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青の奇跡  作者: 藤崎悠貴
第一話
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第一話 9

  9


 爆弾テロ事件を受けて、不破山の山頂一帯は立ち入り禁止になっている。

 野次馬やマスコミが詰めかけている様子はテレビで見ていたから、日が暮れ、警察も帰ったはずの時間帯を狙って和人は家を出た。

 一昨日はバスで上った山道を、ひたすら歩く。

 不破山の中腹にある不破学園までは比較的近かったが、そこから頂上までが遠い。

 和人は街灯もない山道を黙々と登った。

 ほとんどなにも見えない暗闇だが、不思議と和人には道の様子も、ガードレールの位置もわかっていた。

 見えているというよりは、感じるのだ。

 目を瞑っていてもどこになにがあるのかがわかる。

 それは経験したことのない不思議な感覚だったが、精霊石を身につけているせいだろうという予想はできた。

 精霊石の使い方はよくわからないものの、うまくすれば身体能力が飛躍的に向上することは知っている。

 おそらく身につけるだけでもある程度の効果があるのだ。

 山道を登った疲れも、普段に比べればほとんど感じない。

 やがて三角のコーンで道が封鎖された場所まできた。

 あたりにはだれもおらず、光もない。

 コーンのあいだをすり抜けてなかに入ることに抵抗はなかった。

 そこからすこし歩くと、駐車場に出る。

 だれもいないが、いくつかの照明がついていた。

 さらに離れたところには、まだ撤去されていない瓦礫の山がある。

 和人はそれに近づいた。

 さすがにもう死体はない。

 瓦礫に残っているはずの血痕も、この暗さでは見えなかった。

 和人は瓦礫をよじ登り、いちばん高い場所に腰を下ろした。

 そこからは町が見える。

 きらきらと輝く、美しい町だ。

 実際にはさほど栄えてもいない、見応えのある風景などひとつもない町も、ただの光になれば、こんなにも美しい。

 感動より、悲しさが先にこみ上げてくる。

 どうしようもなく物悲しく、和人は膝を抱えた。

 空を見上げれば、漆黒の夜に、月だけが浮かんでいる。

 それもあまりに寂しい。


「こんなとこにいたのかよ」


 若い男の声である。

 はっとして和人は振り返った。

 声が、鈴山恵介に似ている気がした。

 駐車場の照明を背負って立つ背格好もよく似ている。

 しかし恵介でないことはすぐにわかった。

 顔はわからずとも、肌で感じる。

 男は精霊石を持っている。


「ガキがあんまりうろちょろすんじゃねえよ。家やら学校やら探し回っただろうが」

「だれだよ、あんた」

「名乗ってもてめえが知ってるとは思えねえ。石、持ってるんだろ。おとなしく渡せば、なんにもしねえよ」

「やっぱりここを襲ったやつらの仲間か」


 和人は立ち上がる。

 薄い唇を歪め、かすかに笑っている。


「この石を狙ってるなら、またここへくると思ったよ」

「てめえがこんなとこにいるからだろうが。家でやってもよかったんだぜ」

「家はだめだ。まわりに迷惑がかかる」

「つまり、おとなしく石を渡す気はねえってことだな?」


 背筋に冷たいものを感じて、和人は思わずたじろいだ。

 それが男の放つ殺気なのだ。

 普段は感じられない気配や、そこに含まれる意思のようなものが、精霊石を身につけることによって感じられるようになっている。

 いつの間にか、男の手にはナイフのような短い刃物が握られていた。

 距離は二十メートルもない。

 和人はなんの武器も持っていなかった。

 精霊石を使って戦うといっても、その方法も知らない。

 焦るな、と和人は自分に言い聞かせた。

 けんかと同じだ。油断さえしなければいい。

 男が消えた。

 上だ。

 十メートル以上跳躍し、和人に襲いかかる。

 闇に刃物がひらめく。

 間一髪でしゃがんでいた。

 頭のすぐ上を刃物が過ぎ、男はまた距離をとる。


「危なかった――」


 もう一瞬反応が遅れていたら、首を切られていた。

 相手を捉えるひまもない速度である。

 いままで経験してきたけんかとはちがうのだと、その一撃で和人は思い知った。

 男が走る。

 瓦礫を迂回して背後に回られる。

 やはり首もとを狙った一撃。

 左へ飛んでかわしたが、瓦礫に足をとられ、体勢を崩す。

 そこに男が覆い被さった。


「ぐぅ――」


 呻き声が洩れた。

 和人は地面を転がってなんとか逃げる。

 腹をえぐるために動いた刃物を、手で止めるのが精いっぱいだった。

 左手が熱く、痛みとも熱ともつかない感覚が押し寄せてくる。


「はっ、はっ、はっ」


 和人が怪我をした左手に目を向けた一瞬だった。


「よそ見はだめだろうよ」


 数センチ先に男が現れ、腹を蹴られる。

 和人は五メートルほど飛んで、地面を転がった。

 人間の脚力ではない。

 まるで車に跳ね飛ばされたような衝撃である。

 しかし受ける和人もすでに常人離れした肉体を手にしている。

 腹を押さえ、すぐさま起き上がって男を見た。

 見失えば二度と目には止まらない速度なら、男から目を離さなければいい――。

 和人は駐車場に立つ街灯の真下に陣取り、男は闇に紛れる。

 精霊石で強化された感覚をもってすれば、光など不要だった。

 男の位置はわかる。

 それに対し、真正面に構える。

 膠着になる。

 武器もない和人からは動けず、後の先をとるしかない。

 右か、左か?

 正面だった。

 直線に突っ込んでくるが、速度はそれほどでもない。

 充分に見切れると踏んだ和人は、和人は紙一重でかわしてそのまま腕をとることにした。

 目には見えずとも、身体では感じている――し損じるはずがない、と、笑みさえ浮かべ、待ち受ける。


「おいおい、ふざけてんのかよ」


 声は背後から聞こえた。

 振り返ることはできなかった。

 そのまま後ろから首を押さえられ、地面に叩きつけられる。

 馬乗りになった男は自ら投げたナイフをつかみ取り、改めて和人の首筋にあてがった。


「そのへんのチンピラじゃねえんだからよ。それじゃあ、無理だろう」


 男はまずナイフを投げ、和人がそれに気を取られている隙をついて背後へ回り込んだのだ。

 和人は自由な手足を動かしたが、背中に乗っている男には届かない。

 男のほうは指をすこし動かすだけで和人を殺せる体勢だった。

 逆転のしようがない――和人はそのとき、死を覚悟した。

 それでもいい、という気がしていた。

 どうせ生きている意味などどこにもないのだ。

 ここで死ぬというなら、それが運命なのだろうと安易に死を受け入れた。

 精霊石から、声とも意識ともつかない不思議な呼びかけがあったのはそのときだった。

 和人の精霊石は、死ぬな、と強く主張した。

 しかし助かる道もない。

 それなら我に代われと、精霊石が訴えかけた瞬間である。

 和人を完全に封じ込めていたはずの男が、怯えた様子で飛び退いた。

 そのまま充分に距離をとる。


「なんだあ……それは」


 和人はゆっくり立ち上がった。

 目つきは刃物のように鋭い。

 見るものを射貫き、射殺しさえできるほどの殺意を放っている。

 いまや和人の身体を操っているのは精霊石の意思だった。


「本気を出したってことかい」


 男は暗闇のなかでへらへらと笑い、跳んだ。

 頭上から何本もの刃物が降り注ぐ。

 和人はすっと手を上げた。

 美しい西洋剣が握られている。

 その白銀に輝く刀身が、くるんと円を描いた。

 金属がぶつかり合う耳障りな高音が響く。

 投げられたナイフはすべて払い落とされ、逆に和人が跳躍している。

 男はまだ空中にいた。

 ほんの一瞬の交差。

 和人は着地し、涼しい顔で剣を軽く振る――いまごろ腕馴らしをしているらしい。

 男もまた無傷である。

 すべての武器を手放すような真似はせず、かろうじて空中の交差もナイフで防いだのだ。


「いままでのは演技かい? ばかにしやがって」


 いまや立場は逆転している。

 街灯の下に立つのは襲撃者であり、和人は闇に紛れている。

 明かりに照らされれば、男も存外に若い。

 額には汗が浮かび、眼球は機敏に動きまわっている。

 和人にはその眼球の動きが、あるいは腕の筋肉の動きが見えている。

 ふたりが動いた。

 先を取ったのは和人である。

 まっすぐ上へ跳んでいる。

 男も視線を上げている――が、


「ぐっ……」


 男の腹から美しい剣が生えていた。

 ほとんど柄まで入り込み、刀身の半分以上は背中へ貫通している。

 男は膝を突いた。


「服で目くらましか――」


 見れば、剣と男の身体のあいだに、黒いシャツが挟まっている。

 暗闇と同化するその服が刀身の輝きを消したのだ。

 ただ目くらましのためだけに跳躍した和人がゆっくり男に近づく。

 明かりで照らされた顔には、いかなる表情もない。

 ただ男を見下ろす。


「そのへんのチンピラじゃあるまい、だったか」


 和人は言った。


「所詮は捨て駒。我に挑むことすらおこがましいと思え」

「があっ」


 和人は無慈悲に剣を引き抜いた。

 男の身体を貫き、事実、男の腹から下は出血で染まっているが、その剣には汚れひとつない。

 美しい白銀のまま、芸術的な佇まいを決して崩さなかった。

 その圧倒的な美には、敵対している男でさえ、自らにとどめを刺そうとしている刃を見上げてしまうほどだった。

 いまの和人にはためらいなどなかった。

 昨日、ここでふたりの男を殺したときと同じように、無造作に腕を振り下ろす。

 鮮血とともに男の首が転がるはずだった。


「……なんのつもりだよ」


 男の首を切り落とす手前で、剣は止まっている。

 小刻みに震え、それ以上振り下ろすことを拒んでいるようだった。


「いやだ――もう殺したくないんだ」


 先ほどまでとは明らかにちがう、どこか子どもじみた口調である。


「やめろ、これ以上殺したくない。おれの身体だ。勝手に使って人殺ししてんじゃねえ!」


 白銀の剣が、すうっと光のなかに消えていく。

 和人は後方へよろめいた。

 手負いといえど、男がその隙を逃すはずがない。

 さきに和人へ向けて投げつけたナイフの一本を拾い上げ、息もつかせぬ間に駆け寄る。


「石をよこせ」


 脂汗が滲んだ顔を寄せ、男は言った。

 和人は一瞬抵抗を見せる。


「やめとけよ。さっきおれを殺さなかったのが失敗だったな」

「お、おれは、もうだれも殺したくないんだ」

「その代わりにてめえが死ぬってか。それならなおさら、あの石を手放せ。てめえは石に使われてんだよ。あのままじゃまただれか殺すぜ。――もう一度言う。ここで死ぬか、石を渡すか、選べ」

「もうひとつの選択肢というのも、あるんじゃないか?」


 第三の声だった。

 和人と男は同時に身構えたが、男のほうはその体勢からぴくりとも動かない。

 動けないのだ。

 男の首筋に、いつの間にか、三つの刃物が押し当てられている。

 すこしでも動けば容赦なく皮膚を裂き、動脈まで切断するだろう。

 また和人も、男がナイフを退けない以上、動けない。


「ここはお互いに退く、というのが理想的な選択だと思うがね」


 男の背後に三つの人影が現れている。

 ひとりは長身痩躯の男で、眼鏡をかけている。

 ひとりは中肉中背の男。しゃべっているのはこの男で、場違いな笑みを浮かべている。

 最後のひとりは和人と同じ年頃の少女だった。

 三人とも男をにらみ、剣先をぴくりともさせず、男の首筋を狙っている。


「おれがこのガキを殺して、てめえらも殺すって手もあるぜ」


 男は引きつった笑みを浮かべる。


「それは無理だね。きみの目的は彼の殺害ではなく精霊石の奪取だろう。彼を殺した時点で、ぼくたちはきみを殺す。結局精霊石は手に入らないまま無駄死にさ。そしてぼくたちにはいますぐきみを殺し、彼を守るという選択肢もある」

「うわさの特殊部隊か、てめえら」

「残念、ただの教師だよ。ま、ひとり学生も混じってるけど」

「おれを生かして、どうするつもりだ」

「きみは死ぬには若すぎる。それだけだ」


 一瞬の静寂のあと、


「ちっ」


 と舌打ちひとつ残して、男の姿が消えた。

 首筋に押し当てられていたナイフの感触が消え、安堵のあまり和人はその場に座り込んだ。

 三人の乱入者は、どうやら敵ではないらしい。

 しかし和人は三人の持つ精霊石の気配を感じ取っている。

 それぞれ武器を収めても、どこに精霊石を身につけているのか、すぐにわかった。


「大丈夫かい、牧村和人くん」


 男のひとりが手を差し伸べる。

 和人は、おずおずとその手を掴んだ。


「怪我はないようだね。いやあ、間に合ってよかったよかった。ぎりぎりだったねえ」

「あの、あなたたちは」

「ぼくは賀上伸彦。不破学園で教師をしてる。こっちの眼鏡は、椎名哲彌先生だ。顔は怖いけど、実はやさしい」

「余計なことは言わんでいい」


 と眼鏡の男。

 賀上伸彦は和人の耳に口を寄せて、


「照れてるんだよ、あれ」

「は、はあ」

「それから、こっちの美少女が織笠菜月くん。見てのとおり宇宙一の超絶美少女だし、頭もすごくよくてね、おまけに性格ときたら強きものを挫き弱きものを助ける正義の味方みたいなもので」

「先生、ほんとに一回、殴ってもいいですか?」

「精霊石を使って殴られたら首が飛んじゃうよ」

「だから殴りたいんですけど」

「とまあ、こういうユニークなところもあるのが織笠くんのいいところだね」


 織笠菜月の表情は至って真剣で、ユニークには見えなかったが、引きつった和人の顔が笑ったように思われたのか、すぐ菜月ににらまれた。

 菜月はたしかに美少女といってもいい容姿で、整っているせいか、にらむと怖い。


「あ、あの、助けてもらって、ありがとうございました」

「いや、なんのなんの。同じ精霊石を使える者同士、仲間みたいなものだからね。ま、なかにはさっきの子みたいに悪用しているのもいるけど。ところで牧村くん。さっき、どうして精霊石を使わなかったんだい」

「それは――」


 使ったら相手を殺してしまうから、とは、出会ったばかりの他人には打ち明けられない。


「使い方を、よく知らないんです。持っていれば身体は動くけど、それ以上は」

「ふうん、そうかい」


 完全に信用した様子ではない伸彦の声色だった。

 しかし和人のほうも、それ以上言う気はない。

 そうでなくても一度暴走を起こし、殺しかけたのだ。

 あの場面を見ていないのなら、それはこのやさしそうな三人には知られたくなかった。


「じゃあ、うちにくるかい、牧村くん」


 伸彦は思いがけない提案をして、安心させるように笑った。


「うち、って」

「不破学園さ。きみと同じ、精霊石に適性がある子どもがいろんなことを学ぶ場所だよ。精霊石の使い方も、もちろん習う。きみはまだ精霊石が使えるようになって浅いようだから、学園で使い方を勉強したほうがいい」

「でも、おれは別に精霊石を使えるようになりたいわけじゃ」

「自衛のためには必要だろう」


 眼鏡の男、椎名哲彌が静かに言った。


「今回もおれたちが間に合わなければ、おまえは死んでいたぞ」

「でも……」

「精霊石が使える以上、普通の学校には通いづらいでしょう」と菜月も言った。「その点、学園は精霊石に適性がある人間ばっかりだから、楽よ。まあ、変な先生はいっぱいいるけど。とくにこのひととか」

「はっはっは、言われてますよ、椎名先生」

「おれか? 織笠が見たのは本当におれだったか?」

「学園にくるかどうか選ぶのはあなただけど、もし学園の生徒になるなら、歓迎するわ」


 菜月はやわらかく笑う。

 にらむと怖いが、笑うとどこか幼く、少女らしさが際立った。

 以前の学校には、もう通えない。

 和人もそれはわかっていたが、学園に通うという選択肢は、いままで考えたことがなかった。

 精霊石に適性を持つ子どもだけが通える学校――自分の身を守るためには、精霊石をうまく使いこなす必要がある。

 それに、学園にはよく知った人間も通っている。

 和人は三人を見渡し、うなずいた。

 それは和人が、自らの運命から逃げずに戦うという決意を固めた瞬間でもあったのだ。


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