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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第二話
15/61

第二話 3

  3


 碁を打つ音だけが響いている。

 静寂のなか、ばしんと気持ちのいい音が鳴っては、また静寂へ戻っていく。

 その音は、存外に夜と合う。

 月が輝き星が瞬き、無音の劇を碁の音が引き締めている。

 しかし薄暗い部屋のなか、碁盤に向かっている影はひとつだった。

 右手が黒を打ち、左手が白で応戦している。

 棋譜を並べているのではないことは、ときに一手打つのに数十分粘っているところからも窺える。

 ここ数手は、あまり悩まずとんとんと進んでいた。

 盤を見れば、もうほとんどは埋まっていて、詰めの作業をしているらしい。

 黒白接戦で、数えてみなければ勝ちはわからないほどだった。

 碁打ちが幼い指先で目の数をひとつひとつ数えていく。

 と――。


「ただいま戻りました」


 襖が開く。

 若い女が膝を揃えて座っている。


「よく帰った。入れ」


 答えた碁打ちもまた、少女である。

 その丸い指先が目を数え終わるまで待ってから、女が部屋に入ってくる。


「邪魔をお許しください」

「いや、もう終わったところだ。ご苦労だったな」


 少女は振り返り、女を見る。

 その表情には年端もいかぬ少女らしくない、大きな慈しみのようなものが浮かんでいる。


「偵察はどうだったか」

「有意義でした」


 女が応える。


「ほう」


 と少女は目を細め、


「よい出来事があったようだな」

「おわかりですか」

「表情を隠すにはそれなりの訓練が必要だ。おまえは素直な顔をしている」

「お館さまには敵いませんね」

「お館、というのはよせ。そう呼んでいるのはおまえだけだ」

「どのように呼ぼうが自由だ、とおっしゃったのはお館さまですわ」

「それは、そうだが」


 少女は困った顔をする。


「おまえも大きくなったな」

「育ててくださったのはお館さまですもの」

「人間はだれに育てられずともひとりでに育つものだ。して、牧村和人の様子は確認できたか」

「はい。精霊石が暴走している様子もなく、身体のほうも患ってはいないようです」

「これからの作戦に支障はないのだな」

「おそらくは」

「では例の件はおまえに任せる。おのれで考え、よいと思うことをすればいい」

「はい」


 女は必要な報告を終え、立ち上がった。

 その際にふと碁盤を見る。

 一見ではどちらが勝ったのかわからない。

 少女はその視線に気づくと、ちいさく笑った。


「これが不思議か」

「おひとりで打たれたのでしょう」

「右手と、左手でな。どちらを勝たせる、というわけではない。お互いの思惑を完全に把握しながら、お互いにそれを潰すように、つまり最善の手を考え、動く。どちらの作戦も完全に決まってしまうことはない。しかしそれでも、どちらかが勝ち、どちらかが負けるのだ。いまでは、黒が勝った。なぜ黒が勝ったのか、なぜ白が負けたのか、それは私にもわからん。意思とはちがうところで、おそらく偶然が働いて、勝ったり負けたりするのだ」

「それは偶然ではなく運命でしょう」

「おまえほど若い言い回しはできないよ」


 少女はまるで老人のように笑って、しかしその笑顔は、無邪気な子どものそれなのだ。

 その異様な不一致が、むしろ笑顔に新たな魅力を添えている。


「運命という言葉はお館さまから教わったものですわ」

「おまえと私では、同じ言葉でも捉える意味がちがう。私の言う運命は、この世界を導くものだ。神そのものと言い換えてもいい。しかしおまえの運命は、そうではないだろう。これは、どちらが正しいというものではない。ただおまえの言う運命――素敵な偶然という考え方は、私も嫌いではない」

「お館さまにもあったんですか。そういう素敵な偶然は」


 女はすこし、親しい友人に見せるような無防備な表情を浮かべる。


「あったような気もするが」


 と少女のほうは煙に巻く。


「あるいは、これからあるのかもしれない」

「わたしは今日ありましたわ。本当に素敵な偶然が」

「それはよかったね。おまえたちの幸せが、いまでは私の幸せだ。明日のことも期待している」

「はい。お任せください」


 女は丁寧に頭を下げ、部屋を出ていく。

 ひとりになった少女はふとちいさな庭を見た。

 そこに生い茂る草木は、いまは暗闇が降り、すっかり隠れている。

 たとえば、その見えぬ草木が風に揺れる様子を見抜けたなら。

 碁の勝敗も見通せるだろう。

 世界を導く偉大な偶然、神の意志も見抜いたということだ。

 少女は並べた碁をひとつずつ碁笥に収めていく。


「もう一度、やるか。今度は白が勝つか、黒が勝つか」


 どちらかを勝たせるのではない。

 なりゆきで決まる勝利を見抜く。

 それは、最後の瞬間まで少女にもわからない。

 黒が不利だ、と見れば、なんとかして白を打ち崩すために考える。

 白としては有利を守るように動く。

 攻め、守り、罠を張り、回避する。

 それは神の所行にも似ている。

 だからこそ、そこに潜んでいる神を捕らえようとして、少女は何度も碁を打つ。

 静かな夜にまた軽快な音が響き出す――。


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