霧を止める者の騎士 7
少し前だ。
リオはパソコンに集中していた。
空間の開ける隙間を無くすプログラムはうち終わり、キョウ側の空間輸送システムにデータを送る。
画面には送信中に変わり、ひとまず帰る準備は整った。
次は閉める作業だ。
リオは席を離れ、ユキナが先ほど使っていたノートパソコンの画面を覗き込む。
止めるためのプログラムを、デスクトップの方に送信しようとして、途中で作業が止まっていた。
「ユキナ! このままデータを送って大丈夫?」
ユキナは霧を相手しながら大声で答える。
「あぁ、閉めるのに必要なはずだ、そのまま送ってくれ」
「解った。………っと、これは電源を完全に絶つものね。やはりこちらの空間輸送システムは、再起動できないか」
リオはリズム良く、キーボードを叩き続ける。そこで、ユキナの逃した霧がリオに近付いた。
「マズイ! リオ! 意し………」
「邪魔っ! これはあなたたちの為でもあるの!」
ユキナが注意を促す前に、リオは霧に話し掛けながら、霧を手で払った。もちろん霧には変化はないが、霧はリオの横を通り抜ける。
「リオ、お前………」
ユキナは「そこまで考えていたのか?」と言う台詞を飲み込んだ。
リオに聞いて、霧が六次元の生物だと、ユキナにも理解できた。しかし、霧によって、どちらの世界にも多くの被害が出ているので、誰もが霧は敵と見なすが、開けたのはこちらの世界だ。
言わば霧も被害者に当たる。
リオは勢い良くエンターを叩いた。
「ユキナ、終わった! 後五分ぐらい持ちそう?」
「あぁ、後五分なら時間は持つ。充電も三割り行けるだろう」
三割あればギリギリ開く。
「よし、じゃ、今から閉める準備を行う!」
リオは宣言してから作業に入る。作業とは言っても、ここからは待ち時間が多い。
ノートパソコンの送信を終わるのを待ち、キョウ側の空間輸送システムに、データを送るのを待つ。
そこからはパスワードが必要となる。
さきほどより、上から、人々のなだれ込む音や、キョウと誰かの話し声が聞こえる。
あまりよろしくない状況なのはわかっている。気持ちが焦るが、焦ってミスすることの方が怖い。
リオは歯を食いしばっていた。
万が一があり、リオが帰れなくなっても仕方がない。その覚悟は元々あった。しかし、上はキョウ一人だ。大人数に攻めてこられれば、彼の命は無い。
「早く! お願い、早く送って!」
リオは祈るようにディスプレイを見つめた。
上では激しい音と声が起こり出す。
「まだかリオ!」
「後95%! 96、97、98、………来た! 止めるためのデータは送信完了。後はキョウ側のデータだけ。そちらも、えっと、………88% 行ける、もうすぐ! 今から閉める為のプログラムを立ち上げる準備をするわ!」
リオは何度もモニターを見に走りながら、キーボードを再び叩いていく。
キョウもう少しだから頑張って。
リオは心の中で祈るしかできない。
キョウはどの道、危なくなっても逃げないだろう。それが心配で、近くにいたくて、それでもやらなくてはいけなくて。
リオは涙で霞む視界を、何度も指でぬぐい、モニターを見続ける。
95、96、97、98………。
「ユキナ、来た。送信終わった! 次、いよいよ閉じるよ!」
「頼む、こちらもそろそろ辛い!」
霧の溢れ出すペースに、徐々にユキナもついて行かなくなる。
「うん! パスワード行くよ!」
リオは最後だと、涙を拭い去ると、覚悟を決めた。
手の指を、ワキワキと動かしてから、キーボードを打ち込む。
「ウサギの穴」
エンター。
エラー。
「違う! ユキナ後は何がある?」
「題名はどうだ?」
「不思議の国のアリス」
エンター。
エラー。
「ダメ! ほか!」
「ちっ、後、何か有名なものは、………クソっ、思いつかない!」
霧を相手しながらなので、ユキナの思考力が下がっている。リオはあごの下に手を置き、少しだけ悩んで頷いた。
「止めるだから、最後の結末かな? だったら――――ゆめ」
「あぁ、夢か!」
「ゆめ、っと………………、ユキナ行くよ!!」
「いっ、良いのか、キョウに声を掛けなくて?」
ユキナは息を切らしながら答える。
リオは目を瞑り頷いた。
本当は不安で、今すぐ会いたい。
怒った顔や、真剣な顔。私を見ていてくれていた、あの笑顔をもう一度見たい!
だからだ、必ずキョウは私を助けてくれる。私は自分の騎士を信じる!
リオは目を見開いた。
「キョウは私の騎士よ、なめないで! 必ず私を戻してくれるわ!」
リオは迷いなくエンターを押した。
何の音もなく、突然今まで大穴が空いていた場所に天井が現れた。
入り口付近で霧を相手していたユキナも、驚き目を見開く。
「………閉じたのか?」
リオはキーボードから手を離し、椅子から立ち上がった。
「成功よ、ユキナ。――――私達の勝利よ!」
「やったな! リオ、お前、凄いぞ! 凄いぞ!」
ユキナは歓喜を上げながら、残りの霧を斬り裂いていく。
目の前には、自分の世界の扉。
三ヶ月前に出てきた扉だ。
そして、空間が戻ったことにより、途中の道のりで亡くなった者も扉の前に集められた。
数は十人だけで、他の者は空間から投げ出されたのだろう。死体も残らなかった。
寂しく思うが、それでも帰ってきたことがうれしい。
リオは力が抜けたように、再び椅子に座りこんだ。
「――――キョウ、お願いね。私をあなたの元に戻してね」
ユキナに聞こえないように、小声でつぶやく。
すべての霧は倒し終え、ユキナはリオの元にやってくる。
「リオ、もし、もしだぞ、キョウがダメだったら、私が何とかするからな」
リオは椅子から立ち上がった。
「もしは無いの。それよりユキナ、色々と貰って行くね」
わざと元気な声を上げ、リオは辺りを物色を始める。
ユキナは感心したようにリオを眺めた。
さすがだ。この状態で次に頭が行っている。戻ることは当たり前の前提で、その次の事の準備だ。
「好きな物を持って行け。だが、十秒だぞ、あまり欲張るな」
「解っている。ユキナ、このパソコン持って帰れない?」
「あぁ、固定式は無理だな。ノートパソコンならいくつかあるから持って行け。それに、これ。キョウの奴よろこぶぞ」
二人はリオが持って帰るものを集めて、部屋の一番前で開く時を待った。
リオの計算した設定なら、空間が開くのはこの壁際で、今いる目の前のはずだ。
しかし、短い時間が長く感じ、いつまで経っても開く気配がない。
――――大丈夫。
リオは心の中で何度もつぶやく。
ユキナにしては、もうあきらめが入っている。
「リオ………そのな、もうキョウは………」
「ユキナ信じて、キョウは大丈夫、――――ほらっ」
空間を裂く、甲高い耳障りな音を立て、目の前にリオの世界が現れた。
「ねっ、言った通りでしょ?」
得意げにしているリオをユキナは急がせた。
「なに悠長な事を言っている。ほら、早く! 荷物は渡すからとにかく出ろ! ――――境界面には触るなよ!」
リオはユキナに急かされ、境界面をぴょんと飛び越えた。
キョウ達の方ではざわめきが起こる。
キョウが鉄板をはがし、スイッチを押した瞬間に、リオが現れた。それも子供だ。
見ている者は誰も意味が解らない。
閉じて、また開けたのだから。
「ユキナ早く! 早く!」
「解っている。――――ほらこれ」
キョウはセリオンの剣を携えたまま、リオの元にやってくる。
その姿を見て、リオは少しだけ怒った顔をしてから、うれし涙を流した。
「もぅ、」
どうせ、無茶をしたのだろう。キョウは傷だらけ、おまけに剣まで変わっている。
「リオ! いちゃつくのは後! 先に荷物だ!」
「いちゃついてない!」
ユキナの急がす声に、リオは文句を言いながら荷物を受け取る。
こちらを眺め、固まっていている人々と、あまりにも温度差が違う。
「ほら、キョウ。お前にだ」
ユキナがキョウに、鉄の棒を五本渡す。空間が閉じたことにより、死体が戻ってきて、何本か手に入ったのである。
「これ、良いのか?」
「あぁ、こちらにもまだある。それぐらい良いだろう」
荷物の受け渡しが終わり、キョウとリオはユキナを見る。時間は残りわずか。
「ユキナ、ありがとね」
リオの挨拶は簡単だった。
「それは、こっちのセリフだ」
「ユキナ、これで多くの人が助かる。ありがとう」
「私のじゃ無いから礼はいい」
三人は目線を交わす。
もう時間だ。
「じゃ、ユキナまたね」
「あぁ、またな、リオ。キョウ」
お互いに手を振り、再び空間の穴は、音もなく消え失せた。
周りの人々はまだ固まったままだ。
そして、リオはその人々を見た。
人々は佇んだまま動けない。
キョウは、リオの後ろで胸を張る。
リオは息を吸い込んだ。
「――――霧は止まりました。もう、二度と現れることは無いでしょう」
法国の兵士や、イップ王女の護衛の者。全ての者が信じられないように、お互いの顔を見合わせ、再びリオを見た。
この中でリオを知っている者は数名だろう。子供の言う事が信じられない。その事を感じたイップ王女は、リオの前へ出ると、片膝を付き頭を垂れた。
イップ王女は、どこかすっきりしていた。キョウに告白した時、自分の気持ちが解った。少し遅いが、イップ王女はセリオンと共に居たかった。その気持ちが大きかった。それは、素直な気持ちだった。
だから、リオの凄さも素直に認めようとしたのだ。
その様子に、セリオンも従う。
王女がしているのだ、護衛の騎士も、マグナも一度だけ眉をひそめたが、それにならう。
周りからはざわめきが起こった。その中をローランドが前にやってくる。
「そなたがリオ姫様か、レナに聞いておる。霧を本当に止めたのか?」
リオはローランド第一皇太子を知らない。次期法王だと言うことも。
だから、簡単に答えた。
「そう。私が止めたから大丈夫!!」
ローランドは「おぉ!」と歓喜を上げた。
レナ姫の言っていたことは本当だったのだ。
ローランドは兵士達を振り向くと、大声を上げた。
「これから、二度とこの霧を止めし者、リオ姫に剣を向けることは、法国オスティマ本国、第一皇太子ローランド・オティアニアが許さん! 如何なる時でも、王国ファスマのリオ姫に手を出すものは、法国の敵と見なす! 者共、肝に銘じておけ!」
そのセリフに皆の者は「はっ!」と声を合わせる。
その様子に頷いたローランドは、顔を戻し、リオを見ると、イップ王女と同じく、片膝を付き頭を垂れる。
法国の次期法王が頭を下げているのだ、他の者は従わなければ成らない。
四百人以上の人々が、一斉に片膝を付き頭を垂れた。
リオとキョウは少し焦っていた。
本人たちは、霧を止めた報告するため話しているだけで、どうやら相手は法国の偉いさんらしい。しかも、なぜかリオは王国ファスマの姫になっている。
リオは間違いを正した方がいいのか、キョウを見て確認する。キョウはこのまま行けと頷いた。
リオは「おっほん」と偉そうに咳払いをしてから、話を進める。
「だから、国に帰ったら、みんなに伝えて。もう、霧の無い時代が来たと!」
誰からか解らないが、「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」と歓喜が上がり、周りも一斉に騒ぎ出す。
リオはイップ王女の前に座り込んだ。
「イップ王女、これからが大変よ。王国ファスマ再建国してね」
それはリオが遣りたい内の一つだ。しかし、再建国となると、リオには不可能になる。それには、膨大なお金や、カリスマ的存在は必要だからだ。
だから、これはイップ王女にしか出来ないこと。
イップ王女は、真剣にリオの瞳を見つめた。
リオはその様子に、なんだか嫌な予感がした。
「リオ、妾にも限界はある。妾だけでは、それはかなわん。助けが要る」
イップ王女の次のセリフが解ったのか、やっぱりかとリオは顔をしかめた。
「手伝え、――――王国ファスマのリオ姫」
「待って、誤解よ! 私は王国ファスマの姫とは言っていない! 多分、法国のレナ姫が勝手に言っているだけ」
「だが、その法国がお主を、王国ファスマのリオ姫を認めておる。申し分ないであろう」
確かにこれから、リオの遣りたいことには、そちらの方が都合はいい。リオは勝手にこの城に居座ろうと考えていたから。
「うっ、うん。ただし、姫はなし。私はそんなのじゃ無いから」
「いかん! 法国のローランド皇太子の言葉が偽りになる。それは今後の外交問題に発展する」
「うっ、」とリオは言葉に詰まり考えた。
ローランドが先ほど述べた身分は、次期法王という事だろう。そんな者に片膝を付かせたのだ、いまさら違うとも言いにくい。
「………わかった。ただし、肩書だけね。期待はしないで」
「かまわん」と頷くイップ王女に、護衛の騎士たちは戸惑い、意味の解ったセリオンとマグナはかすかに笑った。
キョウにもイップ王女の考えが読めた。
霧を止めたことをここまでの人数が知ったのだ。世間にすぐに知れ渡るだろう。だから、リオを旗にして再建国を目指すのである。
この国には霧を止めた者が居ると言えば、それだけで人が集まる。
まったく、イップ王女も侮れない。
リオは溜息を吐き、立ち上がると、やっとキョウの前にやってきた。
キョウは少しさびしく思う。
こうやって、リオはどこまでも成長していく。そして、今みたいにキョウに気遣う時間は、最後になるだろう。
それでも構わない。
俺は、騎士だから。
自分の姫を守るのは当たり前の事だから。
キョウは片膝を付き、右腕を胸に当てて、頭を垂れる、騎士の取る最高礼を取った。
「キョウ、ありがとう!」
「リオ姫、頑張ったな。――――リオは俺の自慢の姫だ」
キョウのセリフに、リオは突然抱きつき泣き出す。
本当は不安だった。キョウがいたから無茶が出来た。
だからこれはご褒美だ。
キョウが始めて貰ったご褒美は、幼い姫からのキスだった。