霧を止める者の騎士 4
セリオンはキョウの前で立ち止まった。
バスターソードよりも、一回りも大きな大剣を振り回すわりには細身で、身長も百七十センチほどだろう。
腕はキョウより太いが、ずば抜けて太い訳でもない。標準より少し太いくらいだ。しかし、その体でここまでの大剣を振り回すなら、筋肉でなく技術で振り回しているのだろうか。そうとすれば、恐ろしいほどの剣技だ。
後ろにはイップ王女が、数人の騎士とマグナに囲まれ、守られながらやってくる。
キョウはその光景を見つめたまま動けなかった。
二百名の兵士に囲まれるよりも、命の覚悟を迫られている。
その者が目の前にいるだけなのに、喉が乾く。
セリオンはキョウに頷いた。
キョウは、ただ睨んだまま動けない。
兵士達はその光景を見守り続けた。
「イップ王女から話は聞いた。しかし、お前とは剣を交わしたくない。退いてくれ」
キョウは何度も唾を飲み込み、やっとのことで声が出せた。
みっとも無いことに、キョウの声は震えている。
「こっ、断る! 今、俺の姫が空間輸送システムを止めている。悪いが、誰であろうとここを通す訳には行かない!」
キョウの腰の引けた声に、兵士達は誰一人として笑わなかった。
鎧ごと人間を飛ばす者だ。それと対峙すれば、そう成るのが正常な反応だ。それでも道を譲らない分、若い騎士はまだ度胸がある。
セリオンはキョウの言葉を聞き、微かに唇を上げた。
本来、セリオンが望んだ通りに事が進んでいる。イップ王女には悪いが、このままの方がセリオンにとっては有難い。しかし、イップ王女は護衛の騎士の間から抜けると、キョウの前にやって来た。
「キョウ、リオは中に入ったのか? 何と無謀な!」
責めるようにイップ王女はキョウを睨んだ。
「直ぐにリオを呼び戻せ! 霧も少ない今なら間に合う。あれを壊すのはセリオンしか無理だ。リオには………」
そこで要約、イップ王女は何かに気付いた。
イップ王女は不審に片目を目を細める。
「………何故、キョウはここにいる?」
今までと声のトーンが違う。
イップ王女は自分達と同じく、リオはキョウにシステムを壊してもらうと考えていたのだろう。
「俺は行かない、することが有る」
キョウの台詞で、イップ王女は、やっとリオの言っていた意味を理解したようだった。
「壊さなくとも、本当に止まるのか?」
震えながら問い掛けるイップ王女に、キョウは頷くことで返事を返した。そこで、イップ王女とセリオンの表情が変わった。
厳しく、睨むような表情。
法国の兵士は、数人が霧に乗っ取られ、それを倒すために辺りは騒がしく成り始める。マグナと護衛の騎士は、そちらに意識を取られている。
イップ王女の護衛の騎士達は、霧に乗っ取られた者を近づかせないため一歩前に出た。マグナは魔法の矢を出し、狙いを定める。しかし、マグナの魔法は、霧に乗っ取られた者だけを上手く狙えないので、マグナも前に出た。
周りが騒がしくなる中、三人だけは霧を無視して、そのまま会話を続ける。
「お前、これの事を、空間輸送システムと呼んだな?」
「あぁ、それが正式な名前だ」
「正式だと? なぜ知っている?」
鋭さを増したセリオンの問い掛けに、キョウは答えず、ただ、睨むだけであった。
どう答えていいか解らないし、どこまで話していいかも解らない。
そこで、イップ王女はキョウの後ろの、穴の中から制御盤に繋がる、何本ものケーブルに目を向けた。
イップ王女はこれが制御盤とは知らないし、制御盤の中に何が入っているかも知らない。しかし、キョウ達はそれを利用しているのを見て、やっと理解した。
リオとキョウのほかに、もう一人の女性が居たはずだ。
「あの時いた女性は、そうなのか?」
震えながら問い掛けるイップ王女に、キョウは再び頷いた。
「そうだ。ユキナは向こうの人間だ。しかし、リオはユキナと会う前から、空間輸送システムを理解していた。だから、これはリオのアイディアだ、リオは霧を止められる!」
確かにユキナにより、リオは空間輸送システムの全てを把握した。しかし、リオが居なくては止まらなかったことを、どうしても伝えておきたかった。
イップ王女は理由が解っていても、なぜ自分に伝えてくれなかったのかと、心のなかでキョウやリオを責めた。
「だからイップ姫、リオに任せてくれ!」
キョウの台詞にイップ王女は眉間にシワを寄せた。
「いや、それだけは譲れない。キョウ、その方法を教えよ。リオに代わり妾が行う!」
「無理だ!」
「何故だ!」
「イップ姫――――貴女がもし、二万七千の言葉を知らないとして、それを直ぐに覚えられるか? 今、リオがやっているのは、それ以上の内容だ。いいか、リオは二万七千の言葉の意味も理解しているんだぞ」
その言葉に、イップ王女の顔が驚きゆがむ。
確かに、二万七千の言葉をすぐに覚えるのは無理だ。しかも、二万七千の言葉に意味があったとは知らなかった。
リオがそこまでの者とは思っていなかった。対峙したときは、度胸の有る、しっかりとした子供と思っていたが、しょせんは子供という考えが大きかった。
リオは自分の記憶があるから、この装置の事を詳しいと思っていたが、自分より詳しくは知らないと思い込んでいた。なのに、キョウの話す内容は、逆にイップ王女が知らない内容ばかりだ。
ここに来て、立場が全く逆に成ってしまった。
キョウがあのときに言った、「リオにそう言った誰もが無理なんだ」の台詞、それはこう言う意味だったのだ。
「イップ姫、後悔してももう遅い。リオに記憶を植え付けたのは貴女だ。リオを侮るな!」
確かに、セリオンに壊してもらうより、向こう側の人間のユキナが付いているなら、子供のリオがどこまで出来るか解らないが、その方法で止める方が確かだろう。
このまま、何も出来ず、任すしかないのか。
「………そうか、壊さなくても止まるのか」
どこか寂しそうに、イップ王女は呟いた。
その表情に、キョウの胸が痛む。イップ王女の気持ちが痛いほどわかる。
国民の発展を望み、人々を助けようと奮闘した、今まで生きてきた全てが無駄で、イップ王女には何も出来ない。
彼女は見ている事しか無いのだ。
しかし、キョウには掛ける言葉が見つからない。それはセリオンの役目だから。だが、セリオンは何も言わなかった。
セリオンもキョウの気持ちと同じだが、心の片隅ではキョウ達に感謝していた。
イップ王女の気持ちは解るが、それでも、行かせたくはない気持ちの方が大きい。
自分が付いていようが、向こう側の世界に対しての不安もあったし、壊す過程で、霧によって命を落とす可能性が大きいかったからだ。それほど穴の中の霧は多い。
だから、これはセリオンの拙い作戦が成功した結果なのだ。
マグナもキョウの相手をしていないのには訳がある。
マグナは霧に乗っ取られた者を相手しながら、セリオンやイップ王女の同行を探っていた。
セリオンやイップ王女の気持ちは解るが、それでも悪いが、キョウ達が失敗すれば、マグナの魔法で地下の施設を破壊するつもりだった。
そだけの大きな魔法に、彼の枯れた身体は持たないとおもうが、彼自身の死に場所はそこだと決めていた。 この二人に恨まれるだろうが、年寄より若者を先に行かせるわけにはいかない。
セリオンとマグナは、イップ王女をこの世界に留まらす為に、王女を欺いている。
しかし、イップ王女はいまだに食い下がる。
「キョウ、それなら頼む。妾には無理でも手伝わせてくれ、このままでは、リオは一人で行って………」
イップ王女はそこで言葉を切り、不思議そうにキョウを眺める。
キョウは、イップ王女に記憶の話を聞いた時に、空間を閉じればリオが戻って来られないと解って、他人から見ても解るほど動揺していたのだ。それなのに、リオとイップ王女が話していた時や、現在リオが空間を閉じていると言うのに、余りにも普通過ぎる。
キョウはまだ隠している。何が有るのだな、帰れる方法が。
イップ王女は少しだけ目を細めた。
「キョウ、先ほどお主が口にした、する事とはなんだ?」
その台詞で、今度はキョウが顔をしかめた。思わぬところで失言した、イップ王女には隠し通さなくてはいけなかった。
キョウは、リオをこちらに帰すことばかりに頭が行き、思わず口にしてしまったのだ。
「帰るための準備か? それなら、その方法は一つしかないな。キョウ――――もう一度開けるのか?」
キョウは答えない。いや、答えられないでいた。ただ、二人を睨んだまま佇んでいた。しかし、それが答えだと解ったのだろう。場の空気が一気に変わる。
今まで二人は、こちらに気を使い、友好的であったのだが、もう変わっていた。
イップ王女の敵を見る眼。
セリオンの膨れ上がった殺気。
キョウはここまで反応するとは思っていなかった。やはり、リオの判断は正しかったのだ。そして、イップ王女の判断も早くて正確だった。
「セリオン、あれを壊せ!」
イップ王女は制御盤を指差す。
「はっ!」
しかし、セリオンが動くよりも、キョウの行動は早かった。
剣先をセリオンに向けた。
今までの、セリオンに対しての恐怖は薄れていく。
制御盤を壊されれば、リオはこちらの世界に帰ってこられない。それだけは避けなければならない。
そして何より、リオの邪魔をするものは、誰であろうと許さない。
「動くな!! 制御盤は何があっても壊させない! イップ姫の気持ちは痛いほど解るが、それでも、リオの邪魔をするものは許さない!!」
「退け! お前ごと切り伏せるぞ!」
セリオンも殺気を放つ。
セリオンやイップ王女に対して、開けると言う行動は、何を置いても阻止すべき内容なのだ。
目の前で見てきた人々の惨事。
手を差し伸べても助からない人々。
イップ王女にしては、国民の為を想っての行動が、国民の死に値した後悔。
セリオンにしては、人々を自らの剣で救えなかった事実。
何を置いても止めるべき行動。
二人は、空間輸送システムの内容が解らないので、なおさらだろう。
しかし、キョウにしてもリオを守る為の唯一の方法。
お互いに譲れない想い。
「キョウ、お主にもその記憶は在るだろう。其でも尚、開けると成れば話は別だ。そこを退かなくては、お主に未来はないぞ!」
イップ王女の台詞に、キョウは心の中で謝った。
植え付けられた記憶だが、その生き様や容姿に、ずっと憧れていた女性。
セリオンと同じく、鳶色の瞳に恋い焦がれていた。
しかし、今は違う。
この二人からすれば僅かに思うかも知れないが、それでも、ほんの僅かでも、キョウは見ていたのだ。
この旅の間に作ったのだろうか。
いつの間に傷を負ったのか解らない、細かい傷跡が一杯ある小さな手で、多くの悲しみを必死に受け止めようとして、短い指を大きく開けた、青い瞳の小さな者。
キョウは一番近くで見ていた。
その彼女を誰よりも守りたかった。
キョウは真っ直ぐにイップ王女を見つめた。
「イップ姫、リオのする事を理解できない貴女に、未来を語る資格はない!」
イップ王女はキョウを睨む。
キョウはその憎しみを真正面から受け止めた。
「お前にとっては、ただの記憶か。しかし、あの惨劇は目の前に有った現実だ。それでも開けると言うなら、覚悟を決めろ!」
セリオンの台詞にキョウは頷いた。
「俺にはなセリオン、あんたの記憶がある。――――俺の想いはあんたと同じだ!」
「どこが同じだ! 俺と同じなら、あれを閉めれば二度と開けられない!」
「セリオン、それでもだ! 亡くなった者には悪いが、それでも俺は我が姫の為に開ける!」
キョウは開けると言い切った。
不思議な感覚だ。閉めに来たのに開けるとは。
王国ファスマの前王、ナイル・ファディスマは技術の発展により、大戦を回避しようとした。
奪うより作る事で、人々の目を反らせようとしたのだ。だから、空間輸送システムを開けるために建設した。
そして、イップ王女は、豊かな国を目指すため、技術を上げ、他国の追撃を許さない程の技術を手に入れようとした。だから、空間輸送システムを開けようとした。
どちらも自分の為にではない、他人のためにだ。それは素晴らしい考えの元に、空間輸送システムを利用しようとした。
しかし、キョウは自分の為だけに開ける。
離れたくない。
その想いの為に。
それは愚かな行動だと、自分でも解っている。
「だけど、それでもあんたの姫より、俺の姫の方が未来を見ている。閉めて終るのでない。リオはこれを終わりとして見ていない。リオの物語はここから始まるんだ!」
二人は互いに睨み合った。
セリオンはバスターソードより、一回り大きい剣を、右手に構えたまま、キョウに剣先を向けた。
「解った。なら、もう何も語らん。お前はお前の為に足掻け。俺は俺の信念を貫き通す! 空間を閉じるのはくれてやる、しかし、開けさせはしない!」
キョウは、バスターソードに満たない、大振りの剣をいつものように担ぎ、左手を前に出す。
「俺はな、セリオン、あんたの様に逃げたくない。自分の守る者を守る騎士で在りたい。それだけだ! 制御盤を壊してみろ、俺はその隙にイップ姫の首を狙うぞ!」
キョウとセリオン、互いに守るものの為、二人の戦いが始まった。