はどうぞここで扇風機に当たっていて」

「こういうときだけ先輩扱いか? なら後輩よ、先輩の指示には従うものだ。おれが行く」

「わたしが行く。あなたのような厳めしい顔の穢らわしい男が行くより、わたしのような女が行くほうが敵は油断するはずよ」

「とか言いつつ、本当は近距離で見たいだけだろう。あの乳を」

「あなたはちがうっていうの?」


 窓からは顔を離さず、足下で牽制し合う。

 引き続き監視のため、どちらかはこの小屋に残らなければならない。

 どちらが行き、どちらが残るか。


「最初はグーだ」

 濱木は言った。

 花櫚はふんと鼻を鳴らす。


「最初はグー、じゃんけん――」

「チョキ!」

「パー!」


 ぐっ、と濱木が唸る。

 勝ち誇った表情で花櫚は立ち上がった。


「女に対するスケベ心でわたしに勝てると思って?」

「むっ、言い返せん……」


 濱木ががっくりと肩を落とすなか、花櫚が監視小屋を出ていく。

 窓から見ている濱木に向かい、自慢げにふんと笑って、花櫚は意気揚々と正門に向かって歩いていった。

 さすがに監視小屋と正門では、目は見えるが、音までは届かない。

 濱木には読唇術の心得もない。

 正門前にいる連中がどんな相手であれ、すべては花櫚の対応次第というわけだ。

 濱木は扇風機の風を独り占めし、ほかの警戒も忘れず、正門前の様子を見守った。


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