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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第二話
27/61

第二話 15

  15


「よくもまあ、一日で作ったもんだな」


 広々とした芝の球技場が、一夜にして驚くべき変貌を遂げている。

 まず球技場の入り口からして、「第十一回武道大会」と巨大な横断幕が掲げられている。

 そこをくぐると、広い芝の球技場にいくつもの線が引かれているのがわかる。

 二十メートル四方程度の正四角形の試合場が五つ六つと並び、それを囲むように客席が儲けられている。

 客席といっても、ただのパイプ椅子ではない。

 観覧しやすいように傾斜がつけられたセットである。

 球技場の一角にはすでに表彰台も作られ、そのそばに「優勝賞金百万」と書かれたプレートが転がっていた。

 百万のあとに単位がないのが、いかにも怪しい。

 表彰台の近くにはトーナメント表も張り出されている。


「まるで祭りだな」


 和人は八白、青藍と並んで立ち、生徒たちが集まって騒がしい球技場をぼんやりと眺めた。

 さっそく試合場に入って様子を確かめている者、トーナメント表を仰ぎ見る者、表彰台の頂点でポーズを決める者、とにかく全員が陽気で、深刻さはどこにもない。

 実際、ジャージを着て手ぶらで学校へくるというのは妙な気分だった。

 学園から出るわけではないが、ある意味では遠足のような気分で集まり、これから起こるイベントをいまかいまかと待っている。


「ここにいる全員と戦うのか?」


 和人の右横に立つ青藍がぽつりと言う。


「まさか」


 と和人は笑うが、青藍は笑わず、


「意思があれば、それも可能だ。主の意思があれば」

「全員と戦ってどうする? 別に戦うことが目的じゃない。ただの遊びだよ」

「ふむ、そうか。わたしにはどうも理解できんが」

「理解できない?」

「遊びといっても、そこに武器があるわけだ」


 青藍は恐ろしく冷静に球技場を見渡している。

 もし攻めるならどこからはじめるべきか値踏みするように、「敵」の様子を見ている。

 和人はその目つきを見て、背筋が震えた。

 以前にも二度、その目をした青藍を見たことがある――以前は精霊石として、自分のなかに入り込んできた意思としてだが、燃え立つような殺意がある。

 刃のような敵意がある。

 瞳には一点の曇りもない。

 ためらいというものが存在しない。

 必要なことをする、そのための殺意であり、敵意である。


「武器というのはなんのためにあるのか? 戦うためにあるのだ。では戦いとは? すなわち生き残るための闘争である。わたしには武器を通して殺し合いが透けて見える。そのようなものを持って遊びと称するのは理解できない」

「おまえは――」


 和人は左隣の八白を見た。

 青藍の言葉は、八白には聞こえていないようだった。


「おまえはそれを望んでいるのか?」

「殺すことを?」


 青藍は和人を見た。


「いや、それを望むのは主だ。わたしはただの武器、それを使役する意思は主が持っている」

「じゃあ、おれの意思に、おまえは完全に従うってことだな」

「もちろんだ。主が指示することには、すべて従う。たとえその意思がなんであろうと」

「おれの意思はひとつだ。この世界を楽しみたい。おまえも楽しめ。楽にすればいいんだ」

「ふむ、楽にか」

「ああ、楽でいい」

「わたしにはなかなかむずかしい注文だ」

「いままでどおり、寝たり起きたりしてりゃいいさ」


 和人は青藍の真似をして集まった生徒たちを見る。

 このすべてと敵対する、ということの意味を考える。

 それは愉快ではないだろう。

 和人の心は、そのようにはできていない。

 無数の敵が目の前にいて、それを殲滅し尽くすことでおのれの存在が固定されても、愉快でないなら意味がない。

 この世界を、この生を楽しみたい。

 突き詰めれば、和人の望みはそれしかない。

 すべてを楽しむための努力は、決してつらくはない。

 それも楽しみのひとつになるだろう。

 ただ、和人にも青藍の言葉は理解できる。

 和人にとっての世界とは、つまりここのことだ。

 八白や友人たちが笑っているこの世界だ。

 青藍の世界は、そうではない。

 和人が二度覗いたことのある、血と闇の世界なのだ。

 殺意と敵意をもってしか進めぬ世界だ。

 生きると殺すが同義である世界だ。

 そのような世界での生を楽しもうと思うなら、やはり生きることを、殺すことを楽しまなければならない。

 数えきれぬ敵の大群を、殲滅したあとの血の河を、そこに降りてくる永遠の沈黙を楽しまなければならない。

 青藍の世界とは、和人が片足を突っ込んだ世界とはそういう世界だ。

 だから和人は青藍の手を握った。


「おまえは、おれのそばにいろ。おれの見るものを見ろ。おれの聞くものを聞け。おまえがどこからきてどこへ行くのかわからないけど、おれが生きているあいだは、おれのものであり続けろ」


 青藍はかすかにその手を握り返す。


「了解した。主よ。その意思、必ず果たそう」

「まずはこの武道会を楽しめばいいさ。相手に怪我をさせない程度の、訓練みたいなもんだ」

「訓練か。それはよいが」

「どうした?」

「先ほどから、直坂八白が恐ろしい顔でこちらを見ているのだが」

「え――」


 和人は振り向いた。

 同時に八白もぷいと顔を背けている。


「あ、あの、直坂……さん?」


 八白は和人に背を向ける。

 露骨すぎて、むしろ無視にはなっていない。

 和人が前に回り込むと、またそれにも背を向ける。

 ふたりしてくるくる回り込んだり背けたりを続けているうち、目が回ったのか、八白がふらりとよろめく。


「おっと」


 和人がそれを支えると、八白は一瞬呆けたような目で和人を見上げ、慌てて自分の足で立つ。


「どうしたんだよ、直坂。調子でも悪いのか?」

「調子は悪くないけどっ。その、あの……べ、別にあたしが言うことじゃないんだけど、ほかの生徒もたくさんいるし、そ、その、だから、せせ青藍さんといちゃつくのはやめたほうがいいと思うの!」


 言いきって、八白はまたそっぽを向く。

 顔が赤い。

 恥ずかしいことを言った自覚があるのか、和人に背を向けてううと唸る。

 和人もやっと青藍の手を握ったことを思い出し、


「あ……」


 と赤い顔をする。

 それからしどろもどろで、


「ち、ちがうんだよ。そういう意味じゃなくて、ただ手を繋いだだけっていうか、その、握手みたいなもんで!」

「い、いまさら青藍さんと握手するの?」

「知り合いとしたっていいだろ。その、握手って別に悪いことじゃないんだし」

「……じゃ、じゃあ、あたしとも握手、してくれる?」

「もももちろん」


 背を向けたまま、おずおずと、八白は手を差し出す。

 和人もそっぽを向き、やけに照れながらその手を握った。

 お互いに手は熱い。

 体温が高いのだ。

 顔を見ることも、繋いだ手を見ることもなく、ぎこちなく手を繋いだふたりは、そのまましばらく押し黙る。

 そこへ、


「お、いたいた。おーい牧村ー。お、ジャージ姿の青藍さんもきれいだ! 直坂さんも安定してかわいいっ」

「その前に挨拶でしょうが、まったく。おはよう……ってあれ、ふたりとも、どうかしたの?」

「べ、別に? な、なあ、直坂」

「う、うん、べべ別になんにもないよ? あはは、はは」

「むう、なんか怪しい……」


 お互いとっさに手を引っ込めたせいで織笠菜月や日比谷卓郎は首をかしげるが、女の勘か、布島芽衣子だけはそこになにかしらの関係を感じて眉をひそめる。

 しかしこれで寮生の三人も加え、六人組となる。


「なんかわかんねえけど、まあいいや」


 と卓郎。


「とりあえず、トーナメント表見に行こうぜ。もしかしたらこのなかのだれかと一回戦で当たるかもしれねえからな」

「そっか、そういうこともあるんだな」


 和人は腕を組む。


「できれば年上か同い年と当たりたいな。年下とやるのは、どうも気まずい」

「年上はハンデありだぜ。あんまり油断してると初等部のがきんちょにやられるかもな。おまえは転校したばっかりでまだ精霊石にも慣れてねえだろ」

「さすがに小学生には負けねえって」

「どうだか――まあ、おれは最後まで勝ち残って、男女共同水泳大会の実施を要請するけどな!」

「おまえ……」

「もちろん、うれし恥ずかしハプニングありだ」

「……おれも協力しようか?」

「ふっ、友よ」


 ふたりはがっしり手を組む。

 後ろで菜月は頭を抱え、


「あのばかども……もし本選で当たったら一から教育してやるわ」

「ははは……ね、菜月ちゃんはもし優勝したら、どんな願いを叶えてもらうの?」

「さあ、優勝なんてとくに考えてないけど、そうねえ」


 と菜月は腕を組み、意気揚々と前方を歩くふたりを見て、にやりと笑う。


「試験の成績が悪かった生徒に強制的に補習させるとかかなあ。なんなら、わたしが直々に見てやってもいいわ」

「……それ、牧村くんたちにとっては地獄かもね。布島さんは?」

「わたしはもちろん、決まってます」


 芽衣子はうっとりと空を仰ぐ。


「和人さんとふたりきりのデートですわ! 朝から晩まで和人さんを独り占め……ああこんなに素敵なことがあってもいいんでしょうか! その一点だけでもわたしは神を信じます。和人さんといっしょにお買い物をして、お食事をして、おしゃれなカフェで将来について語らったりして――むふふふ」

「そ、そうなんだ……」


 八白は空想に落ちていく芽衣子に、うっと一歩後ずさる。

 その背中を菜月が軽く叩いた。


「ちょっと、八白。あなたもがんばったほうがいいんじゃないの? うかうかしてるとほんとに布島さんにとられちゃうかもしれないわよ」

「と、とられるって、別にそんな、牧村くんとは幼なじみで、そ、そういう関係じゃないし……」

「はあ……もうちょっと前向きになれば絶対にいい結果が出ると思うけどねえ」


 男子には男子の思惑があり、女子には女子の思惑がある。

 そしてそれぞれの思惑を叶えるためには、この武道会で優勝しなければならない。

 はじめはお祭り騒ぎでしかなかった武道会が、次第に負けられない戦いへと変貌していく――そのなかで重要な役割を果たすのがトーナメントの順番である。

 格上の相手にも、一度であれば偶然で勝利できるかもしれない。

 いかに強敵と目される相手を避け、トーナメントを駆け上がっていくか。

 多くの生徒がそこに注目し、張り出されたトーナメント表を固唾を呑んで見上げる。


「えーっと、おれの名前はどこだ?」


 和人も、巨大な掲示板に張り出されたトーナメント表に自分の名前を探す。

 トーナメントはAブロックとBブロックに分かれ、最終的にそれぞれのブロックの代表者が優勝を賭けて戦うことになる。

 つまり多くの生徒が望むことは強敵と別のブロックになることであり、強敵同士が固まってそれぞれにつぶし合うことである。


「おっ、あった」


 和人はAブロックに自分の名前を見つけた。

 そのとなりにある名前、すなわち一回戦の対戦相手は――。


「え?」

「あ……」


 和人のとなりで、ためらいがちな声が上がる。

 芽衣子である。

 トーナメント表を見上げ、口に手を当てて驚いている。

 和人も同じ気分だった。

 一回戦、牧村和人のとなりに記された名前は、布島芽衣子である。

 ふたりはしばらく顔を見合わせ、どちらともなくまたトーナメント表を見上げた。


「お、牧村、一回戦はだれとだ? おれは一年後輩のやつだったぜ」

「いや、それがさ」


 と和人は頭を掻く。


「あれ、見ろよ」

「ん、どれどれ――って、布島さんじゃねえか! 一回戦から知り合いかよ。運があるのかねえのかわかんねえけど……これだけは言っとくぞ、牧村」


 卓郎は和人の肩を掴み、真剣な表情になる。


「攻撃は、服を狙え。肌は傷つけるな。さすれば汝今宵のヒーローとなるだろう」

「なに言ってんのよ」

「ぐふうっ」


 後方からの肘鉄を脇腹に喰らい、卓郎は崩れ落ちる。

 菜月は平然と掲示板を見上げ、


「あら、牧村くんも一回戦は知り合いと? お互いやりづらい相手ね」

「おれもって、織笠もか?」

「あそこ」


 菜月はAブロックの隅を指さす。

 和人の名前が記されているすぐそばである。

 織笠菜月のとなりには、青藍とあった。


「織笠は青藍とか」

「ま、わたしはだれが相手でも全力で行くけどね。愚かしい願いを持ってる連中をひとりでも多く叩き潰すために」


 菜月は黒い笑みを浮かべる。

 堅気とは思えぬ、やけに深みのある笑みである。


「そ、そうか……ま、お互いがんばろうぜ」


 それにしても――。

 芽衣子と戦う和人、青藍と戦う菜月を含み、六人全員がAブロックに集中したトーナメント表となっている。

 卓郎は一年後輩と、八白は同学年との一回戦になっているが、ふたりとも和人の名前と近い位置にいる。

 気になって調べてみると、それぞれが順調に勝ち進むとして、二回戦では青藍か菜月のどちらか、三回戦では卓郎と、四回戦では八白と対戦することになっていた。

 五回戦で当たる組には、知り合いはいなかったが、それはAブロックの最終戦、つまり準決勝に当たる。

 それに勝てば、Bブロックの勝者との決勝戦を残すだけだ。

 トーナメントである以上、お互いに勝ち進めば必ずどこかでは対戦することになるのだが、序盤から続けざまに知り合いばかりと戦うのは和人にとってよい組み合わせではなかった。

 まわりにいる生徒たちにもそれぞれの感触があるらしく、


「織笠さんと同じ組だって。勝ち目ねえよなあ」


 とか、


「先生たちが結構Bブロックに集まってるから、Aのほうが得みたい」


 とか、トーナメントの結果を占う会話が飛び交っている。

 そうした会話に耳を傾けていると、有力視されている人間がだいたい把握できる。

 まずいちばんに生徒たちが警戒しているのは、意外にも織笠菜月である。

 同じ生徒同士、菜月の優秀さはどの学年にも響き渡っているらしく、菜月と当たるなら勝ち目はない、という言葉が頻繁に上がっている。

 それから、教師のなかでは賀上伸彦と椎名哲彌のふたりが要注意らしい。

 ふたりについてもある程度の知識はある。

 とくに伸彦は和人のクラスの担任ということになっているから、だいたいいつも冗談を言っている印象がある。

 しかし伸彦は強い。

 精霊石の扱いを学ぶ授業のとき、和人もそれは目にしている。

 正面からやり合っても勝ち目はない相手だが、もし戦うとしたらハンデがつくことになるから、勝利の可能性があるとしたらその一点だけだ。

 椎名哲彌に関しては座学と校舎ですれ違う程度の面識しかない。

 冷たさを感じるほど冷静で、なんとなく怖いような印象である。

 戦っているのを見たことはないが、強いのだろう、という気はする。

 すくなくとも生徒より弱いということはない。

 これも戦うならハンデを生かすしかないが、いまのところ、相手のハンデを有効利用する戦い方が浮かばないのも事実だった。

 注意すべきはこの三名だ。

 うち、教師ふたりはBブロックに入っているから、決勝で戦うとしてもそのうちのひとりである。

 しかし和人にはもうひとり警戒すべき相手がいる。


「なあ、青藍」


 と和人が耳打ちすると、青藍はびくりと身体を震わせた。


「な、なんだ、主か――驚かせるな」

「いやそんなつもりはなかったんだけど」

「そ、その、耳に息を吹きかけるのはよせ。ううっ」

「はあ? 変なやつだな……ま、いいけど」


 和人はすこし距離をとり、周囲には聞こえないように小声で続ける。


「おまえさ、戦ったら強いんだろ?」

「まあ、強いな」


 青藍は腕を組む。


「本気でやったら織笠よりも強いよな?」

「さて、織笠菜月の実力はよく知らぬが、負けることはあるまい」

「勝つなとはいわないけど、あんまり本気ではやるなよ。怪我は絶対にさせるな」

「もとよりそのつもりだが――」


 青藍は和人を見る。


「主は、我が織笠菜月に怪我をさせると思うか?」

「いや、その」


 和人はばつが悪そうにうつむく。

 頭をぽりぽりと掻き、青藍の顔を見て、素直に謝った。


「ごめん。悪かったよ。おまえを信頼してなかった」

「信頼はどうでもよい。ただ、我は主の意志でありその一部だ。主が望まぬことは、我も望まぬ。先ほど主は、おれが見るものを見ろと言ったが、我は主が感じることを感ずる。主が思うものを思う。それを主も理解すべきだ」

「――わかった。一心同体ってことだな」

「そういうことだ」

「じゃあ、まあ、楽しんでこい」

「うむ、わかった」


 青藍はこくりとうなずいた。

 そのとき、球技場内にアナウンスが響く。


「えー、生徒のみなさま、こんにちゅは」


 生徒たちがざわつく。

 噛んだな、噛んだぞ、噛んだわ、と異口同音の囁きが起こるなか、スピーカーから響く声は咳払いをして、


「生徒のみなさま、こんにちは」


 何事もなかったように言い直す声は、紛れもなく江戸前有希子の声である。

 和人はひとりため息をつき、そのあとで自分がため息をつくことはないのだとわかったが、それでもがっかりした気分が消えることはない。


「えー、ただいまから第十一回武道会を開催いたしますが、その前に学園長先生からの挨拶がありますので、全員表彰台の前に集まってください。繰り返します、全員表彰台の前まで――」


 表彰台はトーナメント表が張り出されている掲示板のすぐとなりにある。

 和人たちがその場から動かず待っていると、表彰台の上にひとりの男が現れた。

 老人である。

 しかし若い。

 スリーピースのスーツを着こなし、背筋をすっと伸ばして生徒たちを見下ろしている。

 顔を見れば老人とわかるが、身体は屈強であり、加齢の衰えはいささかも見えない。

 不破学園の創設者、南波喜一は皺の目立つ顔に、にぃ、と笑みを浮かべた。


「生徒諸君。昨日までの試験、ご苦労だった」


 マイクも通していないのに、球技場全体に響き渡るような低い声である。

 一目で、この男には特別な魅力があるとわかる。

 性質の良し悪しにかかわらず、こういう人間は他人を惹きつけてやまない。

 あれほど騒がしかった生徒も、男がしゃべり出した瞬間にはぴたりと黙っている。


「精霊使いとは、存外な力を持つものだ。普段、われわれはそれを最小限にまで抑えている。それはなぜかわかるかね――たとえば、そこの少年」


 南波喜一はぎらぎらと輝く目でひとりの生徒を見下ろした。

 ぼんやりと学園長を見上げていた和人は、不意にその視線が自分に向いたことに驚く。


「え、あ、おれですか」

「そう、きみだ。なぜ精霊使いは自らの力を解放しないのか?」

「それは……危ないからじゃないんですか。本気を出せば、普通には生活できない」

「そのとおり!」


 喜一は再び生徒全体を見下ろす。


「精霊使いが持てる力をすべて出せば、精霊使いではない人間たちが束になっても敵わぬ。そしてこの社会がなんの力も持たぬ人間たちを基準として作られている以上、われわれもその力を抑え、無力な人間を装わなければならない。出る杭は打たれる、というと話は単純だが、それは根深いものだ。一昔前まで、精霊使いは社会にとっての奇異だった。奇異とはすなわち排除されるものだ。社会を平静に保つため、精霊使いは排除されなければらん。われわれは排除されぬため、有力なる奇異から無力なる平凡へ化けた。しかし、ではなぜわれわれは精霊石を使うことができるのか? ただ社会から廃絶されるためにのみ存在しているのか? そんなはずはない。そんなはずはないのだ。いまはまだわからん。なぜわれわれは精霊使いなのか。しかしやがてそれがわかるときがくる。精霊使いが精霊使いとして生きる瞬間がやってくる。そのときのため、力を磨いておく必要がある」


 男はすこし言葉を切る。

 自らの台詞が生徒たちに浸透するのを待つ。


「諸君、存分に戦いたまえ! 力を抑えることもない、全力で戦いたまえ。傷つくことを畏れるな。傷つけることを畏れるな。諸君には精霊石がある。傷ならそれが癒してくれる。力ならそれが与えてくれる。諸君が持ち、磨き上げ、鍛え上げるものは意思だ。意思の鋭さは刃の鋭さに似る。必ずやそれは諸君の敵を打ち倒し、諸君を助けるだろう。では、武道会を楽しみたまえ」


 男は観衆を見渡した。

 演説に対する拍手を求めるような沈黙が降りたあと、だれかが最初に手を打ちはじめるまでの一瞬、球技場がまったくの静寂に包まれる。

 意図したのか、偶然か。

 その瞬間である。


「待て」


 決して張り上げられた声ではない。

 しかしよく通る。

 生徒たちは声の出所を探してあたりを見回すが、和人は正確にその場所を理解していた。

 球技場の入り口に女が立っている。

 一目見て、女が精霊使いではないとわかる。

 世間ではありふれているが、この学園には本来存在しない普通の人間――その女が堂々たる態度で百を超える精霊使いの前に立っている。


「貴殿の主張には異論がある」


 女は言った。

 生徒たちのざわつきは、これから起こる波乱を予感させた。


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