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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第二話
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第二話 0

  第二話


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 暗い夜が明けて、また新しい一日がはじまる。

 直坂八白は、冬ならばだいたい暗いうちに目を覚まし、夏でもまだ空気が夜の気配を孕んでいるころには起きている。

 なにしろ八白は寝起きが悪い。

 ベッドの上で目を覚ましてから、二十分ほどは名残惜しげにごろごろと寝返りを打つ。

 枕元に置いた目覚まし時計が次々に鳴り出すのも、


「うう……うるさい」


 とうめきながら止める。

 五分ほど寝て、はっと目を覚まして時計を見、まだ大丈夫だと枕に突っ伏すのを繰り返しながら、すこしずつ意識を覚醒させる。

 それがだいだい二十分かかる。

 やっとベッドから起き上がり、操られた死人のような足取りで部屋を出て、一階の洗面所で洗顔と歯磨きをする。

 このころ、まだ家族は起きていない。

 会社勤めの父親が起きるには早すぎるし、母親もそれに合わせて起きるから、八白はひとりで朝の支度を調え、トーストを焼き、かじり、テレビをぼんやり見ながら、そろそろ完全に意識を目覚めさせる。

 食器の後片付けが終わるころには眠気を振り切り、今日も一日がんばろう、という気になっていた。

 しかしうら若き女子高生の朝は、そこからが長い。

 髪を直したり顔を直したり、一片の隙もなくセーラー服を着こなしたり、とにかくすることが多い。

 そのセーラー服も夏服になっている。

 紺色が基調であることは冬服と変わりなく、ただ半袖になり、スカートの丈もほんのすこし短い。

 修道女のようだ、といわれたりもするが、八白はこの制服が気に入っている。

 理由はふたつある。

 ひとつは、単純にそのデザインがかわいらしいと思うこと。

 もうひとつは、数年前、不破学園に入学したとき、はじめて制服を着た姿をかわいいとほめてくれた相手がいたこと。

 あるいはその言葉をかけてくれた瞬間から、八白はその相手を特別に思いはじめたのかもしれない。

 不破学園の生徒になること、つまりその制服を着ることは、決してみんなに歓迎されることではなかった。

 自分自身、いやな気持ちだった。

 学校も転校することになるし、いままで仲のよかった友だちも、八白がそのセーラー服を着るとまるで腫れ物に触るようにぎこちなくなった。

 変わらずにいてくれたのはひとりだけだ。

 それがどんなに救いだったか。

 ただひとりでも変わらずそばにいてくれることが、どんなに心強かったか。

 おまけに、


「その制服、かわいいな。よく似合ってるよ」


 とまで言われては、これはもう、惚れずにはいられない。

 もっとも、八白の両親から言わせれば、その前からベタ惚れだったじゃねえか、ということらしいが、八白としてはそんな昔のことは知ったことではない。

 その相手を意識しはじめたのはあのときからなのだ。

 八白は夏服を着た自分を鏡に映し、スカートの裾は大丈夫か、襟は折れていないか、髪は跳ねていないか、指さし確認をする。


「……でもよく考えてみれば、あれって制服をかわいいって褒めただけで、わたしは別になんとも言われてないような……?」


 数年越しの壮大な勘違いに気づきかけた八白は、鏡に映った時計を見て、慌てて鞄を持つ。

 階段を駆け下りるころには、鏡の前で考えたことも忘れていた。


「い、行ってきますっ!」


 まだ寝ている両親に向かって叫んで、家を出る。

 そのまま路地を駆け出し学校へ――は、向かわない。

 まず左右を確認して車の通りがないことを確認し、路地を横断する。

 そのまま真向かいの家の呼び鈴を鳴らすことも、最近は緊張しなくなってきた。

 というのも、その呼び鈴で家主が出てくることは、まずない。

 以前は八白と同じか、それ以上に早起きだったが、近ごろはいろいろと疲れているらしく、この時間はまだ布団のなかにいるはずだった。

 お決まりのように三度呼び鈴を鳴らし、そのあいだ深呼吸をして緊張を緩め、預かっている合い鍵を使ってなかに入る。


「牧村くーん、おはよー」


 声はちいさい。

 なにしろ家主を起こしてはまずい。

 その家主を起こすために毎朝きている八白ではあるが、順序がある。

 まずは抜き足差し足で二階の部屋まで辿り着き、無邪気で無防備な寝顔をしばらく観察してから起こす、というのがその順序である。

 八白は静まり返った家のなかを行く。

 この家の階段は、まん中を歩くと軋む。

 あえて右端を選んで上るとほとんど音を立てずに二階へたどり着ける。

 部屋の扉にもそうした特徴があり、普通に開けるより、すこし扉を浮かせるようにして開けると音がしない。

 その手順を完璧にこなす八白は、さながら熟練した忍者のようである。

 設置された罠はすべて解除した。

 残すはご褒美であり、八白は毎朝のことではあるが、どきどきしながらベッドに近づく。

 ご褒美はすやすや眠っていた。

 牧村和人である。

 仰向けになって目を閉じ、穏やかに寝息を立てている。

 牧村和人は寝相がいい。

 夜中のうちもほとんど寝返りを打たないのか、髪もほとんど乱れていない。

 寝ぐせの矯正に多大な時間を割く八白としては、すこしうらやましい。

 その穏やかな寝顔を見るのが、早起きが苦手な八白が一度も寝坊せずにいられる唯一の理由だった。

 こうなる以前は家の前で顔を合わせることが唯一の理由だったが、大差はない。

 一日のはじまりに牧村和人の顔を見る、というのが重要である。

 八白はベッドの横に腰を下ろし、にこにこ、いや、にやにやしながら和人の寝顔を見る。

 怪しいことこの上ない。

 しかしどうせだれも見ていないこと。

 遠慮するほうが愚かである。

 ベッドに頬杖をつき、起きているときには考えられない至近距離で和人の顔を見ているうち、にやにやしていた八白の表情が、呆けたようなぼんやりしたものに変わる。

 頬どころか耳まで赤らめ、うつけのようにぼうっとしているのは、やはり怪しいことこの上ない。

 それでいて、色気のようなものを感じさせる表情でもある。

 しばし楽しい空想にふけった八白はわれに返って、時計を確認する。

 まだもうすこし寝顔を見ていられる時間だった。

 すこし体勢を変えようとした八白の目に、ベッドからはみ出した白い腕が見える。

 しょうがないなあ、と内心では喜びながら、その腕を布団のなかに戻してやったとき、ふと、脳裏にひらめいた。

 和人の腕にしては細すぎるし、なにより肌が白すぎる――。

 はっとして布団を剥いだ瞬間、八白は衝撃に打ちのめされ、よろめいた。


「ん、んん……?」


 やっと和人も目を覚ましたらしい。

 もそもそと動き、起き上がろうとして、寝起きとは思えない声で絶叫する。


「お、おまえっ!」

「む……」


 和人とはちがうものが丸まった布団のなかで蠢く。

 それがひょっこり顔を出したとき、八白は叫んでいた。


「ま、牧村くんのばかあ! へへへへんたいっ」

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