霧を止める者の騎士 1
最終話 霧を止める者の騎士
今から六日前。
キョウ達が故ストラを出発したあと、イップ王女とセリオンは、キョウの読み通りに合流していた。
ただ、読みが外れたのは、イップ王女の周りには、セリオンとマグナしか居ないと踏んだことだ。
イップ王女は故ストラの、大きめの空き家の屋敷を利用して行動していた。
周りの護衛をしている、王国ファスマの騎士を名乗る者、二十名。
故ストラで活動している者、四十名。
故ストラ以外の国で情報活動や、金銭を集めている者、百八十名。
計二百四十名が、現在の王国ファスマの騎士である。使用人を含めるとさらに多くなる。
その明細は、霧の現れる前からの、王国ファスマの騎士で有った者や、霧を止めると言う、イップ王女に賛同して集まった者と色々といる。
その為に、皆は色々な格好で統一性はない。
鎧に盾で装備を固めている者。鎧は着ずに、ガントレットのみの者。中にはボロボロのロングソード一本を腰に下げただけの者もいる。
唯一統一されているのは、腕に着けた、王国ファスマのシンボルマークの、花の形が入った、ラズベリーブルーの色の腕章だけだ。
その中で、イップ王女の騎士と名乗れる者は、現在はセリオンのみ。
本日はその全ての者が、ここ故ストラに集結していた。
霧の信者が多く集まる、異様な故ストラでも、その様子はさらに異様だ。
屋敷の窓から、イップ王女は演説している。
「皆の者、今まで妾に賛同してくれ、心より感謝を述べる。しかし、それは今日をもって終わりとしたい!」
辺りからは驚きと、不満の声が上がる。
イップ王女はその者達を前にして、深々と頭を下げた。
その様子を見て、皆は黙り込む。
最近になり、イップ王女は何か考えがあるのか、謝ってばかりだ。
「皆の不満は解る。妾と共に王国ファスマ再建国を願う気持は、妾も同じだ。しかし、妾にはどうしても遣らなくてはいけない事が在る!」
イップ王女は真っ直ぐに、王国ファスマの方向を見つめた。
セリオンはイップ王女の傍らに立ち、その台詞に顔をしかめたまま聞いていた。
イップ王女は目を閉じると、ゆっくりと開け、今度は目の下に見える、随分と少なくなった王国ファスマの騎士達を見た。
「その事を述べる前に、嬉しい情報が入った。………エリス・ファディスマが見つかった。現在はここに至る迄には行かなかったが、近々皆の前に現れるだろう」
再び皆がざわめき出す。
現在、イップ王女の妹であるエリスは、王国ファスマの騎士により、他の王国で身分を隠し生活していた。
見付けた騎士は、イップ王女に伝えたが、他国は危険と判断したセリオンが、エリスに会いに行っていたのだ。
セリオンはエリスの説得に、二ヶ月掛かった。しかし、今まで暮らした町に別れを言いたいと言われ、先に戻ってきたのだ。
結局はエリスに、遅れるとイップ王女とは、二度と会えないとは伝えきれなかった。しかし、エリスは王国ファスマ再建国に賛同はしてくれ、自分の騎士と共にこちらに戻る約束をしてくれた。これで、イップ王女の肩の荷は降り、ようやく霧を止めに行く決意が出来たのだ。
これで良かったのかと、セリオンは自分の行動に問いかけるが、イップ王女十八年間の想いだ。どうしても、それを断ることは出来なかった。
共に行こう。
それしかこの世界を守る術はない。それに、霧を止めること無しには、王国ファスマ再建国も無い。
セリオンは覚悟を決めていた。
「本来なら、正式な王位継承式が必要だ。だが、今は国と呼べるものもない。妾も同じく、王女とすら呼ぶに相応しくない」
イップ王女は開闢の儀式の時に語った。
『妾はその時の希望で在りたいと願う』
それは、王国ファスマが滅んだ今も同じ願いだ。
だからセリオンも、あの時の約束を果たそうと思う。
何処にいるかと問われ、答えたが届かなかった、セリオンの台詞。
『王国ファスマに。私はいつの時も、貴女の剣と成り、盾と成りましょう』
あの想いは上部や、励ましではない。
ラズベリーブルーの草原で、寝むった振りをしていた時から決まっていた。
「だが、今度はエリスを筆頭に、王国ファスマ再建国をめざして欲しい。妾の拙な願いだ」
さぁ、動きだそう。
あの悪夢を終わらすのは、変えるのは自分達しかいない。
だから行くことにしただろう。
「妾は王国ファスマの再建国には携われん。しかし、代わりに霧を止める! 皆の者が安心して住める地を約束する!」
セリオンは顔を上げた。
イップ王女には、リオの言った「あなたのするべき事は霧を止めることじゃない」の意味など、とうの昔に解っていた。
それでも、イップ王女は皆の希望であるため、それを選んだ。
ただ、キョウに言われた台詞の答えだけが出なかった。
「セリオン、最小な人員を集め向う。王国ファスマへ!」
イップ王女は振り向いて、セリオンにそう声を掛けた。
「………かしこまりました」
セリオンは静かにそう述べると、真っ直ぐにイップ王女を見つめてから頭を下げた。
その真っ直ぐな瞳が痛い。
覚悟を決めてから、初めて雑音が耳に残る。
『俺はセリオンの記憶が有る。………イップ姫、その台詞をセリオンに対して言えるのか?』
後悔など無いはずだった。
キョウ達は現在、王国ファスマの城下町を走っていた。
ラズベリーブルーの草原から見て解っていたが、王国ファスマの城下町は、見る影も無かった。
建物は崩壊し、傾き、燃えつき、草木に侵食されている。
石畳は砂が覆い隠し、石畳の間からは草が生え、その影響で歪んでいる。
あの素晴らしく繁栄した影すら、もう残っていない。
霧は常に城の方から向かってくるが、キョウが切り裂いていき、彼の通った後には、半分になった霧の道が出来ていく。
キョウを先頭に、息を切らしながら、三人とも駆け足だ。
キョウは走りながら、目の片隅にメインロードの半ばほどにある、口うるさいパン屋のおばさんの店が有った辺りをとらえた。
当たり前だが、店はもうない。
店の有った辺りは煉瓦の土台が残っているだけで、家屋は焼け切り跡形しかない。今から考えると、こんなにも小さな店だったのかと思う。
結局、キョウは記憶に美味しいと知っているだけで、一度も口にすることは出来なかった。
本当に残念に思う。
さらに走り抜け、しばらくすると、目の前に王国ファスマ城が近付いてきた。
城までは後わずかの場所で、突然ユキナは足を止めた。そこは、まだ辛うじて原型を保っている、一軒の家屋の前だ。
「キョウ、リオ、悪いが五分だけ時間をくれ」
珍しく、ユキナからの相談だ。二人も立ち止まり息を整える。霧の流れは一段落ついたのか、城の方からはしばらくはやって来ない。
それを確認してからキョウは頷いた。
「構わないが、何かあるのか?」
キョウは建物を見上げる。
一見したところ、これと言って変わり無い建物だ。記憶を探っても、重要な建築物ではない。本当にただの朽ち果てた家だ。
キョウの無粋な台詞に、リオは袖を引っ張り、首を振った。
ユキナはその様子を見て、無言のまま家屋に足を向け、中に入っていく。
キョウは解らない顔をしていたので、ユキナの姿が見えなくなってから、リオは説明した。
「キョウ、多分ここは、一週間ユキナが隠れていた場所と思うよ」
「………あっ、」
そこで要約キョウは気が付いた。
そこは、ユキナが不安な心のまま暮らしていた家だ。
キョウとリオが、ラズベリーブルーの草原に想いを寄せていたのと同じく、ユキナにとって、この世界で唯一想いを寄せている場所がここなのだ。
不安をまとい、幾度と無く窓から城の入り口を覗き、助けを待っていた、ユキナのこの世界の家。
ユキナはその場所に別れを告げに行ったのだ。
解ってから思えば、無神経な台詞を口にしたのだと思う。この何て事もない場所が、ユキナがこの世界に来た証人なのだ。それは、他人には解らない想いが有るのだろう。
キョウは理解してから後悔しているようなので、リオは色々と気になる物を見付けては、それを目で追っていた。
キョウは水筒の水を飲み、頭を冷やす。
ここまで来て解ったが、この旅はもう二人だけの旅ではなくなっていた。色々な人々の想いも一緒に旅をしている。
本人は五分と言っていたが、五分経たずしてユキナは戻ってきた。
「もう良いのか? もう少しぐらい待つぞ」
「いや、いい」
先ほどは無神経で悪かったとばかりに、気を使うキョウに、ユキナは短く答えた。
べつに別れを惜しんだ訳でない。ただ、もう一度だけ、ここからこの風景を覗いてみたかった。
あの時は恐怖に震える風景が、希望を持った今なら、どういう風に見えるか確かめたかった。
崩壊し、自然が飲み込もうとしている町並みは、あの時と少しも変わりは無かったが――――少しだけ懐かしく思えた。
リオは何も言わず、王国ファスマ城を見続けた。
「さぁ、行こう!」
ユキナの言葉で、キョウ達は再び足を進める。
霧が止まっているので、今度はゆっくりと、城に向かって歩いていく。
夕焼けが迫り、壁に光が当たって、オレンジ色をした王国ファスマ城が目の前にある。
法国オスティマの城よりは小さいが、それでも大きいことに変わりはない。
キョウやリオは記憶によって、ユキナはここから出てきたことにより、三人は城の内部を手に取るように解った。
キョウは以前に、セリオンがよく足を運んだ、城の裏手にある、騎士の練習施設にも行ってみたくなるが、今はそんな時間がないので、気持ちを押さえ込む。しかし、いまだ霧は止まっているようなので、落ち着いて城の現状は見られた。
リオと二人並んで、近くから王国ファスマ城を見上げる。
さすがに頑丈な造りだけにあって、崩れているところは少ないが、蜘蛛の巣や、蔦が所々巻き付いており、廃虚の雰囲気が漂っている。
三人は前を向くと、揃って城の中に足を踏み入れていった。
以前は城内の警備の騎士や、人が多く行き交いしていた城内は静かで、ガランとしていて、以前よりも広く感じた。
霧の流れは止まったが、城内には多く漂っているので、再び走り出し、キョウは霧を切り裂きながら、記憶に残る地下までの道を急いだ。
空間輸送システムのある、地下までの道は遠い。
一度、城の最奥部の、王族の居住区まで行ってから、階段で空間輸送システムの最下層まで降りる。
キョウ達は霧を相手しながら、一気にその階段まで遣ってきた。
今までの広い廊下は、陽射しが差し込み夕暮れでも明るかったが、階段は陽が差し込まず、暗く、奈落へと通じるように口を開けている。
しかも、暗闇から突如霧が現れるので、危険極まりない。
階段の壁には、古びた松明がそのままに成っているので、リオが魔法で火を灯し、ユキナは懐中電灯なるもので辺りを照らす。
松明は近場しか見えないが、ユキナの持つ懐中電灯は遠くまで光が届く。それを見る限りでは、科学の発展は便利なものとキョウは感心した。
ユキナの世界にある、意味の無いようなものは要らないが、その懐中電灯は便利で欲しく思う。
階段の幅は広く、そして長い。
一度だけ息切れの多い、リオの為に休憩を取り、さらに奥に進んでいく。
辺りの温度は次第に下がり、長い階段の終わりが、ユキナの懐中電灯により見えた。
辺りは霧がいるだけで、人の気配はない。
どうやら、キョウ達が一番乗りで、ここまでは予定通りだ。
三人は互いに頷きあい、廊下を進み扉の前で立ち止まった。
確かに扉は閉じられている。
キョウは鉄の棒を握り締めて、二人を自分の後ろに遣ると、ゆっくりと扉を開けた。
十八年前にセリオンが閉め、その後しばらくは開けられなかった、後悔ばかりが記憶に残る、その扉が、今キョウの手により開いた。